ささやかな願いのそのあとで
私は貴方が好きです。
貴方を慕う誰よりも貴方を愛しています。
この気持ちはとても大きくて広い……
しかし、霧がかかっていて見えにくいんです。
私が貴方を好きになったのは図書室でのこと。
同じ本を取ろうとして手が当たって、最初は譲り合ったけど最後には貴方の押しに負けて私が借りることに。臭いがキツイと思ったけど気にならなかった。
だって貴方はこの本の魅力について語ってくれたから。
この本は何度読んでも飽きないしこの本から教わったことは多い。そんな本を好きでいてくれる人に出会ったことが私にとってはすごく嬉しかった。
それから図書室でよく声をかけてくれた。今日体験したことや。見たこと。些細なはなしでもなんでも話し合った。
とても充実してて、幸せな時間だった。
「幸せは気づかないうちに貴方の心に在るもの」
貴方は私のか細い手をとり本のページの右上からズーと文字に沿うように置いてくれる。暖かくて、その温もりを感じることで私は本の言葉に集中することができなかった。頬っぺが熱くなってるような気がするほどだ。とても近い距離。最初臭かったにおいはもうしない。
私がこの前渡したシャンプーやボディーソープの香りが漂う。
心地よい香りだ。そう、人の香り。
「ねぇ、私はとても幸せです。好きな人といられて。私は貴方とお話が出来て本当に楽しい。これからも一緒にいてください」
「……ああ、約束するよ。今は指輪が無いけど……僕と結婚してください」
優しい声音。熱い思いが込み上げて目から涙として流れていった。
「……はい」
この時間が長く、もっと長く、永遠に続けばいいと思った。
しかし長くは続かなかった。
数日、数ヵ月と時間が止まったかのように貴方は現れなかった。
私は貴方が私を嫌いになってしまったんだと思うことにした。愛想をつかして来なくなったんだと。でも、それでもよかった。
私にとってはありもしない幸せな時間だったから。
だけど、ひとつだけ貴方に好き以外に伝えたいことがある。
それを伝えずにこのままお別れは嫌だ。また貴方に会いたい。
嫌われてもいい、鬱陶しく思われてもいい。それでも会いたいの。
会って貴方に伝えたい。溢れて止まらない思いの丈を全て。
「ありがとう」
私は初めてこの世界を見た。
いつも真っ暗で何も見えない世界。
でも、見えた世界は涙で揺れてるけど貴方がいる世界はとても綺麗で素敵だった。貴方は笑っていて、泣いている。微かに残った感覚で指に何かが嵌め込まれたのを感じた。貴方は何かを伝えてくれているけど聞こえる音が無くなってしまった。せっかく見えた世界はまた真っ暗になっていく。
終わりを告げる鐘がなる。静かに美しい響きに意識は薄れていった。
僕はあの日君に惚れた。
とても大きなお屋敷に忍び込んで金品をあさり、町の図書館と同じような部屋を見つけ金目のものを探した。
すると車イスに乗った少女が一人本を取ろうとしていた。
僕はたちまちかけより本をとってあげた。たぶんこの屋敷のお嬢さん何だろうが目が見えないらしい。それにしても使用人の一人や二人はこの子につけてやるべきだと思う。何かあったらどうするんだ?という話だ。
現に盗人が近くにいる状況なのにな。
大きい屋敷なのに使用人が少ないのは気がかりだがこの女の子は使えると思った。知りもしない本の話もした。点字の文字なんてろくな学もない僕が到底読める代物ではなかった。
けどこちらが質問をして向こうの答えに合わせてさらに質問のわを広げる。そしてでたキーワードを合わせて文を構成する。何となくだが話を会わせることができる。彼女が僕についての話題にふってきたときは
使用人見習いだと嘘を着いておいた。これで彼女は僕についての疑問は話さなくなった。もう彼女は僕を信じただろう。これで彼女を僕の財布にしてしまおうと考えた。いい計画に思えた。
でも、何度も忍び込んで彼女に会うたびに利用する気持ちは失せていった。彼女はとても良い笑顔をするんだ。
僕が育ったところでは見れないような純粋な笑顔。
そんな笑顔にぐっと引き寄せられていった。
ある日、約束をした。結婚しようと。ありえない話だ。父は飲んだくれで無職、母は朝から晩まで仕事。あまりながく家を離れるわけにはいかないが母を楽させるために金が必要だった。だから屋敷に忍び込んだ。僕はただの盗人。彼女はお嬢様、彼女を騙して得た感情……
好きだという想い。
次の日僕は彼女に会いに行くのを止めた。
母が死んだ。父も死んだ。父が家で酒を飲み、働かないことに対して母が注意したことから始まった喧嘩。言い争いが勢いを増したとき父は台所のナイフで母を刺した。そのあと自分のやってしまったことを理解し、そして自殺した。
僕が彼女に会いに行っているときに死んだ。どんなに忙しくても家にいるときには勉強を教えてくれた母。最後の会話は「明日も仕事に行くから朝はいないよ」と、嘘をついてしまった。
僕は嘘つきだ。母も騙して父も騙して彼女も自分も。
嘘ばかりの人生だ。
僕は生きてちゃいけないのかもしれない。
死のう……
「一緒にいてください」
「約束するよ。今は指輪が無いけど、僕と結婚してください」
天井の柱に縄をかけ首を吊ったその時、そんな言葉を思い出した。
嘘から始まった想いだった。でもあの言葉に嘘はなかった。
本当の想い。好きという想いは嘘では作り出せないものだから。
腐った柱はメシリと音をたてて僕と一緒に崩れ落ちた。
僕は死ななかった。あの言葉が嘘ではないというのなら本当にしてしまえばいい。そんな想いは大きく膨れ上がって胸が張り裂けそうになるくらいだった。
母をお墓に埋めてあげた。父は警察が見つけることだろう。
しかし僕が見つかることはない。国にとって僕は生まれてすらいないのだから。
母が残した少しのお金と母が働いていた場所に行く。牧場で牛飼いの仕事の手伝い。夜は水商売。流石に夜は別で酒屋の下働きをさせてもらった。食っていくのと服と、寝るところは冷たいタイルの上で野宿して過ごした。ほんのわずかに浮いたお金を貯めていった。それが貯まるのにどれほど時間がたったか分からない。もう彼女は僕を忘れてしまったかもしれない。それでも僕は会いに行く小綺麗に整えた紳士服をきて、指輪を購入した。盗んだお金じゃなく。働いていた得た嘘のないお金で。
彼女のお屋敷は以前と変わらず立派で僕なんかが入って良い場所ではないようなお金持ちの住むところだ。立派な門を叩く。
しかし、誰も出てこなかった。門を開けようとしてもしっかり閉じてある。ならと昔と同じく忍び込むことにした。そして向かったのは図書室。以前と比べて本は少なかったがあの本は置いてあった。しかしここに彼女の姿はない。屋敷中を探したが彼女どころか一人も居なかった。
最後に彼女がいた図書室にもう一度立ち寄った。彼女が車イスを使ってまた本を取ろうとしていると思って。
やはり遅かったのだろう。時間がかかりすぎた。綺麗な作りだがもう腐りかけている椅子にゆっくりと腰かける。
思い出を辿るように彼女のいた軌跡を眺める。
すると記憶にある本棚の位置が違って見えた。不思議に思って本棚を見るとずらした跡が床に着いていた。僕は本棚をゆっくりとずらしていく。裏は壁かと思っていたが底には通路があるようだった。
驚いて中に入っていくと干からびた人間のようなものが地面に横たわっていた。鼻をてで押さえ異臭を嗅がぬように注意する。
その骸には尖った八重歯が大きく見えていた。
まるで犬か吸血鬼のようだと思えた。
そんな通路の先にはひとつだけ扉をまたいで部屋があるようだった。
僕は迷わずその扉を開け部屋に入っていった。
そこには見慣れた車イスと干からびた少女がベットに仰向けで寝ていた。変わり果てた姿だが彼女だと気づいた。そんな気がしただけだがきっと彼女だと思った。僕は近づき彼女のしわしわの頬に手を当てた。
「そうか。君は……」
この国で経済争いや戦争の話は聴くが吸血鬼の噂はなかった。
昔はいたと言われていたらしいけどぼくが生まれてからはそんな話は聞かなかった。それは彼女たちが血を吸わない吸血鬼だったからじゃあないのだろうか。だからこんなにもか細く弱った体だったんではないだろうか。
僕は折りたたみナイフをポケットから取りだし手のひらを切った。
そして血を口に含み彼女の口に移した。
彼女の顔がだんだんと張りを戻していく。
そっと彼女の手をとり指輪をはめた。
僕と結婚してください。
開くはずのなかった瞼がうえに持ち上がり、初めてみたその瞳はとても綺麗な赤い色をしていた。
彼女は涙を浮かべながらキョロキョロと回りを見渡し、僕と目があった。
「ありがとう」
全てが許されたような、そんな気持ちに頭が沸騰しそうになった。
僕は彼女を好きでいていいと。彼女と一緒にいれると。いままでの嘘は今の本当の為の嘘だったんだと。そう思えてならなかった。
僕は再び目を閉じた彼女に言葉にならないありがとうを伝え、彼女の口元に首を差し出した。
ドクドクと鼓動を打って彼女の体が、足が、生き生きとしはじめたころ意識が遠くなっていく。頭の後ろに回された手は力強く。彼女の胸の中で、意識を手放した。この時間が永遠に続くように。
そう、願いながら。
目を開いた。もう開くはずもなかった目を開いた。
赤と黄色の綺麗な装飾の施された天幕を見つめる。
お母様とお父様が私をここに寝かせてくれた。声が左と右から聞こえてきていつのまにか二人の声は聞こえてこなくなった。しばらくして使用人の女の人が車イスに乗せてくれた。レバーを倒すだけで動ける代物だ。最初は彼女に運転してもらっていたがどういう風に動けば良いか感覚で何となくわかっていたため自分で運転するようにした。
使用人はそれから気配が無くなってしまった。
幾日かたったとき本を読もうと手を伸ばすと誰かと手が接触した。
その人は使用人見習いだと言った。
まるで嘘だとわかった。だって人間臭かったんだもの。
でも私たちは血を吸わない。それはお父様が決めたこと。
だから私は吸わなかった。それに寂しかったから。
止まった時間を埋めてくれるように貴方が現れてくれたから。
私の胸の上でミイラになった貴方の顔は満足そうに笑っていた。
だから私も笑うことにした。貴方の残してくれた時間を生きるために。
貴方との思い出と一緒にいるために。
読んで下さりありがとう御座いました。