純愛・・・・・そして、旅立ち
§1、Kさん
・きっかけ
ママ、映画とか観に行くの?
そうねぇ、梅田近いから、よく行くわよ。
こんな仕事してると、精神的にも疲れるから、映画見ながらボーとするの。
月に2,3回は行くかな。
何が見たいって無いんだけど、暗い中で座ってスクリーン見てるだけ。
先々週も行ったけど、何観たか覚えてない、笑っちゃうでしょ。
そうなんだ、じゃあ今度、俺と一緒に行かない?
いいの? 1人でばかりじゃつまらないから、喜んで。
よかった、今週の日曜日はどう?
お昼のカフェ、日曜は休みでしょ。
うん、お休み。
じゃあ、11時半、東通りの梅田側の入り口の前でどう。
お昼食べてから、映画見に行こう。
うん、OK。
私の名前は翔子。
大阪梅田の東通り商店街を出たところ、雑居ビルの4階でお店してる。
お昼はカフェランチ、夜はカラオケできるスナックって感じね。
たいして宣伝もしてないから、お昼のカフェは夜の常連さんや、口コミのお客さん。
特に忙しくもないけど、まあ、そこそこかな。
そんな昼下がりのお店で、お客さんも引いて、Kさんだけになった時のことだった。
これが、Kさんと付き合うきっかけ。
8月の暑い日だったわね。
ここまでは、普通のスナックのママと男性客のデートの約束現場。
ただ一つ普通じゃないのは、私が本物の女性じゃないこと。
私達の世界ではGIDと呼ばれる性同一性障害者。
障害者とは言っても、別に障害がある訳じゃないし、自分自身では私は普通の女。
1か所、いらないものが付いてて、1か所あるべきものが無いだけ。
ただそれだけ。
お客様の中には、興味本位で来られる人も多いけど、Kさんのように普通の女として見てくれる人もいる。
こんな商売してると、嫌なことの方が多いんだけど、今日は、久しぶりのときめきかな。
お店の開店前に同伴的なデートはあったけど、お昼間に映画デートって・・・
でも、本当に来てくれてるのかなぁ。
これまで、すっぽかされたりして、悲しい思いばかりだったし。
まあね、その頃はメールとかの約束ばかりだったんだけど。
お仕事きついし、ずっと淋しかったから、誰でもいいから相手して欲しかったんだよね。
今日はこれまでとシチュエーションが全然違うから、大丈夫よね、きっと。
待ち合わせ場所まで、歩いて10分くらいかぁ、そろそろ準備しようかな。
暑いからしっかり目にお化粧して、服装はジーンズにロングのTシャツ。
そろそろ時間、出かけようかな、あっ、日傘を忘れないようにねっ。
玄関から1歩外に出て・・・あ~、暑いなぁ。
待ち合わせまでに、お化粧溶けちゃいそう。
梅田までの近道歩きながら、また、こんなこと考えてる。
すっぽかされたらどうしよう、でも、いつものことじゃん。
その時は。1人で映画見て帰ってこようよなんて。
ボウリング場の前まで来て、あっ、もうKさん待ってるよ。
速足で向かって、ごめんなさい、待ちました?
なんて、まだ、待ち合わせ時間前なんだけど。
そしたら、優しい声で、今着たとこだよって。
じゃあ、行こうか。
お昼、なにがいい?
なんでもいいです、あっ、そうじゃなくて、嫌いなものなくて、なんでも好きです。
なんか、めっちゃ、女の子になってるし。
ふふふって、笑われて、取りあえず映画のチケット買って、映画館のフロアーの下の食堂街に。
楽しくランチして、並んで座って映画見て。
その後は、お決まりのコーヒータイム。
何食べて、何の映画見て、どんな話したのか、もう覚えてないなぁ。
そして、駅の改札口まで並んで歩いて、まだ腕も組めなかったっけ。
改札でお見送りして、家に戻ったんだよね。
この日が、これからの始まりに。
・心の繋がり
Kさんとのお付き合いは、今風のべったりラブラブとは正反対。
仕事の合間に会いに来てくれて、お茶だけして、改札口でお別れのコースが続いた。
そんなデートがしばらく続いたのよねぇ。
でも、時間が経つうちに、彼の顔が疲れてきてるのが・・・
その頃、お仕事がうまく進んでないのは知っていたし。
共同経営の友人から別れて、1人でベンチャー企業を立ち上げようとしていたんだよね。
それが、なかなか思うように進んでいないみたいだったし。
だから、喫茶店でのお茶デートは減らして、私のマンションでのデートに代わっていった。
私も、ランチでのお弁当の注文が増えて、早朝から仕込みをしてたりで疲労が溜まってて。
自分の家で会う方が、お互いに楽だったのかもね。
お昼を家で食べる時は、お弁当を持って帰ってなんて。
ゆっくり足延ばして、お話できて・・・
自宅デートが度重なってきたある日、お仕事からくる私の疲労もピークに。
ある日、そんな私を見て彼が、優しく言ってくれた。
しんどいんやろ、ベッドに横になっとったらいいで。
軽く揉んだるから。
ありがとう、じゃあ、ちょっと、横になろうかな。
私が横になった後、パンパンに張ってる腕やふくらはぎを、優しく優しく揉んでくれる。
気持ちよくて、うとうとしている間も、テレビ見ながら、きつくなく緩くなく揉み続けてくれた。
でも、触るのはそこだけ。
絶対に体には触ってこなかったんだよね。
この頃からかな、この人、本当に大切にしてくれてるのかもって思えるようになってきたの。
・何気ない会話
この日は、久しぶりに外でのデート。
とは言っても、天神橋筋商店街の中の喫茶店。
もう、めっちゃ地元なんだけどね。
それでも、喫茶店でコーヒー飲みながらのおしゃべりは楽しい。
その時に、何気なく話ししたこと。
翔子は、水商売の前の仕事は何してたの?
私? 建築の設計事務所してた。
そうなんか、俺と同業だったんだな。
そうなのよ、昔のことだけど・・・でも、まだ3年程前までしてたのだけどね。
最初は、大阪府下の○○市で、務めたのよ。
○○市かぁ、○○市で知ってる設計事務所は、XX技建しかないな。
えっ、私、そのXX技建にいたんだけど・・・
当時に俺がいた事務所は、XX技建の下請けしてたんだけど。
会社で建築設計してたのは私だけだったのだけど、下請けをしてもらってたのって、1社だけだった。
まさか、C設計?
そう、C設計。
え~、宇治Dビルと裁判所の間にあった、早Kビルの4階じゃ。
そうだよ。
私、何回か行ったことあるよ。
その時、所長ともう一人・・・あ、覚えてる!
事務所でも会ったし、私が運転する車で、一緒に大阪の市役所に行ったこともあったわ。
Kさん、助手席に座ってた。
そうなんか、あの時の。
あれから何年たった?
もう、何十年よ。
偶然とは言え、びっくりやなぁ。
うん、本当にびっくり。
まさか、あの時の人が女になってたとはなぁ。
もう、そんなこといいの!
本当に、こんなことってあるんだ。
その時、運命なんだって思ったのだけどなぁ。
・1泊旅行
私は温泉大好きっ子。
でも、久しく行ってない。
それより、今の状態じゃ、まだ女湯に入れないし。
もちろん、男湯もダメだよねぇ。
でも、デートの時に、よく温泉に行きたいなって言ってたみたい。
9月に入ったある日、彼が突如に温泉に行こうかって。
ええっ、いいの?
お仕事は大丈夫?
そんなことより、奥さんは?
私、幸せにはなりたいけど、彼の家庭を壊してなんて考えもしない。
不幸の上に、幸せなんて来ないって思ってるし。
でも、1日くらいは何とかなるよって。
いいとこ探して、予約しときやって言ってくれた。
デートの後、家に戻って、早速に温泉旅館探し。
あんまり負担かけたくないし、やっぱり公営の宿かなぁ、なんて考えながら。
それに1泊だから、近隣の県で探さないとね。
で、見つけた条件ぴったしのお宿。
ここなら、乗り換え1回あるけど、阪急電車だけでいける。
駅までの往復は送迎バスあるしね。
ここに決めて、とりあえず予約電話。
ただ、1つ、心配事あったんだけど、聞けばいいやってね。
もしもし、予約したいのですけど・・・
はい、ありがとうございます、予約日と人数をお願い致します。
今月の○○日、2名です。
男女さまでございますか?
はい、そうです。
かしこまりまりました。
それで・・・
はい?
お伺いしたいのですが、女性の方なのですが、これこれこういう人なのですが・・・
はい。
温泉に入れますでしょうか?
あっ、では、内風呂付きのお部屋がいいですね。
いえっ、大きなお風呂に入りたいのですが、無理でしょうか?
分かりました、少々お待ち下さい。
受付の女性が、感じよく対応してくれる。
お待たせしました、当館のフロントが昼の部と夜の部に分かれております。
あっ、はい。
夜9時に、夜のフロント担当に代わりますので、当日9時以降にフロントまでお出で下さい。
では、お風呂に入ることできるのでしょうか?
はい、当日、フロントの者がご案内をさせていただきます。
ありがとうございます。
では、宜しくお願いします。
はい、お待ちしております。
ああ、よかった。
でも、普通に入れるのかなぁ。
その時は、女湯なの、それとも男湯?
まあ、行けばわかるね。
すぐに彼にメール入れて、後は当日ねっ。
それまでに、まだデートもあると思うけど。
めっちゃ、嬉しい!
旅行当日、彼が家まで迎えに来てくれて、駅までタクシー。
その日は、珍しくロングのスカートにフリルのトップス。
その姿見て、彼も、思わず“おっ”て。
そうなのよね、それまでのデートはパンツ姿ばかりだったし。
こんな、女性的な格好は、初めてだったんだよね。
その日の夕方に着いて、とにかくお部屋に。
その後ホールに行ったら、マッサージルームがある。
彼がそれ見て、行っておいで、時間になったら迎えに来るからって。
マッサージで楽になって、そのまま夕食。
食堂で夕食取って、お部屋で9時まで待機。
彼は、その間に1度ご入浴。
気持ちよかった?
ああ、いい湯だったよ。
9時になって、フロントに下りて、問い合わせてみると・・・
はい、伺っております。
申し訳ないのですが、11時までお待ちいただけますでしょうか?
11時に一般の皆さまの入浴時間が終了します。
その後、ゆっくりとご入浴いただけますのでとのこと。
そして、いよいよ待望のお風呂。
彼も一緒に、大浴場を貸切。
大きな露天風呂もあって、きれいなお月さん見ながら、ゆっくりのんびり。
1時間程、使わせてもらって、本当に気持ち良かったぁ。
清掃の皆さん、清掃時間を遅らせてしまって、ごめんなさい。
その夜お部屋では、ツインのベッドで別々に就寝。
ちょっとウトウトしてたのだけど、彼が寝付かれないみたい。
横になったと思ったらすぐに起きて、窓脇のソファに座ったりして、その繰り返し。
しょうがないから私、彼がベッドに入った時に、思い切って彼のベッドに飛び込んじゃった。
背中を彼の方に向けて、横になった。
彼は、そっと私に腕を回して・・・そのままで、ただ、そのままで・・・朝になってた。
その日の午後には、もう家。
彼とは駅で別れて、帰ってきた。
楽しい時って、どうしてこんなに早く過ぎていくのかな。
楽しかったし、嬉しかった、あの露天風呂からみたお月さんは、一生忘れないよ。
・越えられない壁
旅行から帰って数日がたった。
やっぱり、思いが募ってくるの。
彼には家庭があるし、そこにひびをいれるようなことは、絶対にしてはいけない。
こんな私と付き合ってくれているだけで、それで満足しないといけないんだよね。
わかっているんだよ、わかっているの。
でもね、私からできるのはメールだけ、電話はかかってくるのを待つだけの日々。
毎日携帯電話を握りしめて、ただ、連絡があるのを待つの。
今日も無かった、きっと明日はあるよね・・・こんな日の連続だった。
彼のお仕事が、更にうまく行かなくなったのも知っているし。
お仕事の邪魔をしちゃいけないから、1段落したら、きっと連絡あるよね。
頻繁だったデートも、2週間に1度となり、1カ月に1度になっていった。
でも、会っている時の彼はとても優しい。
私は笑顔で接しているけど、彼の顔は疲れ果ててる感じが見て分かる。
お仕事大変で、デートどころじゃないんだよね。
だから、心にもないこと言っちゃうの。
今、大変なんでしょ、私の事は気にしなくていいのよ。
ちょっと落ち着いて、ふと思い出した時にでも、連絡くれたらいいからね。
でも、心の中じゃ、僅かだけでもいいから、毎日声がききたい。
私が癒してあげるから、お仕事終ったら、ここに帰ってきて欲しい・・・
そしたら彼、うん、ありがとうって。
翔子は心配しなくて大丈夫だよって言ってくれた。
でも、それはどういう意味なの?
毎日、電話くれるってこと、いいえ、そうじゃないよね。
お仕事のことは大丈夫ってこと。
私の気持ちのことじゃないんだよね。
今は、早朝から買物に行って、配達のお弁当とランチの準備。
2時頃に、一旦家に帰って休憩。
夜から営業のパブ、6時過ぎにお店に入って、7時の開店のための準備。
閉店が午前2時過ぎなんだけど、お客さんいたら延長。
終末の、金・土曜日は朝5時まで営業。
忙しいけど、彼のことを忘れていられる。
でも、家に帰った時、メールもないと、やっぱり淋しい。
私から電話してみようかな。
でも、もし彼が家にいて、横に奥さんでもいたら・・・
それより、もし奥さんがお仕事の電話だと思って、電話を取ったら。
そんなこと考えてたら、とても電話なんてできない。
じゃあ、メールは。
でも、なんて書くの?
会いたい、それとも連絡してって。
このまえ、気にしなくていいよなんていったじゃないの。
そんなメール送って、慌てて連絡くれても、なんて答えるのよ。
自分にバカッって言って、諦めるしかないし。
私は本物の女じゃないし、奥さんに勝てるはずもない。
どうしようなく大きくて、高くそびえたつ壁。
この壁を越えることは、悲しいけど、できないのよね。
・疲れてしまって
年も変わった、早春のある日。
最近では、連絡の頻度も随分少なくなってきてる。
友達から見ても、落ち込んでるのが分かるようになってきたみたい。
そんな頃、友達の一人が、気分転換に行こうって、ドライブに誘ってくれたの。
友達の友達との3人で、大阪から丹波路に。
翔子ちゃん、ほら、元気出して!
うん、ありがとう。
きれいな景色みているうちに、気も紛れてきたかな。
お昼御飯は出石そばの提案に、全員一致の賛成。
コインパーキングに車を止めて、お目当てのお蕎麦屋さん。
あれ~、人が並んでるよぉ。
まあねぇ、ここ美味しいのを皆さん知ってるから。
しょうがないから、私達も続こうか、で並ぶことに。
4組ほどの後だったけど、お昼も遅い時間だったから、着々とお帰り。
なので、あまり待たずに入れたね。
美味しいお蕎麦と、たのしいおしゃべりで、店を出て、車までの帰り道。
メールが入ってきた。
えっ、彼から?
1カ月近くぶりのメール。
待ちに待ったメールなのに、期待一杯で読んだら・・・
せっかく気分転換もできてきて、心も軽くなったのに。
それなのに、一気に奈落の底に突き落とされたみたい、茫然となってしまって。
仕事に必死の毎日で、なかなか連絡もできない、家内も一生懸命に支えてくれてるって・・・
家族が一丸で頑張ってるし、奥さんも彼をしっかり支えてるんだ。
お前みたいな者が、よけいな口出しをしてくるなってことなの?
何か、お前はうっとおしいだけ、もう連絡してくるなって言われてるように思えてしまって。
もう、ダメなんだね。
もう、きっと、連絡もないよね。
お終いなんだよね。
涙が止めどなく流れてきて・・・
私の変貌に、友達もびっくりしたみたいだったけど、その後、家まで送ってくれた。
その間、いろいろ話をしたんだけど、何も覚えてなくて。
気がついたら、自分の部屋で座り込んでた。
§2、Yさん
・突然のことで
5月のゴールデンウイーク直前の土曜日。
この日は、お客さんも多く忙しかった。
そんな中、午前0時を回った頃、開店当時からの常連のお客様お2人と一緒に初来店の男性。
常連さんは、一般に言われる女装娘さん。
なぜこの男性と?
聞くと、ここに来る前に飲んでてところで、知り合ったんだって。
店出て、どこかいい店ないのというこで、じゃあ、翔子ちゃんとこにって。
土曜の営業は朝5時まで、少しずつお客さんが帰って行く中、3人さんは閉店まで。
そろそろ店じまいの時間になって、常連の1人のリンちゃんが切りだした。
翔子ちゃん、付き合ってた彼とは別れたの?
えっ、別れた訳じゃないんだけど、お別れも言えないまま、自然消滅かな。
そうなんや、残念やねぇ。
ねえねえ、じゃあ、今日このYさん泊めてあげてよ。
泊める、どういうこと?
この人、和歌山の仕事場から来てて、ホテルも決めてないんだって。
もう5時だし、ちょっと休ませてあげなよ。
よかったら、新しい彼氏にどう?
ええっ、そんなぁ。
ちょっと待って、急にそんなこと言われても・・・
いいじゃん、私達はもう帰るから、いいやろ。
いいやろって、困ったなぁ。
私がよくても、Yさんがよくないでしょ?
その一言が、悪かったのよねぇ。
僕は気にしないよ、ちょっと休ませてくれたら、助かるなぁ。
これで決まりね、翔子ちゃん、ごちそうさま~。
2人は、Yさん置いて帰っちゃうし。
すみません、片づけるので、待ってもらえますか?
いいよ、ゆっくりね。
・プチ同居
成り行きとは言え、まさかこんなことになるなんて。
お店閉めて、一緒に帰る。
どうぞ、ご遠慮なく。
でも、急なことだから、片付けもしてなくて。
何てこと言っても、いつもお部屋はきれいにしてるつもりだからね。
シャワーどうぞ、バスタオルここに置いておきますね。
よければ、お湯溜めますけど。
今は、酔ってるから、シャワーで。
ありがとうございます、いただきますね。
どうぞ、どうぞ。
そんなことから、その日1日、落ち着いていたYさん。
世間では連休期間でも、私はお休みなし。
日曜はランチはお休みなので、夕方から出勤。
じゃあ、私行くから、後で来てね。
鍵ここに置いとくから。
わかった、1時間ほどしたら行くよ。
何か、いい感じ、こんなの欲しかったんだよね。
まぁ、数日だけなんだろうけど、ちょっと浸らせてもらおうかな。
その夜、日曜時間で12時閉店。
Yさん、どこかに遊びに行こうか?
おう、いいね、どっか知ってる店あるの。
うん、仲良しのママがしてるお店が、すぐそこにあるのよ。
よっしゃ、行こう。
で、私のことを戦友って言ってくれるテンちゃんのお店に。
朝まで飲んで、話して、お店を出たのが7時前。
楽しかったね、Yさん。
帰る前に、ちょっと、コーヒー飲みに行かない?
うん、いいね。
近くの扇町公園を抜けて、JR駅近くの○○バーガーに。
1時間程、朝ごはんしながら、いろいろとお話。
Yさんは北海道の人。
札幌で、奥さんと2人で焼き鳥屋さんをしてたんだけど、離婚を期に休業中だとか。
でも、仕事をしないといけないので、お友達の誘いで、ハッパ屋さんで臨時のお仕事。
ハッパ屋さんって・・・何かをダイナマイトを使って爆破するお仕事。
解体のビルなんかを爆発させるのって、テレビで見たことあるけどね。
Yさんは、建物じゃなくて、山とか崖なんだって。
その関係で、和歌山に来てるのだけど、危険だし、自分には無理と思って、フラっと電車に乗って終点が難波。
訳も分からず入った店でリンちゃん達と遭遇、そして、私の店に来たの。
本当は、荷物も置いたままだし、和歌山の宿舎に戻らないといけないんだけど、戻らないんだって。
昨日、電話して、札幌に送ってもらうようにしたみたい。
その時に言われたこと。
私の店に来て、びっくりしたんだって。
何をって尋ねたら、私が離婚した奥さんにそっくりだったからなんて。
私の返事は、ふーん、そうなの。
あまり興味が無いそぶりしたけど、これって口説き文句なのかな、本当にそっくりだったのかなぁ。
結局Yさん、連休の1週間を私の家ですごしたの。
滞在3日目から、床で寝てるのも可哀想だし、私のベッドに。
でも、そうなると、そういうことになっちゃうんだよねぁ。
人一倍惚れっぽい私、その頃には・・・
・約束
滞在5日目、彼から思いもしない言葉。
一緒に暮らそうか?
えっ、本気なの?
本気だよ、翔子となら、やっていけそうな気がする。
離婚してから、もう1人でいいと思ってたけど、今は一緒に暮らしたい。
その時に、ご家族の話も聞いたのよ。
お父さんは、地元の名士で、お兄さんは有名な研究者、お姉さんも、名の通った人。
会社は富良野にあって、広大な敷地の中には研究所と、来客のための宿泊施設があるんだって。
すごいね、びっくりしちゃった。
Yさん自身は末っ子で自由なので、家業には関わらないで都市部に出て焼鳥屋さんを。
お父さんの会社のホームページも見せてもらって、更にびっくりした。
でもね、私は本物の女性じゃないのよ、世間体もあるし、一緒に暮らすのって反対されるよ、きっと。
大丈夫、母親は理解あるし、親の後を継ぐ訳でもないからね。
帰ったら、すぐに母親に話をしに行くよ。
本当に本気なのね。
当たり前じゃないか、何を心配してるんだよ。
北海道に帰る前日。
舞鶴港から深夜フェリーを使うよって言われた。
それが一番、安いからね。
ゆっくり寝て帰るから、大丈夫だよ。
明日の大阪駅、夕方発の電車に乗るよ。
帰ったら、仕事のお金も振り込まれてる頃だから、それで動けるしね。
ほったらかしだった店も片づけて、母親に話に行く。
で、今月末には、迎えに戻ってくるから、待っててくれな。
うん、信じて待ってるからね。
出発の日、ランチタイムは早めに閉めて、お店のお弁当を持って帰る。
なんだ、まだ何にも用意してないの?
用意って言っても、何にもないしね。
しょうがないなぁ、着替もあるし、手ぶらじゃないでしょ。
ペーパー・バッグに着替えや、タオルを入れて、用意はOK。
それと、これ少ないけど持って行って。
フェリー代金でかつかつなんでしょ。
食事もしなきゃダメだし、札幌までの電車代も分からないしね。
月末に戻って来た時に、返してくれればいいからね。
サンキュー。
その日は、彼の電車の時間もあって、少々早めにお店に。
コーヒー入れようか?
ありがとうね。
2人でコーヒー飲みながら、切りだした。
あのね、お金もそんなに余裕がある訳じゃないし、電話はしなくてもいいよ。
携帯代、バカにならないから。
やっぱり、話しだしたら、長話になっちゃうし。
やり取りはメールがあるからね。
でも、戻ってくる3日前には、電話ちょうだいね。
わかった、でも、ちょくちょく電話はするよ。
翔子に忘れられたら困るからな。
もう、忘れるはずないじゃない。
ははは、冗談だよ。
そろそろ時間ね。
ああ、じゃあ、行くよ。
1階まで一緒に下りて、道中気を付けてね。
来月は、私も北海道に行けるんだよね。
そうだよ、待っててね。
月末だよ、3週間後、帰ってくるから。
私は、彼の後ろ姿が見えなくなるまで、見送った。
その間、何度も彼は振り返って手を振ってくれた。
その光景が、忘れられなくて・・・・・
・月末
今日は暇だなぁ、何気なく、時計を見上げる。
そろそろ、フェリー乗り場に着く頃かな。
駅から港までのバスが分からないって言ってたけど、大丈夫だったのかな。
頭に浮かぶの、そんなことばかり。
ため息ついた時、電話が鳴った。
もしもし、俺!
今、フェリー乗り場行きのバスの中だよ。
良かったぁ、バスに乗れたのね。
そう、もうすぐ着くから、乗船したらもう一度電話するから。
とりあえずの、報告電話ね。
でも、安心した。
閉店時間、お店閉めて帰宅。
1週間だけだったけど、ずっと彼が一緒だったから、とっても寂しい感じ。
さっきの電話からだいぶ経つけど、もう乗れたんだよね。
部屋に入って灯りを点けて、座り込む。
お茶でもいれようかなぁ、久しぶりにほうじ茶が飲みたい。
熱いお茶を口に含んで、ほっと一息。
そこに、2度目の電話。
もしもし、さっき出港したよ。
よかった、後は北海道まで寝て帰るだけね。
そうだね、フェリー下りた後、まだ電車があるけど、そこも寝られるしね。
そんな彼の声聞いているうちに、涙が込み上げてきて、止まらなくなった。
話声も、完全に泣き声になってて、何度も、おいおい泣くなよって言われた。
結局最後まで、鳴き声のままだったけど、無事に乗れたのにほっとして、電話を切った。
それからの2週間は、夢見てるみたいな毎日だった。
彼が、向かいに来てくれて、お母さん始め、ご家族の方にも認められて。
富良野に行くのだから、ラベンダー畑に行きたい。
この時期は、咲いているのかな、なんてことが頭の中をぐるぐる。
焼鳥屋さんが始まったら、彼が調理して、私がホール。
お客さんとも仲良くして、しんどくても楽しく過ごすの。
これからの生活、北海道なんだよねぇ。
でも、来月でお店たたんで、引っ越しの準備もしないと。
まあ、それは、彼が戻ってきてからのことだよね。
お店でも、お客さんから、ママ、なんだか嬉しそうだねぇ。
普段でも笑顔がいいのに、この頃の笑顔は更にいい感じだよ。
おいおい、彼氏でもできたの?
そんな会話が、とっても幸せだった。
しなくていいよって言ってた電話も3日に1度はかかってきた。
その中の会話で、たまに、ちょっと気になることもあったんだけど・・・
その電話、20日になる位から、かかってこなくなった。
でも、月末の3日前には連絡くれる約束だから、28日までは待っていようね。
きっと、最後の整理や準備で忙しいんだよね。
だから、28日までは・・・
それからの1週間、期待と不安が入り混じって、落ち着いていられない。
そして、ついに28日、1日中携帯電話を握りしめてた。
その日は、電話が鳴らなかったけど、きっと明日よね。
次の日も、また次の日も・・・
ついに月末に、その日、笑顔でごめんごめんって言いながら、お店に入ってくる彼の姿を思ってた。
でも、その姿も無く、電話もなくて。
・奈落の底
どうしちゃったのかな、電話してみようか、でも怖くてできない。
そんな葛藤が続いた3日間。
月も変わって6月、4日の日に、思い切って電話してみた。
でも、留守電になってる。
その後、何度も何度も電話した。
連絡欲しいの、録音も何度もした。
最後は、鳴き声になってた。
でも、電話はかかってこない。
そんな繰り返しが1週間続いた。
そして、再度電話した時、この電話は使われておりません・・・・・
私は混乱した。
きっと、何かあったんだ。
家族が反対してるからとか。
だから、戻ってくるのが遅れてるんだと、自分に思い込ませていた。
でも、彼は言ったよね。
反対されても、俺は自由だし、どうせ実家とは離れた所で店しているんだから、その時はその時。
翔子は気にしなくて、大丈夫だって。
そう言ったよね。
でも、何度も留守電に録音しても連絡ないし、最後は電話を解約しちゃってる。
ちょっと遅くなってるけど、もう少し待ってねって、言ってくれると思ってたけど。
もう、だめなんだよね。
なにがあったか知らないけど、きっと、もうだめなんだよね。
それからしばらくの私は、抜け殻だった。
お店でも、随分とお客さんから励まされた。
Kさんとの別れで、免疫ができてたんだけど、今回は一気に燃え上がったから、落ち込みも大きい。
彼から教えてもらった、実家の会社のホームページ、まだ履歴が残ってるから、電話もわかる。
でも、何て言って電話すればいいのか・・・
そんな、勇気ないしなぁ。
そんな時、常連の女性のお客さんから、一緒に北海道に行ってあげようか?
実家の住所も、焼鳥屋のだいたいの場所も分かってるんでしょ。
彼氏、そこの2階が家だって言ってたんでしょ。
じゃあ、直接会って見たら?
一緒に、行ってあげるから。
私、その時、行ってみようかって思った。
でも、じっくり考えたの。
北海道まで行って、もし、会えても・・・
滲めな思いだけして、大阪に戻ることになるんじゃ。
素直になって、思い切って行ってみればよかったのかな。
でもね、これまでの私の人生の繰り返し。
辛くなった時に限って、精一杯虚勢を張って、もう関係ないって言っちゃう。
今回も、いいの、あんな男を信じた私がバカだったのって。
心の中では、めちゃくちゃ引きずってるのに、精一杯の割り切った振りをしたんだよね。
なかなか立ち直れないままに時が過ぎていく。
今回の事があって以来、ツキからも見放されてしまって。
6月、7月とお商売の方もガタ落ちになった。
私の店だけなのかって、いろいろ聞いてみたら、飲み屋以外の一般飲食店もひどい不景気だって。
家賃の支払いも厳しくなって、もしこのまま押して営業して不振が続いたら、大きな借金を追うことになる。
今、閉めれば、とりあえず現状維持で止められる。
家主さんに、どうするか決めるから、少しだけ時間を下さいと、連絡を入れた。
7月も暇なままで月末の土曜の夜。
土曜がこれじゃ、もう潮時なのかなぁ。
毎月の月末か月始めの日曜、自分勝手に戸籍の名前を翔子に変えてから、必ず行くことに決めてる両親のお参り日。
この日も、朝5時にお店閉めて、お参りに行った。
両親の前で、手を合わせながら、必死でどうしようって聞いていたんだよね。
そして、帰ってきて、JRの駅前のハンバーガーショップ。
早朝で、まだどこも開店前なんだけど、ここは24時間。
朝のセットを注文して、ナゲットを追加。
そう、今日は私のお誕生日。
自分に今年のお誕生日プレゼント、これくらいはいいよねって。
地下のブースに下りて、一番隅の、壁を前にしたカウンター席。
お客は、私一人だけ。
コーヒー飲みながら、ポテトかじって、トレーの下にある求人情報。
そう、お寺さんのある駅にあった、無料配布の求人情報誌。
無意識にもらってきてたんだよね。
じっと正面の壁見つめて、もう無理かなって思ったら、涙が溢れてきた。
悲しくて悲しくて、もうどうしようもなくて・・・
全てに希望がなくなってしまった。
涙が治まるまで1時間、チラホラとお客さんが下りてくるのに気付いて、なんとか涙を抑えた。
冷めてしまったハンバーガーとマイプレゼントのナゲットを食べて、家に帰った。
人生で、最低最悪のお誕生日だったのよねぇ。
でも、この朝ごはん、一生忘れない。
1日に決めて、その日に家主さんに連絡。
7日の退去でOKをいただいた。
残り3日間だけ営業して、在庫を整理、その後の2日間で片づけて、最終日に点検と引き渡し。
その全てを1人で粛々と終らせて、最後のお掃除が終ったのが6日の夕方4時頃。
このお店、構想も設計の自分でしたもの。
思い入れも、思い出も、山のようにいっぱいいっぱいだった。
私の人生の最後は、この店で終るんだと思ってた。
こんな形で終るなんて、夢にも思っていなかった。
カウンターの椅子に座ると、走馬灯のように、これまでの出来事が浮かんでくる。
暗くなる中、じっと1人で座ったままで・・・
これでお店出て、鍵をかけたら全てが終り、もうここには入れないんだよ。
そう思ったら、動けなかった。
お礼を言って、お別れを言って、ドアを閉めたのは、翌日の午前5時。
いつもの閉店時間、それまで、お店を出ることできなかったんだよね。
これで、全てが終ったって、そう思った。
§3、Tさん
・生きる糧
お店を閉めて、3ヶ月間は、ただ、ぼ~と家にいるだけだった。
本当に、抜け殻になってた。
その頃、3日に1度は見た夢。
なかなか寝付かれない毎日、やっと眠りに入るのが明け方近く。
入りたい訳じゃないのに、また、あの夢の舞台。
狭い部屋の中、誰かが泣いてる。
どうしたの?
何故、泣いてるの?
近寄っていくと、泣いているのは私自身。
そのまま、目が覚めていき、起きても泣き止むことができない。
ベッドに座って、ひたすら泣いてる。
涙が枯れて、やっと落ちつけるんだけど、もう、くたくたになってて。
何度も同じ夢見るうちに、狭い部屋で鳴き声聞いたら、ああ、また私が泣いてるって。
連続して恋人に捨てられて、人生をかけたお店も失って、生きていく希望も持てなかった。
かなり病んでたんだろうね。
でも、3カ月もしたら、貯金も無くなってくる。
そろそろなんとかしなくちゃ。
女1人、生きていくだけなら、パートでも何でもすればいいよね。
そこで思い出したのが、あの誕生日の日に握っていた求人情報誌。
久しぶりに賑やかな場所に出て、駅で情報誌をもらってきた。
ついでに、コンビニで、求人誌も購入。
その日から、私の職探し。
でも、時期が悪かった、大学を卒業した若い人たちも、就職ができない。
そんな人たちが、こぞってパートやアルバイトに押し寄せてくる。
商店街の販売、回転寿司の洗い場、居酒屋の調理場、どこに面接に行っても、若い女性ばかり。
改めて、世間の厳しさを思い知ったんだよね。
そんな時、ネットでハローワークを見つけた。
ハローワーク?
職業安定所のことなんだよね。
いろんな情報が出てるなぁ。
1度、相談に行ってみようか。
翌日、梅田のハローワークに行ってみた。
職安って、数十年前に来たことあったっけ。
でも、その時は仕事を探す方じゃなくて、人を募集する方だった。
その頃とは、雰囲気も随分違ってる。
当時は、お役所そのもので、冷たい感じだった。
でも、今は、気楽に出入りできる感じになってるね。
相談コーナーに行って、初めての相談ということを伝えて、順番を待ってた。
そして、名前を呼ばれて、事情を説明したら、窓口の方から適切な指示が。
私の場合、まず、生活できる状態にしましょうって。
大阪市と大阪府の両方に申請して、市からは今の家賃の一部支給を、府からは仕事が決まるまでの間の生活費の補助をしてもらいなさいって、丁寧に説明を頂いた。
申請の書類をもらって、書きこんだ後、住民票等を取得して、住所管轄の区役所が窓口へ。
住所管轄の区役所?
北区役所かぁ、ラッキー、家の直ぐ近く。
ご指示いただいた窓口の方にお礼を言って、自転車とばして家に。
書類書いて、取るもの取って、区役所の担当課。
ここでも、私に付いてくださった方がとても親切で、テキパキと処理を済ませ、どちらも承認で今月から入金ありますからねって。
それも、お店を閉めたのが2カ月半前なので、その証明も取ってたから、先月分まで支給してもらえることに。
これで当面、住んで食べることは大丈夫かな。
この頃には、抜け殻だった心と体にも、少しずつ力が湧いてきてるのを感じだしたんだよね。
ハローワークの方も、私の経歴からキャリア部門の専門のハローワークに変更していただいて、相談開始。
すぐに担当者も○○さんに決まり、今後の私の相談役。
その方も、すごく真剣に相談に乗ってくれる。
何も仕事の紹介だけじゃないんだよね、心の病的な相談まで話相手になっていただいて、本当に嬉しかった。
これまでパート一本だった求人も、正社員も含めた形で探すことに。
その時に見つけた1つの求人。
インターネットのページで、海外からの求人を乗せた情報の1つが、私の目に。
カナダの旅行社からの求人で、観光客用のガイド。
なんと勤務地はルイーズ湖、ここは、私が一生の中で1度は行ってみたい夢の場所。
条件は、一応満たしているよね、運転免許もあるし、英語もペラペラとはいかないけど、多分大丈夫。
なので、思い切って、売り込みのメールを送ってみた。
そしたら、来たよ返事が、履歴書と写真を送った後に1次審査なんだって。
応募者の人数によって、3次審査まで進んで、そこで1人が決定される。
かなりきびしいかな、でも、チャレンジだよね。
ハローワークの○○さんも、そのチャレンジが大事なんだよって。
・メール
気持ちが前向きになると、ツキの方も少しずつ回復の兆し。
求職活動の中、やっぱり深夜になると淋しくなる。
最近では、あの夢を見ることも減ってきたし、精神的にも落ち着いてきた。
でも、この淋しさは、どうにもできないのよねぇ。
そこで、ちょっとネットの掲示板にお友達が欲しい的なことを書きこんでみたの。
そうしたら、いくつかメールが来た。
その中で、年上で真面目な感じの人にメールの返事を入れてみたの。。
近日中に1度、食事に行きましょうとのメールがあって、私は、喜んでと返信。
また、連絡しますだって。
本当に、誘ってくれるのかな、メールだけの冷やかしも多いみたいらしいし。
まぁね、期待しないで待ってみようかな。
それから2日程して、カナダからのメール。
1次審査に残って、2次審査に入るんだって。
やっぱり、かなりの応募があったみたいね。
多くはカナダ在住の人みたいだけど、ダメもとで、更に自分をアピールしておいた。
でもねぇ、ここまでかなぁって感じよね。
私にメールくれてる人は、カルガリー支店の日本人の方で、いろいろ情報もくれて、応援もしてくれてる。
今回は、約30名程の応募があって、1次審査で半分になったんだって。
今度の2次審査で5人位に絞って、3次審査で2名を選出。
その2名が面接で、採用1人を決めるらしいのよ。
本来なら、先に面接なんだけど、大勢をカナダまで呼ぶのは難しいから、書類で決めてからの面接だとか。
あ~あ、遠い道のりだなぁ。
でも、このカナダへの応募が、思い出させてくれた。
私の子供の頃からの夢、海外移住。
高校時代から、今のジャイカ、当時の海外移住事業団に通い詰めてたんだよね。
絶対に、日本を飛び出して、外国で暮らすんだって。
いつ頃から、その夢が消えてしまってたのかな。
確か、当時の第1候補がカナダだったはず。
でもまさか、この年になって、海外に目がいくなんてね、思いもしなかったなぁ。
海外の求人情報、まだいろいろあったよね。
ヨーロッパでは、和食関係も多かったみたいだし、どんどん行かないと。
海外就職、これだけに絞るとかなりハードル高くなるから、当然日本での仕事も並行していかないとね。
その日、Tさんから連絡が来た。
今晩、焼き肉食べに行こうって。
・初デート
焼き肉屋さんの前で、7時に待ち合わせ。
住所が書いてあったから、早速検索。
あっ、このお店の前、よく通るよ。
ここ、高級焼き肉店だよね。
すごい、奮発してくれたんだ。
しっかりお洒落して、自転車じゃなくて、徒歩でお店の前に。
私の写真は送っておいたけど、Tさんの顔はわからない。
とりあえず立ってれば、向こうから声掛けてくれるかな。
私は5分くらい前に到着。
Tさんは、ほぼ時間通りに。
私に向かってくるから、この人かなって。
そしたら、翔子さん?
はい、そうです。
じゃ、入ろうか。
もう、予約をしてくれてたみたいで、座敷の個室に通された。
本当に、高級そう。
何がいい?
私、お任せします。
嫌いなものはあるの?
いいえ、何でも喜んで食べます。
じゃあ、このコースにしようか。
えっ、はい・・・高そうだなぁ。
お酒は飲めるの?
ごめんなさい、飲めないんです。
全然?
はい、全くダメなんです。
じゃあ、ウーロン茶でいい?
はい。
私のことも、いろいろお話して、Tさんのことも教えてもらった。
Tさんは大阪の商社マン、もう定年過ぎてるけど、会社に残って指導的な立場なんだって。
日本各地に出張することが多くて大変なんだって。
もう、若い子とワイワイ遊ぶ年でもないし、落ち着いて付き合える彼女が欲しかったとか。
どうや、翔子、わしと付き合わんかい?
Kさん、Yさんのことで、まだ男性との付き合いには消極的だった私。
でも、Tさん、かなり年上だし、お父さんみたいだし、前みたいにのめり込むこともないよね、きっと。
誰かがいてくれるだけで、ほっとできるしね。
うん、いいよ、私でよければ。
よかった、翔子はわしの最後の恋人やな。
そう言ってもらえれば、私もうれしいかな。
初デートはお食事と、軽いフレンチキッスだけ、地下広場で別れたんだったね。
・最後の恋人
次のデートは1週間位後だった。
居酒屋さんで、食べて飲んでおしゃべり。
私はずっと1人だし、話し相手もいなかったから、機関銃のように話すの。
それを、楽しそうに聞いてくれて、職探しの方も心配してくれる。
でも、夜11時過ぎたら電車の時間。
Tさんの家は奈良、それも市内じゃなくて××市だから、終電も早め。
これからの、大抵のデートはこんな感じになりそうだね。
この頃は、面接もあちこちに。
区役所の担当の人たちも、ハローワークの○○さんも、よく頑張ってるよって。
でも、確かに頑張ってるつもりだけど、全然決まらないからなぁ。
その時に、来たよ、カナダからのメール。
なんと、2次審査合格だって!
5人に入ったんだよね。
これで満足って言う訳じゃないけど、ここまできたら、なんとか・・・もう、神頼みしかないかぁ。
Tさんとは、だいたい週1ペースでのデート。
いつも美味しい物食べさせてくれるし、しっかり栄養つけるんやでって。
私のどうでもいいお話も嫌がらずに聞いてくれて、本当にお父さんみたい。
そんな中、いつもの電車の時間。
でも、その日は、まだ落ち着いてる。
お父さん、まだいいの?
電車、大丈夫?
ああ、いいんや、今日は翔子の家に泊まる。
ええ~、奥さんは、大丈夫?
後で、電話するから、気にせんでいい、だって。
私は嬉しいけど、お家のこと、本当に大丈夫なのかなぁ。
その日は、珍しく続けて飲みに行って、夜遅くに帰宅。
お父さん、お風呂、入る?
ああ、お湯溜めてくれ。
久しぶりだなぁ、こんな会話するの。
その夜、狭いベッドでお父さん寄り添って寝た。
こんなに安心して寝たの、久しぶりだなぁ。
朝は早めに起きて、朝ごはん作って、お父さんを起こす。
今日は、大阪からの出勤やから、時間ゆっくりや。
ご飯食べて、コーヒー入れて、マンションの下まで出て、お見送り。
やっぱり、奥さんっていいなぁ。
今の私の夢は、子供時代からの意志、海外移住。
でもね、やっぱり、普通の主婦になってみたいのよねぇ。
この方が、叶わぬ夢かなぁ。
・心のよりどころ
ついに来ました、カナダからの最終メール。
これでOKなら面接、ダメなら終了。
さて、どっち!
メールを開いた瞬間に目を閉じて、1・2の3で・・・・・あ~あ、残念かぁ。
まぁね、しょうがないね。
しばらく、夢見させていただいたしね、次、頑張ろう!
その夜、カナダのお仕事、ダメだったぁ。
そうかぁ、残念やったなぁ。
でも、わしはちょっとほっとしたけどな。
翔子は頑張り屋さんやから、大丈夫や、またいいとこ見つかる。
そうかなぁ。
そうさ、わしが保証したる。
お父さんに保証されてもねぇ、でも、嬉しいよ。
ねぇ、今日は帰るの?
ああ、連続もなぁ。
そうよね、無理言えないものね。
でもね、お父さんに出会えてなかったら、私、こんなに前向きになれなかったかもしれない。
受けても、受けても、不採用、いいかげん落ち込むよね。
これまでは、カナダに行くからいいんだなんて、自分にいい訳できたけど、それもなくなったし。
こうやって、何でも話できて、励ましてくれる人がいるから、頑張れるんだよね。
翔子は、特定の彼氏より、誰でもいいから、心のよりどころが、欲しかったんやろなぁ・・・・・
誰でもいいなんて、そんなことないよ、お父さん。
ただ心の中では、そうだったのかもしれないなぁって・・・・・
・新たな旅立ち
ハローワークの○○さんや、区役所の皆さんから、毎月の報告に行く度に、よく頑張ってるねって励まされる。
他の人達って、そんなに仕事探ししてないの?
でも、皆さんも、お仕事探してるのよねぇ。
そうか、私みたいに、窓口を最大限に広げていないんだ。
確かに、私は、全く選んでないよね。
できると思ったら、何でもトライしてた。
だから、カナダの時みたいに、私だからできるってアピール、できなかったんだ。
でも、私が自信もって任せてくださいって言える職種は・・・
もう、戻らないって決めた職種。
神経ボロボロになって、遠ざかったはずなのに・・・
まぁね、同じ世界でも、職場や環境が変われば、これまでのようなことはないのかもしれないけど。
背に腹は代えられないか!
そのことを○○さんに話して、パート・アルバイトの線は絶ち切って、自分の専門分野で勝負してみることに。
実は私、水商売を始める前は建築の設計事務所を経営してウン十年。
自分でしてた手前、しょうがないからで、いろんな分野をこなしてたし。
並行して建築の専門学校の非常勤講師もウン十年。
これなら専門職だし、売り込んでいけるかな。
この時代、建築も冷え込んでるかなって思ってたけど、そこそこ求人あるね。
その中で、えっ、これ、本当かな?
ピックアップした7・8社の他に、ベトナムの駐在員っていうのが。
現地の事務所の責任者を募集しているんだね。
○○さんに、この内のどれにしましょうかって相談。
そしたら、じゃあ、全部の会社に面接希望をだしましょうって。
ええっ、それって、いいのですか?
全然問題無しよって、いいとこ決まれば、採用決まってても、他で決まりましたの連絡でいいのよ・・・なんて。
だから、そのベトナムの話しの会社も、ダメ元でだしちゃいましょう。
ということで、一気に面接の連絡を入れてもらって、数社にGO。
なかなか、通知が来なかったベトナム行きの会社、ダメかなって思ってたけど、ついに電話がかかってきた。
いきなり、直接電話だったので、びっくりしたけど、話が聞きたいって。
電話で少しお話して、建築でもかなり特殊な分野で、経験者も少ないらしい。
たまたま、私はその関係も手掛けていたこともあって、一度来てくださいということになった。
その後、何度か話をして、採用になったんだよ。
3カ月ほど、研修期間で本社に通うんだけど、なんと通勤時間が2時間!
でも、研修後にベトナムのホーチミン事務所で採用ということで、決心。
毎朝4時半に起きて、お弁当作って、6時前の電車で出勤。
なんとかこなして、6月の1日からホーチミン。
でも、決まる時って、あっさりなんだねぇ。
あんなに四苦八苦しても、全然だったのに、本当に不思議。
カナダから一転、東南アジアかぁ。
ベトナム・・・私的にあんまり情報も無い国。
とにかく行って、住めば都になるよね。
お世話になった皆さんにお礼を言って、友達にも報告。
そして、お父さんにも・・・
5月31日の夜に会うことになったんだけど。
その日の夕方、マンションの管理会社への引き渡しが終って、大好きだったマンションを退去。
とても家財道具を持って行けないから、もらってもらえるものは、全部差し上げた。
残りは、気が引けたけど、しょうがないので、全部ゴミ置き場に置かせてもらった。
マンションを出た時は、スーツケース3個とショルダーバッグのみ。
これが、私の引っ越しなのよね。
タクシー呼んで、駅前のホテルまで。
荷物を置いて、待ち合わせ場所に向かった。
翔子、今日が最後や、何が食べたい?
何の店でも連れったるからな。
お父さん、ありがとう、じゃあ、お寿司がいい。
翔子は、寿司が好きやからなぁ。
その日の会話は、あんまり進まなかった。
言葉も途切れ途切れになってしまって。
その時に、お父さんが言ったの。
翔子はベトナムに行って、新しい人生が待ってるけど、わしはどうしたらいいんや。
翔子の幸せを願っているんやで、でも、わしはどうしたらええんや。
私、お父さんの言葉を聞いて、何も言えなかった。
自分のことに必死で、お父さんのことを考えてあげられなかった。
ほとほと自分しか見えてなかった視野の狭さに嫌気がさした。
毎日、くたくたになる位に人に気を使って生きて来たのに、最後の最後に。こんなことしてしまった。
食事を終えて、もう少しどこかに行くって聞いたの?
そしたら、お父さん、いや、これで終ろう。
達者でな、元気で頑張ってこいよって、肩をたたいて、そっと抱きしめてくれた。
その時、周りの人の目は、全く見えなかったし、気にもならなかった。
でも不思議に、あんなに涙もろかった私の目に、涙が溢れてこなかったのよ。
お父さんの駅に向かう後ろ姿、本当に本当に、寂しそうだった。
私は、その後ろ姿を見送りながら、心の中で、ごめんなさい、ありがとうを繰り返し叫んでいた。
ホテルの部屋に戻った時、大粒の涙が溢れてきて、もう、止めようがなかった。
翌日早朝、関空発、ホーチミン行の便で、私は旅立った。
これから、どんなことが待ち受けているのか、何も分からない。
でも、どうなろうとも、夢を掴んだのは間違いない。
もう、日本に戻る気も場所もない。
この約2年間に経験した、出会いと別れ、悲しみと別離。
この経験を踏み台にして、私は、未来の私と対面するために、旅立つ・・・
完