ラプンツェルの場合
私のお母様が私達を身篭った時、隣のお庭の、ラプンツェルがどうしても食べたくなったそうです。
お隣には、年老いた老婆が独りで住んでいて、不気味な雰囲気のするその家は、強固な塀に囲まれ、誰もそこを訪れようとするものはいなかった。
けれど、日に日にやつれていくお母様が、あまりにお願いするものだから、お父様も仕方なくお隣からそのラプンツェルを盗んで食べさせたんだそうです。
けれど、やっぱり盗みなんて良いことじゃありません。
そんなことが何度かあるうちに、お隣さんも自分の家の隣の夫婦がラプンツェルを盗んでいることに気づいてしまったのです。
お父様とお母様は、必死に老婆に謝りました。慈悲ある普通の人間ならば、彼等の必死さに誰もが二人を許したでしょう。
けれど、老婆は夫婦を許さなかった。なぜなら彼女は、人の非を利用して、利益を得ようとする狡猾な魔女であったから。
彼女は、お母様が身篭っている事に気づきました。そこで老婆は、生まれた子供が女の子であれば、その女の子を自分に渡すよう要求してきました。
お父様とお母様は生まれてくる子供が男の子であることを強く願いました。
そして、私達が生まれました。
「ラプンツェル、ちょっと聞きなさい。」
「なんでしょう、お母様」
梯子をのぼり、窓から入ってきたお母様は、唐突に話を始めた。
石畳の床に最低限の生活用品をそろえた部屋は、高い塔の上にあったので、お母様はいつも梯子を登りやってくる。
森の深くにある大きな塔。
私は、生まれてからずっと、この塔の上で生活している。
外は危険だと言われ、お母様が出ることを許してくれないのだ。
「今日からお前の世話係を付けることにした。カンパネラ、入りなさい。」
お母様がそう言うと窓の外で待っていたのか、もう一人少女が入ってくる。
年はちょうど同じぐらいだろうか。
粗末な服を着た少女はうつむきがちで、私ほどではないが長い髪のせいで、顔が良く見えない。けれど、肌が白く、その口元や鼻の形が整っている様子からとても可愛らしい女であるように思えた。
私はとても嬉しかった。
自分と母以外の女性とこうして顔を合わせるのは、初めてだったし、一人の時間はいつだって寂しくて味気ない。彼女が世話係だというのならば、私の寂しさも和らぐのではないかと思った。
「はじめまして、カンパネラ。私はラプンツェル。これから、よろしくね。」
「…………。」
私が言ったことに対し、カンパネラは私をゆっくりを見て、何も言わずこくりとうなづいた。
私を見たその目は、私によく似た桔梗色をしていた。
「カンパネラは、口がきけない。まぁ、うるさくなくていいだろう。何かあれば、それに何でも言うと良い。」
お母様は特に興味もなさそうにそういった。
「そうなのですか?……」
せっかくお話し相手ができたと思ったのに、残念だ。
「いいかい、くれぐれも、二人で外に出ようなんて考えてはいけないよ。外は若い女を見ると、その体をずたずたに裂いて食べてしまう食人鬼がいるのだから。」
「わかっています、お母様。」
「それと、わかっているね?ここを男が通ったら、いつも通り丁重に迎えてあげなさい。」
「………はい。」
私は気分が落ち込みながらも返事をした。
やはりあの事を考えると少し気が沈む。
カンパネラが口をきけないのを知って、私は少しだけがっかりしてけれど、彼女は様々な方法で私の質問や疑問に答えてくれた。
彼女は絵がとても上手で、紙とペンで、塔の外の様子を教えてくれた。
綺麗な花、大きな湖、街やお城。
私の知らないたくさんの素敵なものを、彼女は知っていた。
私は、いろいろな場所に行ったことのあるカンパネラに、食人鬼が怖くないの?って聞いた。
すると彼女は困ったような顔をして首を横に振った。
「それにしても、カンパネラの顔ってとても綺麗ね。もっとよく見せて。」
そう言って、私はカンパネラの髪を横に払った。
彼女は何故かとても恥ずかしそうに、目をそらして、頬を赤く染めた。
「?どうしたの?」
私がそういって、さらに彼女に近づこうとすると、彼女は両手で私を少し押しのけた。
「ごめん…私ったらベタベタ触って。……嫌だったのかな?」
私も自分の体に触られるのはあまり好きじゃない。
その癖に無神経に触れてしまったから拒否されたのかもしれないと申し訳ない気持ちになった。
そうすると、カンパネラは慌てたような様子を見せて、少し考えた後、彼女の手が私の頬にそっと触れた。その顔は、にっこりと笑っていた。
それだけじゃよくわからなかったけれど、私は拒否されたわけでも、怒られたわけでもないことはわかったから、ほっとした。
気が付けば、私もカンパネラににっこり笑っていた。
いつも触られるのは嫌なはずなのに、カンパネラの大きくて、痩せて骨ばった温かい手は、何故かとても安心した。
私はカンパネラがすっかり気に入っていた。
彼女が傍にいてくれるととても楽しくて、今はもう一人だけの塔の上の生活は考えられなかった。
だから、お母様には誰にも言っちゃ駄目と言われていたけれど、いろいろ教えてくれたカンパネラに私の秘密を教えてあげた。
「男の人が見えたらね、まずは歌を歌ってあげるの。私が歌うと大体の人はこの塔に近づいてくるわ。それでね、梯子を降ろして、にっこりほほ笑むの。そうすると、安心して入ってきてくれるの。あとは……その人の好きなようにさせてあげるの。……本当はね、唇を重ねられたり、体を触られるのは好きじゃない。でも、我慢するの。あの人たちは朝にはいなくなってるから。それに、お母様の言うことは絶対に聞かないといけないの。」
私はぼんやり外を見ながら教えてあげた。
カンパネラの顔を見ながら話すのは、何故かとても気が引けたから。
全て話し終わった後、カンパネラを見たら、泣いていた。
どうして泣いているの?
カンパネラも嫌なこと思い出しちゃったのかな?
だったら、ごめんね。
私は、カンパネラの頭を撫でた。
前に私が痛い思いをしたときに、顔も覚えていないような男の人がそうしてくれたの。
痛くて、気持ちが悪くて、本当に嫌だったけど、そうされると少しだけ安心したのを覚えていたから。
その人も、次の日にはいなくなっていたな。
カンパネラは私を少しだけ悲しそうに見た後、私をギュッと抱きしめた。
温かくていい匂い。
痩せた体は、骨が出ているせいか、少し固かったけど、そんなのどうでもよかった。
でもなんで、カンパネラの方がずっと辛そうなのに、私にこんな風にしてくれるんだろう。
彼女は、お母様とも、ここに来る男の人とも違う。
やっぱりカンパネラに触れられるのはとても心地良かった。
けど、そんな心地良さを素直に受け入れるだけの私は、本当に馬鹿だった。
それが、カンパネラのお別れの挨拶だったってわかっていなかったのだ。
次の日の朝、カンパネラはどこにもいなかった。
たまに用事で外に出ることはあったけど、一日中戻ってこないなんてことは今までなかった。
きっと私が言ってはいけない秘密をカンパネラにしゃべったから、嫌われてしまったのだ。
私は知らなかったけれど、お母様があの話をしてはいけないというのはきっと、言ったら嫌われてしまうからだったんだ。
私は泣いた。
今まで、何人もここにきて、目がさめれば必ずいなくなっていたけど、泣いたことなんてなかった。
けれど、カンパネラはあの人たちと違う。
私は、自分の中にぽっかり穴が開いたみたいになった。
その日の夕方、森に一人の男の人がやってきた。
彼はどこに行くんだろう?
彼に着いていけば、食人鬼に襲われることなく、カンパネラに会いに行けるかしら?
……そして、わたしはいつものように歌ったのだった。
男の人はいつもそう。
私がちょっと歌えば振り返り、にっこりとほほ笑むと傍にやってきてくれる。
カンパネラは、こんな人たちと違う。
彼女は私に優しく、ずっとそばにいてくれた。
私の嫌がることなんて、絶対にしなかった。
「お願いがあるの。」
「ん?なんだい?」
男は気分よさそうにベッドの上で私に触れる。
先ほどから私をじろじろと見ているその目がとても気持ちが悪い。
「私を、ここから連れ出してほしいの。」
「おやおや、こんな可愛いお嬢さんからのプロポーズかい?」
「……えぇ、そう。」
そんなつもりはない。
森を出たら、適当に逃げてしまおう。
「フフッ、森に迷って一晩過ごすにも困っていたのに、まさかこんな拾いものをするなんてな。」
そう言って、男は私のドレスに手をかけた。
あぁ…また嫌な時間が始まる……。
そのときだった。
鈍い音が男の背後から聞こえ、男が目を見開く。
「なっ………。」
男が後ろを振り返ると、さらに鈍い音が聞こえ、男はベッドから落ちるように倒れて行った。
月明かりしかないその部屋では、はっきりとその姿を確認できなかった。
しかし、黒い人影が男をなにかで殴ったのだとわかった。
黒いマントにフードをかぶった、あまり大きくはない人影。
その人物は倒れた男に馬乗りになって、何度も何度も男を殴った。
私は驚きのあまり声が出なかった。
ただ、マントの人物が動きを止めるまで、動くことすらできず、その様子にくぎ付けになった。
男が完全に停止したのを確認すると、フードの人影は私の方を見た。
顔はよく見えない。
けれど、睨まれたような感覚。
そこで私は、ようやく自分の感覚を取り戻す。
ゾクリと背筋が寒くなり、手足が震えていた。
「あっ………」
一歩、また一歩と、私に近づいてくるその人。
私は震えるばかりで、そこから動けない。
この人、いったいどうして?
あぁ、そうか。
今日はカンパネラが帰ってくるかもしれないと、ずっと梯子を出したままにしていたんだった。
だから、森にいた食人鬼が、塔へと入って来てしまったのかもしれない。
フードの人物は、ベッドにいた私を押し倒し、私に覆いかぶさるように馬乗りになって、首を絞めた。
思ったより小柄なその体にもかかわらず、抵抗を許さないほど力があった。
太くはないが、固い腕。大きくて骨ばった手。
私がそれに手をかけたところでびくともしない。
「……くっ…ぁ………。」
あぁ、こんなことなら、昼間のうちにここから逃げて、一人でもカンパネラを追えばよかった。
優しくて、綺麗なカンパネラ。
もう一度、その顔を見たかった。
「カン……パネ……ラ……」
一瞬。
ほんの少しだけ、力が弱まった気がした。
けれど、それも一瞬で、私の意識はそのまま遠くなっていった。
息が絶えるそのとき、フードから覗いた、涙に潤む桔梗色の瞳を、確かに見たような……そんな気がした。
「ごめんなさい……」
暗闇の様なマントにフードを深くかぶったその人物から発せられたその言葉。
その声は、夜の闇に溶け込んでいくような低い男のものだった。