ドラゴンスレイヤー
邪術師の住む節くれの塔から北に一週間、この赤い土の丘を登り切れば蛮族のあがめる霊峰〝骨の天幕〟も見えるのだろうか。昆虫めいた目を持つ、背のひょろ長い蛮人の喉を掻き切り、戦士はひとりごちた。
茶色をした髪は汗で濡れ、頭にべったりと張り付いて、不快さを増していた。髪と同じ色の布鎧は板金のように重く感じられる。右手には紺色の血がべったりと張り付いた剣が握られていて、そこから立ち上る臭いが戦士の疲れをさらにあおった。
剣についた紺色の血をぼろ布でぬぐってゆっくりと鞘に収めて、動かないのを確認するかのように、蛮族を蹴って仰向けにした。
同時にビュッ、と夕方の風が吹き戦士は身震いする。風はやはり冷たい。空も紅の部分は少なく、ぬぐった血にも似た紺色だ。
きっと今の風は〝骨の天幕〟へ命をさらっていったのだろう。戦士は首を振って不吉な物思いにふけるのをやめた。まずは目の前のことから片付けよう。
とりあえず怪物の持っていた銀の粒の入った袋をありがたくいただいくことにした。銀の粒は彼らの貨幣でもある。なにかの役に立つかもしれない。そう思いながら、背負い袋に詰め込みゆっくりと丘を越える。
〝骨の天幕〟は遠くで白い点のように見えた。
白く輝いているのは儀式でもあるのためだろうか。あの奇怪な山は忌まわしい亜人達が作ったものだ。
彼らは先程ひょろ長い怪物と同じか、近い種族らしい。夜な夜な死体を漁り、集めた骨を積み上げあんなものを作りあげた。元は小さな丘にすぎなかったらしいが下手な山よりも大きく成っていた。もしこの地で死んだのならあそこに骨を並べられるのだろうか。倒れた亜人の方を思わずながめ、不穏な考えに肩を震わせた。
大丈夫だ。あんな場所は目的地ではないのだからと、戦士は自分に言い聞かせ、足を思い切って踏み出した。
戦士の目的地はこの丘の下にある竜の墓にあった。二十年も前の話だ。
教会の司祭によって、討伐された竜がいたという。その名はジラザト。邪悪な竜として有名で、おとぎ話の時代から生きていたと言われる。お話の中では美しいお姫様を誘拐したり、風に呪いをかけて病気をまき散らしたり、村々を飛び回っては暖炉の火を食べつくし、人々を困らせたそうだ。
そんな伝説の存在だけに宝の伝説も多かった。彼は相当な宝をため込んでいた。
戦士の目的はそのおこぼれや取り残しである。たいしたことはない。彼もあちらで転がっている怪物と何ら代わりのない。ただの生き急ぐものであった。
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ランタンを付けて緩やかに目的地の洞窟へと入り込んだ。
ここは明らかに自然洞窟ではないようだ。竜が居住のために作った物らしく、赤土はガラスの様になっている。火炎の吐息で作られた作品達。ランタンに乱反射する姿は聖堂の華美なガラスより綺麗だ。材料である赤土の色なのか、竜の鱗の色へ合わせたのか。淡い赤色が炎に照らされて、意外と暖かな雰囲気を作り出している。
これを持っていくだけで好事家やガラス職人がかなり高額で買い取ってくれるはずだ。けれども、戦士にはそんなまどろっこしい金銭より竜の秘宝とやらの方が気になった。
それに竜自身の肉体ともなれば、一部でもたった一鱗でも金貨が十倍の重量で帰ってくるそうだ。なんといっても、戦士は黄金や財宝よりも、そういう神秘や魔術、そういったものが好きだった。
普段会うような魔法使いや司祭はいんちき手品師やいかさま師ばかりだ。二十年前の弾圧でほとんど本物の神秘は彼岸へと消えてしまった、らしい。戦士は生まれてもいなかったから直接見たことがないのだ。寝物語に聞いてわくわくとした記憶だけが蘇った。
今回の神秘は本物だ。竜の死体、あのお話に出てきたジラザトとくれば楽しくて仕方がない。戦士は少しだけ笑った。自分は馬鹿なのだろうか。そうでなくてはこんな辺境のあるかもわからないものを探しには来ないものだ。
にやつきながらランタンを片手に進んでいく。警戒は緩めずゆっくりと。またあんな化け物が現れるかもしれない。
一歩また一歩と進むと自分の足音と、風の入り込む音だけがしばらく続いた。洞窟は入り組んでおらず単純な一本道なので進むのも楽だ。そして、すぐに遺骸を見つけられる。意外と浅い場所にあったのに驚きながら、灯りを当てた。
生命の王。そんな言葉が粗野な戦士の中にすら自然に浮かんだ。
赤銅の鱗が暖かな光を冷たく照らし返している。美しい鱗が何枚も剥がされているが、王たる居住まいはなお堂々としている。照らされた右翼には傷一つなく、冴えた刀剣のように輝いている。
だが、左翼には巨大な杭が突き刺さり醜くひしゃげていた。杭は右胴へと伸びていて竜の血をえぐり出していた。血は泉のように辺りへ広がっており、今でも流れているようだ。
もしも、竜が生きていればそれはどんなに美しかったのだろう。
灯火を強くしても、現実には破壊されひしゃげた竜の遺骸が血を吐き出して倒れているにすぎない。そうやってランタンで照らした血が妙に痛々しい。もし、これが生きて動いていたら。そう思うと残念だった。
視覚からの衝撃で頭の中が歪んでしまうような気がした。戦士はそれから目を反らしたいのか、それともいつもの手癖なのか宝を探そうと辺りに目線を送る。
そして、金色を見つけた。
正しく言うならば、目が合った。意志がないとばかり思っていた竜の瞳は黄金の色たたえて戦士をにらみ据えている。
「よ、よお……」
間の抜けた様子で戦士は竜に話しかける。特に睨むでもなく竜はじっと戦士を見据えている。
『おまえの求める財はもはやない。私自身を除けば、だがな』
目を通して何かが入り込んでくる。意志なのだろうか。彼はそれを読み取るのか。その現象に戦士は思考を停止させていた。けれど彼は思考を停止させたまま、行動を始めていた。
「って、生きてるつーこたぁ大怪我じゃねぇか、大丈夫かよ」
駆け寄って傷や杭の具合を見る。固いはずの鱗を易々と貫き、肉を抉り内臓まで達している。人ならば致命傷だ。
『当たり前だ、私は死んでいくのだから』
ため息のような意志の伝達を不快そうに戦士は眉をひそめた。
「そんなこと、言うもんじゃねぇぜ、ドラゴンよ」
今度はうろんげな意志を竜が向ける時だ。
戦士は大雑把に背負い袋の中身をばらまいて、その中から血止めの草を取り出す。そして強がりか彼のためか歯を見せて、にやっと笑う。先ほどの宝を求める顔よりその表情はどこか生き生きとした顔だった。
「あがくってのは悪いことじゃないってオレは思うね」
反応するのも億劫だとばかり竜は目をつむった。
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あれから一週間はたっただろうか。
血の流出こそ止まっているが杭は突き刺さったままだ。聖別され、祝福された杭なのだろう。しかし、その祝福は呪いと変わらない。
戦士は来た日のように日が落ちるとやって来る。ランタンを持っているのは同じ、違うのは背のうにあふれるほど血止めの草を持っていることだ。
「ジラザト、ただいま」
草の持ち合わせはとっくになくなっていた。辺りで見つけるのもいい加減取り尽くしてしまっている。明日はどうしようか、頭を巡らす。
数秒の思考。とりあえず後で考えればいいという結論に至り、戦士は治療に取りかかる。といっても草の葉に多少の傷を付けてから貼り付けるだけなのだが。
『人間とは、つくづく無駄が好きなのだな……』
くすぐったそうに顔をゆがめながら、観察者、傍観者の目で戦士を見ていた。
死を間近にしてまだ超然としている竜に呆れた。そして、竜にもまた表情があるのを戦士は初めて知った。一週間続いた鉄仮面がはずされただけかもしれないし、ただ自分が気付かなかっただけかもしれない。
だが、自分が知った小さな知識が誇らしかった。おとぎ話のジラザトが、こんな表情持っているなんて、思いもしなかった。
そんな思考と平行して、ぺたぺたと血止めの草を貼り付ける音だけがガラスと赤土の洞窟に響く。その作業自体に戦士は、焦りは感じていた。
どんなにそれを張っても、刻々と死が近づいているのだ。
そもそも竜が意識を保っているのは断末魔にしか過ぎない。戦士は何度も何度もジラザトに説明されていた。たかだか数十年で死ぬ人間の断末魔が一瞬だとしても数千、数万の年月を生きる竜の断末魔だ。断末魔の間に子を成した竜もいるそうだ。まったく人間とは別次元の話で戦士はなんだか納得できなかった。
その様子に竜は思考の口を開く。
『……なぜ、おまえは私にこんなことをするのだ。とどめを刺して私の鱗をはげばいいだろう。それが目的ではないのか。目的を達せぬ旅など愚かしいだけだぞ』
「いや、そんなこと言われてもなぁ」
頭を掻いたり、布鎧の首まわりを正したり、大の男がもじもじしている。
「怪我してたから、助けちまってからなぁ。助けようとしたのによ、途中で投げ出すのは、趣味じゃないつーか」
直感で動くのが戦士の主義であった。理や利より情や感覚だけで動くのは戦士としては三流だと傭兵仲間達によくなじられる。だが、その感に命を救われたことも多い。感が言うには、邪悪なる竜ではないような気がする。人間の範疇でだが。
そのなんとなくの感覚を読んだのか、竜の苦笑が意志になって帰ってくる。炎は竜の意思を反映するのか、ランタンの灯火が揺れた。洞窟全体にそれが反射して洞窟がゆるやかに輝いた。
「なんで笑うんだよ」
戦士がむっとする。更に竜の笑いと洞窟の輝きは少し大きくなったような気がした。
「ほらコレで張り終わりだ」
まだ、くすくす笑いの収まらない様子に憮然としながら、背負い袋の中を見る。
血止めの草もなく、食料もそろそろ今夜の分でおしまいだろう。水は近くの泉から補給ができるとはいえ、いいかげん人間の街へ行かなければならない。
『行くのか』
「ああ、明日の朝には発つよ、すぐ補給して帰ってくるから、な。」
戦士は適当にマントにくるまるながら答えた。竜がいるせいか、不思議と暖かい。大した寝具はいらないし、なかなか居心地がいい場所だった。
ふと、戦士は人間の街が自身の生きる場所なのか、この冷たい赤土の洞窟が自分の場所なのか、分からなくなってしまった。
案外、こちらの方が自分に合っているんじゃないか。
そう思うと淡い笑みが止まらなかった。
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戦士は荒れた赤土をゆっくりと進んでいく。小鳥の声が所々で聞こえ、点在する茂みは露が反射している。時折〝骨の天幕〟の方から冷たく澄んだ風が吹くが、それも足から火照っていった体には心地よいものだった。
あれから三日がたった。竜であるジラザトにとっては一呼吸程度の時間だ。
そう容態は変わらないはずだ。効くかどうかわからないが軟膏や解呪の札、滋養のある卵の瓶詰めなどを買い込んで準備も万端だ。確実に赤字になる買い物だが、妙に楽しかった記憶を反芻した。
それにあの銀の粒が意外な値段で売れたのは良かった。買い物が随分と楽になったのだ。物好きはいるものだと、自分を棚に上げながら戦士は歩調を早めた。
そろそろ〝骨の天幕〟が見える丘に着くはずだ。あの竜は何をしているだろうか。ただ寝ているだけかもしれない。案外楽しみにしているかもしれない。
にやにやと想像を巡らしていると冷たく澄んだ風の中に少し異臭を感じた。何かを焼いた時の臭い。髪の毛と肉が粗雑に焼かれたときにする鼻を突く空気だ。
吐瀉の感覚が戦士を支配する。人形のように力の入らない体を操り、足早に丘を駆け上がる。そして転ぶようふらつきながらに下っていく。あの洞窟からあのにおいがする。決して心地よくない争いの香りだ。
「ジラザト」
洞窟の前へ立ち、呼びかけるでもなくつぶやく。奥からは赤々と輝く明かりが見えた。ジラザトは光など必要としなかった。ならば中にいるのはだれだろう。
頭の奥に何か詰まったような気分。のどが渇き、鼻はひりひりと乾燥している。
その痛みを無視してもう一度、洞窟に向かって咆哮にして、その言葉を投げつけた。自分の声の反響だけがガラスの赤土を駆けめぐる。歪な鏡に戦士が映った。反応はない。
音の反響が消えると言葉もなく剣を抜く。いつも振っている得物がいやに重い。戦士は息をゆっくり吐いて、音が出るほどそれを握りしめる。
そして、光へ向かって駆けだしていった。
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ジラザトは後方へ後方へと下がりながら戦っていたようだ。
洞窟の奥へと進むと血痕と黒い固まりが点々と転がっている。表面だけが固まった溶岩に見える人型のかたまりだ。溶けた金属が腕らしきところの近くに握られていた。それらは火に照らされて場違いにきらめいていた。
くすぶる異臭は奥へ向かうほどひどくなり、鼻が麻痺するま間もなく嘔吐感が喉の奥を焼いていく。その感覚を力任せにひねりつぶすべく、戦士は歯を食いしばる。歯が圧迫され、ギリギリと鳴るのを無視して、一気に駆け抜けていく。
見えた。
金属製の白い鎧を着込んだ男が息も絶え絶えに立っていた。彼が寄りかかっているのは洞窟に不似合いな長槍だ。その槍は動かない竜を貫いていた。ジラザトの無事だった翼は潰されそこから胴へと深々と突き刺さっている。
傷はそれだけではない。大小様々な剣の傷跡。投げ槍や石弓の矢などが深々と突き刺さり、美しい赤銅の鱗が戦鎚によって醜く剥がれされ赤いものをにじませていた。
生きていた後続が来たとでも思っているのだろうか。
男は戦士を気にもかけない。背後から忍ぶこともなく、走ったまま勢いをつけて頭めがけて斬りつけても兜は傷付かなかった。
だが、金属のぶつかり合う甲高い音と首が折れる鈍い音が剣から伝わった。そして男は崩れ落ちる。
しびれて手から剣が落ちた。
それを無視して戦士は竜ジラザトへ集中する、目は濁り生気を失いつつある。息をただそうとするも落ち着かない。死は確実に近づいていた。
『おそいぞ』
様相とはかけ離れたむしろ楽しげな意志が伝わってきた。力なく水に浮かぶような楽しさだ。よくよく見れば竜の下の地面はまた赤い海を作っていた。長槍は杭まで突き刺さっているらしい。押し出されるように杭の位置はずれていて傷口は開かれていた。
『待ちくたびれた』
忍び笑いのようなものをあわせて伝わる、疲れた意志だ。
『そろそろ、断末魔も叫び飽きたな』
破けてしぼんだ袋を連想させる弱々しい姿。そこから漏れだした血が鼻をえぐった。
逃げ出したい感情を縛りつけて、あの時と同じように駆け寄った。びちゃり、と足下から赤いものがはねた。暖かなものがブーツから伝わり、そして染みこんでくる。
「おい、冗談だよな」
血の気の抜けた顔で戦士は情けない声で、願った。
そして、ゆっくりと竜をさする。手袋越しにくる感覚は冷たくざらついていて、あんな死体を生み出したとは思えないほどだ。
「大丈夫だ。まだ死なん」
喉の奥を本当に振るわせて笑った。
重い角笛のような声が辺りに響き、ごぼりという音とともに竜は血塊を吐き出した。
「やめろ、しゃべるな」
半ば怒鳴るように、たたきつけた声は洞窟に無意味にこだまする。竜はため息のようにどろりと血を流す。透徹か無頓着をまとった声が喉から共に漏れた。
「わたしは、もうすぐ死ぬ、しばらくはこの苦痛に耐えねばならないが」
「いいから、しゃべるな」
怒りをぶつけながらも、背負い袋からものを出していく。
解呪の札では祝福は消えない。ただの軟膏でたちまち傷が治ったりはしない。瓶詰めの卵が何の役に立つんだ。墓前に供えるのか。まったく笑えない。
「それもいいだろう」
笑う。そのたびに赤いものが簡単に漏れていく。何が楽しいのだろうか、忍び笑いを漏らし続ける。
「やめろ」
何度も何度も懇願するように、言葉を放った。むなしく洞窟に食われて消えるだけだとしても、いわずにはいられない。やめてくれ、せめてせめて後一瞬だけでもいいから、おまえの偉大な姿を見せつけてくれ。
竜はまだ口を開こうとする。
とっさに竜の口を体で押さえ込む戦士。それがよほどおかしかったのだろうか、竜は全身をひくひくさせながら笑っては血を吹き出す。
『もう離せ、しゃべりはせんよ』
笑いを残した意志が戦士の中へ流れ込んでくる。なにか答えようとしたが戦士の意志はまとまりそうもなかった。
『頼みがある』
一転して、刃の光にも似た鋭い意志が戦士を刺した。
「な、なんだ」
どういうことだろう。彼が自分で何かを頼むなど、この日まで聞いたことはない。
『一つだけ、逆さについた鱗が喉の近くにあるだろう。それをおまえの剣で貫いてくれ』
理解するまでの間が戦士にはとても尊く思えた。理解しなければ竜殺しなどしなくともいいのだから。彼の緩慢で苦しみに満ちた死を傍観し、誰かがいなくなる時の、ぐちゃぐちゃの感情を後回しにできるのだから。
竜は懇願するわけでもなく、金色の瞳でじっと戦士見ていた。戦士の姿がなんの偽りもなく写った。
戦士は歯を食いしばる。
そして、鎧の男の近くに落ちていた剣を握った。
手になじんだそれは腕の一部みたいなものだった。いつもは頼りになる相棒なのに今日ばかりは憎らしい。
ゆっくりと剣をにらむ。
先ほどの殴打で欠けた刃がいやに瞳に染みついていく。できものだらけの化け物の顔や鎧の男が着ていた甲冑の白い色がいやに脳裏を焼いた。
異種族も同族も切り倒したというのに、いまさら竜を斬るのになんためらいが必要だろうか。友達だからなのか。
いや、一方的な執着だろ。
剣に息を吹きかけて、その腹を三回叩く。そして、神に祈る。こいつにこれ以上の苦痛を与えるならばもう二度と祈りはしないと、神を脅しながら。
ためらいは、飲み込んだ。
どの道を選んだとしても後悔が残るのだからせめてジラザトの好きなようにさせたかった。ゆっくりと狙い、苦痛の無いように一気に貫く。感触は初雪でも突いたようにあっさりしたものだった。
目の前が真っ赤になる前、冷たい骸に変わるはずの竜の顔はどこまでも穏やかだ。自分のここ十日のことが無駄のように思えた。それともこのときを待っていたのかもしれない。竜は自身の死を。
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「つまりは、きみが竜を倒してくれたのだね」
石造りの豪勢な部屋だった。三本のろうそくが備え付きの燭台からあたりを克明に映し出していた。机の上には本が何冊も立ち並び、何に使うのかダブルベッドまである。窓は外が深い夜だとわかるほど透き通ったガラス製だし、照らしている燭台ですら、よく見れば銀製である。
この部屋の主は彫り物のつい椅子にぷよぷよとした体を埋めている。その太った司祭は冬眠から起きたかのようにけだるそうにこちらを見つめた。立たされたままの戦士は司教をじっと見る。
そして声が震えないようにつばを飲み込む。
「ええ、確かにこの手とこの剣で」
戦士は腰に吊してある剣に右手を添えて答えた。白い鎧の上司は竜殺しの司祭だった。二十年前彼が倒した竜は死んでいない。
そんな噂を元から絶つために部下を放った。保身のため竜、ジラザトをもう一度殺した。この男にはそれなりの末路が必要だ。戦士は腹の奥で毒づいた。
竜について話がある。騎士の遺留品を適当に渡すと、人払いのすんだ小さな私室に戦士は通されたのだった。
「では、何が望みかね。金貨、宝石、女、霊薬、おお、教会の聖騎士の席が偶然にもひとつ余っている、それではどうかね」
司教がカエルのようににたりと笑って口から出した。
芝居のように流暢に紡いだ言葉を戦士は引きつった笑みで返す。
「オレが望むのは」
ずいっと一歩で間合いを詰めた。
左手で彼の口を押さえ、右手から剣を抜く。
意外な力で暴れる司教に杭のように剣を突きたてた。ほとんどないに等しいほど肥大化した首に剣を埋め込まれ、竜殺しはあっさりと絶命した。押さえた口からあふれた血を汚物のようににらみ、司祭の服にこすりつける。
そして、聞くものもいない部屋にぽつりとつぶやいた。
「竜だ」
戦士はにやりとわざとらしく笑いながら、司教の体にランタンに使う油をまいてやる。ベッドのシーツにも余りをまく。お似合いだな、と怒りにまかせて思うことにした。
正義も悪もない。
竜の姿が見たいがための儀式。
無条件に死を受け入れられるほどの存在でもないから。せめて彼の姿を人々に焼き付けたかった。
銀の燭台から一本、ろうそくを引き抜いてシーツへと落とし、もう一本は司教に焚きつけた。最後の一本でランタンに火を点すと無用とばかり放り捨てた
そして夜の教会を走り出す。
「竜だ、竜が出た、竜が司教様に復讐しにきたんだ!」
叫びながら侍祭の眠る宿舎を通り抜け、手伝いのいる雑魚寝部屋へ駆ける。
門番の横を抜けて、教会の方に振り返る。
教会の人々は逃げだしていた。司祭の自慢話が、竜退治の英雄譚があと押ししたのだろう。
彼らの背後には確かに炎の翼を広げる竜がいた。
襲っているのは司祭の部屋を付近、鐘や聖像などがある中心部である。咆哮するように天をつく赤い体。竜は火の粉をちらしあたりを巻き込むかもしれない。それでも戦士は横を駆け逃げる人々を横目に、しばらくとどまった。
翼のある頃の彼に思いをはせた。こちらをみる透徹した金色の視線、赤銅の鱗、大地をガラスへと変える炎の吐息……
竜の姿を、この炎を見ていたい。
「竜だ、竜が出たぞ!」
ただそう叫びながら。