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解決編

 一時間後、瑞穂が戻ってきて、関係者は全員事務所に集められた。

「刑事さん、事件の真相がわかったというのは本当ですか?」

 相木が汗を拭きながら尋ねる。新庄は頷くと、榊原の方を見た。その榊原の後ろでは、瑞穂が心配そうに榊原を見ている。榊原は三人の容疑者を前に、推理を話し始めた。

「改めまして、品川で私立探偵事務所を開いております榊原恵一です。今回、警察からの依頼でこの事件を調べています。さて、今回の事件ですが、一見すると一作業員が撲殺されただけの極めて単純なものに見えます。しかし、それは表の顔に過ぎません。犯人としては、事件の背後に潜む事実に気づかれないために、この事件を通常の殺人事件にしたかった。そう、そもそもの話、この事件はその『隠された事実』を隠蔽するために行われたものだったんです」

 榊原の発言に、三人はそれぞれ怯えたような顔をしている。これから何を話されるのかまるで見当がついていないようだ。

「全ての始まりは、約十年前、この場所で行われた日比谷線の工事にあります。当時、日比谷線で発生した脱線事故をめぐり、佐古島土建は国土交通省の依頼で日比谷線の工事をすることになった。一つは衝突事故の原因となったカーブにおけるガードレールの設置。もう一つは、このカーブの中間地点に新駅を設立する工事でした」

 何人かの社員の顔が引きつる。

「この駅舎工事はほぼ完成間近まで進んでおきながら、国土交通省内の派閥抗争の巻き沿いを喰って工事計画そのものの中止が決定し、途中まで完成していた駅舎は封鎖。駅舎ができるはずで国土交通省が買い取っていた土地は佐古島土建が買い取り、都心の有力地であるこの土地は佐古島土建から別の不動産会社へ売却される予定でした。ところがです」

 榊原はあくまで冷静に告げた。

「ここで不思議な出来事が起こります。ほとんど決定事項だった佐古島土建から不動産会社への土地売却の話が突然佐古島土建側の一方的な要請で白紙となっていまい、さらに佐古島土建は更地のままだと批判が起こると考えたのか、とってつけたように申し訳程度のビルを建ててしまったのです。この土地、そしてこのビルのことですよ」

 榊原の言葉に、全員の表情が緊張する。

「なぜ、佐古島土建は突然この土地の売却を中止してしまったのでしょうか? そもそも、お世辞にも機能しているとは思えないこの事務所を、佐古島土建の重役たちが存続させようとしている理由とは何なのでしょうか? 私はこう考えます。佐古島土建が不動産会社との契約を一方的に蹴った直前、すなわちこの土地で中止となった駅の封鎖作業が行われていたこの時期に、この土地で何かとんでもないこと、少なくとも世間に公表すれば佐古島土建そのものが危機に瀕するような重大事案が発生してしまったのではないかと。だからこそ、佐古島土建はその発覚を恐れ、土地の売却を中止し、土地を自ら管理するためにビルを建てたのではないか」

 その言葉に、一人の人物の顔色がさっと変わった。榊原はそれを見て確信を深める。

「一体、何が起こったというのですか? それに、何か起きたとして、どうしてそれが土地売却の中止につながるんですか?」

 相木が汗をかきながら聞く。

「このビルですがね。構造的にどうも最初からおかしいと思っていたんですよ」

「何ですか?」

「地下階がありませんね」

 榊原はさらりと言った。

「ここはビルの立ち並ぶ一等地の一つです。地下鉄の路線とは微妙に外れていますし、ビルを建てるとしたら当然地下階を作るくらいはするでしょう」

「それは、下に例の駅舎が眠っているから……」

「その通りなんです」

 榊原は鋭く告げた。

「地下階を作るとなると、当然下にある駅舎の封鎖を一度解かねばならない。駅という規模から考えて、予算的にもおそらく出入り口の階段やホームなどに壁を作った上で、地上への出入り口を埋めるという形式をとったのでしょう。つまり、出入り口は封鎖されていますが駅舎そのものは残っているのです。仮に地下階を作るとなれば、その封印を解くか、その駅舎をそのまま利用する必要性がある。となれば、考えられる事があります」

 榊原はゆっくり告げた。

「封鎖した駅舎の封印を解かれたくないからこそ、佐古島土建はこの土地を買い取り、地下階のないビルを建てたのではないか。つまり、その封鎖された駅舎の中にこそ、佐古島土建が隠蔽したい何かが眠っているのではないか」

 全員の衝撃が走りぬけた。

「仮に売却が成立して不動産会社が買い取ったとしましょう。当然、ビルが建てられ、地下階が作られるかもしれない。その際に駅が暴かれたら、駅舎に眠っているその秘密が白日の元に晒されてしまう。だから、佐古島土建はこの土地を所有し続けるしかなかった」

「何が眠っているんですか?」

 瑞穂が尋ねた。が、その表情は非常に青ざめている。

「もうわかっているとは思うが、この時期に意味ありげに消えた人間がいる」

「まさか……」

 榊原は断言した。

「工事中止直後、突然失踪した佐古島土建の作業員・都万鎌夫の一家三人。おそらく、駅舎に封印されているのはこの三人だ」

「な……」

 衝撃的な話に新庄は唸った。

「ありえない、あんな封鎖された場所で人が住めるわけが……」

「ええ、常識的にはありえません。だから当然、封印されている三人は、すでにこの世の者ではないはずです」

 御鍵の言葉に、榊原は淡々と答える。代わって新庄が質問した。

「三人の死体が駅舎に眠っているというのですか。一体なぜ?」

「なぜ都万一家が死ななければならなかったのか? さすがの私もそこまではわかりません。作業の途中で事故死したのか、作業員の誰かが三人を殺害したのか。可能性は無数に考えられます。ただ、その出来事が佐古島土建にとって致命的な出来事になるのは間違いなかった。報告を受けた佐古島常昭前社長や今の重役たちはこの事実を隠蔽することに決め、三人を駅舎に隠し、上にビルを建てて二度と暴けないようにしてしまった」

「じゃあ、このビルは」

「ええ、都万一家の巨大な墓石と言ったところですか」

 あまりの話に、全員が絶句していた。

「ですが、ビルだけ建てても誰もいなければ空きビルとして売却話が出る可能性がある。だから、佐古島常昭前社長はこのビルに生贄を置いた。おそらく、懲罰の意味もこめて問題の都万一家の失踪に関係していた作業員を、何かあって墓の秘密が明らかになったときどんな手段を使ってもそれを阻止する『墓場の番人』としてね。そうですよね? このビルの建設当初からこの事務所に在籍している……」

 榊原はある人物を静かに名指しした。

「御鍵範也さん!」

 名指しされた御鍵は、ビクリと体を震わせた。

「そして、今回香中敦義氏を殺害したのも、『墓場の番人』である御鍵さん、あなた以外ありえないんですよ!」

 間髪入れずに立て続けに告発する榊原に対し、御鍵はただ呆然と突っ立っているだけであった。


「な、な、な……何を言っているんですか?」

 どもりながら御鍵は発言した。榊原は静かに御鍵を見ている。

「私が『墓場の番人』? 殺人犯? 馬鹿馬鹿しい。何もかも推測じゃないですか。第一、私には香中さんを殺害する動機などない」

「そうでもないでしょう。あなたとは同類なんですから」

「……どういうことですか?」

「香中さんもこの事務所にはビル設立直後から在籍している。あなたと同じ立場なんですよ。彼もまた、この地下に眠る駅を守る、『墓場の番人』だったということです。もう一人、ビル設立当初のここの所長で数年前に病死した谷口顕一という人物も、おそらく『墓場の番人』の一人でしょう。要するに、御鍵、香中、谷口の三人が、都万一家の失踪に関与した職員であり、同時に都万一家の眠る駅舎の見張り役だったというわけです」

 御鍵の表情がさっと曇った。

「二年後に谷口氏は死亡し、番人は御鍵さんと香中さんの二人になった。残る相木さんと干本さんは問題の失踪以降の在籍なのでこの件には無関係でしょう。その待遇からこの営業所は表向き左遷部署とされ、事実相木さんや干本さんのような人間もやってきた。もっとも、常昭前社長からしてみれば相木さんや干本さんは単なるカモフラージュで、本当の重要人物は御鍵さんと香中さんの二人だったわけですが」

 榊原はジッと御鍵を見つめる。御鍵は歯を食いしばりながら榊原をキッと睨みつけた。

「やがて常昭前社長も死亡したが、番人の役割は続いた。まだ本社には重役たちがいる。彼らはここを壊そうとする佐古島忠夫現社長を強引に押さえ込んで秘密を隠蔽し続けた。そうした状況で、御鍵さんと香中さんは番人としての十字架を背負い続ける。ところが、二週間前になって予想外のアクシデントが起きてしまいました。それが、今回の殺人事件の引き金を引いてしまったんです」

「アクシデント?」

「例の地下鉄事故だ」

 瑞穂の問いに、榊原は答えた。二週間前、日比谷線でおきた急停車脱線事故。地下鉄少女の怪談の元になったあの事故だ。

「事故そのものはどうでもよかった。問題は、運転手が線路に立ちふさがる少女の亡霊を見たという噂が立ってしまったということです」

「それが何か?」

「問題の事故が起きたのは十一年前の脱線事故の現場と同一。ということは、封鎖された駅のすぐ傍です。そして、その駅舎には都万鎌夫の娘だった少女・都万貞美も眠っているんです」

「あっ!」

 瑞穂は小さく叫んだ。

「鵜坂運転手が見たのが本当に都万貞美の幽霊だったのかただの幻覚だったのか。それは私にはわかりません。御影さんや香中さんにとって脅威だったのは、その噂によってそこに封鎖された駅舎があることと、その駅舎の中に三人の遺体が封印されている事がばれやしないかということです。このまま鵜坂運転手が騒ぎ続ければ、いずれ本当のことを知る人間も出てくるかもしれない。それだけは避けなければならないことだった。何としても」

「まさか……」

 瑞穂が絶句する。

「ああ、おそらく日比谷線の鵜坂運転手が精神病院前でトラックの前に飛び出して死んだ事故というのも、御鍵か香中のいずれかがやったことだろう。表情を見る限り、どうも御鍵のようだがな」

 御鍵の表情は蒼白になっていた。

「ですが、おそらく香中さんはこの一件で怖気づいてしまったのでしょう。何しろ、死んだはずの少女の亡霊が幻覚かどうかはわからないとはいえ出現してしまったのですから。その結果、香中さんは全てを公表しようとし、御鍵さんは『番人』として彼を止めなければならなくなった」

「だから殺害したというのですか?」

 新庄が呆然としながら聞く。榊原は頷いた。瑞穂は、榊原が「地下鉄少女が引き起こした事件だ」と言った理由がわかった気がした。確かに、あの伝説が生まれなければ、この殺人は起こらなかっただろう。

「ま、待ってくださいよ。そんな無茶苦茶な。全部推測ですよ。第一、香中さんの体に付着していた泥は何なんですか?」

「あれですか? あれは地面を掘ったためについた泥でしょうね。犯人がわざわざ泥をつけるメリットはありませんし」

 御鍵の反論に榊原はこともなげに答える。御鍵はわめいた。

「地面を掘った? どこを掘るというんですか? こんな都会のアスファルトだらけの場所のどこを?」

「ですが、そのアスファルトやコンクリートの下には、ちゃんと土があります」

 榊原は冷静に答える。

「そして、被害者が地面を掘っていたという事実。これが、あなたが殺人を犯した直接的な動機です」

「何を言っているのか……」

「仮に香中さんが全てを公表しようとした場合、どうやって証明するでしょうか? 自身の証言だけでは弱すぎる。決定的なのは問題の駅舎の封印を解くことです」

「どうやって?」

「だから地面を掘ったんでしょう。おそらくは、一階の空き部屋のね」

 御鍵の表情が再び青ざめた。

「彼は駅の封印を解く気でいた。そこで一階の空き部屋のタイルを一枚はがし、その下を掘り始めた。まずは部屋にあったツルハシでコンクリートを砕き、コンクリートの層が終わったら、今度はスコップで地面を掘り起こす。公にして掘ってもらうという方法は上層部からの横槍が入る可能性がある。一人で掘るしかなかったんですよ」

「そんな、出てきたコンクリートや土の処理は?」

「だからこそあの空のバッグが必要だった。あのバッグに入れてビルの外に持ち出し、適当なところに捨てていたんでしょう。だからこそバッグは汚れていた。バッグの中の作業着は着替え用です。このビルの水道は事務室だけで、常に誰かがいる。使うわけにもいきませんから、着替えて作業をごまかしていたんです」

「音が響きますよ!」

「ツルハシの作業は残業の日にでも一人残ってやればいい。地面になってからは、音はしませんよ。穴は上にあったタイルを上にかぶせ、その上につんであった机でも載せておけば作業途中の隠蔽も可能です」

 次々と御鍵の反論を打ち崩す榊原に、全員圧倒されている。が、それでも御鍵はあがく。

「だ、大体香中さんは二階で発見されたんだ。一階は関係ない」

「だからあなたは死体をわざわざ二階に運んだんでしょう? 一階が事件と無関係だと思わせるために。一階を詳しく調べられれば、彼の掘っていた穴がばれる可能性もありますからね。穴そのものに死体を埋めるという方法もありえますが、穴の下には都万一家の死体が埋められていますから、心理的に死体を穴に埋める事が出来なかったのでしょう」

「どうやって泥だらけの人間を二階に上げられるんだ!」

「穴の上にあったタイルに被害者の死体を乗せ、そのタイルを部屋にあったロープで結び、引きずって行けば大丈夫でしょう。監視カメラはないし、二階まで上がるエレベーターもありますしね。だからこそあなたは被害者の泥を落とさなかった。殺害現場を二階に見せかけるために。まぁ、落とそうにも水道は事務所にしかありませんから、落とせなかったからこの行動を考えたというのが正解でしょうけどね。なお、凶器が二階にあったのも同じ理由です。しかし、やりすぎでしたね。そのせいでかえってなぜ凶器をわざわざ一階から持ってきたのかという疑問が生まれましたから」

 榊原の論理は相手を確実に追い詰めていく。が、御鍵はまだ諦めない。

「しょ、証拠は? もっと決定的な証拠はないんですか!」

「一階の空き部屋を調べれば……」

 瑞穂が提案する。が、新庄が首を振った。

「いや、おそらくすでにあそこにあったセメントか何かを穴に入れて塞いでいるはずだ。さすがにそのくらいはしているだろう。元からそうなっているといわれればどうしようもない」

「け、結局証拠はないということじゃないですか」

 ホッとした様子を浮かべる御鍵に榊原が鋭く切り込んだ。

「では、お聞きしますがあなたの背広はどこにありますか?」

 一瞬御鍵は沈黙した。

「どういうことでしょうか?」

「ロッカーを見ましたが、皆さんは通勤用の背広一着と作業着二着を持っているようですね。ですが、あなただけ、背広はありませんでした。どこへやったんですか?」

「そ、それは……」

「相木さん、御鍵さんの今朝の服装は?」

「え、ええ。背広でしたよ。一応、それがここのルールですので」

 相木の答えに、御鍵はガタガタ震えだす。

「先ほどの作業をした場合、どうしても服は泥などで汚れてしまう。水道が事務所にある以上、汚れを落とすこともできず、泥の成分が一致したらアウトです。が、彼はすでに作業着を着ていて、この後急に背広を着るのは怪しまれる。かといって、予備の作業着は先日裂けてしまっている。だから、あなたが事後工作中に着るとしたら、背広以外ありえません。その背広には、被害者と同じ泥が付着しているはずです」

「で、でもそれがどうしたと? 背広をなくしたくらいで有罪ですか?」

「いいえ。しかし、その背広が一階の空き部屋の下の地面の中から見つかったら?」

 御鍵が凍りつく。

「一番いい隠し場所ですよ。新庄の言う通り、穴はセメントで埋まっているでしょう。心理的に死体を埋められなくとも、犯行時に使用した用具なら心理的抵抗もない。そのセメントの中に背広を入れておけば、半永久的に見つからないでしょう。ついでに、被害者が使っていた泥つきのスコップ……未だ見つからないもう一本のスコップもそこにあるんじゃないですか?」

「な、な、な……」

 御鍵は狼狽してうまく話せていない。榊原は止めを刺しにかかった。

「あなたは穴掘り作業をしている香中さんを発見、口論になりとっさに近くにあったスコップで撲殺した。そして死体を二階に運び、土運搬用に持ってきていたと思われるバッグをロッカーに返し、最後にセメントで穴を埋めて、その上にタイルを乗せ何事もなかったかのようにした。そのセメントの中には、証拠となるスコップや背広が埋まっているはず。さて、今朝まで着ていたあなたの背広が地面の下にある理由を説明できますか?」

「わ、罠だ! 誰かが私に罪を着せようとしてその背広を……」

「あのロッカーは鍵つきです。本人以外開けられません! つまり、あなたの背広を地面の下に埋められるのは、あなた以外にありえないんですよ!」

 榊原は言葉を叩きつけた。

「さぁ、一階の床下を掘り起こして背広が出てくるのを待ちますか!」

 その瞬間、御鍵は何かが切れたようにその場に崩れ落ち、うずくまった。誰も声を発しない。

「あ……あ……」

 不意に御鍵が声を上げる。次の瞬間、御鍵は顔を上げて、鬼気迫る表情で絶叫した。

「あ、あいつが、あいつが全部悪いんだぁ! あんな噂に踊らされて、十年も守ってきた秘密を簡単にばらすなんて、許されることじゃないだろう! あの裏切り者めぇ! 殺されて当然なんだぁ!」

 あまりの迫力に、全員が後ずさる。

「わ、私は、私は……私はぁぁ!」

 そう叫ぶと、御鍵は再びうつむいて号泣し始めた。あまりのことに、相木も干本も絶句している。新庄は首を振りながら近づき、御鍵の手に手錠をはめた。

「今のは自白とみていいですね?」

「仕方がなかったんだ! あのままじゃ私は終わりだ! あんなくだらない噂さえなければ、全部うまくいっていたのに!」

「十年前の封鎖工事中に何があったんですか? 都万一家に何をしたんです?」

 榊原は声を押し殺しながら尋ねた。

「わ、私たちは、あの人たちを地獄に落としてしまったんだ!」

「地獄?」

「十年前の封鎖工事中、私と香中さん、谷口さん、そして都万の四人はたまたま一緒に作業していた。そこに都万の家族がやってきて、都万は何か話し込んでいた。しばらくして姿が見えなくなったが、どこかに食事でも行ったのかと思って、封鎖作業を開始してしまった。その日はちょうど最後に残った出入口を封鎖する工事だった。その後都万は行方がわからなくなり、しかしどうせただの失踪だと思って気にすることもないまま工事を続けた」

「それで?」

「最悪の事態が発覚したのは一ヶ月もあとだったよ! あの日、都万は封鎖直前の駅を家族に見せようと家族三人で駅舎の中に入っていた! それを知らずに私たちは唯一の出入口を土とコンクリートで封鎖してしまったんだ!」

 その場にいた全員に衝撃が走った。瑞穂など、あまりの話に口を塞いだ。

「つまり、事実上の生き埋めにしたというのか?」

「一ヶ月もたっていたんだ、今さら掘り返しても生きている見込みはなかった! こんな事がばれたら会社は終わりだ! 常昭社長の判断で事故は隠蔽されることになり、土地売買の話も白紙。私たち三人は罰として永久に『番人』をすることになった!」

 鬼気迫る御鍵の告発に、全員口を挟めない。

「ふ、ふふふふ……。香中のやつが幽霊話で怖気づいて、気にはしていたんだが、まさか駅を掘り起こそうとしていたとは……とっさにスコップで殴り倒したらあっさり死んだ。は、ははは……あんなに簡単に死ぬものなんだな」

「鵜坂運転手もやったのか?」

 新庄が凄む。

「あれ以上騒ぎになったら困りますからねぇ。病院から連れ出して走ってきたトラックの前に突き飛ばしてやりましたよ。ふふふ……ははは……」

 御鍵がうつろな笑いを上げた。

「なんてひどい」

 瑞穂が呟く。

「鑑識、すぐに一階の床を調べろ! 掘り返すぞ!」

「はっ!」

 鑑識が飛び出していく。榊原が新庄に言う。

「おそらく、セメントはまだ固まっていません。水がありませんからまだ粉状のままです。ほとぼりが冷めたころに水を流し込んで完全に固めるつもりだったのでしょう」

「そうなっていたら手遅れでしたよ」

 新庄は呻いた。


 一時間後、一階の倉庫の床を調べた結果、タイルの一枚がはずれ、中からセメントの粉で一杯になった穴が見つかった。警官総出でそのセメントを掘り起こしていった結果、途中で問題のスコップと背広も見つかり、御鍵の容疑は決定的になった。やがて、一メートルほど掘ったところで地面に突き当たった。

「ここまでが香中さんが掘っていた部分ですね」

 榊原が呟く。新庄は頷いた。

「この先は全くフリーゾーンですか」

「ですが、これ以上掘るのは穴が狭すぎます」

「広げる必要がありますね」

 その後、一階の空き部屋の床のタイルは次々はがされ、穴はどんどん広がっていった。深さは二メートルほどだろうか。

「問題の工事では陥没を防ぐため五メートルほど埋めていたようです」

「時間がかかりますね」

 榊原がそう言ったときだった。

「あ!」

 突然掘っていた警官が叫び、穴の底が崩れた。

「何だ?」

「空洞です! この下に何か空間があります!」

「駅舎まではまだあるぞ」

 懐中電灯を持った警官が中をのぞく。嫌な臭いが充満している。

「何かあるようですが……」

 警官はそれに懐中電灯を向けた。と、次の瞬間だった。

「ギャァ!」

 警官がものすごい絶叫を上げて後ろに飛びのいた。

「どうした!」

 新庄が叫ぶ。が、警官は青ざめた表情で何も言えない。

「し、新庄警部補……」

 後に続いて覗き込んだ刑事が声を震わせながら振り返った。

「何だ?」

「し、死体です!」

 全員の表情が緊張する。

「都万一家の誰かか?」

 当然白骨化しているはずである。が、警官は首を振った。

「ふ、腐乱死体です。若い女性のようです」

「な、何だって?」

 いくらなんでも十年前に死んでいた人間が腐乱死体で済むはずがない。良くて死蝋、最悪白骨だ。おまけに、都万一家に若い女性などいるはずがないのだ。謎の死体がそこにあるのだという。

 榊原も穴から下を覗き込む。全裸のやせ細った女性だった。小さいが、胸があることから女性であることはわかる。頬はやせこけ、背もあまり高くない。髪はボサボサで、目はすでにくぼみになっている。

 やがて、穴が広がり、検視官が空洞の中に入ると死体を検視し始めた。他の刑事たちも入るが、そこは封鎖された駅に続く階段の途中のようであった。

「この先に封鎖された駅があるようですね」

 懐中電灯を向けるが、何も見えない。

 と、後ろの検視官が立ち上がった。

「信じがたいことなんじゃが」

「何ですか?」

「この死体、死後数週間しかたっていない」

 全員が絶句した。

「な、何ですって?」

「少なくとも、十年前に死んだ死体ではない。ごく最近まで生きていた」

「そんな馬鹿な。どこにも出口のないこの空間で、どこから入ってきたというんですか?」

「わからない」

 検視官も戸惑い気味だ。

「死因はおそらく栄養失調。性別は女性。年齢はおそらく十代後半だ。くる病の徴候も見られる」

「くる病?」

「ビタミンD不足による骨の形成異常だ。日光に当たらない生活をしているとなりやすいが、ここまで深刻なのは初めてだ」

 全員が押し黙った。

「いずれにせよ、このまま奥へ行くのは現状では危険すぎる」

 新庄は死体を運び出した上で、全員に一時撤退を指示した。


 一週間後の二月九日水曜日、鋭い爆発音とともに佐古島土建広尾営業所の入っていた三階建てのビルは爆破された。その跡を、警察が導入した重機が掘り返していく。

 あの後、事実を知った佐古島土建は大騒ぎになった。佐古島忠夫現社長による重役たちへの激しい詰問の末、彼ら重役たちは十年前の都万一家に対する事実を認め、全員辞任に追い込まれた。そして、佐古島忠夫社長は警察への全面協力を表明し、封印されていた駅の設計図の公開と、問題のビルの解体を許可したのだ。

 警察としても、これ以上の駅の捜索は真上に建つビルを解体した上で直接掘り起こさねば不可能と判断し、こうしてビルの爆破が決定したのである。

 爆破から数時間後、ビルの残骸が完全に撤去され、いよいよ地面の掘り起こしが始まった。野次馬とそれを制御する警官たち。作業を見守る刑事たちと現場は騒然としている。

 やがて、駅舎の入り口がはっきりと姿を見せた。先日死体が見つかった階段(東口)と、その反対側にある二つ目の階段(西口)。照明機材を持った防護服で身を固めた刑事たちが階段から中に入っていく。毒ガスの可能性も考慮しているのだ。

「A班、ただいま東口からホールに抜けました。改札口のようです。駅員室と自動改札口らしきものが見えます」

『状況は?』

 地上の新庄が無線で尋ねる。

「ひどいですね。あちこちにひびが入っていて、瓦礫が散乱しています。鼠の巣もあるようです」

と、向こうからB班も合流してきた。

「見ろよ」

 床には何かの骨らしきものが散乱している。どこかの水道管が漏れているのか、水たまりも確認できた。

「こりゃ、鼠の骨だな」

 刑事の一人が呟く。

「地図によれば、改札の向こうはホームだ」

 刑事たちは改札を乗り越え、ホームに向かった。ホームは「中目黒方面」と「北千住方面」に分かれていて、さらに地下に続いている。刑事たちは再び二つの班に分かれ、それぞれの階段を下りていった。途中、瓦礫が転がっているが、割とスムーズに進める。

「A班、二番ホームに到着」

 ホームにはベンチが置かれ、点字ブロックや看板もすでに設置してあった。ただ、線路がある部分は壁で覆われていて、時折向こうから音が聞こえる。この向こうに、今でも日比谷線が走っているのだろう。どれもこれも薄汚れている。

「おい、あれ!」

 刑事の一人がホームの奥を指差した。何か白いものが転がっている。それを確認すると、先頭の刑事が無線連絡した。

「二番ホームにて、白骨死体を発見。回収します」

 やがて、毒ガスや崩落の心配がない事が確認され、刑事たちが次々と現場検証のために地下に入った。名も無き新駅は、十年ぶりに警察によって照明の明るさに照らされた。


 翌日、二月十日木曜日。新庄警部補は品川の榊原探偵事務所を訪れ、最終的な捜査の結果を話していた。

「つまり、駅構内から発見された白骨死体は……」

「ええ、わずかに残っていた頭蓋骨の歯型から都万鎌夫及び都万百合江の夫妻のものである事がはっきりしました。日比谷線が毎日通っているたった一メートル横に白骨死体が横たわっていたなんて、たちの悪い冗談みたいな話ですよ」

 新庄はため息をついた。榊原は黙ってそれを聞き、ソファの後ろで瑞穂も興味深げに新庄を見ている。

「それより問題はもう一つの死体です」

「数週間前に死んだとされる若い女性の腐乱死体だな」

「ええ。我々が掘り当てるまであの駅舎は間違いなく密室でした。だからこそ中にいた彼らは出られずに死んだわけですから。となると、あの死体はどこから現れたのか。そもそも、どこの誰なのか。まさにミステリーというやつですよ」

 新庄は苦笑しながら言ったが、その目は全く笑っていない。

「新庄、本当はわかっているんだろう? あの死体が何なのかを」

「……まぁ、一応は。正直認めたくありませんでしたが」

 新庄はさっきよりも深く、そして思いため息をついた。

「駅舎からは残る一人、すなわち当時七歳だった都万貞美の白骨死体は発見されていません。その代わり、あの謎の腐乱死体が見つかった。これが意味するところは……わかりますよね」

 新庄の問いに瑞穂は青ざめた。

「まさか、その数週間前に死んだ謎の腐乱死体の主が……」

「ええ、都万貞美だったんでしょう。十年たっていますから、享年十七歳ということになるはずですが」

 認めたくない。そんな心情が浮かぶほど、新庄の顔は暗かった。

「都万貞美は、閉じ込められてから数週間前に死ぬまでの十年間、あの暗い駅舎の中で生き続けていたということですか?」

「そうとしか考えられないんです。死体と昔の歯型も一致しましたし、信じられませんが、あの死体が都万貞美のものであることは疑いようの無い事実なんです」

「でも、あんなところで十年間も生きていられるんですか?」

 瑞穂が尋ねる。

「空気は地下鉄との壁の間に、ガスが篭らないようにという名目で通風孔が作られていました。人は通れませんが、空気の移動はできます。水は水道管から漏れていたものを飲んでいたようです」

「でも、食料は?」

「地下鉄の駅には鼠の白骨死体が大量に残っていました。大量すぎたんです。まるで鼠の墓場かと思うほどにね」

「まさか、鼠を?」

「それに、もっとすばらしい栄養価のあるものだってあります。えぐい話ですが、人肉というのは最高の栄養価値のある食べ物なんだとか」

 瑞穂が思わず口を押さえた。

「それって……死んだ両親の肉を食べたってことですか?」

「事実、残った骨から人間の唾液や歯型が検出されていますし、いくら十年たったからといって残った骨の数が少なすぎるんです。骨までむしゃぶり続け、食べられない頭蓋骨だけが残った。そんな感じでした」

「地獄だ……」

 榊原が呻いた。

「ええ、地獄です、暗闇でほとんど発狂していたでしょう。話す人もいないから言葉も知能も発達せず、日の光が当たらずくる病になった上に、運動もせず、さらには生存するために体が成長を止めていたでしょうから、体力的にも成長できない。人間としての自覚も無く、もはや本能だけで生きているような状況だったと考えられています」

 瑞穂は聞いているだけで吐き気がしてきた。あまりにひどすぎて、とても想像できなかったのだ。

「それと、彼女が死んでいたのは地上から二メートルほどの場所でした。でも、実際は五メートル埋められていたんですよ。つまり、彼女は地上を目指して、瓦礫なんかであそこを掘り続けていたということになります」

「どのくらい……」

「いくらなんでも子供の体力ですし、年月がたっても常に栄養不足。一日に数ミリ掘れればいいほうでしょうね」

「つまり、十年間、堀りに掘り続けて、あそこまできた。そして、数週間前についに力尽きた」

「なんてこと……」

瑞穂は絶句する。

「ホームはコンクリートだから駄目だと思ったんでしょうね。あの入り口なら、中から見れば土で埋まっているようにしか見えません。もっとも、最上部はコンクリートだったわけですが」

 事務所が静まり返った。

「もし、佐古島土建の人たちが、気づいた直後に掘り返していたら。香中さんがもう少し速く改心して掘り返しを始めていたら……。彼女は助かったかもしれないんですね」

「なんともやり切れませんよ。常識外れもいいところです」

 新庄は首を振ったあと、ふとこう続けた。

「あと、これはついでなんですが、彼女が死んだのは数週間前。あの鵜坂という運転手が事故を起こしたも同時期です。彼女が力尽きた直後に鵜坂の電車が通り過ぎ、昇天する彼女の霊を目撃した……というのは考えすぎでしょうかね」

 榊原は黙ったままだった。

「すみません。あまりにも偶然だったので。では、私はこれで」

 新庄が帰った後、瑞穂はポツリと呟いた。

「下手な都市伝説よりも、怖い話ですね」

 榊原はソファに座ったまま答えた。

「本当に怖い話というのは、都市伝説そのものではなく、その都市伝説が実際に起きてしまったときだよ」

 そして、榊原はそう続けた。

「そして、こんな所業を平気でやってしまう人間の心理こそ、この世で一番恐ろしいものなのかもしれない」

 瑞穂は答えられず、ため息をつきながら今回の事件の記録をとるために秘書席に戻った。榊原はただ黙って険しい表情で目を閉じ続けていた。

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