捜査編
怪談や都市伝説は、まことしやかに語られることはあっても、それが事実か否かの検証がなされることはほとんどない。だからこその怪談や都市伝説であり、これらは人々の噂の中で生き続ける。あくまで噂の中での恐怖を伴って。
だから、真の意味での恐怖とは、それが現実化してしまったときである。
「『地下鉄少女?』」
「そう、瑞穂も聞いたことない?」
二〇一一年二月一日火曜日。東城大学法学部一回生の深町瑞穂は、大学の学食でゼミの友人数名と話していた。
「この前、日比谷線で急停車事故があったでしょ?」
瑞穂は最近の新聞記事を思い出す。バイト先の関連で、瑞穂が日頃から新聞をよく読むようにしていた。
「確か、恵比寿駅と広尾駅の間にある急カーブで東武動物公園行きの電車が突然急停車して、停まりきれずにそのまま脱線した事故よね。二週間ほど前だったかな」
「そう、死者こそ出なかったけど、運転手が重傷を負ったの。その運転手が変なことを言っていたって、もっぱらの評判なのよ」
「どんなこと?」
「いきなり電車の前に赤いスカートをはいた女の子が飛び出してきて、電車の前に立ちふさがったって。慌ててブレーキをかけたけど、停まりきれずに脱線したって。おかしいじゃない。日比谷線は地下鉄よ。どうしてそんな場所に女の子がいるのよ? おまけにそんな女の子がいた痕跡なんか現場からは見つかっていないらしいのよ。それでさぁ、問題のカーブは十年ほど前に別の事故があったカーブとして地下鉄業界では有名なのよ」
「別の日比谷線の事故?」
「脱線した車両が横転して壁に突っ込んだって。何人か亡くなっているんだけど、その女の子はもしかしたらそのときの事故の被害者で、一人ぼっちが嫌だから道連れを求めているんじゃないかってもっぱらの評判」
「都市伝説ってやつね」
瑞穂は少し冷めた表情をした。
「何よ? 信じていないの?」
「色々あって、そういうオカルトはいまひとつ信じる気になれないんだよねぇ」
「本当なんだって! 今ネットですごいはやっている都市伝説なのよ」
「大体、その運転手だって事故でパニックになって、ありもしない話を言ったのかもしれないし、そもそも幻覚だったのかも……」
「その運転手だけど、まだ伝説には続きがあるのよ」
「どんな?」
「その運転手、何とか怪我は治ったんだけど精神的ショックが強くてまともに働けなくてね。どこかの精神病院に入院したんだけど、事故の一週間後に自殺したんだって。例の女の子に引きずり込まれたんじゃないかって、これも噂になっているわ」
「ふーん」
瑞穂は漠然とその話を聞いていた。
「という話を、昨日友達としましてね」
翌日、二月二日水曜日、大学が午前中で終わったため、瑞穂は品川にあるバイト先に来ていた。榊原探偵事務所。世間では名探偵と名高い私立探偵・榊原恵一の事務所であり、瑞穂はそこの事務員である。榊原は四十四歳。元は警視庁捜査一課で警部補をしていたが、十二年前に辞職してこうして探偵事務所を開いていた。普段と変わらないヨレヨレのスーツにネクタイを締め、一見するとくたびれたサラリーマン以外の何者でもないが、これでも日本犯罪史に名を残す数々の事件を解決してきた実績がある。もっとも、広報に無関心なためか事務所はいつも閑古鳥が鳴いているのだが。
瑞穂は高校時代からこの事務所に出入りし、榊原の助手として数々の事件にかかわってきた。彼女がオカルトを信じられないというのもその辺りに原因がある。なお、もう一人いるバイト秘書が大学の卒業関連で忙しいため、最近は瑞穂と榊原の二人体制で事務所を運営していた。
「都市伝説ねぇ」
榊原は正面の事務机で文庫本を読みながらおざなりに答えた。
「一応調べてみたんですけど、二週間前の日比谷線の事故はもちろん、十年ほど前の死者が出た日比谷線の事故も実際にあったことでした」
「だから本当だと?」
「いいえ。十年ほど前の事故の被害者に幼い女の子はいません。全く見当違いも甚だしいですね」
「それをちゃんと調べる瑞穂ちゃんも物好きだと思うけどね」
榊原は苦笑しながら文庫本を閉じた。少し興味があるようである。
「ところで、その運転手の話は?」
「悔しいですけど、そっちは本当でした。問題の事故を起こした日比谷線の運転手は鵜坂光行という若い男性なんですけど、一週間ほど前に精神病院から抜け出して、病院前の道路を走っていたトラックの前に飛び出して死んでいます」
「自殺か?」
「わかりませんが」
瑞穂は榊原を見た。
「先生はどう考えますか?」
「所詮は都市伝説だ。脚色がつくのはやむを得まい」
榊原は一応そう言ったが、
「だがねぇ、この手の都市伝説には根幹があるもんでね。オカルトはないにしても、現実的な何かがあったりするもんだ。よく言うだろう、『火のないところに煙は立たぬ』って」
「調べるんですか?」
瑞穂の問いに、榊原は首を振った。
「さすがにそこまでする気はないよ。都市伝説は都市伝説として楽しむのが一番だ。案外、その根幹のほうが怖い事だってあるしね」
「怖いんですか?」
榊原はフッと笑った。
「今までいくつもの死体を見てきた事があるんだ。ちょっとやそっとじゃ怖がれないよ」
そう言ったときだった。電話が鳴った。榊原が出る。
「はい、榊原です」
『榊原さん、新庄です』
電話の相手は、警視庁捜査一課の新庄勉警部補だった。榊原に時々事件の依頼をしてくる事がある。
『実は、渋谷区の広尾駅近くのビルで殺人事件がありまして、お知恵を拝借できないかと思いまして』
「殺人事件か?」
『ビルの持ち主である土建会社の社員が殺されているんです。来ていただけますか』
榊原はしばらく考えたが、
『わかった。これからすぐに行く』
と返事して電話を切った。
「仕事だ。偶然にも広尾近くだそうだ」
「どんな事件ですか?」
「土建会社の社員が殺されたらしいが、詳しいことはわからない。一緒に来るかい?」
「もちろんです」
榊原は頷くと、「外出中」のボードを表のドアに吊るした。
品川駅から山手線外回りで大崎、五反田、目黒を経て恵比寿駅で下車し、そこから東京メトロ日比谷線に乗って一駅行った場所が広尾である。問題のカーブは、恵比寿駅と広尾駅の中間にあり、問題の都市伝説が伝わる二週間前の事故が起きたのは北千住方面に向かう榊原たちの乗る線路である。瑞穂は興味津々に窓から外を眺めている。
「何か見つかったかい?」
榊原が尋ねる。瑞穂は首をひねりながら、
「暗くてよくわかりませんけど、特別に何かあるとは思えませんねぇ」
「女の子でも見えるかい?」
「別に……見えたらそれはそれで大変ですけど」
何も見えないまま、電車は広尾駅に着く。地上に出ると、二人は辺りを見渡した。空はどんよりと曇っていて、昼間だというのにやや薄暗い。
「えーと……あそこか」
しばらく歩くと、道路沿いに三階建ての小さなビルが見えた。ビルの屋上に『(株)佐古島土建』という文字書かれた看板が見える。
「『さこしまどけん』ですかね。なんか難しい名前ですね」
瑞穂が看板を見ながら言う。ビルの前には警察車両が何台か停まっていて、野次馬が何事かと見ている。
「ああ、どうも」
その中から新庄警部補が出てきた。今年で三十四歳。オリンピックの射撃競技で入賞したことがあるという変わった経歴を持つ人物だ。一年前に警視庁を辞めた榊原の元後輩である斎藤という警部の部下だった男で、斎藤警部がいなくなった後の捜査一課で、若手ながら中心的役割を担っていた。
「私に電話してくるとは、何かあったのか?」
榊原が不思議そうに聞く。
「ちょっと死に方が異様でしてね。どうぞ」
新庄は榊原と瑞穂をビルの中に入れる。両サイドにそれぞれドアがあり、正面には業務用のエレベーターが申し訳程度についている。が、なぜか二階までしか通っておらず、脇にある階段を使ったほうがどう考えても速そうだ。そのためか、あまり使われている形跡がない。三人も脇の階段から二階に上がった。
「ここです」
二階にある部屋の一つを指す。榊原は軍手をはめて中に入った。
「これは……」
部屋は殺風景だった。家具一つない部屋である。その部屋の真ん中で、作業服姿の男がうつぶせに倒れていた。その作業服が、なぜか泥まみれになっているのである。
「被害者の身元は?」
「このビルを所有している佐古島土建の広尾事務所の専務をやっていた香中敦義、三十八歳。死因は撲殺です」
「撲殺?」
にしては血痕がない。
「出血はしていないようですが、後頭部にくも膜下出血が見られます」
新庄が指差す。向こうを向いている被害者の後頭部に、確かにこぶのようなものが見えた。
「要するに、頭蓋骨内での内出血?」
「その通りです。何らかの外的要因を加えられて脳内で出血し、それが脳を圧迫してショック死を引き起こしたようです」
「となると、凶器は外傷が生じない鈍器ということに?」
「おそらく、フライパンのようなかなり平べったい鈍器だと考えられています。通常の鈍器ではどうしても外傷が生じますから」
「ふむ」
榊原は被害者の顔を見た。想像以上に穏やかな表情で目を閉じている。が、その顔面も泥だらけで、パッと見た感じ体全体が泥まみれだった。
「異様な死に様というのは、この泥だらけの状態のことか?」
「そうです。土建会社の専務とはいえ、東京の真ん中にあるビルで、何でこんなに泥だらけになっているのかまったくわからないんです」
新庄が難しい表情をした。
「このビルには被害者だけが?」
「三階の一室に一応佐古島土建の広尾事務所があって、何人かの社員がいます。ですが、机や最低限のロッカーこそありますけど、ほとんど幽霊事務所みたいですよ。仕事らしい仕事もないようですし、おざなりで事務所を開いているという感じでしょうか」
「一階や二階は?」
「空き部屋ばかりですね。ビルで使っているのは三階の事務所が入っている一部屋だけ。ビル自体年季が入っていますし、何のためのビルなのかわからないぐらいです」
「トンネル会社ということか?」
「というわけでもなさそうですよ。佐古島土建自体は割と名の知れた中企業で、本社は東京駅前の八重洲にある十階建てのビルです。こっちは繁盛していて、大阪に支社も出しています。トンネル会社になりようがないんですよ。そんな会社がどうしてこんなあってもなくても変わらない、それどころか維持費で金ばかりかかる事務所を開いているのかまったくわかりません」
「謎の営業所ということか」
榊原は思案した。
「事務所には何人?」
「被害者を含めてたった四人しかいません。仕事らしい仕事もないので、ほとんど毎日暇にしているようです。左遷部署という扱いみたいなんですが、それにしてもやる気のない事務所ですよ」
「ふむ……」
榊原は少し考え込んだが、
「残る社員の話を聞きたいんだが、事情聴取に同席させてもらえないか?」
「構いませんよ。三階に来てください」
新庄はそう告げると、先に部屋を出た。そこで、榊原は瑞穂に囁いた。
「警察でも調べているとは思うが、大至急佐古島土建という会社についてもっと詳しく調べてくれないか?」
「先生は、佐古島土建そのものに何かあると?」
瑞穂は尋ねた。
「詳しくはまだわからない。ただ、トンネル会社でもないにもかかわらず、こんな事務所を開いている事がどうも気になってね。酔狂で事務所を開くほど今の景気は良くない」
「わかりました」
そう頷くと、瑞穂は部屋を出て行った。榊原もしばらく死体を見ていたが、やがて部屋を出て三階に向かった。
三階の事務所も殺風景であった。いくつかの事務机と資料用のロッカー。来客用のソファ程度はあるが、事務所というにはあまりに貧相な部屋だった。今は警官たちが被害者の持ち物などを調べにあちこちうろついている。
その隅に、三人の男性が立っていた。一人は背広で、二人は作業服を着ている。
「背広の男がここの事務所長の相木義仁。作業着の二人のうち、年配の方が御鍵範也、若い方が干本乙夫です」
新庄が耳打ちする。相木は五十代前半くらいの額縁眼鏡をかけた疲れた表情の男である。神経質に辺りを見回し、動き回る警官を見ながらため息をついている。
御鍵も相木とよく似た雰囲気の男だった。作業服姿で、こちらは五十代後半くらい。白髪が目立ち、顔中にシワが目立つ。相木以上に疲れた表情をしていて、顔色も悪い。どこか体が悪いようにも見える。
干本は二十代後半の若い男ではあったが、その若さにもかかわらず、彼もどこかつかれきった表情をしている。作業服姿は御鍵と一緒。髪はボサボサの茶髪で、不健康そうな表情だ。目も死んだようにうつろで、人生を諦めているようにも取れる。
とにかく、事務所の雰囲気がそうさせているのか、全員どこか人生につかれきった表情をしているのだ。思えば、殺された香中にしてみても、三十代後半にしては半分以上白髪で、小心者そうな表情に見えた。この事務所にいる人間は、どうやらそのようなタイプが多いらしい。
「お待たせしました。警視庁捜査一課の新庄です。今からお話を聞かせていただきます」
新庄がそう言うと、全員がおどおどしながら新庄のほうを見た。
「さて、知っての通りここの専務だった香中敦義さんが何者かによって殺害されました。それに関して皆さんからお話を伺いたいのですが」
「本当に殺人なんですか?」
相木が神経質そう汗を拭きながら聞く。
「と申しますと?」
「自殺という可能性はないのでしょうか?」
「被害者は後頭部を殴られて死んでいました。自殺ではありえません」
「じゃあ、事故じゃないんですか? ほら、転倒して頭を強打したとか」
今度は御鍵が疲れた声で聞いた。
「そうだよ、そうに決まっている。大騒ぎすることじゃねぇだろ? たいしたことでもないんだし」
干本がまくし立てた。どうも、三人とも彼の死が殺人になるのが迷惑らしく、自殺や事故死にでもなってくれればいいのにという考えが嫌でも伝わってくる。が、新庄は首を振った。
「死体はうつぶせに倒れていました。死因が後頭部の強打である以上、転倒による事故死は考えられません。また、転倒して亡くなったとすれば、床にそれ相応の痕跡があるはずですが、そんなものは検出されていません。したがって、これは殺人事件の公算が強いのです」
そして新庄は干本を睨んだ。
「それにしても干本さん、たいしたことじゃないというのは聞き捨てなりませんね。仮にも人が一人亡くなっているんですよ。もう少し危機感を持ったらどうですか」
「んなこと言われたってなぁ」
「……それとも、そんなに自殺や事故死にこだわるのは、あなたが犯人だからですか?」
とたんに干本は首を強く振った。
「とんでもねぇ! 俺はやってねぇよ! やったんならそっちの二人のどちらかか、外から来た人間だ! そうだよ、きっと外から入ってきた泥棒と香中さんが鉢合わせして……」
「失礼ですが、こんなビルに入る泥棒はいないと思いますけどね」
新庄は容赦なく切り捨てる。干本は詰まった。
「まぁ、話を聞かせていただくくらいはいいではありませんか。それとも、それができない理由でも?」
「……別にそんなことはありませんけどね」
相木がしぶしぶ答える。
「まず、死体発見までの今日の行動を説明してください」
「はぁ、今日は午前九時には全員出勤していました」
「被害者も?」
「ええ」
「その後は?」
「仕事をしていましたよ」
「仕事の内容は?」
「まぁ、書類整理とかですが……」
相木が口ごもる。どうも、仕事らしい仕事はないらしい。
「最後に被害者を見たのは?」
「ええっと、お昼までは間違いなくいましたから……」
「午後二時くらいですよ」
横から御鍵が答えた。
「確か、そのころに香中さんは部屋を出て行きました」
「仕事中にですか?」
「別に気にすることでもありませんよ。仕事中に抜け出すなんてしょっちゅうですから。あの人は毎日同じ時間に出て行きますので」
御鍵が卑屈そうに言う。
「ということは、誰が出て行っても気にする人間は?」
「いなかっただろうよ。ここじゃ、誰も他人を気にすることはねぇ。最低限のことさえこなせば、あとは個人の自由。気楽でいい職場だねぇ」
干本が皮肉めいた口調で告げる。
「つまり、それまでにも全員が事務所を出入りしていたということですね?」
そこで榊原が口を挟んだ。三人は訝しげに榊原を見るが、刑事の一人だと判断したのか、
「まぁ、それが普段の光景ですので」
と、相木が答えた。榊原は新庄に軽く頭を下げ、新庄が頷いて再び質問する。
「死体を発見したのは?」
「私ですよ」
相木が答える。
「あの部屋にはどうして?」
「少しドアが開いていましたのでね。気になって覗いてみたら死体があって……」
「時間は?」
「午後三時です」
「その間の一時間のあなた方の動きは?」
三人は顔を見合わせた。
「私は、ずっと事務所にいましたよ」
相木が答える。
「俺は近くをブラブラ歩いてた。手近のパチンコ屋に行ったりしていたが、証明する人間はいねぇよ」
干本が面倒そうに答える。
「私は遅い昼食をとりに外出していました。ファーストフード店でしたので、店員も覚えていないかと」
御影が申し訳なさそうに言う。要するに、全員がバラバラに動いていたわけだ。相木が事務所にいたのも、事務所に誰もいないのはさすがにまずいという判断からだろう。これにはさすがの榊原も呆れていた。
「つまり、アリバイはないと言うことですね」
「残念ながらそうですな」
相木が答える。
「発見したあとは?」
「すぐに警察に通報しに事務所に戻りましたよ。そしたら直後に御鍵君が帰ってきて、その十分後に干本君も帰ってきました」
相木の言葉を聞きながら、榊原はジッとその三人を見ていた。
その後、榊原は事務所を出ると、新庄と一緒に階段を下りていた。
「本当に何なんだろうな、この事務所は」
「正直、かなり怪しい事務所だと我々も思っています。申し訳程度の事務所はありますが、残りは空室か物品のほとんどない倉庫。まるでこのビルを守るためだけに事務所があるようにしか思えないんです」
「このビルを守る、か」
榊原はビルの内部を見渡した。コンクリートがむき出しで、あちこちにひび割れがある。照明も非常に暗く、管理がほとんどなされていないのが手に取るようにわかる。地震がきたら一発で崩壊しそうなビルだ。ビルの入り口にあったプレートを見ると、竣工は十年前に過ぎない。それにしてはあまりにもガタが来ている。よほどの手抜き工事か、即興工事でもなければこうはなるまい。
「このビルは三階建てで一階につき二部屋ずつ。たいした構造ではないはずなんですが」
「二階の他の部屋は?」
「完全な空き部屋です。一階の二部屋は倉庫になっていますが、たいしたものは置かれていません」
そう言うと、新庄は一階のドアの一つを開けた。中には数本のスコップとツルハシ、数個のヘルメット、セメントの袋が数袋積み重ねられていた。脇にはボロボロの軍手が三組程度とロープの束が落ちており、奥には乱雑に積み重ねられた事務机。床のタイルも薄汚れている。
「反対の部屋も同じようなものです」
新庄はそう言った。
と、不意に榊原の電話が鳴った。
「失礼」
そう言うと、榊原は玄関から外に出て電話に出た。
「瑞穂ちゃんかい?」
『今、八重洲の佐古島土建本社前にある喫茶店です。佐古島土建の社員の一人にコンタクトを取って、色々話を聞きました』
「報告を頼む」
『はい。佐古島土建の社長は佐古島忠夫という三十九歳の男性です』
「若いな」
『先代社長で創業者の佐古島常昭の息子です。常昭氏が二年前に癌で亡くなって、それまで他の建築会社で重役をしていた忠夫氏が急遽引き抜かれて社長に抜擢されたようです。これは常昭氏の遺言でもあり、忠夫氏も常昭氏の生前にこのことを了承し、かつて勤めていた建築会社にも話を伝えていたとか』
「その中で何かトラブルは?」
『当然、佐古島土建の重役陣が反対していますね。現在でも、佐古島土建では忠夫社長を中心とする革新派と、副社長や営業部長など重役陣を中心とする保守派の間で派閥争いがあるようです』
「広尾営業所の件はどうだ?」
『それが妙なんです』
瑞穂は困惑気味に答えた。
『忠夫社長はこの営業所を廃止し、用地の売却若しくはビルの立て替えを推進しているんです。当然ですよね。ぶっちゃけて言えば、何の役にも立っていない営業所です。こんなもの会社の負担になるだけですし、素人から見ても妥当な判断だと思います。ところが、重役陣がこれに大反対しているんです』
「何だって?」
榊原は眉をひそめた。
『リーダー格の副社長や営業部長を中心に、広尾営業所廃止に対し猛烈に反対しているんです。いわく、「あのビルは、今は亡き常昭前社長の意思で建てられたものだ。社長は父親の意思を踏みにじるのか」ということらしいですが、無茶苦茶な言い分ですよ。具体的な理由は一切言わずに感情論だけでのらりくらりとかわすだけ。革新派の社員は「正気の沙汰じゃない」と怒り心頭ですし、私が話を聞いた社員の話では、実際にその営業所があることで大規模な負担が会社にかかっているそうです。この営業所を切るだけで佐古島土建の負担が減るのは間違いないのに、なぜか重役陣は反対している。その社員も不思議がっていました』
榊原は首をかしげた。普通は逆である。会社のことを思うなら、逆に事務所を切ることに積極的になるはずである。
「このビルは一体何なのか、その辺はわかるかい?」
『そこまではちょっと……』
「じゃあ、このビルが建てられた当時、佐古島土建が受注していた仕事の内容を調べられるかい?」
榊原の問いに、瑞穂はこう答えた。
『記録は残っているはずですが、それは佐古島土建が保管しているはずですし、私なんかじゃとても見せてくれません』
「佐古島土建は主にどんな工事を?」
『民間事業と公共事業が半々ですね』
「なら、公共事業に関しては国土交通省か経済産業省に問い合わせればわかるはずだ。すまないが、やってくれないか? 民間は警察に任せよう」
『わかりました。少し待ってください』
電話が切れる。
と、新庄が出てきた。
「榊原さん、佐古島土建本社に確認を取って、この事務所の四人の経歴を調べてみました」
「どうだった?」
「このビルが建てられて営業所ができたのは十年前。被害者の香中敦義と御鍵範也はそのころからここに配属されています。元々二人とも本社にいたんですが、その際に何かミスをやらかして、もう一人いた谷口顕一という前広尾営業所所長とともに営業所設立と同時にここに移ったということです。残る二人のうち、この事務所の所長である相木義仁は十五年前までこの会社にいたのですがいったん独立。しかしその会社はあっけなく潰れ、八年前に佐古島常昭前社長に頭を下げて社に戻り、ちょうど谷口顕一前所長が病死して空席になっていたここの所長に配属されました。見せしめの意味があったようです。残る干本乙夫は五年前に入社したものの、勤務態度に問題があってそのまま左遷を食らったようです」
「要するに、最初から左遷部署として作られた?」
「情報を総合するに、どうしてもそうなるんですよ」
「こんなビルとはいえ、金はかかるだろう。左遷部署を作るためだけにビルまで建てるとは考えにくいが」
「推進者は佐古島常昭前社長ですが、彼はすでに亡くなっています。ビル建設当時からいるのは今の重役陣になるんですが、全員口が重くて……」
新庄はため息をついた。
「それにしても、あの泥だらけの死体は一体何なんでしょうね」
「泥の成分は?」
「わかりません。そもそも、この辺で地面が露出している場所なんてなかなかありませんからね」
確かに大都市東京では公園などしか土が露出する場所がない。泥だらけの死体とは、東京のような大都市にとって最も似つかわしくない、場違いの死体なのだ。
「あれは被害者がつけたものなんだろうか。それとも犯人が?」
「犯人があんなことをするとも思えませんし、被害者がつけるというのもどうでしょうか?」
「このビルの地下に穴が開いている場所はないのか?」
「ありませんよ。ただのタイル張りの床だけです」
「泥のつく場所か……」
榊原は考え込んだ。と、電話が鳴る。瑞穂からだ。思ったよりも早い。
「私だ」
『近くのネカフェに移動して、ネットで軽く調べた上で両省庁に電話で問い合わせたんですが、結果が出ました』
「随分早いね。どうだった?」
電話口で瑞穂は困惑した声でこう言った。
『先生、佐古島土建が十年前に行っていた公共事業が一つだけあります。ただ、ちょっと複雑なことになっていまして』
「なんだい?」
『先生は、私がさっき話していた日比谷線の事故を覚えていますよね』
瑞穂は急にそんな話を始めた。
「ああ、何人かが亡くなった方の事故だね」
『事故発生は十一年前の二〇〇〇年。原因は恵比寿駅と広尾駅の間にあるカーブなんです。このカーブではそれまでにも二回事故が起きていて、『魔のカーブ』と呼ばれていたとか。それなのになんら対策も行われていなくて、結果的に脱線した電車が横転して壁にぶつかるという地下鉄ではありえないような事故が起きたんです』
「それで?」
『事故後、国土交通省の依頼でそのカーブに事故防止のためのガードレールが付けられたんですが、そのガードレール工事をしたのが佐古島土建です』
「何?」
榊原の表情が険しくなった。
『さらに、佐古島土建は同時期にほぼ同じ地点で日比谷線関連の何かの工事を受注していますね』
「何かの工事というのは?」
『それが、なぜかそっちの工事の方は作業途中で中止になっています。今となっては何の工事だったのかわかりません』
「ガードレールのほうは完成しているんだね?」
『はい。ですから、ガードレール以外の工事です』
「ほぼ同じ地点ということは、その場所は広尾ということになるのか?」
『そうです』
「確か東京の地下鉄路線は、上を走る道路に沿って造られているはず」
つまり、今榊原が立っているこの道路の真下に日比谷線が通っているのだ。そして、よく見てみると道路が緩くカーブしているのが見て取れる。
「十一年前の事故現場の場所は公表されているな」
『そちらは間違いなく』
「至急調べてくれないか?」
「待ってください」
少し会話が途絶える。
『地図上では、ちょうどそのビルのある辺りになっていますね』
「つまり、今このビルが建っている場所の真下が事故現場?」
『そう考えていいと思います』
「ビルが竣工したのは十年前。できすぎているな」
『つまり、その土地は元々日比谷線で計画されていた何らかの工事のために佐古島土建……じゃなくて国が用地買収した場所だったってことですか?』
「それが工事中止になって受注していた佐古島土建が権利を引き継ぎ、その場所にビルを建てた。そういうことになるね」
『でも、何でそんな左遷部署みたいなビルを建てたんでしょうか。せっかく国から買収したんですから、もっといいことに使えそうなものですよね。場所も悪くないし、使わないなら売り飛ばすことも可能です』
「だが佐古島土建、もとより佐古島恒明前社長はそれをせずにビルを建てた。その工事に何かあるな」
電話の向こうで瑞穂が不安そうな声を出す。
『先生、まさかさっきの都市伝説が絡んでくるんでしょうか?』
「まさかそこまで行くとは考えにくいが、少し気になるのも事実だ」
『となると、例の二週間前の事故も、事故当時の運転手だった鵜坂光行の死も、なにやらきな臭くなってきてしまいますが』
「うーむ」
榊原は唸った。
『これからどうしましょうか?』
「情報が足りないな。工事が中止になったのには受注をめぐるトラブルということだが、その辺りで佐古島土建絡みで何かなかったか調べてくれ」
『まだ私一人で調べるんですか?』
「頼むよ。私はここを離れられそうにない」
『……わかりました。できるだけ急ぎます』
電話が切れる。
「何かわかったんですか?」
隣の新庄が聞く。榊原は電話の内容を伝えた。
「なにやらきな臭くなってきましたね」
「動機面はそちらの捜査を進めれば明らかになるだろうが、犯人の究明は我々がやらねばならんな」
新庄はため息をついた。
「凶器は何でしょうか?」
「何しろ血痕がないんだ。識別は難しいだろうが、ちょうどいいものをさっき見つけた」
榊原はそういった。
「一階にあったスコップ、ですね」
「ああ。あれなら平べったいし重量もある。今回のような殺し方も充分可能だ。もっとも、血痕がない以上ルミノールも期待できないし、拭かれでもしていたら指紋も痕跡もないはずだが」
「こうなるとお手上げに近いですね」
榊原は考え込んだ。
「一階のスコップか」
「はい?」
「スコップは一階にしかなかった。犯人はわざわざ一階のスコップを取りに行って、二階の被害者を殺害したということになるんだろうか?」
新庄も考え込んだ。榊原はさらに疑問を続ける。
「そう言えば、そもそも被害者はなぜ二階のあの部屋にいたんだろうか?」
「誰かと待ち合わせていたとか」
「もしそうなら、相手は犯人の可能性が高いんだが……」
榊原は何か納得できないようだ。
「納得できませんか?」
「そうなると、ますます泥の問題がネックになる。仮に被害者があそこで殺害されたとすれば、被害者が元々泥まみれだったか、犯人がわざわざ泥を持ち込んで被害者に塗りたくったことになる。それこそ意味がわからない」
「となると……」
新庄は考え込んだ。
「別の場所で殺されて二階の現場に運ばれた?」
「ところが、その場合でも泥の問題が出てくる。仮に真の殺害現場に泥があって被害者が最初から泥まみれだったと考えても、移動した場合、生前だろうが死後だろうが体に付着した泥に痕跡が残るはずだ。そんな痕跡はなかった」
「つまり、どちらの場合でも泥が問題になると?」
「現場で殺したとしたら被害者が泥まみれだった理由か犯人がわざわざ泥をつけた意味。他の場所で殺したとしたら泥の痕跡を残さずに移動した方法。それぞれ問題が出てくるということだ」
「犯人はその目的で泥がついたまま放置した可能性もありますね」
二人はビルの中に戻った。
「どっちだと思う?」
「わかりませんが、仮に後者だった場合、どこで殺したかが問題です」
「第一候補は、凶器と思しきスコップがある一階だが」
「何にせよ、一階のスコップの検査が必要ですね」
新庄は近くにいた鑑識に声をかけると、一階のスコップの検査を指示した。
それから一時間半ほどして電話が鳴った。瑞穂である。
「どうだった?」
『国土交通省に行って直接記録を見せてもらいました。受注時や問題の工事期間中、さらには工事中止に至るまでの期間において、佐古島土建に絡んだ事件なり事故なりは発生していません』
「間違いないかい?」
『その辺りの有力紙の記事をネットで調べましたし、佐古島土建でキーワード検索もしましたが、何も出てきません。少なくとも、問題の工事の中止と佐古島土建が何らかの関係にあったということは証明できませんでした。今、国会図書館で調べている途中ですが、期待は薄そうです』
「そうか……」
何かあるとしたらこの工事だと思っていたのだが、榊原は当てが外れて渋い顔をした。
「肝心の工事内容はわかったかい?」
『ガードレール工事の方はいくらでも資料が出てくるんですが、中止になっているせいで工事の存在そのものが曖昧で……』
「そうか」
『……ただ、かなり大規模な工事だったみたいですね』
瑞穂はそう言った。
「どういうことだい?」
『国土交通省に残っていた記録では、予算がガードレール工事の何十倍にもなっています。単なる設備の工事とは思えません』
「それほどの規模になると、記録が曖昧というのもおかしな話だが」
『私の想像ですけど、地下鉄でそれだけの費用をつぎ込んでやる工事となると、かなり限られてくると思います』
瑞穂の言葉に榊原も何かピンと来たようだった。
「駅だな」
『おそらくは。東京の地下鉄には数多くの廃駅があるという噂です。これもその一種ではないかと。あくまで想像ですが』
「工事が中止になったわけは?」
『これもどうもすっきりしませんが、国土交通省内での派閥抗争が原因みたいですね。それで工事計画そのものが白紙に近い状態になって、ほぼ完成近かった工事が突然中止になったというのが、記録から読み取れることです』
「つまり、佐古島土建側の事情ではないわけか」
『それは間違いないようです』
榊原は唸った。
「他にわかったことは?」
『実は、工事中止以前には何もないようだったんですが、中止後に一件だけ佐古島土建絡みの事件が起きています。国会図書館で調べているうちに出てきたんですけど』
「中止以降?」
榊原の声が緊張する。
『といっても、その工事と直接関係あるかどうかはわかりません。単に時期が重なっただけかもしれませんし』
「どんな事件だ?」
『工事が中止されてから一ヶ月くらいたったころに、佐古島土建のある作業員一家が失踪しています』
「失踪だって?」
思わぬ話に榊原は眉をひそめた。
『都万鎌夫という三十二歳の作業員です。妻は都万百合江、娘は当時七歳の都万貞美。この三人がある日突然自宅から失踪しました。現在でも行方不明のようです』
「警察は捜査したのか?」
『一応親戚から届け出はなされているようですが、年間一万人以上が失踪している現状ですから特に力を入れて捜査したというわけではないようです。詳しくは警視庁に問い合わせればわかると思いますけど』
「新庄に頼んでみる。他には?」
『今のところはそれだけです。では、また』
そう言うと、電話が切れる。榊原は、失踪事件の件を新庄に話した。
「一応調べてみましょう」
新庄は携帯を取り出し、すばやく指示を出す。
と、中から鑑識が出てきた。
「新庄警部補、一階のスコップの検査が終わりました」
「どうだった?」
「それらしい痕跡はありませんね。ただ、二階からもスコップが見つかっていて、そっちも一応検査してみたんですが、そこから被害者の頭髪が検出されました」
新庄と榊原は顔を見合わせた。
「現場にはそれらしきものはなかったが」
「二階にあるもう一つの空室です。そこに古ぼけたロッカーがあって、その中にスコップがありました」
「凶器と断定しても間違いないか?」
「間違いないでしょうね。頭髪と一緒に皮膚片も見つかっていますし、かすかですがへこみもありました」
やはり、凶器はスコップだったようである。
「そのスコップは元々二階にあったものなのか?」
「いえ、一階にあったもののうちの一本のようです。それと、相木さんに確認してみたら、一階にあるはずのスコップのうち二本が紛失しています」
「二本?」
榊原が思わず聞きとがめた。
「一本はその凶器として、もう一本の行方はわかったんですか?」
「いいえ、他の部屋も調べてみたんですが、残り一本は見つかりませんね」
榊原は考え込むと、鑑識に尋ねた。
「……つかぬ事を聞きますが、このビルに水道は?」
「事務所に通ってはいますが、それだけですね」
「そうですか」
いきなり不思議な質問をした榊原に、鑑識は戸惑いながら答える。
「どういうことですか?」
「いえ、まだ推測の域を出ません」
新庄の問いに、榊原は慎重に答えた。
と、今度は二階から別の所轄署の刑事が降りてきた。
「新庄さん、被害者の所持品を調べ終わりました」
「どうだった?」
「それが妙でして」
刑事は手帳を広げた。
「三階の事務所の入っているのとは違う部屋がロッカー室で、そこに事務員の所持品があるんですが、奇妙なことに被害者のバッグからは替えの作業着が一着入っていただけで、後は何も入っていません」
「なんだって?」
新庄は訝しげな表情をする。いくらこんな事務所とはいえ、着替えだけで他に何も持ってきていないというのはおかしい。
「そのロッカー室を見てみたい」
榊原が不意に言った。
「構いませんが、何か?」
「いや、もう少しで的が絞れそうなんだ」
それから少しして、二人はロッカー室にいた。鍵つきのロッカーで、普段は閉まっているが、今は捜査のために全部開いている。
「これが被害者のバッグだな」
割と大き目のバッグである。相当使い込んでいるのか、かなりボロボロで薄汚れている。
「これだけの大きさのバッグを持ってきていながら、所持品は替えの作業着だけか」
新庄も不思議がっている。榊原は被害者のロッカーを開けた。他には、通勤時に来ていたと思しき背広がハンガーにかけてあるだけだ。
「なるほど、ここで作業着に着替えているのか」
榊原はそう呟くと、他のロッカーも開けてみた。相木のロッカーには作業着が二着とビジネス用の鞄が一つ。御鍵のロッカーには裂けた作業着一着と中くらいのリュック。最後に干本のロッカーには背広が一着と、大き目のボストンバッグが入っていた。ボストンバッグを開けると、大きく破れた作業着が入っている。
「作業着が何枚か破れているようですが?」
「先週の工事を御鍵さんと干本さんが担当したとき、脱いで置いておいた作業着が機械に巻き込まれかけてボロボロになったみたいですね」
「ふーむ」
榊原は考え込んだ。
「どうですか? 何かわかりそうですか?」
「ああ、一応だが」
榊原はそう返答すると、新庄に向き直った。と、新庄の携帯が鳴った。新庄は電話に出ると、しばらく何事か話していたが、
「榊原さん、例の失踪した都万という社員一家ですが、現在でも行方はわかっていないようです。遺族が四年前に失踪宣告をしたので、法的にはすでに死亡という扱いになっていますね」
「消えたときの状況は?」
「当事の資料では、当日、都万鎌夫は作業の休憩時間中に弁当を忘れたことに気がついて外食に出かけたまま失踪。片や都万百合江は夫の鎌夫が弁当を忘れたのに気がついて娘の貞美とともに出かけたっきり、そのまま失踪したようです。あまりに情報が少ないもので、これ以上はわかりません」
「……」
榊原は何事か考え込んだ。その顔は、何かものすごく深刻そうに見える。
「新庄、都万は作業していたと言ったな」
「ええ」
「その時期に佐古島土建が関与していた工事といえば一つしかないような気がするが」
新庄の表情が緊張した。
「例の地下鉄の謎の工事ですか」
「ああ」
「ですが、失踪は中止後です」
「工事が中止になったからといって工事そのものがなくなるわけじゃない。特に、さっきも言ったようにその工事は駅を造っていた可能性が高い。そうなると、建設途中の駅の封鎖作業があったはずだ」
「それは……」
「私の予想では、その封鎖作業中に何かがあった。そう思うのだが」
と、突然電話が鳴った。榊原の携帯である。
「私だ」
『瑞穂です!』
瑞穂が電話の向こうから興奮した口調で告げた。
『やっと突き止めましたよ! 国会図書館に奇跡的に記録が残っていました』
「どうだった?」
『間違いなく駅の工事です。事故のカーブの辺りに新駅建設が予定されていました』
瑞穂の言葉に、榊原は小さく頷いた。
『国土交通省内の派閥抗争で工事そのものが中止された後、土地を佐古島土建が買い取って、建設途中の駅を封鎖した上で、跡地となった土地の売買が行われるはずでした。実際、大手不動産会社への売却がほとんど確定していたんです。ですが、封鎖作業終了後、突然この話は白紙化され、佐古島土建がそのまま自社の所有地にしてしまったんです。そして、とってつけたようにそのビルを建てたんだとか』
やはり、封鎖作業中に何かあったのである。
『これからどうしますか?』
「……」
榊原は黙り込んでしまった。
『先生?』
「まさか……」
榊原は呻いた。その顔は少し青ざめている。
『どうしたんですか?』
「……瑞穂ちゃん、私は前言を撤回するよ」
不意に榊原はそう言った。
「あの都市伝説は真実だ」
『は?』
「例の地下鉄少女の都市伝説。地下鉄少女の霊が、今回の殺人事件の引き金だ」
『先生、急に何を……』
「すぐ戻ってきなさい。背筋の凍るような真相がわかった」
そう言って電話を切る。
「榊原さん、一体どういうことですか?」
「真相がわかったということです。正直、あまりに常識外れで自分でも信じられないんですが……」
榊原は言った。
「すべては、都市伝説の地下鉄少女が引き起こした事件だったんです」