ふたつめ
「まいどー。○○酒店ですーーー。」
張りのある大きな声で、古ぼけて立付の悪い引き戸をガタガタいわせながら開く。
「ああ、○○さんね。」
のっそりと現れたのは、米寿を迎えたばかりのお婆さん。
まだまだ元気に一人暮らしをしている。
「これ、台所まで運びますね。」
酒のケースを持って、勝手知ったる他人の家へ運び入れる。
古い家で、B太が歩くたびに廊下がギシギシと悲鳴を上げた。
「いつも、ありがとね。」
にこにこしながら、いいよと軽く返す。
配達を済ませて、店の配達用の軽トラックに乗り込む。
「あちぃ。」
真夏の太陽にさらされていた車内は、熱気が立ち込めていてまるでサウナだ。
ウィンドウを全開にして、アクセルを踏み込む。
車を走らせても、流れ込むのは、生ぬるい風だけ。
拭っても、拭っても、額から流れる汗は引かない。
暫く走っていると、B太の携帯電話から着信を知らせる機械音が流れた。
車を路肩に寄せて、止めてから着信画面を覗く。
表示は非表示だった。
訝しいと思いながらも、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『・・・・。』
無言。
「誰だよ。」
『・・・・。』
無言。
B太は、通話を打ち切った。
「なんだよ。今の・・。」
チッと舌打ちをして、再び車を走らせた。
プシュッ。
濡れた髪をタオルでガシガシと拭きながら、B太はビールのプルタブを上げる。
タオルをダイニングテーブルの椅子に掛けると、勢いよく缶ビールを呷った。
「ぷは。くー、やっぱ暑いときは、キンキンに冷えたビールだよな。」
などとひとりごちていると、キッチンで洗い物を終えたらしい母親がやってきた。
「あらぁ。お父さんそっくりね。」
ほわっと柔らかいく笑いながら、しみじみと言う。
ま、親子だからな。
「そういえば、親父は今日は遅いのか?」
「どうでしょうね。久しぶりに学生時代の親友が帰ってきたって、はしゃいでたからね。」
そうか。と頷いて、ソファーに座る。
テレビのリモコンを手に取ろうとした時、ローテブルに置いてあった携帯電話が着信を告げた。
「・・・」
まただ。
また非通知の着信。
厭な気分になり、着信を無視する。
無視を決め込むと、すぐに音は止んだ。
イライラして、携帯電話の電源をOFFにして、自室へと引っ込んだ。
トゥルルルルルトゥルルルルルトゥルルルルル・・・
無意識に携帯電話に手を伸ばして、通話を押す。
「う・・はい・・もしもし?」
『・・・』
は。
B太は、一気に覚醒した。
そして、携帯電話を放り投げて、奇妙なモノをみるように、それを見た。
「なんなんだよ。・・・」
携帯電話の電源をOFFにしたままだった。
そう思い出したら、背筋がゾッとして、身震いした。
な・・なんだよ。なんなんだよ。
ガタガタと体が勝手に震える。
吐く息が白い・・・。
寒い。
凍えるくらい、寒い。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ・・
止められない。
震えを止められない。
寒すぎて、感覚がマヒしてきた。
痛い。頭が痛い。
次第に意識が薄らいでいく・・・。
霞む視界に映ったのは、無数の・・・。
貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。
醜く歪んだ、貌。
拉げた頭部から、脳漿を垂らしている、貌。
ゲラゲラと裂けた口で笑っている、貌。
貌。貌。貌。貌。・・・・・・・。
は。
B太は、パチリと目を開けた。
・・・・
ゆ・・夢?
心臓は、飛び出しそうなくらい、バクバクしている。
トゥルルルルルトゥルルルルルトゥルルルルル・・・
部屋の片隅に放り投げられていた、電池パックの外れた携帯電話から着信音が響く。
あ・・あ・・・ああああ。
凍りついた、B太は、叫び声さえもろくに上げられない。
ポタリ・・・。
頬にやけに生臭い、泥のようなモノが垂れた。
あ・・あ・・・・。
視線を上へと向ける・・・・。
貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。
貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。貌。
・・・・・・・・・・・・・・・・
※
よく働く、いい子だったのにね。
ああ、耄碌した婆より、先に・・・。
そんな様子なんて、なかったのにね。
心臓麻痺だなんて。