ばあばのあおぞらポスト
相変わらず、この座席の座り心地は最悪だった。年季の入った座席には穴がいくつも開いているし、クッションなんてまるで利いていない。
でも、私はこの座席のことがそんなに嫌いではない。……いや、むしろ好きなのかも。
両側を田んぼで挟まれた舗装のされていない田舎道を走る、見るからにローカルなバス。そのバスの最後部の座席は、幼い頃からの私の定位置だった。あの頃はとっても大きく見えた最後部の座席も、今見るとたいして大きくはなかったんだなぁと、思わず笑みがこぼれる。
仕事の関係で都会で一人暮らしをしている私が、高校を卒業するまで過ごしたこの地を訪れたことに、たいした理由などは存在しなかった。
ただ、ゴールデンウィークという名の連休中であるにも関わらず何の予定も入っていなかった私の脳裏に浮かんできたのが、この田舎町の風景だったってだけ。
まぁ正確に言えば、浮かんできたのはこの窓から見える田んぼの風景ではないのだけれど。
窓を開けると、緑の匂いと田んぼの空気がバスの中を駆け巡る。たなびく髪を押さえながら、そっと窓の外に顔を出す。そうして、身体でこの地を感じる。
「ばあば、元気にしてるかなぁ」
呟きながら、この地で過ごした時を思い浮かべる。休日の過ごし方を模索していた私の脳裏に浮かんできた、あの場所のことを。
――バスは走る。でこぼこ道は、どこまでも私のお尻をいじめたいみたいだ。
* * * * *
あれは、いつ頃のことだっただろう。……そう、私がまだ小学生だった頃のこと。
農業を営む父の実家で暮らしていた私は、負けん気が強かったせいもあるのか、よく学校の男の子たちにいじめられていた。
教室のドアを開けると黒板消しが落っこちてきたり、机の引き出しの中にカエルが入ってたり。
学校の中では強がって、気にしてないフリをしたりしていたんだけど、やっぱり本当は辛かった。
そんな私の逃げ場――心の拠り所が、『ばあば』の駄菓子屋さんだった。
学校の中でも家の中でも言えない泣き言を聞いてくれる相手。……それが、私にとっては『ばあば』だった。
『ばあば』の駄菓子屋さんは、一般的な通学路からちょっと離れたところにあったていうのもあるのか、いつもあまりお客さんはいなかった。
だからなのかはわからないけど、『ばあば』は私が泣きながら向かっていくと、いつもお店の中から出てきて「あらあら、どうしたね、ゆみちゃん」って言って、笑顔で私のことを迎えてくれてた。
『ばあば』の姿を見たら、すぐに『ばあば』がいつも着てる服の裾を掴んで涙を拭ってたっけ。
『ばあば』はよくお店の中で煎餅を焼いてたから、服に香ばしい匂いが染み付いてて。……好きだったなぁ、あの匂い。
ある日、『ばあば』はいつものように泣いてる私をお店の中まで連れてきて、焼きたての煎餅をご馳走してくれた。そして、いっこうに泣き止まない私に、優しく声をかけてくれるの。
「どうしたね、ゆみちゃん。ほら、泣いてないで、ばあばに話してみ」
「……あのね、今日ね、マー君のマンガがどっかにいっちゃって、みんなで探したんだけど、やっぱりみつからなくて……。そしたらマー君、『ゆみが取ったんだろ!』って言うの。マー君男の子に人気あるから、他の男の子もみんなして『ゆみが取ったんだ!』って。……ゆみ、マー君のマンガ取ったりしてないんだよ? でも、違うって言っても全然信じてくれなくて」
「そ~けぇ、そりゃあひどいこと言うもんじゃねぇ」
「ねぇばあば……どうしたらマー君ゆみのこと信じてくれるの?」
私がそう言って『ばあば』を見たら、少し困ったような表情をしてたけど、暫くしたら『ばあば』に笑顔が戻って、
「そうじゃ、ゆみちゃんにいいこと教えてあげるでな」
そう言って、私をお店の入り口のところまで連れ出した。そして、お店の入り口の脇にある青いペンキが塗られた木製の郵便受けを指差してこう言うの。
「あんなぁゆみちゃん、このポスト、『あおぞらポスト』っていうんじゃよ。ゆみちゃんがお手紙こしらえてこのポストに入れたら、おてんとさまに届くんじゃよぉ」
「お空に……届くの?」
「そうじゃて。おてんとさまは、いつでもどこでもゆみちゃんのこと見てるでな。ゆみちゃんがマンガ取ってないことも、そらわかってるんじゃよ。きっとおてんとさまが手紙見たら、ゆみちゃんのこと信じてもらえるように計らってくれるでな」
「……ホントに?」
「あぁ、ほんとじゃよ。おてんとさまからのお返事が来たら、ばあばがしっかり預かっといてやるけぇな。だけぇ、ゆみちゃんもしっかりお手紙こさえて来るんじゃよぉ」
「うん! わかった!!」
お空に手紙が届くはずなんてないし、ポストじゃなくて郵便受けだし。でも、幼い私は『ばあば』の言うことを素直に信じてた。
私の話をいつも聞いてくれた『ばあば』が教えてくれたことだから、絶対に間違いないって。
私は『ばあば』から紙と鉛筆をもらって、早速その日のうちに『あおぞらポスト』に手紙を入れた。
『おてんとさまへ。マーくんがゆみのことしんじてくれるようにしてください。』って書いて。
そしたら、次の日学校に行ったら『ゆみごめん。マンガ、ちゃんと見つかったよ。ゆみが取ったんじゃなかったんだな』って、マー君が言ってきたんだもの。
もうビックリ。『ばあば』の言ってたこと、本当だったんだ! おてんとさまが、ゆみの手紙読んでくれたんだ! って、一人ではしゃいでたわ。
学校が終わったら、早速そのことを伝えようと『ばあば』の駄菓子屋さんに直行。『ばあば』は満面の笑みを見せる私を、いつもの穏やかな笑みで迎えてくれる。
「ばあば! あのね、今日マー君のマンガが見つかったんだよ! それに、マー君ゆみに謝ってくれたの!!」
「そ~けぇそ~けぇ、そりゃあ良かったで。きっと、おてんとさまが上手く計らってくれたんじゃけぇ。……そうじゃ、ゆみちゃんにおてんとさまからお返事来とるよ」
『ばあば』はそう言うと、私に綺麗に折られた紙を渡してくれる。そっと開くと、ちょっと読みにくい達筆な文字が書かれてた。
『ゆみちゃん、お手紙ありがとう。
ゆみちゃんのお願い、叶えてあげますね。
これからも、何か困ったことがあったら『あおぞらポスト』にお手紙入れてくださいね。
ゆみちゃんがお利口さんにしてたら、またお願いごと叶えてあげます。
ゆみちゃんへ』
それからは、事あるごとに『あおぞらポスト』に手紙を入れるようになった。いじめられたとき、勉強が上手くいかないとき、仲の良かった友達が引っ越しちゃったとき、好きな子ができたとき。
もちろん、そうそうお願い事が叶うことはなかったけど、それでもちゃんと『おてんとさま』からの返事は『ばあば』のもとに届いたし、中には本当に願いが叶ったものもあった。
小学校を卒業して中学校に入っても『あおぞらポスト』への手紙の投函は続いたし、さすがに少なくはなってたけど、高校に入ってからも手紙を入れてた私。
私にとって、『おてんとさま』は一番の相談相手だったのね。
……でも、それでも『あおぞらポスト』へ手紙を投函する最後の日は訪れるわけで。
『おてんとさま、こんにちは。今日……これが、最後のお手紙になると思います。
私はもうすぐ、大学に通うために引越しをします。だから、おてんとさまに手紙を渡すことも、ばあばからお返事を受け取ることもできなくなってしまいます。
だから……最後のお願いは、絶対に叶えてほしいんです。
……どうか、これからも私のことを見守っていてください。この場所から遠く離れても、どうか忘れずにいてください。
今まで、いつも私のことを想ってくれてありがとうございます。本当に、感謝してます。
最後に、この手紙のお返事は受け取りに来ません。何か、悲しくなってきちゃうから。
由美より』
悲しかったけど、仕方なかった。
『ばあば』の駄菓子屋さんに返事を取りに行くことも、しなかった。……やっぱり、出来なかった。
* * * * *
衝撃に耐え切ったお尻をさすりながらバスを降り、慣れ親しんだ道を進んでいく。
昔から変わらぬ辺りの景色が、私の歩みをスムーズにさせる。
私が向かう先――『ばあば』の駄菓子屋さんまでは、もうすぐだ。
『ばあば』の駄菓子屋さんは、まだまだ健在だった。脇にはあの『あおぞらポスト』もある。そのすぐ上に真新しい郵便受けがあるから、きっと『あおぞらポスト』はもう郵便受けとしては使われていないんだろうけど。でも、品物も並んでいるし、営業はちゃんとしているんだろう。
私は少し緊張しながら、駄菓子屋さんの中へと入っていった。
「……こんにちは~」
すると、そこにいたのはあの『ばあば』ではなくて、見知らぬオジサンだった。珍しいものでも見るような表情をしながら、「いらっしゃいませ」と声をかけてくる。
私は周囲を軽く見回して『ばあば』がいないことを確認してから、そのおじさんに尋ねた。
「あの……ココって昔、おばあさんがやってましたよね?」
「あぁ、母のことですね。……えぇ、確かに以前は母がやってました。でも――」
私の質問を聞いて、若干うつむきながら表情を小さく曇らすオジサン。
――そしてオジサンから告げられた言葉に、私は思わず耳を塞ぎたくなる。
「――でも、二年前に母は他界しまして。ずっと母が続けてた駄菓子屋を無くしちゃうのは忍びなかったので、私が後を継いでるんです」
「ばあば、死んじゃった……の?」
思わず呟いていた。確かにそれなりの年齢ではあったはずだけど、あんなに元気だった『ばあば』が死んじゃっただなんて。
私が呆然としていると、オジサンは何かを思い出したかのように話しかけてくる。
「『ばあば』? ……あの、もしかして由美さん……ですか?」
「えっ……はい、そうですけど……」
私が驚きを隠すことなくそう告げると、オジサンは「ちょっと待っててください」と言って店の奥の方へと向かっていき、姿を消した。そして暫くすると、折りたたまれた紙を持って私の前に再びその姿を見せる。
「――あの、生前に母から『由美ちゃんって子が来ることがあったら渡してほしい』って頼まれてたものなんです。……良かったら、もらってやってくれませんか?」
言葉を返すことなく頷き、私はオジサンから紙を受け取る。……手が震えて、中々その紙を開くことが出来ない。
それでも何とか開くと、そこには見知った達筆の文字で文章が綴られていた。
自然と滲み出てきた涙を拭いながら、その文章を読む。
――ダメ……心の中に詰め込むことなんて出来ない。
私は黙読せずに、音読して声を放つ。
『由美ちゃんへ。
由美ちゃんがどこへ行こうとも、おてんとさまはいつも見守ってるよ。
ほら、どこにいても、見上げれば私が見えるでしょ?
だから、由美ちゃんはどこに行っても一生懸命頑張るんだよ。
ばあばも、由美ちゃんのことずっと見守ってるって言ってたよ。
だから、安心してくださいね。
でも、また何か困ったことがあったら、いつでも手紙出してね。
私はいつでも由美ちゃんの味方だからね。
おてんとさまより。』
「ばあば……返事はいらないって言ったじゃない……」
私が耐えることなく涙を流していると、オジサンが柔和な表情を見せながら話し出す。
「母が生前、よくあなたのことを話してくれたんです。小さい頃から仲の良い、娘のような女の子がいるって」
「……………」
「あなたのことを母は、それはもう嬉しそうに、楽しそうに話すんですよ。『由美ちゃんがいたから。由美ちゃんが書く手紙があったから、私は駄菓子屋をずっと続けてこれたんだよ』って。――『あの子がいつ戻ってきてもいいように、私も早く元気にならないとね』って」
「……ばあばぁ」
私はもう、まともな言葉を放つことが出来なかった。
渦巻くのは、ただただ後悔の念。どうしてもっと、早く来てあげられなかったんだろうという想い。
でも、いくら想っても、もう『ばあば』はいない。『ばあば』に成長した姿を見せることも出来ないんだ。
――流れ落ちる涙が、『おてんとさま』の手紙を静かに濡らす。
そのとき、ふと私の脳裏に、あるときの『ばあば』の言葉が想起された。
『おやまぁ、どうしたんじゃいそんなに泣きよって? せっかく手紙こさえてきたのに、出す前にそんなに雨降らせちゃあ、おてんとさまも顔出せんよ』
「……すいません、紙と鉛筆……もらってもいいですか?」
私はサッと涙を拭うと、オジサンにそう頼んで紙と鉛筆を受け取った。
そして、否応なしに出てこようとする嗚咽を何とか抑えながら、紙に文章を綴っていく。
……書いた字がちょっと歪んじゃったけど、それくらいは許してくれるよね。
オジサンと一緒に外に出て、視線を『あおぞらポスト』に向ける。
「それ……母がやけに大事にしてたからとっといたんだけど、残しておいて正解だったみたいですね」
オジサンが呟く。
私はオジサンに微笑みの一瞥をしてから、想いを込めてさっき書いた手紙を『あおぞらポスト』に入れた。
見上げれば、快晴の空がそこに広がっている。
――大丈夫。きっと……届くよね。
『おてんとさまへ。
お久しぶりです。元気ですか?
私は元気でやってます。……って、いつも見守ってくれてるからわかってますよね。
本当に、いつも見守っていてくれてありがとう。
おてんとさま、それにばあばがいるから、私はいつも頑張れてます。
もっと……もっと早く来てれば良かったって、後悔してる。
だって、ばあばいないんだもん。
でもね、ばあばがずっと私のこと想ってくれてたってこと、改めて知ることが出来て本当に嬉しかったよ。
私は大丈夫。どこにいても、おてんとさまとばあばが見守ってくれてるから。
それじゃあ、また。今度また手紙出すから!
あなたの娘の由美より』
「さ~て、せっかくだから何か買っていこうかなぁ。私、焼きたての煎餅が食べたいんですけど――」
『ばあばのあおぞらポスト』、いかがでしたでしょうか。
この作品は『書き込み寺』という書くことと読むことが好きなオンライン作家の集まるサイトでの企画作品として書いたものです。
企画のテーマが『手紙』だったので、『ポスト』というキーワードに繋がり、そこから『ばあばのあおぞらポスト』というタイトルが生まれました。このタイトルは結構気に入っています。
まぁ正直、ばあばの方言だとか結構テキトーですが、一応自分の祖母が話す言葉を参考にしながら書いたつもりではありますし、自分が好きな雰囲気を少しは出せたかなぁとも思ったり。
私が感じている雰囲気を、少しでも感じ取ってもらえたら嬉しいなぁ。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。
2012.09.22 深那 優