第9話 謎の肉パーティ〈2〉
さて、マフィアのドン、否、アインヴァルト国王アルトゥール三世陛下が狩った鹿肉がブラウベーレ公爵邸に届いたわけであるが。
そもそも、この屋敷は王都近郊のタウンハウスだ。領地にあったマナーハウスの方は、先代公爵夫妻……イザークの亡き両親が領地と共に売却してしまった。
なぜイザークがこのタウンハウスの元からの住人であると気づかれないかというと、それは、イザークが普段は近衛騎士団の寮で暮らしていたがゆえだろう。
元よりタウンハウスは家令ヘンリックに管理を一任していたため、イザークはほとんど出入りをしていなかった。そういった事情がいくつか重なって、非常に危うい綱渡り状態でこの偽装が成り立っていた。
タウンハウスの庭園には、ヘンリックが手入れしている花壇やら菜園やらがあった。今の季節はネモフィラが満開で、群青色の小さな花が春の訪れを告げにやってきた妖精さながら愛らしく咲いている。ヘンリックの手によって花瓶に活けられ、食堂のテーブルにも飾られていた。
菜園では春野菜が収穫時期を迎えていた。春キャベツの旬だ。ジルは、ヘンリックの助けを借りながら大人の頭くらいの大きさの立派な春キャベツを収穫していた。イザークはというと、その場にしゃがみこんでシロツメクサの花を見つめている。
「イザークさんは何をしているんですか」
「見て分からない? お花さんの応援。お花さんの気持ちを知りたいじゃん?」
「はあ、そうですか」
この役立たずめ、というジルの厳しい視線に晒されながら、イザークは花の周りを飛んでいるチョウチョを見つめていた。
「キャベツを収穫してどうするんだい? 胡麻油と塩胡椒で和えるのかい?」
「酒場のお通しの無限キャベツじゃないんですから。……これは、ロールキャベツにするんですよ」
今度は、この酒飲みめ、という非難の視線だった。
「鹿肉のロールキャベツかあ、いいねえ」
どうしても、骨周りの肉を削ぎ落すと細かな肉片が生じてしまう。「肉片」という言い方がやたらマフィアお似合いの物騒な響きなのはさておき、これも無駄にはできない。挽き肉にして肉ダネを作り、ハンバーグステーキにするか、ミートローフにするか。ジルは、せっかく春キャベツがあるのだからロールキャベツにしようという魂胆なのだろう。
「大きい部位はローストとステーキにしようと思うんです」
ジルは肉切り包丁で大きな肉塊を解体し終え、服の袖で額の汗を軽く拭った。
「では、私はローストの方を担当いたしましょう」
ジルのメニュー提案に、ヘンリックがそう申し出た。ヘンリックは家令だが、手先が器用な男で、シェフのように調理もこなせた。得意料理がローストなのだ。彼に火加減を任せておけば問題ない。
ヘンリックがロースト用のモモ肉をオーブンに入れて二時間ほど経った頃。
「イザークさん、何もしないなら肉ダネを捏ねるくらいはしてください。どうせ力が有り余っているでしょ」
「その通りだ、ジルくん」
まずは肉挽き器で挽き肉を作るところから。取っ手をぐるぐる回すと、なんと肉片が挽き肉になって出てくるのだ。何段階かギアがあって、今回は粗挽きにする。力を行使するのだけは得意なイザークは、ひたすら取っ手を回していく。
そうしてできた粗挽きに、塩、胡椒、ナツメグ、飴色になるまで炒めたみじん切りタマネギ、みじん切りニンジン、そして鶏舎で採れた新鮮卵を入れて、ひたすら手で捏ねていく。
結構な重労働なはずなのだが、イザークにとってはお茶の子さいさいだ。
そうこうしているうちに、「ローストが出来上がりましたよ」と、ヘンリックの朗らかな声が聞こえてくる。
もう一つのフライパンには、厚切りにしたフィレ肉が豪快に並べられていく。熱々のフライパンに分厚い鹿肉が横たわると、じゅうっという心地いい音と共に蒸気がふわりと上がる。ジルはフィレ肉をフライ返しで慣れた手つきにひっくり返した。焼いたときに出た肉汁は旨味が凝縮されている。これを赤ワインと絡めてステーキソースにするのも忘れない。
ロールキャベツ。ロースト。ステーキ。
男子の夢みたいなメニューが揃った。あとは食すのみ。
まず、ロールキャベツ。ナイフで慎重に春キャベツのドレスに切れ目を入れると、肉汁がこんこんと泉のように湧き出てくる。口に入れれば粗挽きの鹿肉がほろりと崩れ、肉の旨味が全て溶け出たコンソメスープを掬う匙の手が止まらない。
次に、ロースト。ヘンリックの焼き加減は完璧と言う他なかった。岩塩とローズマリーとガーリックとオリーブオイルでマリネされ、オーブンでじっくりと低温で時間をかけて焼き上がったモモ肉は、切り分けた断面が見事なルビー色。肉本来の味わいを楽しみつくせる逸品だ。
そして、ステーキ。最高級部位の大腰筋であるフィレ肉は脂が少ない赤身で、牛肉にも似ているが、もっと野趣ある風味をしている。ワイン薫るステーキソースをたっぷりかけて頬張れば、噛めば噛むほどに旨味が溢れ出し、山の滋味が口いっぱいに広がっていくのだ。
なぜ、鹿肉の実食レポートを書いているのか。
いや、ドンにお肉の感想を手紙にして届けねばならなかったからだ。それくらいはしないと、「タダ飯に与ったか!」と叱責をくらうのは必定。
『国王陛下
鹿肉を賜り、まことにありとうございます。
ジルヴェスター殿下は本日も壮健でいらっしゃいました。このところ、殿下にお肉を召し上がっていただくよう取り計らっておりまして、その効果が表れていくことを期待するばかりでございます。
対面初日にときより、わずかばかりか、お顔の色がよろしくなったと存じます。一人暮らしから環境が強制的に変わり、何かご胸中にお変わりがあったのか、それとも肉食の効果があったのか、判断は定かではございませんが、少なくともお顔に影が差す瞬間が減ったように見受けられます。
お話は変わりまして、いただきました鹿肉のお味の感想は、添付の別紙にて詳細をまとめましてございます。そちらをご覧ください。
殿下はお肉の塊に喜んでいらっしゃいました。殿下の御心を私めがお察しするのは失礼千万かとわきまえますが、それでも殿下は私との生活を嫌がってはおられないように感じられます。
つきましては、これからも任務続行できるものと判断いたします。
殿下のご身命、私の微力を尽くしてお守りいたす所存です。殿下の御命は我が心臓にも等しきものとして、引き続き砕身を努めてまいります。
改めて、殿下への素敵な贈り物をありがとうございました。
イザーク・ブラウベーレ大将』
書斎にて、イザークは走らせていた万年筆をゆっくりペン立てに置き、そして指を組んで思いきり伸びをした。
──マフィアのこと、書けなかったなあ。
まさか国王をマフィアの頭目扱いしたら、イザークの首がいくつあっても足りない。絞首されるか斬首されるかくらいの違いだ。
「はてさて、一体どうしたものか……」




