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第66話 救出

待つこと、体感で一分ほど。


藪の向こうで短い物音がした。枝を踏む音と、何かが倒れる鈍い音。続いて、もう一度。レンが仕事をしている。


俺も準備をする。ポケットの中の魔料石に触れて、魔力を取り込む。

敵が出てくるとしたら、20メートルほど先の森の端。収束型の衝撃波を撃つ。グレートボアを倒した時に使って以来だ。


直後、残りのゴブリンが動いた。藪を割って二匹がこちらに駆けてくる。逃走本能で飛び出してきたのだろう。


一匹目。

「ハッ!」

指先に集中した粒子が射出され、ゴブリンの頭部を貫通する。


二匹目。一匹目が倒れたのを見て方向転換しようとしている。遅い。

「ハッ!」


所要時間は三秒とかからなかった。


レンが木々の間から姿を現す。ナイフの血を葉で拭いていた。


「早いな」


「そっちもな」


タチネズミ戦の時よりも、明らかにスムーズだった。互いの射程と反応速度を把握している分、無駄な動きがない。


「さて」

レンが岩場に目を向けた。


「あとは穴だ」


第二の問題。こっちの方が厄介だ。


穴の入り口は狭い。大人は入れない。子供たちは疲労と恐怖で自力で登れるかもわからない。ロープがあれば降ろせるが、持っていない。俺のワイヤーは長さが足りない。


「ロープ、あるか?」


「ない」


レンも俺も、街歩きの装備で来ている。本格的な山の救助道具など持ち合わせていない。


俺は周囲を見回した。森だ。木がある。草がある。ツタがある。


岩場の手前、斜面を覆うように太いツタが何本も木の幹に絡みついていた。親指ほどの太さのものもある。


「レン。あのツタ、使えないか」


レンが振り向いた。ツタを見て、引っ張って、手応えを確かめる。


「強いな。しなりもある。いけるかもしれない」


ツタは思った以上にしっかりしていた。二人で引っ張っても切れない。


「何本か切って撚り合わせれば、子供一人の体重は持つだろう。食い込みも抑えられるし、強度も上がる」


レンがナイフで手際よく残りのツタを切り出す。長さは5メートルほど。俺はそれを三本束にして、端を結び、できるだけきつく撚り合わせていく。


繊維を撚り合わせることで引張強度が上がる。ロープの基本原理だ。一本が切れても残りが保持する冗長性も確保できる。理屈は単純だが、急ごしらえの植物ロープでどこまで信頼できるか。


「コウくん、理屈はいいから手を動かしなさい」


珍しく正論だ。


片方を大きな輪にする。

これを身体に回せば、握力のない子供でも引き上げられるだろう。


完成したツタのロープを穴の入り口に降ろす。


「おーい。ロープを降ろすぞ。輪っかの中に入って脇にかかるようにしろ」


レンが声をかけた。


穴の奥から返事が返ってくる。


「……うん」


一番上の子——十歳くらいの男の子の声だ。


「まず一番小さい子からだ。引っ張り上げる。足で壁を蹴って登ってこい」


しばらく穴の中でごそごそと動く気配があった。やがて、ロープに重みがかかった。


俺とレンで引く。子供一人分の重さ。軽い。が、ツタに全体重がかかっている以上、慎重にいく。一定の速度で、揺らさないように。


最年少の男の子が、穴の縁から顔を出した。六歳くらい。泥だらけで、手が真っ赤だった。ツタを必死で掴んでいたのだろう。


レンが片手で引き上げる。


「よし、偉いぞ。次」


二人目。八歳くらいの女の子。この子はロープの扱いが少し上手かった。足で壁を蹴りながら、自分でも登ろうとしていた。


三人目。最年長の男の子。最後まで穴の中に残って、下の二人を先に送り出した子だ。途中、一度足が滑った。


ロープが揺れる。


「落ち着け。ゆっくりでいい」


レンの声が穴の中に落ちていく。穏やかで、安定した声だった。


少年が体勢を立て直し、もう一度登り始めた。今度は滑らなかった。


三人目が穴の縁に手をかけた時、俺とレンで同時に腕を掴んで引き上げた。


全員。

無事だ。


レンが最年少の子の前にしゃがんだ。目線を合わせて、大きな手で頭をぽんと叩く。


「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」


その瞬間、最年少の子がレンにしがみついて泣き出した。堰を切ったように声を上げて。レンは慣れた手つきで背中をぽんぽんと叩いてやった。力加減も、リズムも、身についたものだった。


年長の男の子は泣かなかった。唇を噛んで、必死に耐えている。俺はその子の肩にそっと手を置いた。


「お前も、よく頑張った」


気の利いた言葉が出てくるタイプではない。だが、この子が一晩かけて守り抜いたものの重さは分かる。


少年がこくりと頷いた。それだけで十分だった。



山を下りた。


最年少の子をレンが背負い、残りの二人は俺と手を繋いで歩いた。女の子が右手、年長の男の子が左手。二人とも、しっかりと握って離さない。


子供と手を繋いで山道を歩くという経験は、前世を含めて初めてだ。手が小さい。当たり前だが、その小ささが妙にこう——なんというか。変に緊張する。握力の加減が分からない。強すぎたら痛いだろうし、弱すぎたら不安だろう。


「コウくん、お父さんみたいね」


まだ二十二歳の独身をつかまえて何を言ってるんだ。


転生しても恋愛イベントのない人生が続いているというのに、いきなり父親扱いされるのは飛躍が過ぎる。順番というものがあるだろう。


途中で、朝から捜索に出ていた孤児院の大人の男と合流した。別ルートを探していて見つけられなかったらしい。子供たちの顔を見た瞬間、その男の膝が折れた。


孤児院に戻ると、院長の老婦人が子供たちに駆け寄り、三人をまとめて抱きしめた。それから俺たちの方を向いて、何度も何度も頭を下げた。


夕飯だけでも食べていってくれ、と言われて断る理由もない。


質素な食事だった。硬いパンと、野菜の煮込み。肉は入っていない。だが温かかった。孤児院の限られた予算の中で、精一杯のもてなしだろう。煮込みの野菜は柔らかく煮えていて、素朴な塩味がじんわりと沁みた。


レンが子供たちに囲まれていた。

膝の上に最年少の子を乗せ、両隣には他の子供たちがぴったりくっついている。さっき助けた三人だけではない。孤児院の子供たち全員が、レンの周りに集まっていた。


「レンにいちゃん、つよいの?」


「まあまあかな」


「あの怖いの、やっつけたの?」


「ああ、ちょちょいとな」


「レンにいちゃん、またくる?」


「……おう。また来るよ」


俺は部屋の隅で静かに煮込みを食べながら、その光景を眺めていた。


レンの笑い方が、いつもと少し違った。町の食堂で美味い飯を食べた時の、あの全力の笑顔とは違う。もっと静かで、もっと深い場所から出てくる笑い方。子供たちの頭を撫でる手つきに、優しさが滲んでいた。


孤児院で育ったレンにとって、年上の子が年下を守り、泣いている子の背中を叩いてやることは日常だったのだろう。あの穴の中で最年長の子が二人を守っていた姿に、レンは何かを重ねていたのかもしれない。



宿への帰り道。


夜のサンシェイは冷える。高原の空気が首筋に触れるたびに、風呂が恋しくなる。今日の風呂は格別だろう。


レンが少し静かになっていた。


「なあ、コウ」


「ん?」


「俺がガキの頃、山で迷って帰れなくなったことがあった」


歩調は変わらない。視線は前を向いたまま。


「その時は、誰も探しに来なかった。朝になって、自分で帰った」


声は平坦だった。感傷を込めるでもなく、同情を求めるでもなく。ただ事実を述べているだけの声。


「だからさ」

レンが小さく息を吐いた。白い吐息が、夜の空気に溶けていく。


「今日、探しに行けてよかった」


俺は何も言わなかった。


言うべき言葉がなかったのではない。言わなくていいと思ったのだ。レンが求めているのは同情でも称賛でもない。ただ、言葉にしたかっただけだ。聞いていればいい。


一呼吸の間を置いて、レンがいつもの調子に戻った。


「さて、風呂入って飯だな!」


「さっき食べただろ」


「あれは別腹だ。別腹の概念を知らないのか、コウは」


「後に食う方が別腹だろう」


「いや、量が少ない方が別腹だ」

「甘いものが別腹に決まってるじゃない」


……こいつら……。



今夜は、温泉に浸かって昼間の疲れを落とす。

もう露天風呂からの景色は楽しめない。でも高原の冷たい夜風が顔を撫ぜるのは気持ち良いだろう。


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