第64話 ガラス工房
風呂上がりの体は軽い。血流が改善し、筋肉の緊張が解けている。この状態で食う飯が不味いわけがない。
宿の食堂は、炉端焼きのような作りだった。中央に石作りのブロックがあり、その周りをカウンター席が囲んでいる。各席の前には湯気が出ている穴があり、その穴の上に鍋が置かれている。
「なんか、肉を焼く系?」
「いや、温泉の湯気で蒸した野菜とソーセージに、溶かしたチーズをつけて食べるらしい」
「チーズ!」
レンの目が輝いた。サンシェイはチーズが名物だとピリンさんから聞いていたが、まさかこの形で出てくるとは。
鍋の蓋を開けると、蒸し野菜に囲まれた中央の陶器の中で、チーズがとろとろに溶けている。
蒸し上がった野菜にチーズを絡めて口に運ぶ。
口の中に広がる濃厚なチーズのコクに野菜の歯ごたえが心地よい。
「うっま……。なんだこれ、チーズをこんな風にして食うのは初めてだ」
レンは次々と具材をチーズに絡めて口に運んでいる。
「おいしいわね。この糸の引き具合が絶妙ね」
サティアも俺の味覚と視覚に同調して楽しんでいるらしい。
果実酒を頼み、グラスを傾けながら俺は切り出した。
「レン、この町で数日滞在するかもしれない。調査のために用立てたいものがある」
「おう、構わないぜ。俺は食い物にしか金使ってないから、まだまだ余裕ある」
こいつの経済感覚は単純で分かりやすい。食えればいい。食えれば幸せ。ある意味で最強の人生哲学だ。
「明日はバラバラに行動しよう。俺はガラス職人のところに行きたい」
「了解。俺は町をぶらぶらして美味い店を開拓するわ」
翌朝。宿の朝食にチーズパンとスープを食べ、朝風呂を試すというレンを置いて出かけた。
坂を下り、サンシェイの中心部へ。
高原の朝の空気が冷たい。イケリアよりも明らかに気温が低い。これから北に向かうことを考えると、上着を一枚用意しておいた方がいいかもしれない。
まずはガラス細工を売っている店を探した。中心の広場に面した通りに、いくつかの店が並んでいる。窓越しに色とりどりのガラス製品が光を受けて輝いていた。
一番品揃えの良さそうな店に入った。棚にはグラス、花瓶、ランプの笠、窓ガラスの見本。精巧なガラスの動物の置物もある。技術水準は高い。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
店主に事情を話した。細かいガラス管を作れる職人を探していると。
「それなら、ラウラの工房がいい。この通りを突き当たって右に曲がったところだ。細工物ならあの人の右に出る者はいないよ」
ラウラの工房は、通りから少し奥まった場所にあった。扉を開けると、熱気が顔を包んだ。
炉の前に、四十がらみの女性が座っていた。手元では、赤く溶けたガラスの塊を鉄の棒で回しながら成形している。
「こんにちは。ラウラさんですか?」
「ああ、そうだけど。今ちょっと手が離せない。そこで待ってて」
俺は工房の隅に腰を下ろして待った。ラウラは溶けたガラスを伸ばし、細い管状に成形していく。息を吹き込んで中空にし、炎で端を処理する。手際が良い。
「お待たせ。で、何の用だい?」
「ガラスの細工を頼みたいんですが。特殊なものなので、まず構造を説明させてください」
「特殊? 面白いね。聞こうか」
俺はアルコール温度計の構造を説明した。細いガラス管の下端に球状の溜まりを作り、中にアルコールを封入する。温度が上がるとアルコールが膨張して管の中を上昇する。管に等間隔の目盛りを刻めば、温度を数値として読み取れる。
「……つまり、中の液が伸び縮みすることで、暑い寒いが数字で分かるってことかい?」
「そうです」
「ほう。そんなもの、見たことも聞いたこともないね」
ラウラは腕を組んで考え込んだ。
「管の太さが均一じゃないと、目盛りがずれる。それに、液を封入した後に密閉する技術がいる。……やれなくはないが、一発で成功するかは分からん」
「試作でいいです。まずは動くものが作れれば」
「面白い依頼だ。やってみよう。明日もう一度来てくれ」
ラウラの目に職人の好奇心が灯ったのが見えた。
話がまとまりかけたところで、俺は気になっていたことを聞いた。
「ラウラさん、最近ガラス業界で何か変わったことはありませんか」
「変わったこと?」
ラウラは少し考えてから言った。
「ああ、そういえば……隣町のヴァイスの工房の話だけどね。あそこは金赤のガラスで有名だったんだ」
「金赤?」
「ガラスに微量の金を混ぜて溶かし、特殊な冷やし方をすると、深い赤色が出るんだ。富裕層向けの高級品でね。ヴァイスの工房はそれが得意だった」
「『だった』?」
「最近、赤が出なくなったらしい。何度やっても、透明にしかならない。金のまがいものが出回っているのかもしれないっていってたね」
怪しい。特級品の武具が作れなくなったのと同じような現象な気がする。
「その金赤のガラスってどうやって作るんですか?」
「わたしは専門じゃないからよくわかってないけどね。まず金をなんか液体に溶かすんだよ。それをガラスに混ぜて一緒に溶かすんだね。その後冷やして、もう一度熱してって感じだったね。
くわしいことが知りたいならヴァイスに聞くといいけど……カリカリしてるからね、怒鳴られて追い返されるだろうね」
「そうですか……ありがとうございます」
分子を混ぜて熱して冷やす……何かの化学反応が起きている気がするが……
「ヴァイスのとこの弟子はどうですか?」
「弟子? ああ、逆にね。前はしょっちゅうガラスを曇らせたり割ったりしてた連中が、最近はそういう失敗をしなくなったらしいよ。ヴァイスは怒ってるけどね。『俺ができないのにお前らだけ上手くなるのはおかしい』って」
ウルカンのところと同じだ。
師匠は最高の成果を出せなくなり、弟子は最低の失敗をしなくなる。
鍛冶師、料理、燻製、そしてガラス。分野は違うが構造は同じだ。
「何か心当たりでもあるのかい?」
ラウラが鋭い目で俺を見た。
「まだ仮説の段階です。でも、温度計が作れたら、もう少しはっきりするかもしれない」
「ふうん。ますます面白いね。明日を楽しみにしてな」
工房を出ると、高原の風が頬を刺した。やはり寒い。ピンクの作業着は耐久性はあるが、防寒性はない。
服屋を探して通りを歩く。ブルサン、そしてシモノスは山の中だ。標高が上がれば気温はさらに下がる。上着は必須だ。
大きめの服屋でグレーのマントをみつけた。丈が長くてフードつき。ウールっぽい素材で少し厚い。その分重いが、防寒具として買うので仕方ない。
「コウくん、ピンクのはないの?」
ない。あっても買わない。
「えー、せっかくのトレードマークなのに」
トレードマークにした覚えはない。
銀貨五枚。少し高いが、必要な出費だ。
上着を羽織って店を出ると、ピンクの作業着が隠れて普通の旅人に見えた。悪くない。
「ちょっと地味じゃない?」
いいんだよ。地味で。
腹が減ってきたので屋台を物色していると、声がかかった。
「コウ!」
レンだった。
こいつも食い物を探しているのだろう。
「おう、コウ! ちょっと力を貸してくれないか?」
「どうした?」
「教会の孤児院に行ってきたんだが、トラブルが発生しているんだ」
レンは、真剣な表情でそう言った。




