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第58話 石の胃袋亭

「ここだ、ここ! 『石の胃袋亭』。この名前、そそるだろ?」


レンが指差したのは、モーサスの職人街の入り口にある、飾り気のない堅牢な石造りの建物だった。入り口の扉は開け放たれていて、中からは肉が焼ける音と、香ばしい煙が漂ってくる。


「確かに、匂いは悪くないな」


俺の腹も正直に反応した。石焼き料理。前回の帰りにも堪能した。内側までいい感じに熱の入った肉とナマズは美味かった。


その時だ。


「泥棒! 誰か!」


女性の鋭い声が通りに響いた。 振り返ると、人混みを縫うように走ってくる小柄な男と、それを追いかける女性が見えた。


「おっと、食事の前の一運動か!」


レンが反応した。


「コウ、お前は先に入っておすすめを注文しておいてくれ! 俺の分は『全部乗せ』だ!」


「は? ちょっと待——」


俺の制止など聞く耳持たず、レンは疾風のように駆け出した。 その背中は、逃げる男よりもずっと速い。


「さすが、騎士様ね」

サティアが言った。


違う。ただ動くものを見たら追いかけたいだけだ。あいつは。


俺は仕方なく一人で『石の胃袋亭』のドアをくぐった。


店内に客は少なかったがレンの計算ではこれから一気に増えるはずだ。 客がいるテーブルには分厚い黒い石板が埋め込まれている、下からの火力で熱しているのだろう。


「いらっしゃい! 一人かい?」


「いえ、連れがすぐに来ます。……たぶん」


俺は空いている席に座り、メニューを見た。 『おすすめ:ステーキセット』『オーク肉』『羊肉』『根菜の盛り合わせ』


「『おすすめ』を二人前。一つは『オーク肉』。もう一つは『全部乗せ』で」


注文を済ませると、俺は頬杖をついた。


「すぐに戻ってくるかしらね」

サティアが話しかけてくる。


どうだろうな。知らない町での追いかけっこだ。地元有利なのは間違いない。もしかしたらどこかで撒かれるかもしれない。


俺はイケリアの街で自分が泥棒と間違われて、狭い路地に逃げ込んだことを思い出した。


「ちゃんと帰って来るイメージしといたら?」


「ん?」


「レンくんが、料理が届く前に帰って来るビジュアライゼーションしといた方がいいんじゃない?」


ああ、なるほど。

このままあいつが帰って来ない最悪の状況も考えられるもんな。


「ストップ。そっちはいらないから」


はいはい。


俺は、自分が腹をすかしてイライラし始める前にレンが帰って来るイメージを思い浮かべ始めた。


《レンがあのドアを開けて、俺の前の椅子に座る。その時まだ料理は到着していない。いや、ちょうど料理が到着したところだ。肉が石板に置かれて音を立てている》




「お待たせしました! オーク肉と全部乗せです!」


店員が重そうな盆を持って近づいてきた。石板の脇に注文した品が並ぶ。

店員が熱々の石板に脂を引くと、ジュワァッという激しい音が立ち上る。


入り口のドアが勢いよく開いた。


「いやー、腹減った!」


レンだ。 息一つ切らさず、満面の笑みで入ってきて、向かいの席にするりと滑り込んだ。


「よし、食おうぜ!」


俺たちは厚切りのオーク肉を石板に乗せた。 肉が焼ける音。脂が跳ねる音。焦げていく香ばしい匂い。 表面の色が変わり、メイラード反応によって旨味成分が爆発的に生成されていくのが目に見えるようだ。


「いただきます!」


レンが待ちきれない様子で肉を口に放り込む。


「うっめええええ! なんだこれ、中がすげえジューシーだ!」


俺も一切れ口に入れた。 ……美味い。 石板からの熱伝導が肉汁を内部に閉じ込めている。噛むたびに濃厚な脂と赤身の旨味が溢れ出す。


「うん、美味いな!」


「だろ? 俺の情報に狂いはないんだよ」


俺たちはしばらく無言で肉を焼き、食い、また焼いた。 空腹という最高のスパイスも相まって、会話をする暇さえ惜しかった。


一通り腹が満たされた時、ようやくレンが口を開いた。


「で、さっきの泥棒の話なんだけどよ」


レンは身振り手振りを交えて語り始めた。


「あいつ、逃げ足だけは一級品でさ。人混みをジグザグに抜けて、路地の荷車をバーンと蹴って屋根に飛び上がったんだよ!」


「ほう、身軽だな」


「だろ? だから俺も負けじと、近くにあった木箱を踏み台にして、一気に屋根までジャンプしたんだ。そしたらあいつ、振り返って俺を見て『げぇっ!』って顔してさ」


レンが楽しそうに目を丸くして再現する。


「で、屋根伝いの追いかけっこだ。あいつが煙突を蹴って隣の屋根に飛ぶ。俺も飛ぶ。瓦がガシャーン! ってなるけど構わず走る! 最後はあいつがバランス崩して落ちそうになったところを、俺がナイフを一本、あいつの足元の瓦に突き刺してやったんだ」


「ほう」


「ああ。『次は足だぞ』って言ったら、あいつ真っ青になってへたり込んじまった。あとは屋根から降ろして駆けつけた衛兵に渡して、一丁上がりよ」


レンは楽しそうに笑うが、不安定な屋根の上を走り抜け、相手を傷つけずに威嚇射撃で制圧するというのは、並大抵の技術ではない。さすがは騎士団の斥候だ。


「それで、盗まれた荷物を持ち主の女性に返したんだが……その人、ピリンさんっていうんだけどさ、ウェランドの商人だったんだよ」


「へえ、偶然だな」


「ああ。モーサスまで繊維の買い付けに来てたらしい。すごく丁寧にお礼を言われてさ。俺は時間がないから切り上げようと、今から食事して明日の馬車を見つけないといけないって話したらさ。明日のウェランド行きの馬車に乗せてもらえることになった」


「タダでか?」


「いや、護衛としてだ。商人の馬車だから客席は無いけど、何より話が早い。ピリンさん、ちょうど護衛を探してたらしいから渡りに船だって」


俺は頷いた。 お礼を兼ねた護衛依頼か。悪くない話だ。 こいつの子供みたいな行動も、たまには合理的な結果を引き寄せるらしい。


明日の馬車の予約をしなくてよくなった俺達は追加でエールを頼んだ。


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