第56話 鍛冶師ウルカン
教会を出て、俺は職人街へ向かった。
広場から南西。金槌の音が響く一角。
鉄を叩く音、炉の熱気、金属が焼ける匂い。
ここがイケリアの鍛冶屋街だ。
ウルカンの工房は、職人街と貧民街を隔てる川の脇の通りにあった。
看板には「ウルカン鍛冶工房」と書かれている。
建物は古いが、手入れは行き届いている様子だ。
中に入ると、熱気が襲ってきた。
「熱い……」
「職人の魂が燃えているのよ。コウくんもそれを感じられるようになったのね」
違う!
奥で火が燃えている。
その前で、筋骨たくましい男が金槌を振るっていた。
俺はその手が止まるのを待って声をかけた。
「すみません」
男がこちらを振り向いた。
五十代後半だろうか。頑固そうな顔立ちだが、目は誠実だ。
「なんだ?」
「ヴェルナー様からの紹介です」
俺は懐から手紙を取り出して差し出した。
男は、それを受け取って目を通した。
「……ヴェルナー様の頼みか。俺がウルカンだ」
ウルカンは金槌を置いて、俺に向き直った。
「で、何が聞きたいんだ?」
「特級品が作れなくなったと聞きました」
「ああ」
ウルカンは短く答えた。
「どういうことなんですか?」
「わからねえ。とにかく作れなくなった」
わからない、か。
まあ、想定通りの答えだ。
「特級品というのは、どうやって分かるんですか? 完成してから初めて分かるんですか?」
「いや、途中で分かる」
ウルカンは炉を見つめた。
「ある段階で、『これはすごいもんができそうだ』って予感がするんだ」
予感。感覚的な言葉だ。
「それはどのタイミングなんでしょう?」
「焼入れの時だな」
焼入れ。
鋼を高温に熱してから急冷する工程だ。金属の結晶構造が変化し、硬度が上がる。
「焼入れの時に何か変わるんですか?」
「音が違うんだよ。焼入れの時の、あの音が」
音?
「ジュッて音じゃなくて、キィンって音がするんだ。わかるか?」
わかるか! 俺は鍛冶なんてやったことないんだ。
「コウくん、落ち着いて。きっと硬くなって音の伝わり方とかが変わるってことよ」
サティアが俺をなだめる。
きっとこの人は感覚で物事をとらえるんだな。そういう人には慣れている。いや、最近、慣れてきた。
「……すみません、わかりません」
「そうか……俺も若い頃はわからなかった」
ウルカンは肩をすくめた。
「そこまでうまく行っててもな、焼入れで失敗することもある。ヒビが入っちまったりな。だが逆に、想像以上の出来栄えになることもあるんだ」
「音で分かる、と」
「ああ。色も違う。手応えも違う。とにかく、全部が違うんだよ」
……全部が違う。
「それはどうしてでしょう? 焼入れの時の水の冷たさが違うとか、部屋が暖かすぎるがとか」
「ああ、俺も若い頃はそう思って色々試した。もちろん失敗する時の水や空気の暖かさってのはある。だが特別なもんができる時と、ただの良いもんができる時の違いはわからねえ」
「あなたくらいのベテランでも、焼入れで失敗することがあるんですか?」
「……無いな。それは無い」
ウルカンは首を横に振った。
「若い頃は良くヒビが入ったりしてたがな。今はもう、失敗はしねえ」
技術が上がったということか。
「だが、特級品も作れなくなった」
……どういうことだ?
失敗もしないが、特級品もできない?
「失敗しなくなったのと、特級品が作れなくなったのは同じ時期なんですか?」
「いや、そういうことじゃねえ。特級品が作れなくなったのはここ一年くらいのことだ」
……やっぱり、最近……
「特級品ってのはな、狙って作れるもんじゃねえんだ。全力でやって、神様が微笑んでくれた時だけ、できる」
「神様……」
「コウくん。たぶん本当に神様が現れたんじゃないと思うわよ」
サティアがいらない注釈をつけてきた。
そんなこと誰も思ってない。特級品にするのはコントロールできないってことを言ってるだけだ。
「ああ。鍛冶の神様だ。俺たちはな、神様に祈りながら鉄を叩いてるんだよ。良い剣ができますようにってな」
ウルカンは真剣な目で俺を見た。
「でも最近、神様は俺に微笑んでくれなくなった。それだけのことだ」
つまりは幸運に見放されてるってことだな。
もしかしたら、技術が落ちたのかもしれないが、そんな怖い質問はしない。
「もう一つ聞いていいですか」
「なんだ?」
「あなたは特級品の整備もしなくなったと聞きました。それはなぜでしょう?」
ウルカンの顔が曇った。
「……ただ磨くだけの修理なら問題ねえ。だが、火を入れて焼入れをするのは話が別だ」
「別、というと?」
「火を入れるってのは、剣に魂を入れる行為なんだよ」
魂……
「特級品ってのは、神様が微笑んでくれたもんだ。だから特級品には魂が宿ってる」
ウルカンは腕を組んだ。
「でも俺は、もう特級品を作れなくなった」
「……」
「そんな俺が、名剣に宿ってる魂に触れていいわけがねえだろ。そんなことをしたら、剣に残ってる命を奪っちまう」
ウルカンの声には、確信があった。
「鍛冶の神様に見捨てられたのかもしれねえ。でも、だからって怒られるようなことまでしたくはねえんだ」
魂。神様。祈り。
スピリチュアルな言葉のオンパレードだ。
相手次第では即座に反論するところだが、こんなベテランの職人に反論することはできない。
一流の技術には敬意を払いたい。
「……ありがとうございました。お話をうかがえて良かったです」
俺は、工房を出ようとして、一つ心残りがあった。
できれば弟子とか周りの人にも話を聞いてみたかったのだ。
「そういえば、ここはウルカンさん一人でやられてるのですか?」
「ああ、みんな独り立ちしていった」
「特級品を作られてた頃もお一人で?」
「いや、俺が特級品を作れてた頃は、数人の弟子がいた。半人前の弟子がな」
「半人前なのに独り立ちを……」
「俺が特級品を作れなくなってから、弟子たちが急に腕を上げてな。めったに失敗しなくなった。
失敗をせず、ちゃんと客に渡せるもんが作れるようになったら一人前なんだよ。
そこから先の修行は自分自身でやるもんだ」
「なるほど。ありがとうございました」
工房を出た。
「さっぱりわからなかった」
俺は正直に言った。
「まあ、そうでしょうね」
サティアが笑う。
「彼は『感覚』で物を作ってるの。論理じゃないわ」
だから俺には理解できないのか。
「でも、いいんじゃない? コウくんは鍛冶師になりたいわけじゃないでしょう」
たしかに、そうだ。じゃあ何が情報として集まった?
特級品になるかどうかは焼入れの時にわかる。
焼入れの条件を揃えても、特級品になる時とそうでない時がある。
ウルカンにはコントロールできない『何か』が働いている。
その『何か』が、最近は働かなくなった。
「そうね。『神様が微笑んでくれなくなった』って言ってたわね」
そう言っていた。だがそれは信仰の問題だ。教会に任せておけばいい。俺が調べるのは別の線だ。
とにかくウルカンの話を聞いた。
シモノスの鍛冶師の話を聞けば何かわかるかもしれない。
宿に戻って、ザケルとルミナにまた旅にでることを伝えた。
「たぶん、十日以上はかかる」
ザケルはそれを聞いて、少し思案顔になった。
「……いいよ。じゃあ、コウさんの無料宿泊期間も延長しよう」
「いいのか?」
「だってこれは元々、俺がコウさんに恩返しをしたいって話だろ。ちゃんと恩を返させてくれよ」
ザケルは人の良さそうな笑顔でそう言ってくれた。
「今度はどこに行くんですか?」
ルミナが聞いてきた。
「シモノスって村らしいが、聞いたことはないよな?」
「……聞いたことないなあ」
「北の方の……ブルサン……って町の近くらしい」
「ブルサン! それなら聞いたことあります。前にいらしたお客さんが話してました。冬は雪で街が真っ白になってきれいだって」
ルミナは、憧れるような笑顔になって言った。
「雪か……寒いのかな」
だとしたら装備を考えなければならない。
「もうすぐ夏ですからね。今は寒くないんじゃないですか」
そうか。今は春か初夏なんだな。うん、この陽気は初夏だ。じゃあ、大丈夫だろう。
俺はなぜか少し心が弾んできた。
「コウくん、避暑にでも行くつもり?」
そうだ。避暑だと思えば旅も楽しいだろう。
明日、手早く準備を済ませて、明後日には爽やかな北の地に向けて旅立つとしよう。




