第37話 どっちがハイヤー?
唐揚げパーティーが終わる頃には、空は暗くなっていた。
俺は宿に戻る前にギルドへ向かった。
先程倒したグレートボアの耳を換金するためだ。
こんなのと一緒に夜を越したくはない。
依頼板からグレートボアの依頼書を剥がし、耳と一緒に受付へ持っていく。
「討伐の報告です」
受付の女性が、俺の顔を見て目を輝かせた。
見覚えがある。初日に対応してくれた職員だ。
「こ、これは……グレートボア! しかも単独討伐ですか?」
「そうですが…」
「やっぱり……! コウさんは只者じゃないと思っていました!」
彼女はなぜか、俺のことを「とんでもない実力を隠し持った凄腕」だと思い込んでいる節がある。興奮した様子で、彼女は書類を書き殴った。
「さすがですね。もう、特例でDランクへの昇格申請をしちゃいましょう!」
「おい、待て」
「大丈夫です、支部長にねじ込めば……」
パカッ。
後ろから先輩職員の女性が現れ、受付嬢の頭を書類で叩いた。
「あだっ」
「コウ様、申し訳ありません。この子は少し先走り癖がありまして。規定により、まだランク昇格の要件は満たしておりません」
「で、でも、グレートボアを単独で……」
「規則は規則です」
正論だ。
というか、そもそも頼んでない。
「……報酬だけお願いします」
「はい! グレートボア1体で、金貨1枚と銀貨5枚になります!」
先輩職員が報酬を渡しながら、思い出したように言った。
「ところで、コウさん。昨日のオークについてなんですが」
「オーク?」
「回収隊が派遣されまして、無事に回収できました。討伐者であるコウさんにも分配がありますが、肉で受け取りますか? 代金にしますか?」
オークの肉。
脳裏に、ズタズタになったオークたちの姿がよみがえった。
全身に小石がめり込んだ死体。血の匂い。
「……代金で」
「かしこまりました。回収可能だったのは比較的損傷の少なかったオーク5体分で、討伐者の取り分は2割ですので、1体分相当になります。代金にすると金貨2枚ですね」
金貨2枚。
オーク1体分の肉が、金貨2枚?
「オークの肉って、そんなに高いんですか?」
「美味しいですからね。この街では高級食材なんですよ」
美味しい。
その言葉に、少し心が揺らいだ。
そうだ、宿へのみやげにしよう。今日は無断で外食したことになるしな。
「……やっぱり、銀貨5枚分だけ肉でもらえますか?」
「はい! 少々お待ちください」
職員が奥に引っ込み、しばらくして包みを持ってきた。
「こちらになります。あ、今回のグレートボアも回収しておきますね」
「頼みます」
俺は報酬と肉を受け取り、ギルドを後にした。
「お帰りなさい、コウさん!」
宿に戻ると、ルミナと主人が出迎えてくれた。
「夕食はどうします?」
「ああ、すまない。今日は食べてきた」
「そうですか」
ルミナは少し残念そうな顔をした。
「ああ。これ、明日にでも料理してもらえるか」
俺はオーク肉の包みを差し出した。
「わあ、オーク肉じゃないですか! 高級品ですよ、これ!」
ルミナが目を輝かせる。
「俺一人じゃ食いきれないからな。皆で食おう」
「任せな。腕によりをかけて調理するよ」
厨房へ消えていく二人を見送り、俺は部屋へ戻った。
「風呂にするか」
俺はタオルを持って、一階の浴場へ向かった。
身体を洗い、岩風呂の湯に浸かって足を伸ばした。
「ふぅ……」
温かい湯が、全身の毛細血管を拡張させていく。血流が良くなり、溜まっていた疲労物質が流れていくのを感じる。極楽だ。
ふと、気になった。
サティアは、俺の裸を見ているのか?
「もちろん。見えてるわよ」
即答だった。
「……そうか」
「批評してほしい?」
「やめろ、バカ」
俺は湯船の中で膝を抱えた。
……いや、待て。なぜ俺は、サティアを現実の女性のように意識していないんだ?
普通、女性に裸を見られていると分かったら、もっと動揺するものではないか。
だが、俺はサティアに対して、そういう感情を抱いていない。
それは当然といえば当然だ。
サティアは現実の女性ではない。俺の頭の中にだけ存在するガイド。実体がない。
しかし、実のところ、サティアはどういう存在なんだ?
ガイドだからって、俺の脳内情報に自由にアクセスしていいのか?
なぜそんなことができる?
「どうしてだと思う?」
サティアが、ワクワクしたような声で問いかけてきた。
「……なんとなく、予想はついている」
俺は湯船の縁に頭を預けながら、考えをまとめた。
「心理学や精神医学には、稀にこういうケースの報告がある。解離性同一性障害……いわゆる多重人格だ」
「ふうん」
「きっとサティアは、俺の人格の一部なんだ。おそらくは日本で生きていた時に、母や姉のスピリチュアルな言動に影響を受けて形成された『スピ系人格』。それが、論理的な俺の表層意識によって抑圧され、無意識下で別個の人格として成長した」
俺の仮説は完璧だ。俺の中にサティアがいる理由も、俺の考えが筒抜けな理由も、これで全て説明がつく。
「転生というショックがトリガーになって、抑圧されていた人格が『ガイド』という役割を演じて表に出てきた。そんなところだろう」
「うーん。なんか馬鹿にされてるような気がするけど、気のせいかしら」
「いや、確かに非論理的なところは、馬鹿にするに値すると思う」
「ひどい」
「だが、分離してくれたおかげで悩まなくて済むのは事実だ。自分の中の非合理性と戦うより、こうして別人格として口論する方が精神衛生上いい。助かってるよ」
「……失礼しちゃうわね。私はコウくんの『ハイヤーセルフ』なのよ」
でた、スピリチュアル用語。『ハイヤーセルフ』。
「そう、ハイヤーなんだからね。わかる? 高いの比較級のハイヤー。高次元のあなた自身よ」
「はいはい」
まあ、どちらがハイヤーか争うのはやめておこう。ハイヤーだろうがロウアーだろうが、所詮は「セルフ」だ。俺自身の一部ってことには変わりない。俺の仮説とも矛盾しない。
「ちょっとちょっと。なんか妙な納得しちゃってるけど。もう少し真剣に捉えなさいよ。ハイヤーセルフはあなたを高い視点から導く存在なのよ」
ああ、そうなんだろう。
この街まで導いてもらったし、魔法の身につけ方も教えてもらった。
名字を捨てるよう説得してくれたのも、サティアだ。
俺は今日、集中力を限界まで使った訓練ができた。
念願の唐揚げを食べることができた。
そして今、ゆったりと風呂に浸かることもできている。
言い争う気にはなれなかった。
「……ガイドしてくれて、感謝してるよ。サティア」
「…………」
珍しく、サティアが黙った。
「もう、張り合いがないわね」
あきらめたような声。
「……まあ、いいわ。リラックスして幸せなコウくんをいじめる趣味はないから。……のぼせないようにしなさいよ」
俺は目を閉じて、湯の温かさを享受した。
サティアに注意を受けたにもかかわらず、俺は危うくのぼせるところだった。
湯船から上がった後、しばらく脱衣所の椅子に座って、火照った身体を冷ます必要があった。
「だから言ったのに」
「……うるさい」
翌朝、食堂のテーブルの上に、ステーキ皿が置かれていた。
分厚い肉。
焼き目がついて、肉汁が滴っている。
俺が提供した、オーク肉のステーキだ。
しかし、朝からステーキか…日本では経験したことがない…。
「傷む前に食ってほしかったんでね」
主人が言う。やはりこちらでも朝からステーキは普通ではないことなのだろう。
俺は意識的に、オークのことを思い出さないようにした。
何も知らなければ、ただの美味そうな肉だ。
ナイフで一口大に切り、フォークで口に運ぶ。
「…………」
美味い。
柔らかい。
噛むたびに肉汁が溢れ出す。
日本で食べたどの豚肉よりも美味い。
豚肉にもA5とかランクがあるのだろうか。
あるとしたら、これはA5として問題ないだろう。
料理の腕もあるのだろうが、嫌な臭みは一切ない。
スパイスの香りが肉の旨味を引き立てている。
表面はカリッと焼かれ、中はジューシー。完璧な火入れだ。
俺は夢中で肉を頬張った。
一度もオークの姿を思い出すことなく、ただ純粋なタンパク質と脂質の塊として肉を満喫した。
「美味しそうに食べますねえ、コウさん」
ルミナが嬉しそうに言う。
「……ああ。美味い」
「よかった! お父さんも喜びます!」
俺は最後の一切れまで残さず平らげた。
腹が満たされる。幸福感が広がる。
食事を終えた俺に、宿屋の主人がエプロンで手を拭きながら近づいてきた。少し、改まった顔をしている。
「コウさん。折り入って頼みがあるんだが……」




