第36話 英雄の料理、爆誕
鳥は気絶しているだけで、生きていた。
商人が駆け寄ってきて、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます! おかげで無傷で捕まえられました!」
俺は足元で痙攣している鳥を見下ろした。
……俺の唐揚げ。
いや、違う。これは商人の商品だ。俺の獲物ではない。
商人は手際よく鳥を檻に戻し、壊れた留め具を紐で応急処置した。
「残念ね、コウくん。唐揚げは幻に終わったわ」
サティアが脳内で囁く。
「…………」
分かってる。分かってるが、腹が減っている。
思考がまともに働かない。
「あの」
商人が俺に向き直った。
「本当に助かりました。ダッシュチョウは一度逃げたら絶対に捕まらないって言われてて……何かお礼をさせてください」
「……いや、いい」
「そう言わずに。何かご希望があれば」
希望。
俺の視線は、檻の中の鳥に吸い寄せられた。
「……あの鳥、食用か?」
「はい、この街の食堂に卸す予定です」
「……唐揚げにしたら、美味いと思う」
口が勝手に動いていた。
空腹で思考がぼんやりしている。普段なら絶対に言わないことを口にしてしまった。
「カラアゲ? 何ですか、それは」
商人が首をかしげる。
「……肉を、衣をつけて、油で揚げる料理だ」
「衣をつけて揚げる……? 聞いたことないですね」
この世界には「唐揚げ」という調理法がないらしい。
まあ、異世界だからな。食文化が違っても不思議ではない。
「その『カラアゲ』というのを、作ってみませんか?」
商人が目を輝かせた。
「作る?」
「私の知り合いに料理屋をやってる奴がいるんです。材料は私が出しますから、あなたに作り方を教えてもらえれば」
俺は空腹で判断力が鈍っている。
断る理由が思いつかない。
「……いいだろう」
「あら、珍しく素直ね」
サティアが意外そうに言う。
腹が減ってるんだ。細かいことはどうでもいい。
商人の案内で、料理屋へ向かった。
恰幅のいい中年の男が出迎える。腕まくりをしたエプロン姿。
「おう、来たか。待ってたぞ」
「すまんな、遅くなった。門のところでちょっとトラブルがあってな」
商人が荷車から檻を降ろす。中のダッシュチョウはまだ気絶している。
「トラブル? 鳥は無事みたいだが」
「こいつが逃げ出したんだよ。留め具が壊れてな」
「おいおい、大丈夫だったのか」
「このお方が止めてくださったんだ」
商人が俺を示す。
主人がピンクの作業着を見て、一瞬だけ目を丸くした。
「へえ。あんたが噂の……」
「噂はどうでもいい。俺はただ腹が減ってるだけだ」
商人が鳥を主人に引き渡しながら言った。
「それでな、お礼にこの人に料理を振る舞いたいんだが、この人が『カラアゲ』っていう新しい料理法を知ってるらしい」
「カラアゲ?」
「肉に衣をつけて油で揚げる料理だそうだ。この鳥で作ってみたいんだが、いいか?」
主人が興味深そうな顔になった。
「衣をつけて揚げる……聞いたことねえな。面白そうじゃねえか」
「よし。じゃあ俺はこの人と材料を買ってくる。鳥を捌いて準備しておいてくれ」
「分かった。任せろ」
商人にひきずられるように市場へ向かった。
道中、俺は必要な材料を伝えた。
「鳥肉。できれば腿肉がいい」
「それはうちの商品で」
「小麦粉」
「ありますね」
「卵」
「はい」
「塩、胡椒、ニンニク」
「全部揃います」
「醤油」
「ショウユ? 何ですか、それは」
「……大豆を発酵させて作る調味料だ。黒くて、塩辛くて、独特の風味がある」
「聞いたことないですね。大豆はありますが、そんな加工品は見たことがない」
「……そうか」
予想はしていた。異世界だ。醤油がある方がおかしい。
だが、分かっていてもがっかりする。
醤油なしの唐揚げ。邪道だが、仕方ない。塩とニンニクで何とかするしかない。
「あとは揚げ油だ」
「油で揚げる料理なら、この街にもありますよ。でも衣をつけるってのは初めて聞きました」
材料を買い揃え、料理屋に戻った。主人はすでに鳥を捌き終え、肉を用意して待っていた。
「おう、戻ったか。準備はできてるぞ」
俺は作り方を説明した。
「まず、肉を一口大に切る。下味をつける。塩、胡椒、ニンニクを揉み込んで少し置く。その間に、小麦粉と卵を混ぜて衣を作る。肉に衣をつけて、高温の油で揚げる。それだけだ」
「簡単だな」
調理が始まった。
主人が鳥肉を捌き、一口大に切っていく。
俺は横で指示を出す。
「下味は塩を多めに。胡椒は少々。ニンニクは潰して揉み込む」
「こんなもんか?」
「ああ。それを少し置く。その間に衣だ」
小麦粉と卵を混ぜる。
水を少し加えて、ドロッとした液体にする。
「揚げ油の温度は高めに。煙が出る手前くらい」
「分かった」
主人が鍋に油を注ぎ、火にかけた。
油の温度が上がっていく。
「そろそろだな。肉に衣をつけて、油に入れる」
主人が衣をまとった肉を、そっと油に落とした。
ジュワァァァ……。
香ばしい音が響く。
油の中で、衣が黄金色に変わっていく。
そして——匂いだ。
ニンニクと肉の脂が混じり合った、食欲を刺激する香り。
俺の腹が盛大に鳴った。
「おお、いい匂いだな」
主人が感心したように言う。
「ひっくり返せ。両面を均等に揚げる」
「こうか?」
「ああ。色が濃くなったら引き上げる」
衣がカリッと音を立てる。
完璧だ。
「よし、上げろ」
主人が唐揚げを油から引き上げ、皿に盛った。
湯気を立てる、黄金色の塊。
見た目は完璧な唐揚げだ。
「味見してくれ」
主人が串に刺した「唐揚げ」を俺に突き出した。
今回はカエルじゃない。衣がついている。見た目と匂いからの期待値はMAXだ。
俺はかぶりついた。
熱い。
衣がカリッとしている。肉汁が弾ける。
「…………」
美味い。
涙が出そうなほど、美味い。
異世界に来て初めての唐揚げ。
脳内の糖分が回復していく。思考がクリアになっていく。
「よかったわね、コウくん」
サティアが優しい声で言う。
「どうなんだ? それでいいのか?」
主人が俺を覗き込む。
「美味い。バッチリだ」
「そうか。じゃあ、俺達の分も作るか」
主人は次の肉を油の中に入れ始めた。
「なんだこの匂い?」
声が聞こえた。
振り返ると、料理屋の入り口に人が集まり始めていた。
「美味そうだな」
「新メニューか?」
揚げ物の匂いが通りに漂い出したらしい。
近所の人々、通りすがりの冒険者、子供たちが次々と顔を覗かせる。
「おい、見物料取るぞ」
主人が冗談めかして言うが、誰も帰らない。
「せっかくだから、味見してもらいましょうか」
商人が提案した。
「宣伝になりますよ。美味ければ、この店の新メニューとして出せるじゃないですか」
「……それもそうだな」
主人は追加の肉を取り出し、大量に揚げ始めた。
ジュワァァァ、ジュワァァァ……。
次々と揚がっていく唐揚げ。
香ばしい匂いが充満し、人だかりはさらに大きくなった。
「ほら、食ってみろ」
主人が集まった人々に唐揚げを配り始めた。
「熱いから気をつけろよ」
最初の一人が、おそるおそる口に入れた。
「…………!」
目が見開かれる。
「なんだこれ! 外はサクサク、中はジューシー!」
「マジか。俺にも」
「こんな料理、食ったことねえ!」
次々と歓声が上がる。
子供たちが「美味しい! もっと!」と群がった。
宴もたけなわ。
主人が俺の隣にやってきた。
「いやあ、大好評だ。この料理、うちのメニューに加えたいんだが」
「好きにしてくれ」
「名前は何て言うんだ? カラアゲ?」
「唐揚げだ。漢字で書くと『唐』に『揚げる』」
「『カラ』ってのは何だ?」
「……元々は国の名前だが、知らないだろうな」
「知らねえな…」
主人が腕組みをして考え込む。
「あんた、『ピンクの英雄』だろ? 街で噂になってる」
「……英雄じゃない」
「オークボスを単独で倒したとか、必殺技を持ってるとか」
「誇張だ」
「謙虚だねえ」
主人はニヤリと笑った。
「よし、決めた。この料理の名前は『ピンク揚げ』だ」
「待て」
「『ピンクの英雄が伝えた秘伝の調理法』! これは売れるぞ!」
「待て。そのネーミングには論理的な欠陥がある。この料理は黄金色だ。ピンクの要素は俺の作業着しかない。視覚情報と名称の不一致は、消費者に混乱を招くぞ」
「いや、インパクトだよ兄ちゃん!大事なのは!」
「くっ、マーケティング理論か……!」
俺の制止を無視して、主人は声を張り上げた。
「おい、みんな聞いてくれ! この料理の名前が決まったぞ! 『ピンク揚げ』だ!」
歓声が上がった。
「ピンク揚げ!」
「ピンク揚げ美味え!」
「ピンクの英雄、最高!」
「…………」
俺は何も言えなかった。
「うふふ。また伝説が増えたわね」
サティアが脳内で楽しそうに言った。




