第35話 俺強えええ!
現れたのは、グレートボアだった。
軽トラサイズの巨体。鋭い牙。血走った目。転生初日に遭遇し、地形を利用してなんとか倒した相手だ。
グレートボアは俺を視認すると、前足で地面を掻いた。突撃の準備だ。
俺は即座に体内の残存魔力量を確認する。感覚的なゲージで言えば、小粒1個分より少し多い程度。
「……補充なしでいけるか」
だが、真正面から突っ込んでくるあいつの頭蓋骨は、生半可な硬度じゃないだろう。オークの皮膚とはわけが違う。下手に面で衝撃を当てても、弾かれるか、減衰して脳震盪止まりかもしれない。
なら、どうする?答えは単純だ。圧力を高めればいい。圧力Pは、力Fを面積Aで割ったものだ。力が同じなら、面積を極限まで小さくすれば圧力は無限大に近づく。
グレートボアが、突っ込んできた。地響きと共に迫ってくる。
俺は右手を突き出した。
《できるだけ細く。一点集中突破だ。
衝撃波が針のようになって、グレートボアの眉間を貫くイメージ》
俺の右手は、自然と人差し指をグレートボアに向ける形になった。
「ハッ!」
短く呼気を吐くと同時に、指先に集約した魔力を撃ち放った。
指先に、確かな感触があった。ピンを石膏ボードに刺したような、抵抗がありつつも「ズブッ」と入っていく感覚。
——貫けた。
まだ魔力の放出は終わっていなかったが、俺は手を下ろした。
その動きに合わせるように、グレートボアは沈み込み、惰性でしばらく滑って——
俺の3メートル手前で、止まった。
「…………」
俺強えええ!
今回は、完全に決まった。
余裕を持って、Dランク相当の魔物を瞬殺した。
振り返ってみよう。
まず、体内の魔力量を確認して、追加の魔力吸収をしなかったこと。
グレートボアの頭部の硬さを考慮して、細く一点突破をする選択をしたこと。
細い衝撃波をイメージし、指先から発射するという新しい技術を用いたこと。
グレートボアを貫いた手応えを知覚したこと。
そこで体内の魔力が残っているのを認識し、放出を途中でやめられたこと。
倒れて滑ってくるグレートボアがぶつかる前に停まると計算して、その場から動かなかったこと。
全てが噛み合った。
完璧だ。俺は今回の一方的な戦いを脳内でリプレイし、満足感に浸った。
「ふふっ。かっこよかったわよ、コウくん。何よりもグレートボアを見ても、焦らずに落ち着いていたのがよかったわ」
サティアが感心したように言う。
「確かに、そうだな」
落ち着いていたから、ベストな選択をすることができた。
最悪シミュレーションをする前に対処が完了した。
「そうそう。コウくんはやればできる子なんだから」
「うるさい。子供扱いはやめろ」
褒められるのは悪くないが、言い方が癪に障る。
俺は今の感覚を忘れないうちに、この場で訓練を続行することにした。グレートボアの死体? 解体できないし、重くて運べないから放置だ。後で討伐証明の耳だけ切り取っていく。
まず、体内に残っている魔力で、さっきの「細い衝撃波」を再現する。どうやら、放出口を絞ることで、ホースの口を摘んだ時のように流出量が制限されるらしい。一瞬で魔力が枯渇せず、回数を撃てる。
「ハッ! ……ハッ! ……ハッ……」
手近な岩に向けて、短く鋭い衝撃波を連射する。大きな岩を粉砕するほどの力はないが、拳大の石なら破壊できる威力はある。
これは「指弾」といったところか。
……指弾なら、動きもそれっぽくしてみるか?
……指弾……なら、こうしたらどうだ?
俺は人差し指を親指に引っかけた状態から、リリースする動作を試みた。
デコピンのアクション。
「ハッ!」は無しだ。
バキンッ。
狙っていた石が、見事に割れた。
「おお……」
何よりも掛け声を出さなくてもいいのが良い。これなら真似されても恥ずかしくないぞ。
「あら、『ハッ!』って言わなくなっちゃうの? 残念。可愛かったのに」
「可愛くない。あれは気合いを入れるための発声だ」
「子供たちにも人気で、真似してたじゃない。『ハッ!』って」
「……だから恥ずかしいんだよ」
俺は小粒の魔力を補給して、周りに拳サイズの石がなくなるまで指弾の練習を続けた。
人差し指だけでなく、中指、薬指、小指でも試してみた。
威力は人差し指が最も高い。中指がそれに続く。薬指と小指は、やや劣る。
指の筋力の差だろうか。それとも、魔法陣との接続の問題か。
そして、4本同時に弾くショットも身につけた。
もっとも、4つの的に同時に命中させるには、俺の並列処理能力が追いつかない。威嚇か、広範囲への牽制用だな。
「次は……ショットガン的な面制圧を試したいが……」
ふらりと、視界が揺れた。頭がぼんやりする。思考にノイズが混じる。
「集中力が限界ね」
「……らしいな」
魔力的な枯渇ではなく、単純にエネルギー切れだ。魔法を使うのはかなりの集中力を使う。糖分が足りない。
「そうね。頭の中で数字とか、唐揚げに足が生えて跳び回ってるわ」
「……見えてるのか、それ」
残念ながら、食事を持参するのを忘れていた。
集中力をエネルギーで補う手段がない。
今日は訓練を切り上げて帰ることにした。
グレートボアの耳だけ回収し、俺は街への道を歩き始めた。
街が見えてきた頃には、俺の思考力はかなり低下していた。
脳内の糖分が足りない。
視界がぼんやりする。足取りも重い。
早く何か食べたい。肉がいい。できれば揚げ物。唐揚げとか。
「コウくん、大丈夫? ふらふらしてるわよ」
「大丈夫だ。問題ない」
問題しかない。
門の前で、食料を運搬する商人の荷車が検問を受けている。
荷台には檻があり、中には——
鳥だ。
大きな鳥。
足が太くて、体がでかい。走るのが速そうな、ダチョウみたいなやつ。
俺の脳は、その鳥を見て、勝手に変換を始めた。
……あれは食材だ。
《あの太い腿肉を揚げたら、さぞかし美味い唐揚げになるだろう。
カリッとした衣。ジュワッと溢れる肉汁》
いや待て。
俺は不運だ。
あの「唐揚げ」を、普通に買えるはずがない。
確率論で考えるんだ。
俺の脳内で、最悪のシミュレーションが高速で構築される。
《あの檻、よく見れば留め具が錆びついている。金属疲労の限界に近い。そして俺は空腹だ。世界は、俺が飢えている時にこそ、目の前でご馳走を奪い去るという残酷なジョークを仕掛けてくるはずだ。
あの檻の鍵は壊れる。そして、あの唐揚げは、飢えた俺を嘲笑うために、全速力で逃走するに違いない》
シミュレーション完了。確信度、99.9%。
『残念でした、食べられませ〜ん』と言いながら、俺の前を横切って走り去る未来が見えた。
その時だ。
「おい、次の馬車!」
衛兵の声に反応して、商人が慌てて馬を動かそうとした。ガタンッ!車輪が石畳のくぼみに嵌まり、荷台が大きく揺れる。
パキン。
俺の予想通り、古びた留め具が弾け飛んだ。物理法則は裏切らない。
「キエエエエッ!」
檻の扉が開き、中の鳥が飛び出した。
「逃げた! 誰か捕まえてくれ!」
鳥は猛スピードで走り出した。
商人が追いかけるが、全く追いつけない。
そして、その逃走ルートは——俺の方に向かっていた。
「危ない! そこのピンク、逃げろ!」
衛兵が叫んでいる。だが、俺に見えているのは、猛スピードで「デリバリー」されてくる巨大な唐揚げだけだ。
逃がす?ふざけるな。俺の目の前で、俺の飯を、持ち逃げさせるとでも?
俺は無造作に右手を上げた。人差し指を親指に引っ掛ける。
狙いは一点。肉を傷つけないよう、頭部のみ。相手は時速60キロで迫る高速移動体。だが、動きは直線的だ。偏差射撃の計算は容易い。
指を弾く。圧縮された衝撃の弾丸が、空気を切り裂いて飛翔した。
「バチンッ!」
指に伝わる感触は、まさにデコピンのそれだった。
そう言えば、魔力の補充をしていなかった。
次の瞬間、鳥の首がガクンと後ろに折れた。貫くことはできなかったが、脳を揺らすことには成功したらしい。声もなく、脚の力が抜ける。慣性の法則に従い、巨体がそのまま地面を滑ってくる。
ズザザザ……。
俺は一歩も動かない。鳥は俺のブーツのつま先で止まった。
静寂。衛兵も、商人も、周りの冒険者たちも、口を開けて固まっている。
俺は足元の「唐揚げ」を見下ろし、真顔で言った。
「サティア、今日の夕飯は唐揚げだ」




