第25話 無属性の魔料石
宿に戻り、夕食を取った。
今日のメニューは煮込み料理と黒パン。昨日のスープとはまた違う、素朴だが滋味深い味だ。
食事をしていると、給仕をしている看板娘がやたらとこちらをチラチラ見てくることに気づいた。料理を運んでくる時も、空いた皿を下げる時も、何か言いたげにもじもじしている。
「……なんだ?」
思い切って声をかけると、少女は顔を赤くしながら、意を決したように口を開いた。
「あ、あの! お客さん、街でいろんな噂を聞いたんですけど……」
「噂?」
「橋が崩れる前に気づいて人を助けたとか、子供たちにお菓子を配ったとか……あと、その、必殺技があるとか……」
必殺技。嫌な予感がする。
「お客さんって、ほんとは何者なんですか? もしかして、子供のお話に出てくる正義の味方さまみたいな……」
「俺はただの冒険者だ。正義の味方でもなんでもない」
「でも! あの……これですよね!?」
少女は両手を前に突き出し、腰を落として構えた。あのポーズだ。俺が街中で魔法のイメトレをしていた、あのポーズ。
「ぶふっ! コウくん、大人気ね。看板娘ちゃんにまで伝染してるわ」
サティアが脳内で大笑いしているが、俺は必死に平静を装った。
「……それは、まあ、その。訓練の一環だ」
「やっぱり必殺技なんですね! あの、お願いがあるんですけど……サインをいただけませんか!?」
「サイン?」
少女は慌ててカウンターの裏から紙とペンを持ってきた。
「名前はルミナです! 『ルミナへ』って書いてください!」
断る理由もないし、断ったら余計に面倒なことになりそうだ。俺は諦めてペンを取り、『ルミナへ コウ』と書いた。我ながら、何をしているのか分からない。
「わあっ! ありがとうございます!」
ルミナは宝物を手に入れたかのように紙を胸に抱き、キッチンへと駆けていった。
「あははは! コウくん、サイン会デビューね!」
うるさい。飯の味が分からなくなる。
その夜、夢の中。
白い空間でサティアと向き合い、俺は衝撃波の練習を続けていた。
右手を前に突き出す。掌の先に、電荷を持たない素粒子を集積させるイメージ。それを亜光速で射出する。
何度も、何度も繰り返す。
「……コウくん、真面目ね」
サティアが感心したように言った。
「当然だ。物理的な干渉手段がなければ、この世界で生き残れない」
しばらく続けた後、何か感覚が変わったのに気づいた。
さっきまで感じていた、虫が這いずるような不快な感覚が消えている。
「……なんか、掴めた気がする」
もう一度。右手を突き出し、意識を集中させる。
その瞬間、右手の甲が淡く光った。複雑な幾何学模様が、皮膚の下から浮かび上がるように輝いている。
「コウくん! それ……!」
「魔法陣、か……?」
光は数秒で消えたが、確かに見えた。俺の手の甲に、魔法陣が刻まれている。
「すごいわ、コウくん! 毛細血管が魔法陣の形に配列されたのよ!」
「待て。毛細血管が勝手に配列を変えた? 医学的にありえないんだが」
「ありえないことを起こすのが、あなたの能力でしょう?」
……反論できない。
翌朝。
目覚めてすぐ、俺は窓を開け、空に向けて右手を突き出した。
昨夜の感覚を思い出しながら、意識を集中させる。
魔法陣が淡く光り、何かが放出されようとする感覚。だが、その直後。
「うっ……」
不快感が全身を駆け抜けた。吐き気のようで吐き気ではない。尿意のようで尿意ではない。身体が何かを出そうとしているのに、出すべきものがない、という奇妙な感覚だ。
「ああ、それは魔力が足りないからよ」
サティアが説明する。
「身体は衝撃波を放つ準備ができてるの。でも、魔力の供給がないから、空撃ちになってるのよ」
「魔力の供給?」
「魔料石が必要ね。無属性の」
魔料石。魔道具に魔力を供給する石。電池みたいなものだ。魔法使いの多くも魔力源として利用しているらしい。
依頼まではまだ時間がある。俺は魔料石を手に入れるため、街へ出ることにした。
結論から言うと、無属性の魔料石は手に入らなかった。
下町の魔道具屋には、火属性、水属性、土属性など色々な属性の魔料石が揃っていたが、無属性はない。高級住宅街近くの店でも同様。錬金術屋を紹介されて行ってみたが、そこにも在庫はなかった。
「無属性はねえ、だいたい教会が買い占めてるんだよ」
錬金術屋の店主が、申し訳なさそうに言った。
「教会が配るお守りには、小さな無属性魔料石が入ってるんだ。だが魔料石だけで売ってるとは聞いたことがないねえ。
魔石鉱山を管理している『特殊不動産管理組合』なら在庫があるかもしれんが、そこも一般人に売ってくれるとは思えんねえ。
自分で鉱山に行って掘るか、教会に頼み込むか……」
教会、か。
俺は屋台でサンドイッチを買い、歩きながら考えた。
昨日のヴェルナーの顔が脳裏をよぎる。あの観察するような目つき。俺を「要注意人物」としてマークしたという、サティアの言葉。
「……教会は、今日はやめておこう」
「賢明ね」
魔料石の入手は後回しだ。まずは依頼をこなして、金を稼ぐ。
俺は路地裏にある、職人御用達の金物屋――俺が勝手に『ワークマン』と呼んでいる店に向かった。
今日の依頼は異音調査。原因が何であれ、物理的な対処が必要になる可能性が高い。
「いらっしゃい。……おっと」
親父は俺の姿を見るなり、片眉を跳ね上げた。
そして、ニヤリと口の端を歪める。
「そのふざけたピンク色……俺が倉庫の奥から引っ張り出した『とっておき』じゃねえか」
「ああ。あんたが押し付けた『不良在庫』だ」
「まさか本当に着て歩く奴がいるとはな。しかも、巷で噂の『ピンクの英雄』様だときた」
親父は可笑しそうに鼻を鳴らした。
どうやら、噂はここにも届いているらしい。
「英雄じゃない。ただの目立ちすぎた冒険者だ。……おかげで、どこに行っても指を差される」
「はっ! いい宣伝だ。あの色が街中を歩き回ってると思うだけで酒が美味いぜ」
親父は上機嫌だ。
俺はため息をつきつつ、カウンターに手を置いた。
「仕事道具がいる。ワイヤーとペンチ、あとハンマーをくれ。」
「おうよ」
親父は自ら棚を回って、注文のものを見繕ってくれた。意外にいいヤツだ。
カウンターに置かれた商品を検分する。ワイヤーが想定よりも太く、想定よりも長い。つまり重そうだ。
「ワイヤーはこんなにいらない」
「遠慮するな。これも売れ残りだ。安くしとく」
全くこの親父は俺のことをアウトレット業者かなんかと思ってるんじゃないか?
「あと、ダクトテープはあるか?」
「ダクト……なんだって?」
「配管の亀裂を塞いだり、物を固定したりするための、強力な粘着テープだ。銀色で、帯状の」
親父は眉をひそめた。
「帯? 包帯か? 物をくっつけたいなら、『接着の魔法糊』を使えばいいだろう」
「糊じゃ乾燥に時間がかかる。貼った瞬間に固定できて、水にも熱にも強くて、手でちぎれるやつだ」
「……そんな便利なもんがあるか。魔法使いに頼んで『固定』をかけてもらえ」
やはりか。テープというのは意外にハイテクなんだ。
「仕方ない。ワイヤーを多めにくれ。あと、麻紐もだ」
「お前、本当に冒険者か? 配管工みたいな買い方しやがって」
親父は呆れながらも、楽しそうに品物を包んでくれた。
「全部で銀貨2枚だ。……おまけで余ってる釘も入れてやるよ。うちの宣伝をしてくれてる礼だ」
「助かる。だが、この店の名前を刺繍するのは断る」
「ハハッ。そりゃいいアイデアだ。また来な、『ピンクの英雄』さんよ」
俺は苦笑して手を上げ、「ワークマン」を出た。
背中の鞄がずっしりと重くなる。だが、それは頼もしい重さだ。
魔法の石は手に入らなかったが、物理の武器は揃った。
これで戦える。建具相手なら。
依頼の集合住宅に到着したのは、夕暮れ前だった。
東区の中流住宅街。三階建ての石造りの建物が、通りに面して建っている。外観を見る限り、壊れている箇所は見当たらない。
まあ、そりゃそうだ。外から見て分かるような問題なら、「原因不明の異音」なんて言わないだろう。
「コウくん、この建物……かなりモヤモヤしてるわ」
サティアが緊張した声で言う。だが、俺の「直観」は今のところ何も感知していない。橋の時のような、あの嫌な予感がない。
「……俺には何も感じないが」
「そう。でも、気をつけてね」
依頼主は、一階に住む中年の男性だった。俺が名乗ると、彼は安堵したような、それでいて困惑したような顔をした。
「ああ、ギルドからの調査員さんですか。助かります。ここ数日、夜になると変な音がして、みんな気味悪がってるんです」
「音の大きさは? 頻度は?」
「大きさは……そうですね、話し声くらい。低い、唸るような音です。毎晩、日が暮れてから聞こえ始めて、明け方には止まります」
「きっと幽霊だよ!」
依頼主の後ろから、老婆が顔を出した。
「この建物には昔、恨みを持って死んだ人がいてね、その呪いが……」
「おばあちゃん、やめてくれよ。調査員さんが困るだろう」
「でもあたしゃ見たんだよ、夜中に廊下を歩く影を……」
「それは隣の部屋のミケルさんだよ、トイレに起きただけだって言ってたろ」
俺は二人のやり取りを聞きながら、建物の構造を観察していた。石造りの壁、木製の床と天井、おそらく地下にはライフラインの設備スペースがあるだろう。音の発生源として考えられるのは、構造材の軋み、配管の共振、あるいは……。
「出た! あの音だよ!」
老婆が突然叫んだ。
俺は耳をすませた。確かに、どこからか音が聞こえる。
うおん、うおん。
低く、唸るような音。建物全体から響いているようで、音源の方向が特定できない。
「……これは……」
壁に手を当てると、微かな振動を感じる。この音は、建物の構造から来ているのか? それとも、別の何かが……?
うおん、うおん。
音は止まない。まるで、建物そのものが呻いているかのように。




