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ダンジョンの通路を、トムとカッパのジュンチャは慎重に進んでいた。
じめじめとした空気が肌にまとわりつく。壁に生えた苔から、ぽたり、ぽたりと水滴が落ちるたびに、二人の靴音が妙に大きく響いた。
「……静かすぎるな」
トムは剣を握り直し、前方をにらむ。
「油断禁物でやんすよ」
カッパのジュンチャはにやりと笑い、肩をすくめる。
その皿にはまだ冷たい水がたっぷりたまっており、淡い光を反射していた。
その時だった。
「ギギッ、ギャアッ!」
暗闇の奥から、甲高い叫び声が響いた。
次の瞬間、影のような小さな人影が五、六体、通路に飛び出してくる。手には錆びついた短剣や棍棒。緑色の肌に尖った耳、黄色く濁った目――ゴブリンだ。
「……来たな」
トムは一歩前に出た。
だが数は多い。初めての相手としては分が悪い。
「トム、一気にやるでやんす!」
カッパのジュンチャの声が響く。
ゴブリンたちは奇声を上げながら突っ込んでくる。
トムは右から迫る一体に刃の魔法を放った。
「刃の魔法!」
光の刃が閃き、ゴブリンの短剣ごと胴体を切り裂く。血しぶきが飛び散り、ゴブリンは地面に崩れ落ちた。
だが残りのゴブリンは止まらない。
左右から迫り、背後からも回り込もうとする。
「くっ、数が多すぎる!」
トムは必死に剣を振るが、汗がにじみ始めていた。
その時――。
「スイスイーでやんす!」
カッパのジュンチャが叫び、両手を勢いよく振り抜いた。
すると、手の動きに合わせて鋭い水の刃が空気を切り裂き、一直線に走った。
「ギャッ――!」
目の前のゴブリンが真っ二つに裂け、血と水しぶきが同時に飛び散る。
残りのゴブリンたちが一瞬怯み、後ずさった。
「な、なんだ今の……!」
トムは驚きの声をあげる。
カッパのジュンチャは涼しい顔で構えを解いた。
「これがあっしの魔法、“水のカッター”でやんす。スイスイーってやれば、ゴブリンなんざ紙みてぇなもんでやんすよ」
言い終わるが早いか、別のゴブリンが棍棒を振り下ろしてきた。
トムが剣で受け止めた瞬間――。
「スイスイーでやんす!」
もう一閃。
水のカッターが音もなく走り、ゴブリンの棍棒ごと腕を切り落とす。
絶叫が響き、緑色の体が床に転がった。
「す、すげぇ……!」
トムは息を呑む。これほどの威力を持つ魔法を、カッパのジュンチャが使えるとは思ってもいなかった。
「ぼさっとすんなトム! まだ来るでやんす!」
残りのゴブリン三体が怯えながらも、必死に突撃してきた。
トムは前に出て、刃の魔法を繰り出す。
「これで終わりだ!」
一体、二体を切り裂くが、最後の一体が背後に回り込んでいた。
「しまっ――」
トムが振り向くより早く、カッパのジュンチャの声が飛んだ。
「スイスイーでやんすッ!」
水のカッターが弧を描き、最後のゴブリンを斜めに切り裂いた。
断末魔の叫びが虚空に消え、通路は静けさを取り戻す。
水が床に滴り落ち、赤黒い血と混じり合う。
トムは大きく息をついた。
「……助かったよ、カッパのジュンチャ。お前がいなかったら、今ごろ俺は……」
「何言ってるでやんす。あっしとトムは仲間でやんす。背中は任せときなせぇ」
カッパのジュンチャは皿の水をちゃぷちゃぷと揺らし、にやりと笑った。
トムも剣を収め、笑みを返した。
「……そうだな。これなら、このダンジョンでもやっていけそうだ」
二人は並んで通路の奥へ進んでいった。
その足取りは、先ほどよりもずっと力強かった。




