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今回の夢は暑苦しい。
場所はおそらく魔王城の一室。
そこで呆れ果てたような顔をしたエイトゥスとウィロウに見守られながら、胸元と二の腕までしか隠していない下着のような黒い服と膝上までしかない黒いタイツを着たシルバーバインが、気持ち悪い速度で腕立て伏せを繰り返しています。
母の視線も上下しているので一緒に腕立て伏せをしているとわかりますが、速度はシルバーバインの十分の一以下ですね。
「さあ魔王さま! もっとペースを上げるニャ!」
「ちょ、ちょっと待って、シルバーバイン。あたし、もう歳なんだから手加減して……」
「何をおっしゃるニャ! 魔王さまは七十代! まだまだ若いニャ! ワンモアセットニャ!」
「人間より身体能力が高いあなたと一緒にしないで! もう本っ当に限界なの! 無理なの! 腕がプルプルしてるの! もう千回超えてんのよ!?」
「無理とか限界とか言えてるうちは、まだ平気ニャ! 今日鍛えた筋肉は、後々絶対に魔王さまの役にたつニャ! 筋肉は裏切らないニャ! だから鍛えるニャ!」
本当にうるさいし暑苦しい。
と、苦情を言ったところで、腕立て伏せを続ける二人の耳に届く訳もないので、上下するシルバーバインの顔を見ながらもなんとか思考をまとめようとしているのですが……声だけでなくビジュアルもうるさいのでそれが叶いません。
「いくつになっても、シルバーバインちゃんは元気だね。エイトゥスくんも見習ったら?」
「冗談はやめてくれウィロウ。僕は脳筋猫と違って頭脳労働担当なんだ。そもそも、あんな体力オバケ二人に僕が付き合えるわけがないだろう?」
「エイトゥスくんは子供に力負けしちゃうくらい貧弱だもんねぇ」
「ち、違っ……! 元々、僕の種族は腕力が強い方じゃないんだ! けっして、僕が特別弱いわけじゃない!」
「はいはい。そう言うことにしておいてあげるから、そろそろシルバーバインちゃんを止めてくれない?」
「魔力の無駄になるからしたくない。いつも通り、フローリストに頼めば良いじゃないか」
「姉さんは君たちと違って老いてるの。だから無理させたくないんだよ。だからお願い。あのままじゃあ、魔王ちゃんがバテて午後の執務に支障が出ちゃうよ」
「ウィロウ、下の者たちに聞かれたら示しがつかないから『ちゃん』じゃなくて『様』をつけろと、何度も言っただろう。どうして守れないんだ」
「はぁ……。子供の頃は可愛かったのに、面倒くさい大人になっちゃったなぁ」
「何か言ったか?」
「何も言ってないよ。はい、じゃあサクッとシルバーバインちゃんを縛るなり閉じ込めるなりしてちょうだい」
「昔ならともかく、今のシルバーバインが相手だと僕も本気を出さなきゃいけないのに、気軽に言ってくれるなぁ……」
ブツブツと文句を言いながらも、エイトゥスは木鎖拘束魔術と唱えて、シルバーバインを拘束しようとしました。
ですが木の鎖は、魔術が発動するよりも先に動いていたシルバーバインの爪によって難なく斬り裂かれてしまいました。
「チッ、相変わらず勘が鋭い」
「こんな近距離で、うちが魔術の発動に気づかないわけがないニャ。って言うか、詠唱が丸聞こえだったニャ」
二人が睨み合いを始めると、母は息を荒げたままコソコソと、ウィロウの隣まで逃げました。
その際に鎖の断面がチラリと見えたのですが、切断面が焦げていました。微かにですが、煙もあがっています。
まさか、母の目にすらとまらぬ速さで振り抜かれた爪の摩擦熱で焼け焦げた?
「生意気な脳筋猫め、僕のウッド・チェインをああもあっさりと……」
「お? 悔しいんニャ? うちとやるつもりニャ? だったらちょうど良いニャ。オオヤシマ遠征の景気づけに、お前との決着をここで着けてやるニャ!」
「良い歳こいてニャアニャアうるさいんだよ馬鹿猫。魔描族で語尾にニャをつけるのは子供くらいのものだろう? ああ、そうだった。お前は図体はデカくなったが、頭は子供のままだったな」
「あ! うちのことを馬鹿って言ったニャ! 馬鹿って言った方が馬鹿っニャンだぞ! ぶっ殺されたいのニャ!?」
「僕を殺す? お前が? お前如きが? 馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、僕を殺せると思っているほど馬鹿だとは思っていなかったぞ、馬鹿猫」
これは意外ですね。
シルバーバインは魔王軍のナンバー2とされていますが、今のやり取りを信じるのならば、戦闘能力的にはエイトゥスの方が上だったようです。
「ねえ、魔王ちゃん。止めた方が良くない? 二人ともガチギレしてるよ?」
「ウィロウがエイトゥスをけしかけたんだから、ウィロウが止めてよ」
「そうしたいのは山々だけど……。ほら、わっちは四天王最弱だから」
「純粋な攻撃力で言えば、でしょ? あなたを相手にまともに戦うなんて、あたしでも無理じゃない」
「そりゃあ、わっちは幽霊ですからね。しかも、今では精霊にランクアップした上級霊。聖人レベルの僧侶じゃないと、わっちには手も足も出ないよ」
エイトゥスとシルバーバインが今にも殺し合いを始めそうなのに、この二人は呑気ですね。
二人にとっては慣れ親しんだ光景なのかもしれませんが、わたしは興味津々です。
だって四天王二人のガチバトルが始まるかもしれないんですよ?
しかも決戦の日まで二人が生存しているのは確定しているので、安心して鑑賞できます。
叶うなら、母にはこのまま目を離さずに観戦してほしいのですが……。
「そろそろ、本当にヤバいかな。ウィロウ、巻き込まれる前に逃げるわよ……って、ウィロウ!?」
何かを察した母がウィロウがいた方を向くと、すでにウィロウの姿はありませんでした。
母が憤慨して「あんのクソ幽霊! またあたしを置いて逃げやがった!」と言っていますから、これも日常茶飯事だったのでしょう。
母の悲痛な叫びを合図に二人の喧嘩は始まったのですが、その光景は想像を絶するものでした。
エイトゥスの戦法はある程度予想通りでしたが、シルバーバインが繰り出していた技の数々が、わたしの常識を覆してしまうほど常軌を逸していたのです。




