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母が遺した魔術、|対神決戦用大魔術。《The harlot of Babylon》はその名の通り、神と戦うために作られた魔術です。
神どころか転生者であるタムマロ様に敗れてしまいましたが、万物蹂躙用大魔術へ改良する前のフルスペックは欠陥こそあったものの、正に対神用と呼べる性能を秘めていました。
改良の過程でクラリスが扱える魔力量に合わせたので純粋な魔力出力は減少しましたが、無駄になっていた分の魔力をストックすることで、短時間ですが地面から離れても術式を維持できるようになりました。
外見にももちろん、手を加えています。
欠けていた左側の翼を作り、防御力を上げるために、オオヤシマの合戦衣装であるジンバオリの意匠を真似たローブを羽織らせました。
「フローリスト。ハチロウちゃんを頼みます」
「かしこまりました、クラーラ様」
大量の木片と化したヤマタノオロチ改からハチロウちゃんを救出してくれたフローリストは、「クラーラ様、クラリス嬢。御武運を」と言い残して、オオエ山まで退避しました。
ですが、想定される戦場には二人が退避したあたりも含まれるので……。
「広域絶対守護領域魔法」
クラリス・クラーラはハーロット・オブ・バビロンに組み込まれていた全ての魔術、魔法を引き継いでいます。
二人を戦闘の余波から守るために使った伝説級魔法、ウォールズ・オブ・ジェリコもその一つ。
この魔法は物理的、魔術的攻撃のみならず、次元や空間を飛び越えるような移動や攻撃まで防ぐフィールドを、オオエ山をスッポリ覆ってしまうほどの規模で展開できる防御魔法です。
古代魔法なので当然、わたしでも詠唱に十数秒から数十秒を要するほど呪文は長いのですが、クラリス・クラーラに搭乗した状態なら詠唱は必要ありません。
例えば、「あの辺にこのくらいの規模で」程度の大雑把な設定でも使えてしまうのです。
それこそが、母がハーロット・オブ・バビロンで目指した理想的な魔術、魔法の使用法。
巨大な身体や外見はオマケ、副産物。
いいえ、副作用とでも呼ぶべき不純物。
極端な例を挙げると、詠唱をせずとも腕を振るだけで炎や風などを発生させる魔術や魔法と同規模の現象を発生させることを目的に作られたのが、ハーロット・オブ・バビロンなのです。
「ねえ、クラーラ。前より視点が低いような気がするんだけど、あたしの気のせい?」
「気のせいではありません。以前は全高18メートルほどでしたが、わたしが改良を施したこのクラリス・クラーラの全高は14.8メートルですから」
「小っちゃくなっちゃったの? え? それ、大丈夫?」
「何の問題もありません。むしろ、小さくなったことで躯体を維持するための魔力は減少し、機動力も向上しているはずです。まあ、改良したのがわたしでなければ、搭載している魔術、魔法を不具合なく効率的に運用できるようにする過程で、躯体は肥大化していたでしょうね。たぶん、40メートル超になっていたと思います。それは何故か。ハーロット・オブ・バビロンが数百の魔術、魔法を搭載していながら18メートルほどのサイズに収まっていたのは、それらを運用するための術式が未完成だったからです。それらを問題なく運用するための術式を真っ当な方法で組み上げ、実現するためには膨大な量の魔方陣を必要とするため18メートルサイズではスペースが足りず、躯体は術式の数に比例して肥大化します。ですが、わたしは天才です。わたしは躯体ではなく別空間に術式運用用の魔方陣を描くことで躯体を15メートル以下にまで縮小しました。行く行くは衣服サイズまでコンパクトにしたいところですが……」
「はいはい。わかんないけどわかったから、うんちくは後にしてくれない?」
「あら、駄目ですか?」
「駄目に決まってるでしょ? クラーラがうんちくを垂れ流すのに夢中になっている間、ずっと攻撃されてたんだよ? 今も」
「それは知っています。でも、平気じゃないですか」
「そりゃあ、あたしが必死にさばいてるからね」
「それもわかっています。だからこそ、わたしは安心して解説ができたのです」
「はいはい。褒めてくれるのは良いけど、これからどうする?」
「そうですねぇ……」
現在進行形でクラリスが捌き続けているアベノ・セイメイ……オンミョウ合体サン・サインでしたか? の、攻撃は斬撃などの直接攻撃だけではなく、炎や水などの、ぱっと見は魔術にしか見えない中・遠距離攻撃も含まれています。
しかも、すべてが上級魔術数発分に匹敵するほどの威力。
クラリス・クラーラの性能による恩恵もありますが、軽く音速を超えている攻撃すべてを危なげなく捌き続けているクラリスの対応力は驚嘆に値します。
それ以上にわたしを驚かせたのは、サン・サインが巻き起こしている現象です。
「これほどの現象を起こしているのに、その全てが魔術的要素のない純粋な物理現象。シンプルですが、それ故に驚きです。さすがはチートの塊。原理も力の供給源も、まったくわかりません」
「分析もいいけどさ、そろそろどうにかしてくれない? 何て言うかコイツ、気持ち悪い。手応えがおかしいの。魔力込みの全力で殴ったり蹴ったりしてるのに、フワフワしてるの」
「フワフワしてる、ですか。抽象的過ぎますが……」
言いたいことはわかります。
魔力込みのクラリス・クラーラの打撃の威力は、平均して上級魔術数発分。斬撃や炎、水など手段は様々ですが、サン・サインと互角の攻撃力を有しています。が、サン・サインの攻撃は全て物理現象。
クラリス・クラーラに施されている対物理障壁を貫通するほどの威力はありません。
仮に魔術的な要素を持つ攻撃手段があったとしても、神話級魔法の直撃にも耐える対魔力障壁を超えるほどの威力があるとは考えづらいです。
対するサン・サインの防御は、観測した限りで言えば クラリス・クラーラよりも劣る。
左手に装着されて盾のような形状になった玄武の硬度は驚異的ですが、ボディの方はそれ以下。贔屓目に言って、スサノオより少し硬い程度です。
それなのに、攻撃が効いていない。
攻撃と防御の隙間を縫って何発も直撃しているのに、まったく破損していません。
「くっ……そ!」
「あ! 待て! 飛ぶなんて卑怯よ!」
回避も防御もし切れないクラリスの猛攻に焦ったのか、サン・サインは上空へと非難しました。
スサノオのように背中から何か噴射したわけでもなく、翼をはためかせたわけでもないのに、たった数秒で高度300メートルほどまで上昇したのです。
「考えられるのは重力制御ですが……。やはり、魔力の流れは観測できませんでした。あれ、どうやって動いてるんでしょう?」
「アイツがどうやって動いてるかなんてどうでもいいよ。それよりもどうする? あたしたちも飛ぶ? 翼があるんだから、飛べるんでしょ?」
「え? 飛べませんよ?」
「飛べないの!? 立派な羽がついてるのに!?」
「はい。だってクラリス・クラーラは、地に足を着けているからこそ龍脈からの魔力をほぼ際限なく使用できるのです。逆に言うと、地面から浮いてしまうとそれができなくなります。まあ、この欠点に関しては後々どうにかするつもりなので、今は我慢してください」
「いやいや、我慢してる間にやられちゃうよ。ほら、アイツは空からでもこっちを攻撃して来てるんだよ?」
「あの程度の攻撃なら効かないので、無視して結構です」
サン・サインは飛び上るなり、炎や水、風を使った遠距離攻撃をしていますが、さっきよりも距離が離れたせいで威力が減衰しています。
それでも、絨毯爆撃とでも呼べるほどの破壊を大地に及ぼしていますが、言った通り効かないので慌てる必要はありません。
「じゃあ、本当にどうするの? ジャンプして殴ることもできないんでしょ? ルナⅡを壊したアレを使う?」
「アレは威力こそありますが、あんなに小さくて動き回る目標に対して使うような術式ではありません。なのでここからは、わたしがやります。あなたは良い感じに、合わせて動いてください」
「いや、良い感じにって、注文が大雑把すぎるんだけど……」
と、文句を言われても、現状ではそれ以上の注文ができません。
だってそもそも、動かなくても次の一手で決まってしまうかもしれないのですから。
「行け、|攻防一体全方位攻撃魔術」
「ふぃ……ふぁ? え? 行けって何? なんか羽がバラバラになって飛んでってるけど、あれって大丈夫なの? 壊れたわけじゃないよね?」
「大丈夫、アレはああいう仕様です」
わたしの言葉とともに放った二十四のフィン・ファンネルは、空中のサン・サインに魔力光線によるオールレンジ攻撃を始めました。
サン・サインはその見た目からは想像ができないほどの速度と空中機動でかろうじて回避していますが、包囲からは抜け出せていませんが、このままこの状況を維持すればいずれ倒せる……と、思っているわけではありません。
魔力の補給ができないフィン・ファンネルは、基本的に使い捨て。サン・サインを倒せるほどの攻撃力はありませんし、あと数分もすれば充填してある魔力を使い切って土くれに還ってしまいます。
つまり、オールレンジ攻撃はブラフ。もしくは目くらまし。
フィン・ファンネルは、クラリス・クラーラに搭載されていてもなお詠唱、もしくは魔方陣を必要とするほど強力で、複雑な古代魔法を発動するための積層型立体魔法陣を空中に描くための媒体でしかないのです。
それが完成し、サン・サインが魔法陣に気付いたような挙動をとったのを合図に数ある古代魔法の中でも、|悲惨な結末を確定させる魔法とは別の意味で禁術に指定されている魔法を発動しました。
その神話級魔法の名は……。
「重力操作魔法」
この魔法がハーロット・オブ・バビロンに搭載されていると知った時は、さすがのわたしも戦慄しました。
この世界に「重力」という概念を根付かせたと言われている神話上の人物の名を冠したこの魔法は、ほんの少しでも制御をミスれば世界を滅亡させてしまいかねない禁術です。
大袈裟ではなく、人類や文明などの些末なことに収まらず、言葉通りこの星を滅ぼしてしまうほど危険な魔法です。
本来なら使えたとしても使うべきではないですし、たかだか二十メートルサイズの対象に使うべきではありません。
発生させた超重量で対象を空間ごと圧縮してしまうこの魔法を使ってしまったら対象が何であれ、どう控え目に言ってもオーバーキルになります。
でも、使ってみたかった。
ほんの少し制御をミスっただけで世界だけでなく、わたし自身も滅ぼしてしまいかねないスリルを味わいたい衝動を抑えきれませんでした。
対星用と言っても過言ではないこの魔法を完璧に制御して、本来なら惑星規模の破壊を超々小規模に納めてみたい欲求に抗えませんでした。
その結果は、意識が飛びかけるほど満足いくものでした。
クラリスに「ん? なんか、嗅ぎ憶えがあるけどないような変なニオイがする……」と、言わせるほど、わたしは成功しかけている実験に興奮してしまいました。




