7-21
山の向こう側から、地響きとも爆発音ともとれる音が、不規則にこだまして聞こえてくる。
状況はわからないけれど、この音が聞こえている内は戦いが続いているはず。
「ヴィーヴルさん。魔法陣はどんな感じ?」
「申し訳ありません、クラリス様。急ピッチで進めてはいるのですが……あと三十、いえ、十分お待ちください」
「わかった」
転移先の安全を確かめるための斥候役を買って出た大人十数人と子供たちを先導する大人たち、そして、子供たちとお別れをしているマタタビちゃんを眺めながら、ヴィーヴルさんに作業の進み具合を確認すると、芳しくない答えが返ってきた。
「待つことしかできないって、やっぱり辛いな……」
こんな気持ちになったのは、お姉様が亡くなった日以来だ。あの日も、タムマロにお姉様を助けてとお願いしたあたしは、待つことしかできなかった。
昔のことを思い出して気分が沈むんでしまったあたしは、子供たちとお別れを済ませて戻ってきたマタタビちゃんと話して気を紛らわすことにした。
「ねえ、マタタビちゃん。マタタビちゃんは本当に、ついていかなくてもいいの?」
「はいにゃ。うちはお姉さまと一緒が良いですにゃ」
「でも、あの子たちと友達になったんでしょ? さみしくない?」
「さみしいと言えばさみしいですにゃ。でも……」
「でも?」
「生きていれば、いつかまた会えますにゃ」
「そっか……」
生きていれば……か。
マタタビちゃんは何の気なしに言ったんでしょうけど、その一言はあたしのトラウマを刺激した。
あたしが会いたい人は、それが叶わない。
だからクラーラと一緒に旅に出て、気づけば世界の果て。
お姉さまを蘇らせるために最も遠いところまで来たのに、おかしなことになってきている。
ノリでなんとか自分を誤魔化して来たけれど、見えない糸で操られているような気持ち悪さがある。
「お姉さま? お、怒ってるにゃ?」
「え? ううん、怒ってないよ? どうして、そう思ったの?」
「だ、だって、怖い顔をしてたにゃ」
「怖い顔? あたしが?」
自覚はないけれど、あたしはマタタビちゃんを怯えさせてしまうような顔をしていたらしい。
反省したあたしは、それを償うためにマタタビちゃんを抱きしめた。
「ごめんね、マタタビちゃん。あたし、気づかないうちに寄り道をしようとしてたみたい」
「寄り道?」
「そう、寄り道。迷子になりかけてたって、言い換えても良いかな」
腕の中で、マタタビちゃんは首を傾げた。
そりゃあ、わかんないわよね。
言ったあたし自身、どうしてそんな表現をしたのかわかっていない。
でも、不確かではあるけれど、口に出すほどの違和感がある。
「お待たせいたしました、クラリス様。魔法陣が完成いたしました」
「そう、わかった」
マタタビちゃんを下ろしたあたしはヴィーヴルさんに、住人たちが集まっている魔法陣の縁へと案内された。
目の前には木製のトリイ。それを囲うように、粉末状にした魔石で描かれた直径二十メートルの魔法陣が広がっている。
そしてあたしの足元には、直径三十センチメートルほどの小さな魔法陣。
ここに手を置いて魔力を流し込めば、クラーラが設定した通りに魔法が発動する。
「ねえ、ヴィーヴルさん。最後に一つだけ、聞いても良い?」
「はい。何なりとお聞きください。ワタシに答えられる事なら、嘘偽りなくお答えいたします」
「じゃあ、遠慮なく」
聞きたいことは山ほどある。
でも、時間がない。
早く行ってあげないと、クラーラが危ない。
だからあたしは、たった一言に質問を圧縮した。
あたしが気になっていることのほとんどがわかりそうな質問を、小さな魔法陣に右手をそえて背を向け、一言だけ口にした。
「あなたたちは、魔王を恨んでる?」
あたしの問いかけに他の大人たちも、意味が分かっていないような顔をあたしへ向けた。
でも、ヴィーヴルさんは質問の意図を理解してくれたみたい。
「恨むなど、とんでもない。魔王様が導いてくださったからこそ、今のワタシたちがあるのです。もしも魔王様がいなかったら、ワタシたちは恨むことすらできなかったでしょう」
「そっか。うん……。十分すぎる答えだわ」
あたしはそう返すなり、魔法陣に魔力を流し込んだ。
クラーラから事前に聞かされてはいたけれど、とんでもない勢いで魔力が吸われて行く。
住人たちが門を潜り終えるまでおよそ十数分。
たったそれだけの時間でも、あたしの魔力をすべて吸い尽くしてしまいそうなほどの勢いで魔力が吸い取られている。
「行って。あなたたちが向こう側に辿り着くまで、この門はもたせて見せる」
あたしの合図に従って、まずは斥候が門をくぐった。
向こう側で斥候が「来い」と合図をすると、子供たちを連れた後続が門をくぐり始めた。
この時点で、満タンだった魔力の半分が持っていかれた。
子供たちが門の向こう側へ行く頃には、八割ほどなくなっていた。
そして最後尾のヴィーヴルさんは、門をくぐり終えてから、あたしに頭をさげながら言った。
「お世話になりました、クラリス様。この御恩は、一生忘れません。ですが最後に一つだけ、言ってもよろしいでしょうか?」
「良いよ。何?」
正直に言うと、今すぐ魔方陣から手を離したい。
でも、聞かなきゃいけないと思った。
それを聞かなかったら、一生後悔すると何故か思えた。
いや、違う。
あたしの本能が、聞けと警告した。
「これはフローリスト様も知らない、魔王様がワタシに預けたあなた様への伝言でございます。本当に、聞きますか?」
「ええ、聞くわ」
「では、申し上げます。『どちらを選択しても、あなたの愛する人はいなくなる』で、ございます」
「……そう、肝に銘じておくわ」
門が閉じる寸前に「あなた様の人生に、幸多からんことを」と、言いながら頭を下げてくれたヴィーヴルさんを見送ったあたしは、伝言を頭の中で吟味した。
あたしが胸を張って愛していると言える人は、お姉さまとタムマロだけ。
あたしがこの先何をして、どう選択したらそうなるのかはわからないけれど、スッキリした。
だってヴィーヴルさんは、「どちらを」と言った。
「どれを」ではなく、「どちらを」と言った。
つまり、選択肢は二つ。
だったら、悩む必要なんてない。
選択の時が来るまでに、三つ目以上を用意しておけばいい。
短絡的だとクラーラには嗤われるかもしれないけれど、選びきれないほど魅力的な選択肢をたくさん用意しておけばいい。
望まない選択肢に繋がりそうな芽は、見つけるたびに摘んでしまえば良い。
「マタタビちゃん。あたしにマタタビちゃんのギフトを使って。そのあとは、あたしたちが戻ってくるまで隠れててね」
「了解だにゃ」
だからあたしは、とりあえずクラーラを助けに行くことにした。
魔描族化した脚力で山を駆け上がり、何故か真っ黒に焼け焦げている山頂を跳び越えて、山の麓に広がる平地で金属製の何かと戦っているクラーラの元へと急いだ。




