7-16
魔王軍残党の集落に来て早二日。
わたしの指示のもと、魔竜軍に所属していた人たちをメインに魔方陣を改良してもらっています。
その傍らで、すっかり子供たちに懐かれたクラリスは、マタタビと一緒に子供たちと遊んでいます。
ですが、ハチロウちゃんはわたしのそばから離れようとしません。
時折、羨ましそうにマタタビたちの方を見はするものの、わたしが魔方陣を改良している人たちに指示を出すと、内容を一言一句聞き逃さないと言わんばかりに聞き入っています。
「ハチロウちゃんは、あの子たちに混ざらなくてもいいのですか?」
「ボクは良いよ。クラーラお姉ちゃんに魔術を習っているほうが楽しいから」
「でも、種族は違いますが、同年代の子供と遊ぶ機会はこの先ないかもしれませんよ?」
「それは、そうかもしれないけど、遊ぶよりクラーラお姉ちゃんに魔術を習いたいから……」
言い終えるなりうつ向いてしまいましたが、本当はマタタビや子供たちのように、ハチロウちゃんも歳相応に遊びたいのだと思います。
これはわたしも意外だったのですが、魔族と総称されている各種族たちには、差別という概念がありませんでした。
姿形や能力に差があっても、感情があり、言葉で意思疎通ができる。
それだけで魔族たちは互いに差別せず、尊敬しあっているそうです。
「人の形をしていて心があれば、体が何で出来ていても、どんな形をしていても人間だ。でしたか?」
「魔王様が遺したお言葉ですね。ええ、そうです。そのお言葉に胸を打たれたから、多種多様な魔族がほぼすべて、魔王様を信仰して従ったと、従軍していた父上は言っていたそうです」
「ハチロウちゃんのお父様も、魔王軍に加わっていたのですか?」
「はい。ボクが生まれる前に魔王軍に参加したので会ったことはありませんが、兄が言うには、父上はエイトゥス様の副官として立派に戦ったそうです」
「エイトゥスの副官? パッと思い出せるのは、九つの首を持ち、九種類の魔術を同時に使ったと伝えられているヒュドラですが……」
「あ、それが父上です。オオヤシマにいた頃は、クズリュウと名乗っていたそうです」
これは驚きです。
保有魔力量が多く、魔術を扱うセンスも良いので、鍛えればわたしに次ぐ魔術師になれるとは常々思っていましたが、まさかハチロウちゃんがヒュドラの身内だとは夢にも思いませんでした。
これは、鍛え方を考え直さなければいけませんね。
ハチロウちゃんの魔力の色は深緑。
木と水と土の三重属性です。
伝え聞くヒュドラは九種類の魔術を同時に使えはしたものの、威力も精度も中途半端だったそうです。おそらく、自身の魔力属性を考慮せずに、習得している魔術をただ使っていただけなのでしょう。
それを反省点とするなら、ハチロウちゃんには深緑の魔力と相性の良い魔術だけを教えるべきでしょう。
と、頭の中でカリキュラムを組み始めた矢先に、魔方陣の作業風景を眺めながら近づいてきたフローリストに声をかけられました。
「順調かい? お嬢さん」
「ええ、順調ですよ。さすがは魔術院を凌ぐ魔術師の集まりとも称された元魔竜軍。解説をしなくとも、わたしの指示を理解してくれるので楽です」
「彼らはエイトゥスに鍛えられたからね。それも当然だろう」
「エイトゥスに鍛えられた? 伝え聞くエイトゥスは、自信過剰で我が儘。失敗した部下は容赦なく処刑していたはずですが?」
「それは、歪んで伝わっているね。あの子はプライドが高く、真面目だっただけさ」
「あの子……ですか」
どうやらフローリストは、エイトゥスを「あの子」呼ばわりできる程度には年上のようですね。
ですがこの人、何歳なのでしょう?
人間が魔族の年齢を外見で判断できないのが原因で魔族は長寿だと誤解されていますが、実際は人間と大差ありません。摂取した血液量で寿命が延びる吸血種やヤナギの祖先である長寿族ですら、確認されている最長は二百歳程度。
魔王と魔王四天王が初めて文献に登場したのは、およそ百年前なのに、ドレスから辛うじて覗く胸元や両手の肌艶をから判断する限りだと、二十代後半から三十代前半。
つまりフローリストは、何らかの方法で若さを保ちながら、最低でも百数十年もの年月を生きてきたことになります。
その方法にも興味はありますが、わたしの知識欲は、彼女とエイトゥスの関係の方に惹かれました。
「フローリストさん。少し、二人きりでお話がしたいのですが、よろしいですか?」
「あたいはかまわないが、指示出しの方は良いのかい?」
「必要な指示は出し終わっているので、問題ありません。ハチロウちゃんもほら、しばらく、マタタビたちと遊んでいらっしゃい」
「え? でも……」
「休憩と息抜きは大切です。だから、ね? わたしはハチロウちゃんに、無理をさせたくないのです」
「わ、わかった……」
渋々ではありましたが、それでもしばらくすると、ハチロウちゃんは子供たち同様に、年相応の笑顔を浮かべて遊び始めました。
それを見送るように踵を返したわたしは、フローリスト用に入り口が大きく作られた小屋に招かれ、床に埋め込まれている暖房と調理を兼ねた、イロリと呼ばれるオオヤシマ特有のインテリアを挟んで座りました。
「で? 話とはなんだい?」
「魔王の……いえ、魔王とあなたたち四天王のことを、少し聞きたいと思いまして」
「……それを聞いて、どうするんだい?」
「ただの、知的好奇心です」
半分は。
もう半分は、夢を見て感じた違和感。その正体の答え、もしくは、最低でもヒントが得たいのです。
ですがフローリストは警戒しているのか、自ら何かを語るつもりはないと言わんばかりに押し黙っています。
「その沈黙は、質問を許可されたと判断します。ああ、もちろん、答えたくなければ答えてくれなくてもかまいません。では、一つ目の質問。魔王の名前を、教えていただけますか?」
「……言えない」
やはり、答えてはくれませんか。
夢で魔王は女性だと知っていますが、名前が分かれば命名パターンから種族を特定できると思っていただけに残念です。
「では、二つ目の質問。あなたたちは、どうやって若さを保っていたのですか?」
「魔王様とエイトゥス、シルバーバインは、老化抑制魔術と状態維持魔術で体を維持していた」
「あなたは? あなたに魔術の類は、効果がありませんよね?」
「日々の運動とスキンケア、健康的な食事……と、言いたいところだが……」
そこまで言って、フローリストは左手の甲を、右手で軽く引っ掻いて皮をめくりました。
その下にあったのは、骨ばった老人の手です。
「あたいの糸は色々と応用が効くからね。動きにくくはなるが、こうやって二十代の肌に見せかけることもできる」
「なるほど。では、その仮面は本来の意味通り、素顔を隠すためだったのですね」
「ああ。糸で顔は作れても、表情は作れないからね。お婆ちゃんの顔で良いのなら、仮面を取って見せるが?」
「遠慮しておきます。では、三つ目の質問を……」
「なあ、お嬢さん。腹の探り合いはやめにしないか?」
「探り合い? 何のことでしょう?」
「お嬢さんは魔王様やあたいたちの過去を知るついでに、別の事を探っているんだろう? それは何だい?」
「おやおや、見破られてしまいましたか」
べつに隠すつもりはなかったのですが、気づかれてしまったのなら仕方がありません。
ストレートに、聞きたいことを聞いてしまいましょう。
ですが、先手は打たせてもらいます。
「魔王は金髪碧眼で、スレンダーですが胸とお尻にボリュームがない女性。そうですね?」
「……どうして、それを知っている」
「いいえ、知りませんでした。あなたの答えを聞くまでは」
夢を通して、魔王が女性であることは知っていました。
ですが、身体的特徴に関しては、予想でしかありませんでした。
予想で終わってほしかった。
「ブリタニカ王国では特に顕著ですが、金髪碧眼に代表される身体的特徴は、血統にこだわる貴族特有の風習に近い物です。それを有し、さらに、魔王由来としか考えられない魔力を持つ人物が、一人だけいます」
「回りくどいねぇ。ハッキリと言ったらどうだい?」
「では、言わせていただきます。魔王とは、規格外の魔力を持った人間。わたしのパートナーであるクラリスは、魔王の血に連なる者ですね?」
「どうして、そう思う?」
初めて魔王の夢を見た日から、どうしてクラリスの魔力を大量に、長時間吸うと魔王の夢を見るのかが不思議でした。
原因は間違いなくクラリスの魔力なのに、魔族の王である魔王と元孤児で娼館育ちのクラリスが、どうしても結びつかなかったのです。
ですが、魔術的に考えれば、何の不思議もありませんでした。
前例があるからです。
ブリタニカ王国立魔術院で一級を冠されながらもその特異さから序列を与えられず、番外とされている一族。
クロウリー家の人間が、培った知識と魔力を次代へ受け継がせる秘術を用いているからです。
「クロウリー家の秘伝魔術、疑似転生魔術。わたしですら術式の一端すら知らないその魔術と似た魔術を魔王が使っていたとするなら、すべて説明ができます。クラリスはある日突然……いいえ、誤魔化すのはやめましょう。クラリスは以前、お姉さまと呼び慕っていた女性が亡くなった際にギフトに目覚めたと言っていました。ですが、これはありえません。ギフトとは生来のもの。自分の才能がギフトによるものだと自覚できないことはあっても、あれほどの魔力が突然目覚めるなんてことは、知られている限りあり得ないのです。つまり、血縁者であるクラリスに、魔王は先の魔術と似た魔術を使って魔力を授けたと仮定できます。魔王の没後数日のタイムラグが生じたのは、距離のせいでしょう。どうですか?」
「クロウリー……か、懐かしい名前を聞いたね。あのろくでなしの血は、まだ続いていたのか……」
「それは、わたしの仮説が合っている。と、受け取っても?」
「六割……いや? 四割だね。赤点だよ、お嬢さん」
「八割方合っていると思っていただけに、ショッキングな評価ですね。ちなみに、答え合わせはしていただけるのですか?」
「ああ、もちろんさ。まず、リーン・カーネーションはクロウリー家の秘伝魔術じゃあない。あれは魔王様が、うだつのあがらないはぐれ魔術師だったアレイスター・クロウリーに、百年かけて煮詰めろと言って授けたのものだ」
「クロウリー家が魔王と通じていたとは、初っ端から驚かされました」
クロウリー家の人間は序列番外ですが、研究している魔術の特異性から疑似的とは言え不老不死を実現し得ると目されていて、魔術院でも強力な発言権を持ち、血縁でもないのに特例で、ブリタニカ王国国王の親類とされて公爵の位を授かっている名家中の名家です。
それほどの家系の起源が魔王に起因していた。
これだけでも一国家を揺るがす大スキャンダルなのですから、驚くのは当然です。
「その顔、本当に驚いているようだね。うん、満足だ。では、もっと驚かせてあげよう」
「これ以上、驚かなければならないのですか? ならば、わたしの予想が赤点なのも納得です」
「そんなに卑下するものじゃない。金髪のお嬢さん……クラリス嬢が魔王様の血縁ではないかと疑ったのは、良い線いっていたよ」
「それは、魔王の血縁者が存在している。と、受け取ってもよろしいので?」
「ああ、存在する。百年前の世界に飛ばされてから約一月後に発覚し、魔王差がお腹を痛めて産み落とした遺児は、たしかに存在する。今、この時も」
「え? 魔王の子供は、ご存命なのですか?」
「そう、生きている。艶やかな黒髪と、薄茶色の瞳を持って生まれたあの子は美しく、聡明な女性に成長してくれた」
黒髪? 薄茶色の瞳? 美しく聡明な女性?
フローリストがわたしを見ながら言ったからかもしれませんが、まるでわたしがそうだと言っているように聞こえました。
「あれは、あの子が八歳の時だ。魔王様は、あの子に……あなた様にとある魔法を使った」
「ちょ、ちょ、ちょっと……」
「時空間転移魔法。それを使って、魔王様はあなた様を未来のブリタニカ王国、その首都、ロンデニュウムへ転移させた」
「待ってください! それ……え? あなたの言ったことを信じるのなら、わたしは、わたしは……」
「そうです、クラーラ様。あなた様は紛れもなく、魔王様がお腹を痛めて産んだご息女。魔王様がクロウリーの研究成果を元にして創った魔術でクラリス嬢に譲渡した、記憶を内包させたギフトで産み出される魔力を使用しても体に異常をきたさないのがその証拠でございます」
「いやいや、いやいやいやいや……」
これはさすがに想定外。
わたしが魔王の娘? 生まれたのは百年以上前? クラリスの魔力を使っても体に異常がなかったのは、クラリスの魔力の源が元々魔王のギフトだったから? わたしが魔王の、娘だったから?
とてもじゃないですが、信じられません。
クラリスが魔王の実子だと言われた方が、まだ納得できます。
「狼狽しておられますね。ですが、それもしかたありません。あなた様には、八歳以前の記憶がないでしょうから」
たしかに、ありません。
気が付いたらわたしは、薄暗い路地裏で生ごみを頬張り、泥水を啜っていました。
それ以前の記憶は、霞がかかったように曖昧で思い出せません。
「あなた様はエイトゥスに、特に懐いていました『大きくなったらエイトゥスと結婚する』などと言って、魔王様とエイトゥスを困らせていました」
「やめ、やめて……」
「あなた様はシルバーバインの背に乗って、草原を駆けるのがお好きでした。『ちょうどいい筋トレになる』と言って、あなた様が飽きても駆け回るシルバーバインを皆で止めたのを今でも覚えています」
「だから、やめてと……」
「今でも、幽霊は苦手ですか? あなた様が驚くのを面白がったウィロウが悪ノリしたせいではありますが、もしもアレがトラウマになっていたとしたら、姉であるあたいの責任でもあります」
「やめて! やめてください!」
わたしは思わず立ち上がり、切りが晴れるように蘇って来た記憶とフローリストの言葉を遮るために、大声を出しました。
次いでわたしがしたのは、否定でした。
「わ、わたしは孤児です。親はいません。神父様に拾われるまで、ネズミのような暮らしをしていました」
「それは魔王様に代わって、お詫び申し上げます。あの当時、魔王様がクロノスを覚えたばかりだったのに加え、人間どもの追手から逃げる最中だったが故に、転移先を詳細に選べなかったのでございます」
「わたしは人間です! 混じりっ気なしの、正真正銘の人間です! わたしが魔王の子だと言うのなら、魔王も人間だと認めることになってしまいますよ!?」
「ええ、その通りでございます。魔王様も、御父上も正真正銘の人間でございます」
「わたしには魔力がありません! 魔力生成量、総魔力保有量が血筋に起因するのは魔術院の研究で明らかになっています! それなのにわたしには、ほとんど魔力がありません! それに従うのなら、魔術史上、もっとも多く強大な魔力を有していた魔王の子であるはずがありません!」
「魔王様の魔力は、ギフトによるものでございます。ギフトなしの魔王様の魔力があなた様と同等、それ以下だったとすれば、何の不思議もございません」
「では、では……。髪……そう! 髪! そして瞳の色! あなたはわたしの予想を肯定しました! 魔王は、金髪碧眼だったはずです! ですが、わたしにはその特徴が遺伝していません!」
「御父上が黒髪、黒目だったからでございます。あたいは詳しくありませんが、たしか、後者の方が遺伝的に有利だったはずでございます」
フローリストはわたしの否定を冷静に、冷酷に潰しました。
その冷たさはわたしに封印されていた過去の日常を思い出させ、彼女が語ったことが事実なのだとわたしに強制しました。




