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「お馬鹿クラリス。わたしの話を聞いていなかったのですか?」
先ほど通り過ぎた砦にも、獄炎顕現魔術相当の炎が広範囲爆破魔術並みの範囲で爆発炎上しているはるか先の牙城にも財宝がある可能性があったのに、クラリスは容赦なく破壊しました。
「あの火力では、サンケベツも消し炭でしょうね」
と、いうことは、この数日間の労力がすべて無駄になったということ。
ヨシツネ様の財宝も、サンケベツの賞金も手に入りません。
クラリスが暴走したせいで、タダ働きになってしまいました。
「はぁ……。もう走らずに、のんびり行き……いや、ちょっと待ってください」
サンケベツは三つの砦を囮にして部下を潜伏させ、こちらの裏をかきました。
異常進化しただけの動物が戦術を用いたのです。
だとするなら、牙城も囮だったのでは?
サンケベツは、あそこにはいないのでは?
「たしか、牙城の背後は切り立った崖。つまり、それ以上先へは進めません。これ、もしかして追い込まれていませんか?」
サンケベツが戦術の概念を持っているのなら、十分あり得ます。
なので全探知系魔術の範囲をクラリスの魔力無しで可能な限り広げ、精度もあげつつ、行軍を止めようとしました。
しましたが、遅かったようです。
背後から犬たちの悲鳴とウェンカムイたちの足音。破壊音。
それらが後ろから迫ってきています。
「やはり、追い込まれましたか」
わたしたちは行軍をやめることを許されず、焼け野原と化した牙城跡地に追い込まれました。
そこには魔力のほとんどを使ってしまったせいか、こちらに背を向けてへたり込み、肩で息をしているクラリスだけ。
ならば勝機はあります。
わたしたちの戦力なら、ここでウェンカムイたちを迎え撃って全滅させるのは容易です。
「クラーラ! ストップ! こっちに来ちゃ駄目!」
こちらを振り返らずに、クラリスはわたしたちを静止しました。
それとほぼ同時に、崖から熊の右前足が生えました。
ええ、生えたとしか言いようがありません。
その前足はわたしの距離感を狂わせるほど太く、長かった。
少し遅れて生えて来た、頭頂部の毛が赤く染まり、左目が潰れた頭部も巨大で、その口はクラリスを丸飲みにできそうなほど大きくて禍々しい。
それらから推定できる体長はおよそ20メートル。
実際に見ても信じられない大きさです。
元は熊のはずなのに、何がどうなればあそこまで巨大化できるのでしょうか。
あのレベルの巨体は八十八匹の獣にも数頭しかいませんでした。
「いや~、やられた。まさか、崖に隠れてるなんて思わなかったわ」
サンケベツは振り上げた右前足でクラリスを潰すつもりなのでしょう。
ですが、クラリスは動こうとしません。
まさかほとんどではなく、魔力を使い果たしている?
ならば防性魔術をと思い、そうしましたが、詠唱が終わり、対物理防御魔術を施すよりも、サンケベツの攻撃が少しばかり早かった。
クラリスを包んでなお余りある巨大な前足が、クラリスを地面ごと叩き潰しました。
「ちょっ! クラーラちゃん! あれ、ヤバいんじゃない!?」
「ヤバいですが、クラリスは死んでいません」
わたしとクラリスは、片方が死ねばもう片方も死ぬ契約術式で結ばれています。
つまり、わたしが生きている時点でクラリスも生きています。
「まあ、無傷ではないでしょうが、生きていればどうにでもなります。それよりも皆さん、迎撃態勢を。相手が相手なので、サンケベツの相手はわたしたちがします。後方のウェンカムイたちは皆さんにお任せしますが、文句はありませんね? ああ、心配なさらずとも、トドメはお譲りします」
チカパシとユキホ、ついでにギンガを見ながら言うと、三者は不満そうな顔をしながらも首肯しました。
ギンガを筆頭にオウウ軍は後方へ展開し、チカパシとユキホはその後方で射撃体勢に移行。ヤナギはマタタビを抱えていつでも逃げられる態勢を取り、オハナとハチロウちゃんはわたしを守るように左右を固めてくれました。
「で? どう攻めるんだい? クラーラ嬢。クラリス嬢がいなけりゃ、トウキョウで使った巨人はつかえないんだろう?」
「最初から使うつもりはありません。それより、ハチロウちゃんとオハナはヤナギとマタタビを守ることに注力してください」
「でも、それじゃあクラーラお姉ちゃんが詠唱中、無防備になっちゃうよ? それに、魔石の魔力もほとんど使い切っちゃってるんでしょ?」
「片翼の腕輪の魔力を使うので、問題ありません」
わたしはハチロウちゃんの頭を撫でながら諭し、崖から這い上がってわたしたちを見下すサンケベツを睨みました。
サンケベツはわたしを挑発するように、クラリスを潰したままの前足をグリグリと地面に押し付けています。
「さて、それではまず、クラリスから助けましょうか」
今のわたしが使えるのは、バングル・オブ・フリークスに貯めてある神話級一発分のみ。
詠唱はおそらく許されない。
魔力を解放した途端に、サンケベツはわたしを攻撃するでしょう。
「まったく。魔術師としてまことに遺憾ですが、この際、仕方ありませんね」
わたしは「解放」と唱え、魔力を解放しました。
途端にサンケベツが左前脚を振りあげましたが、今回はわたしの方が少し早い。
何故なら、詠唱するつもりなど端からないのです。
わたしは解放した魔力を、魔術に変えずそのままサンケベツに向けて放出したのです。
非効率でもったいない使い方ですが、神話級魔法一発分の魔力はサンケベツをのけぞらせ、崖際まで後退させました。
「動けますか? クラリス」
「なんとか……ね」
わたしはクラリスに駆け寄り、魔石に少しばかり残っていた魔力で初級治療魔術をかけました。
頭から出血していますが、他に大した怪我はなさそうです。
「魔力残量は?」
「上級魔術一発分ってとこかな」
「ふむ、思っていたよりは残っていますね」
回復したクラリスが立ち上がり、構えると、サンケベツも体勢を立て直し、吠えてわたしたちを威嚇しました。
「どうする? 腕輪の魔力、使っちゃったんでしょ?」
「ええ、すっからかんです。なので、まずは補給します」
「どうやって?」
「こうやるのです」
わたしはハーロット・オブ・バビロンに組み込まれていた龍脈との接続術式を「接続」の詠唱とともに発動し、龍脈とクラリスを接続しました。
これで、クラリスの魔力は徐々に回復します。
わたしもクラリスの魔力を、遠慮なく使えます。
「へえ、こんなことできたんだ」
クラリスはゴールデン・クラリスを発動し、指をボキボキと鳴らしながら数歩わたしの前に出ました。
「あなた以外には使えませんし、使う機会がありませんでしたから」
わたしは杖を構え、後ろ脚だけで立って両前脚を軽く掲げたサンケベツを見上げました。
「救世崩天法、皆伝。異種超級二等武神、クラリス・コーラパール」
「元魔術院序列三位。特級魔術師。虚言の魔女、クラーラ・メリン」
そして、順に名乗り、次いで……。
「さあ、かかってきなさい熊野郎」
「フルボッコにして差し上げます」
と、通じているかわからないのに挑発して、戦闘を開始しました。




