10-4
「クラーラ! 結界でも張ってみんなを守って! ハチロウくんはマタタビちゃんをお願い! 前はあたしがやるから、オハナさんは後ろをお願い!」
積もっていた雪を舞い上げて現れたのは、体長5メートルほどの大きさの四匹のクマ。
クラリスは指示を飛ばしつつマタタビをハチロウちゃんに預け、飛び掛かって来た正面のクマを殴ろうと右拳を肘ごと脇の奥へ引き絞り、腰を落としました。
ですがマタタビを預けたのと、スネの辺りまで雪に足が埋まっていたせいで挙動がワンテンポ、いえ、ツーテンポ遅れてしまったようです。
あれではクラリスの拳が着弾するよりも早く、クマの爪がクラリスの届きます。
「まあ、届いたところで……」
クラリスならばゴールデン・クラリスと呼べるほどの魔力を纏わなくてもノーダメージ。
心配するだけ無駄……だったのですが、掬い上げるようなクマの一撃を防御したクラリスは後方へ弾き飛ばされてしまいました。
「ふむ。獣のくせに頭が良いですね」
クラリスは魔力のおかげで攻撃力も防御力も高いですが、体重は見た目相応。
つまり、軽いです。
そんなクラリスがあんな攻撃を食らったら、足の裏から地面に根でも張っていない限りああなるのは当然。仮に腕力勝負になったとしたら、組んだ瞬間に相手をねじ伏せられなければ持ち上げられて投げられて終わり。
わたしが知る限り、最も致命的なクラリスの弱点です。
「クラリス。援護は必要ですか?」
「いらない! あ、でも、正面と左の奴はクラーラがなんとかして!」
わたしの提案をクラリスは空中で体勢を整えながら拒否しましたが、クラリスをすくい投げたクマはわたしに押し付けました。
まあ、それは仕方がありませんね。
左にいるクマが投げ飛ばされたクラリスの落下を、両前足を広げて今か今かと待ち構えていますし、正面と左側のクマは半球状に張った対物理防御魔術の結界を殴ったり引っかいたり体当たりしたりしていますから。
「ハチロウちゃん。実戦課題です。わたしたちを攻撃している二頭のクマを、その場から動かずに無力化しなさい」
「う、うん。わかった!」
良い返事です。
ハチロウちゃんは応じるなり木槍魔術でクマたちの四肢を貫いて空中に張り付け、氷刃魔術で頸動脈のあたりを斬り裂いて出血させ、脱水魔術を応用して血抜きをしています。
おそらくハチロウちゃんが与えた野菜を不味いと言い、肉が食べたいを駄々をこねたクラリスの食料にするつもりなのでしょう。
「救世崩天! 外典の弐! 爆炎光拳!」
それが終わる頃になってようやく、右拳の先に直径3メートルほどの火球を産み出したクラリスが降って来て、右のクマにそれを叩きつけました。
いつの間にそんな芸当が出来るようになったのかは疑問ですが、術式を介さずそんな真似をしたこと自体には驚いていません。
だって、母がやっていましたから。
ならば、後の母だと思われるクラリスができたって不思議じゃありません。
ありませんが、その被害が甚大です。
「クラリス。もうちょっと加減が出来なかったのですか?」
「いやぁ……ごめん。思い付きでやってみたんだけど、まさか周りが焼け野原になるほど威力があるとは思わなかったよ」
「焼け野原? この惨状を目の前にして、よくもまあそんな控え目な表現ができましたね。更地ですよ? 目算で半径500メートルほどが、あなたの炎にあぶられて一瞬で気化した雪が水蒸気爆発を起こして周囲は更地です。せっかくあなたのためにハチロウちゃんが丁寧に血抜きしたクマも消し炭ですよ。ああ、そうでした。わたしがとっさに対物理防御魔術を広げなければ、オハナも消し炭になっていました」
「え、えっと、あの……」
「ごめんなさいは?」
「い、いや、でもね? あたしは……」
「なるほど。あなたは思い付きで仲間まで危険にさらすようなことをしておいて、謝罪の一つもできないのですね? ハチロウちゃんがあなたのために確保したクマ肉まで炭にしたのに、ごめんなさいの一言も言えないのですね?」
「違っ……! 違うの! あたしはただ……!」
「ただ、何ですか? まさか、弱点を突かれてムカついたからつい本気でやっちゃった。とは言いませんよね?」
「うぐっ……!」
苦虫を食い潰したような顔をして真っ平らな胸を両手で抑えたのを見るに、どうやら図星のようです。
と、言うことは、わたしが認識していたようにクラリスも自分の弱点を認識し、気にしていたと言うことになります。
「あなた、もしかして自分よりもフィジカルの高い相手に嫉妬、もしくは苦手意識があります?」
「そりゃあ、あるよ。あたしは魔力のおかげでそういう相手ともやり合えてるけど、さっきみたいに不意を突かれたら何もできないんだもん。あたしからすれば、恥以外の何物でもないよ」
悔しそうに顔を歪めてそらしたのを見るに、本当にそう思っているようですね。
だったら対応策を考えればいいのに。と、思ってしまいますが、戦闘力の大部分をその膨大な魔力に依存しているクラリスからすれば逆に難しいのでしょう。
だって仮にフィジカルが勝っている相手と戦っても、先ほどのように投げ飛ばされるだけ。
その後に先ほどのように反撃すれば、たいていの相手は言葉通り消し炭になってしまうのですから。
「あなたの弱点と救世崩天法の理念は、相反していますね。ですが、相性が悪いわけではない。むしろ、救世崩天法があなたの弱点を補っています。それでも、やはりフィジカルで敗けると悔しいのですか?」
「悔しいしムカつくよ。だって、あたし自身は敗けてるんだもん」
わたしには理解できませんが、おそらくクラリスは魔力に頼らなくても頼った状態と同じくらい……いえ、少し違いますね。
クォン様のように、魔力による強化はあくまでも補助程度にしたいのでしょう。
が、それは非常に難しい。
クォン様はアリシア様に比肩するほどの魔力持ちで見た目でわかるフィジカルモンスターです。培った戦闘技術もクラリスを遥かに上回ります。
つまりクォン様にとっては、魔力による強化は本当に補助でしかない。
たぶんクォン様なら、わたしたちを襲ったクマたちを魔力無しで倒してしまうでしょう。
クラリスが目指しているのはその境地なのでしょうが、それは不可能です。
何故なら、クラリスは女でしかも華奢な部類。
そのクラリスがいくら体を鍛えたところで、クォン様のようにはなれません。
さらに魔力を補助程度にするなどもっと不可能。
神話級魔法を十数回使ってもなお余りある量の魔力をクラリスの低いフィジカルに合わせて補助程度に使うなどナンセンス。
宝の持ち腐れになります。
それをわたし以上に理解しているからこそ葛藤し、不意を突かれて弱点が露呈するとその後を考えないほど過剰に攻撃してしまうのでしょう。
ですが、それはそれ。
クラリス自身が解決すべき問題なので、それに巻き込まれたわたしたちに謝罪をしない理由にはなりません。
「で? ごめんなさいは?」
なので追い打ちをしました。
するとクラリスは目尻に涙を浮かべるばかりか全身を小刻みに震わせて早大に悔しがったあと、意を決したように地面にちょっとしたクレーターができるほどの勢いで頭を叩きつけて、「ずびばぜんでじだ!」と、歯軋りしながら土下座しました。




