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昨日の晩は、オオヤシマに来てから最悪の一晩だったと言っても過言じゃない。
オハナさんが糸で作ってくれたテントの外は用足しに行くだけで死を覚悟しなきゃいけないほど寒かったし、ご飯は一握りの干し肉とハチロウくんが魔術で種から成長させた野菜だけ (ちなみに、土で育ててないからか水っぽいだけで美味しくない)。
幸いなことにテントの中は暖かかったけど、逆に言えばそれしか良いことがなかったわ。
「肉。クラーラ。あたしは肉が食いたい」
「お肉なら昨日食べたでしょう? その歳でボケが始まったんですか?」
「違う。クラーラが言ってるのは干し肉であって肉じゃない」
「干してあっても肉は肉です。何が違うんですか?」
「ぜんぜん違うよ! 固いし肉汁は欠片もないし顎が疲れるし口の中がからっからに乾くじゃん! あんなの肉じゃないよ! ただの干し肉だよ!」
「だから干し肉ですよ。やっぱりボケが始まっていませんか?」
いや、自分でも馬鹿な事言ってるなとは薄々思ってた。
でもあたしは、自他共に認める大食漢かつ美食家。
さらに言うなら、娼館ではあるけれどそこらの三流貴族顔負けの居住環境で寝起きして育った。
そのあたしが、一歩外に出れば即凍死してもおかしくない環境で一束いくらの干し肉と水気だけで味気のないクソ不味い野菜で満足できるはずもない。
「クラーラーぁ! お肉ぅぅぅ! 採れたて新鮮で脂身たっぷりのお肉を血の滴るようなレアで食ぁべぇたぁいぃぃぃぃ!」
「この環境下でそんな肉が手に入ると思いますか?」
「探せばいるよ! そこらで冬眠してる動物を襲って食べよ!」
「思考が野蛮人どころか獣です。あなたの気持ちもわからなくはないですが、ここら辺一帯はわたしたちとっては未開の地。仮に冬眠している動物を運よく見つけて狩れたとしても、調理法がわかりません」
「大丈夫! だってあたしらのパーティーには狩りと料理が得意な……!」
「マタタビがいるのはわかっていますが、当のマタタビは寒さにやられて、あなたの背中で冬眠寸前です。役に立ちません」
あたしの背中でスヤスヤと気持ちの良さそうな寝息を立てているマタタビちゃんを見て、猫って冬眠するんだっけ? と、頭の片隅で思ったけれど、今それを考えても詮無いだけ。
他の手段を考えないと、飢え死にしないまでもあたしのストレスが限界を突破する。
「この辺りって、集落とかはないの?」
「ヤナギの報告では、海岸沿いに出るまで人が住んでいる形跡はなかったそうです。まあ、それも当然ですね。なんせわたしたちが進むこの一帯は昨日の晩に説明した通り、サンケベツをリーダーとしたウェンカムイたちの縄張りなのですから」
「サンケベツにウェンカムイ、ねぇ。どうしてそんな危ないモンスターが、今も討伐されずに我が物顔で闊歩してるの?」
「聞きかじりでしかありませんが、単純に強いそうです。過去に何度も転生者も含めた討伐隊が編成されて挑んだそうですが全て返り討ち。いえ、表現を間違えました。ただ一人を除いて、他は全滅したそうです」
「へぇ、生き残りがいるんだ。その人は転生者?」
「いいえ、何の能力もない普通の人間だそうです」
「転生者でも勝てないモンスターたちから、普通の人間が逃げ切ったの?」
「いえ、逃げ切ったと言うよりは、追い払ったそうです」
「ただの人間が?」
「はい。タケダ・ヒョウキチという名の地元の猟師がサンケベツの右目を、ムラタ銃と呼ばれるオオヤシマ固有の猟銃で撃ち抜いたそうです」
「ムラタ銃? 銃って、あのしょぼい威力しかなくて遅い弾を撃ちだす玩具でしょ? それで追い払えたなら大したことないじゃん」
「一応、訂正しておきますが、銃は現状で最も殺傷力、射程ともに優れ、扱いも簡単な優秀な武器です。あれを玩具扱いできるのは、肉眼で弾道を見切れて直撃しても蚊に刺された程度にしか感じないあなたのような人種だけ。冒険者ギルドの認定基準で言うとA級相当の人くらいです」
「なんだ、大袈裟な言い方してるけど、けっこうな数がいるんじゃない」
「A級冒険者が何人いるかご存じですか? A級を冠せられるのはタムマロ様やクォン様クラスの化け物ですよ? 世界広しと言えど、たったの十数人しか認定されていません」
「認定外のあたしがいるじゃん。つまり、その指標は当てにならない」
よし、論破した。
クラーラは歩きながら「そう言われてしまうと、何も言い返せないのですが……」と、悔しそうに呟いている。
「ちなみに、そのサンケベツって名前のモンスターは、サタニエルたちとは関係ないんだよね?」
「ええ、ありません。サタニエルの言葉からの推測ですが、八十八匹の獣は龍王たちと同じく、古代カガク文明によって生み出された人工モンスター。対してサンケベツは、ホッカイドー固有のヒグマと呼ばれる熊が異常進化した異常固体だと思われます」
「どうしてそう思うの?」
「特殊な能力を持っていないからです。これまた聞きかじりで申し訳ないのですが、サンケベツは知能と身体御能力こそ高いものの、特殊な能力を持たないただの獣だそうです」
「ただの獣に、転生者を含めた討伐隊が全滅させられたの? にわかには信じがたいんだけど」
「いくら転生者と言えど、能力や神具を使わせなければただの人。不意を突けば、容易く餌食にできるでしょう」
「へぇ。要は、頭が良いモンスターなんだ」
「そういうことです」
クラーラと会話しながら、あたしはさりげなく周囲を見渡した。
見えるのは枯れたように眠っている木々と、その足元を隠す分厚い雪だけ。後ろも、進む先も似たような風景だけど、妙に歪んで見える。
いや、少し違うか。
空気が粘っこい。
呼吸するたびに体の芯から凍り付かせるような冷気の他に、妙な粘り気が混じっている。
きっとクラーラやハチロウくんみたいなタイプには理解できない感覚なんだろうけど、あたしと、最後尾のオハナさんも感じているみたい。
「クラーラ。そのまま歩きながら、索敵して」
「索敵? 索敵なら、ずっとやっていますが?」
「だったら精度が低い。あたしの魔力を使って良いから、もっと精度を高くして範囲も広げて」
あたしの言い方に気を悪くするかな? とも思ったけれど、クラーラは素直に「わかりました」と言ってそうしてくれた。
でも、少しばかり遅かったみたい。
いえ、それが切っ掛けになったのかもしれない。
クラーラがあたしの魔力を吸い始めるよりも先に、あたしたちを囲うように周囲の雪が大きく盛り上がった。




