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タムマロから聞かされただけだから本当かどうかは知らないけれど、このままチバ県を北上した先にあるトーキョー都はオオヤシマ最大の都市で、この国の政治、経済だけでなく、娯楽まですべて集約されていると言っても過言じゃないらしい。
そこにはオオヤシマ最大の歓楽街、ヨシワラもある。
ここからはタムマロじゃなくて女将さんの受け売りだけど、そこは男の欲望を金銭と引き換えに満たす一方で身寄りや金のない女子供の受け入れ先という側面も持っているそうよ。
大半は女衒を通して親に売られた人たちだけど、ヨシワラでは貞操観念や倫理観と引き換えに命とお金の保証があるから食い物にも困るような田舎で死を待つよりは、体を売るくらい構わないと自らそこへ行く人も一定数存在するらしい。
その話をキサラズからイチハラへ伸びる街道を馬車に揺られている道すがらなんとなしにヤナギちゃんに話したら、お姉さんもそうだったんじゃないかと思えてしまった。
「ヤナギちゃんのお姉さんも、そんなノリでトーキョーを目指したのかしら」
「さあ? わっちらが禿だった頃……二十年前くらいかな? に、姉さんは統合戦争のどさくさに紛れて遊郭から逃げたから……」
「一緒には逃げなかったの?」
「逃げられなかったんだよ。クラリスちゃんは……知ってるはずないか。転生者の一人が起こした地震で、わっちらがいたフクハラは瓦礫の山になっちゃったんだよ」
「地震? 転生者って、そんな事もできるの?」
「みたいだよ? 今でもその地震はハンシン大震災って呼ばれてて、あのあたりに昔から住んでる人はその転生者を恨んでるよ」
「なるほど、その時に生き別れになっちゃったんだね」
「うん。だから探してとお願いはしたけど、スサノオ様が居場所を教えてくれるまで生きてるかどうかもわからなかったの」
ハッキリとした居場所は教えてくれなかったけどね。とは言わずに、あたしはスサノオの言葉を頭に思い浮かべた。
イチハラを目指せと言ったスサノオは、「そこにはいない」と言った。
あたしたちなら何とかできる的な事も言った。
何らかのトラブルにお姉さんが関わっているのか、それともトラブルを解決した先にいるのかはまだわからないけれど、少なくとも生きていると思えるような言い方はしていた。
あたしが何を考えているか察したからじゃないだろうけど、ハチロウくんが話題を変えた。
「ねえ、ヤナギお姉ちゃん。僕は里からほとんど出たことがなかったから知らないんだけど、チバって物騒な所なの?」
「う~ん……。どうなんだろ? わっち、死ぬ前も死んでからも引きこもりみたいな生活してたから詳しくはないんだよね。マタタビちゃんは何か知ってる?」
「うちも詳しくはニャいけど、チバは犬の縄張りだから近づくなってお父ちゃんが言ってたニャ」
「犬の縄張り? 犬? あれ? どこかで聞いたような……」
「犬と聞いて僕がぱっと思い浮かぶのは大神族だけど……。あの人たちって、チバに住んでるんだっけ?」
「大神族だったら、お父ちゃんは近づくななんて言わないニャ。普通の犬と猫は知らニャいけど、魔描族と大神族は中がいいニャ」
疎外感が凄い。
魔王に関する歴史を調べてる関係で魔族にも詳しいクラーラならともかく、タムマロから聞かされたにわか知識しかないあたしじゃあ、生まれた時からオオヤシマに住んでるみんなの会話に入れない。
でも、この先に待ち受けているかもしれないトラブルのヒントになるかもしれないと自分に言い聞かせて、あたしは聞き役に徹することにした。
「思い出した、犬士だ。サトミの八犬士。たしか昔から、チバの南側にはフセ姫って呼ばれてる巫女が住んでてその人を護る八犬士もいるって聞いたことがあるよ」
「その八犬士は魔族なの? そんな種族、僕は聞いたことがないよ?」
「え~っと、ちょっと待ってね。わっちも子供の頃に聞いたおとぎ話だからうろ覚えなんだよね」
「うち、その話ならお母ちゃんから聞かされて少し知ってるニャ」
「え? マタタビちゃん、知ってるの?」
「うちが知ってたらおかしいかニャ? ハチロウはもしかして、うちのことを料理しか能がニャい馬鹿だと思ってたのかニャ?」
「いや、馬鹿とまでは思ってないけど……」
申し訳なさそうに目を伏せたのを見るに、下には見てた。って、感じかな。
まあ、それも仕方がないのかもしれない。
あたしやクラーラほど強くはないけど、それでも同じ戦場に立てるくらいには戦えるハチロウくんは、戦闘面に関してだけ言えば立派な戦力よ。
ヤナギちゃんも魔術が使えて偵察や伝達役として優秀だし、クラーラが壊れている今ではあたしのブレーキ役になってくれている。さらに面倒見も良いから、マタタビちゃんとハチロウくんからしたら言葉通りのお姉ちゃんになっている。
もしかしたらハチロウくんは、料理とあたしに甘えることしかできないマタタビちゃんを足手まといとすら思っているかもしれないと邪推してしまう。
「はいはい。二人とも、喧嘩はしちゃ駄目よ。それで、どんな話なの? マタタビちゃん」
「えっと、昔カントーにはサトミって名前のお殿様がいたんニャけど、タマヅサって人の恨みを買ってお家ごと滅ぼされちゃったらしいニャ。そのサトミのお姫様がフセ姫って人で、八犬士と一緒にチバの南部まで落ちのびたって聞いたニャ」
「かなり端折ってるけど、そんな話だったような気がする。今でもその争いは続いてるんだっけ?」
「そこまでは知らニャいニャ。でもうちのお爺ちゃん……イッカクって名前なんニャけど、タマヅサの手下で八犬士と戦って死んだって聞かされたニャ」
「えっと、魔描族ってたしか、平均寿命は人間と大差なかったよね? と、言うことは、少なくとも数十年前までは、その争いは続いてたったってことになるわね」
オオヤシマ統一戦争よりも前から続いてる争い……か。
一見すると平和にしか見えないオオヤシマも、意外ときな臭い場所が多いのね。と、思ったけれど、あたしとクラーラがオオヤシマに来てからしでかしたことに比べたら可愛いかも。とも思った。
ゆっくりと変わる風景を眺めながら三人の会話に頭の中で相槌を打っていると、どこからか嗅ぎなれた匂いが漂って来た。
鉄っぽくて生臭い、すっかり嗅ぎなれてしまった匂いが。




