竜狩り(後編)
青々とした木々が生い茂る谷間の森。
焚き火の炎が、静寂の中でゆらめいていた。
薪がはぜる音だけが響く夜。
イグニスは、炎をじっと見つめながら語り始めた。
「私は時折、下界へ視察に行くことがある」
「だが、魔族を倒すだけでは根本的な解決にはならない」
焔が揺れるたびに、イグニスの横顔が陰りを帯びる。
「人間たちが、自ら立ち上がらねばならない。魔族の脅威に打ち勝つ力を持つためにな」
ファリオンは、じっと師の言葉を噛みしめた。
焚き火が静かに燃える。
やがて、彼はぽつりと呟いた。
「僕の力も、そのために使える……?」
ふと、顔を上げる。
気になっていた疑問を、そのまま口にした。
「でも、師匠はどうしてそんなに人間を助けようとするんだ?」
イグニスは炎を見つめたまま、しばらく沈黙した。
火がぱちりと弾ける。
「かつて、私は人間に火を伝えた。
その選択が正しかったのか……今でも分からない」
ファリオンは、息をのんだ。
「……でも、火は人間を助けたんじゃないの?」
「助けたとも。だが、その火は戦争にも使われた」
燃え上がる炎が、まるで彼の内心を映し出しているようだった。
「だが――それでも、彼らは生き延び、文明を築いた」
イグニスはゆっくりと目を閉じる。
「私は……彼らの未来を信じたいと思っている」
ファリオンは小さく息をのむ。
だが――どこか、納得できなかった。
「力を持つ者には責任が伴う。その力が何をもたらすかは、結局お前次第だ」
イグニスの声は穏やかだったが、その響きは深く重い。
ファリオンは静かに頷く。
だが、胸の内には、まだ拭えない疑念があった。
「師匠……力を使えば、誰かを守ることができるかもしれない。
でも、もしその力で誰かを傷つけてしまったら……僕はどうすればいいの?」
イグニスは一瞬だけ目を閉じ、そして再び目を開いた。
その表情には、どこか寂しげな温かさが滲んでいた。
「力を持つことは、怖いことだ。
だが、その恐れを知ったお前なら、きっと答えを見つけられる」
ファリオンは口をつぐむ。
だが――すぐに、心の中に反論が浮かぶ。
「……僕は納得できない」
彼の言葉は、真っ直ぐにイグニスへと向けられた。
「人間は、師匠が命をかけて守るほどの価値があるの?
彼らは師匠に火をもらいながら、それに感謝するどころか、戦争に使っているじゃないか」
イグニスはゆっくりと目を伏せる。
ファリオンは、なおも続けた。
「僕がこれから力を持ったとして、それを使って人間を守る価値があるの?
彼らはただ、自分たちのために力を使うだけじゃないのか?
結局、神に頼りながら、自分では何もしようとしないじゃないか」
夜風が吹き抜け、焚き火の炎が揺れる。
イグニスはしばらく何も言わなかった。
ファリオンは、その沈黙に苛立ちを覚えた。
「……師匠は、人間に何を期待しているんだ?」
ようやく、イグニスは口を開く。
「期待しているわけではない」
「じゃあ、なぜ助けるのさ?」
「……そうするべきだと思うからだ」
「そんな理由で?」
ファリオンは眉をひそめた。
思わず否定したくなったが、言葉を飲み込む。
イグニスは目を細め、静かに彼を見つめた。
「お前にはまだ分からないだろうな」
ファリオンは少し俯き、炎のゆらめきを見つめる。
「……もしかしたら、そうかもしれない」
イグニスは何も言わずに待つ。
「でも、僕にはまだ、人間が変わっていけるのか分からないんだ」
ファリオンの声は静かだった。
だが、その奥には迷いが滲んでいた。
イグニスは少し眉を寄せた。
「ファリオン、お前は人間が嫌いか?」
ファリオンは小さく首を振る。
「わからない。ただ……信じきれないだけだよ」
イグニスは何かを言いかけたが、その言葉は炎の音にかき消された。
ファリオンは、揺れる火を見つめる。
思い浮かんだのは――リリスの姿だった。
優しくて、強くて、誰かを守るために行動する人間。
彼女のような存在がいるのなら――。
「……信じてみようかな」
ぽつりと呟くと、焚き火の炎が優しく揺れる。
だが、ファリオンの胸には、まだ拭えないものがあった。
イグニスは、なぜそこまで人間を信じるのか。
なぜ、そこまでして“未来を守ろう”とするのか。
その答えは、炎のゆらめきの中に隠されているようだった。
ファリオンは、拳をぎゅっと握る。
その時――。
焚き火の炎が、不自然に揺らめいた。
まるで、何かが囁くように。
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