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(9)エルフと掃除

フィリアが銭湯にやってきて三日目。


金曜日の朝、昨日にばあちゃんにフィリアのことを説明して何とか納得してもらえた安心感もあり、今日は次のステップとして掃除を教えることにした。日本での新しい生活に少しずつ慣れてもらうには、こうした日常の作業を覚えてもらうのが一番だろう、と考えたのだ。


ただ、まだ服装の問題は解決していない。掃除をするには動きやすい格好が必要だから、仕方なく俺のお古の体操服を着てもらうことにした。


フィリアが服を着替えて姿を見せた瞬間、思わず目を見張った。やはり彼女には少し大きすぎるらしく、袖や裾を一生懸命まくり上げて調整しているが、そのぶかぶか感が何とも微笑ましい。服の端を引っ張って落ち着かせようとする仕草に、どこかぎこちなさと可愛らしさが同居していて、つい目が離せなくなる。


そして極めつけは、麦わら帽子と体操服という絶妙な組み合わせだ。正直、銭湯掃除には場違いなスタイルなのに、フィリアが身に着けるとなぜか妙に似合って見えるのが不思議だった。


そんな彼女がデッキブラシを握りしめ、期待に満ちた瞳で俺を見上げる。


「掃除、楽しみですわ!なんでも教えてくださいませ!」


その純粋な姿に、俺は自然と微笑みを返していた。一つ一つの出来事を新鮮に受け止めて楽しもうとするその姿勢が、フィリアらしくてかわいらしい。


「じゃあ、まずはデッキブラシの使い方からだな。」

気を取り直して、俺は説明を始めた。


「これで床とか浴槽の縁を擦って汚れを落とすんだ。力は入れすぎなくていいから、リズムよく動かす感じでやってみて。」


フィリアは真剣な表情で大きく頷くと、デッキブラシをしっかり握り、浴槽の縁に当てて動かし始めた。力加減がまだ掴めないのか、少しぎこちない動きだが、その一生懸命な様子がなんとも微笑ましい。


「こう、でしょうか…?」

作業の途中で顔を上げ、俺に確認するフィリア。その少し得意げで、でもどこか不安げな表情は、初めてのおつかいを任された子どものようで、思わず「うん、その調子だよ」と声をかける。


フィリアは一瞬ほっとしたように笑みを浮かべたが、すぐにまた真剣な顔に戻ってブラシを動かし続けた。そのひたむきな姿からは、彼女がこの環境に懸命に馴染もうとしている気持ちが伝わってくる。


しかし、しばらくすると動きがゆっくりになり、彼女の息遣いが少し荒くなってきたのがわかった。デッキブラシでの掃除は、想像以上に重労働だったらしい。


フィリアは額にうっすらと汗を浮かべながら手元を見つめていたが、ふと顔を上げ、恥ずかしそうに視線を俺に向けた。


「あ、あの、ユウトさん。もしよろしければ、魔法で何とかしてもいいでしょうか…?」


「ま、魔法?」

俺は思わず声を上げてしまう。言葉の意味を飲み込む間もなく、フィリアは片手を浴槽の方へと向け、小声で詠唱を始めた。


「澄みわたる水よ、我が手に集いて、静かなる流れとなれ…」


彼女の口から流れる言葉とともに、空気がわずかに震えた気がした。え、ちょっと待て。もしかして本当に魔法を使うつもりか?掃除の話からいきなりファンタジー展開に突入するなんて、さすがに予想外だろ!


「フィ、フィリア、それ本当にやるのか?」

慌てて声をかけたが、フィリアはちらりと俺を見て「もちろんですわ」と自信ありげに微笑んだ。その笑顔が、なぜか不安を倍増させる。


頼むから銭湯壊すようなことはやめてくれよ——そんな祈りを込めながら、俺はフィリアの次の動きを固唾を飲んで見守ることしかできなかった。


彼女の手元が淡い光を帯び、空気が少しピリッとしたような感覚が広がる。そして、浴槽の中に水が静かに現れ始めた…が、ほんのわずかに底を覆う程度で止まった。それ以上の変化はなく、浴槽は相変わらず空っぽに近いままだ。


フィリアは驚いたように自分の手を見つめ、表情に戸惑いが浮かぶ。「え…え…?こ、これだけ…?」


声が少し震えていた。再び小さな詠唱が聞こえ、手元がまた光を放つ。しかし、今度も現れたのはほんのかすかな波紋だけ。彼女の肩が力なく落ちるのを見て、俺はなんとも言えない気持ちで言葉を失った。


「や…やっぱり、まだマナが全然回復していないです…」

フィリアはしょんぼりと目を伏せ、自分に対する期待が崩れたショックがそのまま顔に出ていた。


俺はそっと彼女の肩に手を置き、できるだけ穏やかな声で言う。

「フィリア、無理しなくていいよ。少しずつでいいし、できることから始めていこう。」


その言葉に、フィリアは少しだけ顔を上げ、小さく頷いた。

「…はい、ありがとうございますわ。大丈夫ですわ、頑張ります。」


そう言って笑顔を浮かべようとするものの、その顔には疲れの色が濃く滲んでいた。そして数分もしないうちに、彼女の動きが完全に止まり、息が浅くなっていく。


「ユウトさん…ごめんなさい。私、マナ切れで…も、もう無理そうです…」


そう言いながら、フィリアの手元からデッキブラシが滑り落ち、体がゆっくりと崩れ落ちた。


俺は慌てて駆け寄り、彼女の体を支えた。驚くほど軽く、儚いその感触に少し胸が痛む。とにかく彼女を休ませるべきだと判断し、布団のある部屋へと運び込む。布団に寝かせると、フィリアは小さく安堵の息を漏らし、そのまま静かに目を閉じた。


俺は彼女の寝顔を見下ろしながら、彼女が無理をしすぎたことに後悔と反省を覚える。頑張ってくれた分、俺がもっと早く気づいてやるべきだった。


掃除は俺一人で片付けることになった。デッキブラシを握る手に自然と力が入り、彼女の分もきれいにしようという気持ちが湧いてきた。頑張ろうとするフィリアの姿を思い浮かべながら、俺は黙々と作業を進めた。


夕方、ばあちゃんが番台に立ちながら俺をちらりと見やり、少し小言を言ってくる。

「フィリアちゃんに無理させすぎたんじゃないの?」


「そうかもな…。次はちゃんと様子を見て、無理させないようにするよ。」

俺はばあちゃんに返事をしつつ、自分にも言い聞かせた。フィリアがまだ力を取り戻せていないのは明らかだし、彼女を見守る責任があるのは俺だ。


夜になってもフィリアは目を覚まさなかった。彼女の寝顔をそっと見つめながら、俺は明日が月末の土曜日だということを思い出した。


夏菜がやってくる日だ。ばあちゃんには何とか説明できたが、夏菜の前では一筋縄ではいかないだろう。彼女はきっと色々と質問を投げかけてくるに違いない。どうやってフィリアのことを説明すればいいのか…。考え始めると、不安が頭の中を駆け巡った。


そんな思いを抱えながら、俺は静かに夜の帳が降りるのを感じていた。今日の反省と、明日への準備を心に刻みつつ、ゆっくりと夜が更けていった。

この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。


https://ncode.syosetu.com/n8980jo/


「続きを読みたい!」と思っていただけた際は、ぜひ【★★★★★】の評価やコメントをいただけると嬉しいです。Twitter(X)でのご感想も励みになります!皆さまからの応援が、「もっと続きを書こう!」という力になりますので、どうぞよろしくお願いいたします!


@chocola_carlyle

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