（２）エルフと晩ご飯
晩ごはんがようやく完成し、湯気の立つ皿をそっと食卓に並べた瞬間、何とも言えない達成感が胸に広がった。ばあちゃん直伝の和食たちが整然と並ぶ光景は、どこか特別な温かさを持っている。いつもならただの夕食の風景だけれど、異世界からやってきたフィリアがその席に座っているだけで、食卓全体がまるで別の物語の一場面のように感じられるのが不思議だった。
フィリアは目の前の料理にじっと視線を注ぎ、瞳をキラキラと輝かせていた。その表情からは、好奇心と期待、そして少しの緊張が伝わってくる。「これは彼女の世界にないものばかりなんだろうな」と思うと、自然と説明にも力が入る。
「これまで…木の実ばかり食べてきましたの。だから、こんなに色鮮やかな食べ物を目にするのは初めてでして…」
彼女が小さな声でそう呟いた。その言葉には、今までの生活を懐かしむような響きと、目の前に広がる未知の世界への驚きが入り混じっていた。
「それなら、ひとつずつ説明していくよ。」
俺は彼女の緊張を和らげようと、料理を順に指差しながら丁寧に説明を始めた。
「これがアジの南蛮漬け。魚を揚げて、酸味のあるタレと一緒に野菜を漬け込んでるんだ。」
皿の上では、揚げたてのアジが玉ねぎと人参の彩りと一緒に湯気を立てている。その鮮やかな見た目に、フィリアは目を丸くして「まぁ…！」と小さく感嘆の声を漏らした。
「こっちは味噌汁。温かいスープで、寒い日にはこれが体を芯から温めてくれるんだ。」
湯気の中に豆腐やネギが浮かぶその光景は、いつもの食卓に当たり前のようにあるものなのに、彼女の目にはどこか特別に映るらしい。
「そしてこれが白ご飯。この世界…いや、日本ではこれが主食で、どんなおかずとも合うんだ。甘みが料理の味を引き立ててくれるんだよ。」
彼女は、俺の説明を聞きながら真剣に料理を見つめていた。けれど、次の瞬間、少し首をかしげて「さ…魚…？」と呟く。その仕草がどこか子どもっぽくて、思わず微笑んでしまう。
「海とか魚って、そっちの世界にはあんまりないのか？」
俺が尋ねると、フィリアの表情がぱっと明るくなり、記憶を辿るように話し始めた。
「あ、ありますわ！塩の強い、果てしなく広がる湖のような場所が…。でも、私たちは森の奥深く、世界樹の麓で暮らしておりまして、海は伝承にしか登場しないのですわ。」
彼女の語る世界は、俺たちの現実からは想像もつかないほど遠い場所だった。それでも、フィリアにとっての「海」がどれだけ特別なものかを、彼女の話し方から感じ取ることができた。
「そっか。確かに海って広いし、遠いところって感じだよな。」
俺がそう返すと、彼女は「夢のようですわ…」とため息をつきながら、再び料理へと視線を戻した。
「いただきますわ！」
彼女が慎重に手を伸ばし、料理を一つずつ口に運び始める。その動作はまるで宝物を扱うように丁寧で、見ているだけで微笑ましい。箸を使うのに慣れていない彼女は手を使うこともあったが、どれも慎重で、食べ物を粗末にしない姿勢に心が温かくなった。
一口食べるたびに、彼女の表情が驚きに染まり、目を輝かせていく。「こんなに深い味わいがあるなんて…！」という彼女の言葉が、本当に心の底から感動していることを物語っていた。
「それに…心がじんわりと温かくなるだけでなく、マナも少し戻ってきている気がしますわ。」
彼女の微笑みに、俺は思わず「それなら、もっとたくさん食べてマナを回復してくれよ。」と冗談めかして返した。
「は、はい！」フィリアは嬉しそうに頷きながら、また一口、そして次の一口と料理を楽しんでいった。何度も頬張ってはその度に表情を変え、驚きや喜びを繰り返す彼女の姿は、まるで新しい世界を一口ごとに味わっているかのようだった。
こんな風に、異世界から来た彼女とこうして同じ食卓を囲み、一緒に時間を過ごしているのがなんだか不思議で、それでいてどこか尊いことのように思えてくる。
しかし、ふと心の中に別の不安が湧き上がる。今夜はこうして落ち着いて過ごせても、明日には銭湯の営業が再開され、多くの人が出入りするだろう。そして、ばあちゃんもショートステイから戻ってくる予定だ。フィリアのことをどうやってばあちゃんに説明すればいいのか、このままでは難しい。
目の前で嬉しそうに食事を楽しむ彼女を見つめながら、俺は気持ちを引き締め、真剣な顔で意を決してフィリアに声をかけた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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