(12)エルフと銀さん
朝の忙しさを乗り越え、夏菜とのやり取りも何とか切り抜けた後、掃除や営業準備を終えてようやく一息つけるかと思った矢先。夕方の番台を代わってくれたばあちゃんの気遣いもあって、俺が今夜の番台を担当することになった。
夜が更け、暖簾をくぐって現れたのは、いつもの陽気な常連客だった。金髪にシルバーアクセサリーをジャラジャラと身につけ、派手な花柄のアロハシャツとラフなチノパンという、目立つけどどこか馴染んだ出で立ち。その飄々とした雰囲気と軽妙な関西弁が独特で、俺は心の中で「銀さん」と勝手に呼んでいる。
銀さんが現れると、まるで銭湯全体が少し明るくなるような不思議な空気感が生まれる。彼が何か特別なことをするわけではない。ただ、その陽気な調子と親しげな態度が、常連客の会話を自然に弾ませ、新顔のお客さんの緊張さえも和らげていく。
「よー!元気しとったか!」と銀さんが声をかけてきた。
思わず苦笑いしながら答える。「いや、毎週末会ってますよね?いつも元気ですよ」
銀さんは豪快に肩をすくめ、「まあまあ、毎週でもこうして会うんが運命やろ?リラックスさせてもらいに来たで!」と言いながら、小銭を番台に置いて脱衣所へと向かっていく。その軽快な歩き方を見ていると、こちらまで力が抜けていく気がする。
ふと住居スペースの方から、控えめな声が聞こえた。「ユウトさん、あの…さかなにかけると美味しいって言ってた、しょうゆってどこですの?」
振り向くと、フィリアが入り口付近からひょっこり顔を出し、麦わら帽子をちょこんと被ったまま、少し不安げにこちらを見つめている。その仕草があまりに愛らしくて、つい微笑みがこぼれそうになる。
「ああ、フィリア、醤油は棚の――」と答えようとした瞬間、銀さんの大きな声が場を支配した。
「おおおー!あんちゃん、ついに彼女できたんか!ええやん、めでたいなぁ!」
耳に飛び込んできたその冗談に、俺は一瞬動揺し、顔が熱くなるのを感じた。
「ち、違いますって!彼女じゃなくて…ホームステイに来てる子なんですよ!」
慌てて否定するものの、銀さんはますますニヤニヤと笑みを深め、「そうかそうか、ホームステイな。けど一つ屋根の下やろ?青春やなぁ!わいもやり直したいわ!」と、なおもからかいを続けてくる。
銀さんの笑い声に顔が真っ赤になりかけたその時、不意に別の声が飛び込んできた。
「悠斗ー!」
振り向いた瞬間、思わず心の中で「げっ」とつぶやく。夏菜だ。昼間に一度帰ったはずなのに、なぜまた戻ってきたのか。
「あれ、夏菜…どうしたんだ?何か忘れ物でもしたのか?」
できるだけ自然に聞こうと努めるが、声が微妙に上ずるのを感じる。
夏菜はむっとした表情で手を腰に当て、「銭湯に入りに来るって言ったでしょ!何?アタシがお風呂に入っちゃいけないわけ?」と、いつもの意地っ張りな調子で言い放ち、小銭を番台の上に置いた。
「あ、いや、そういうわけじゃなくて…」
慌てて否定しようとするものの、うまく言葉が出てこない。
その間に、夏菜の視線が俺からフィリアへと移る。そして、少し決意したような顔でフィリアに向かって話しかけた。
「ねえ、フィリアちゃん、い、一緒に入らない?日本のお風呂って慣れないだろうし、髪が長いと洗うのも大変でしょ?アタシが手伝ってあげるよ!」
夏菜の突拍子もない提案に、思わず目を見開いた。ほとんど初対面のフィリアに「一緒にお風呂に入ろう」なんて言えるのは、夏菜くらいだろう。それでも確かに、フィリアの長い銀髪をちゃんと洗えているかは気になっていた。夏菜が一緒に入ってくれるなら安心だと考え、「い、行ってくれば?」と、つい背中を押してしまった。
フィリアは戸惑いながらも「わ、わかりました…」と頷き、夏菜に連れられて銭湯へ向かおうとする。だがその瞬間、ハッとした。耳だ。彼女の尖った耳が見えてしまったら、一気に状況がややこしくなる。
「ちょっと待った!」慌てて番台を飛び出し、フィリアの腕を掴んで住居側へと引っ張り込む。驚いた顔を見せる彼女に、俺は息を整えながら言った。
「耳を隠さないと…」
急いで麦わら帽子を取ると、タオルを二重三重に巻いて耳をしっかり覆った。「これで大丈夫だと思う。もし何か聞かれたら、『これは私の国の文化です』ってごまかしてみて。」
フィリアはほんのり頬を赤らめながら、小さく頷いた。「は、はい…」と、静かな声で返事をする。その澄んだ瞳が真っ直ぐこちらを見つめてきて、一瞬だけ心臓が跳ねた。慌てて気を取り直し、「じゃあ、行ってらっしゃい」と送り出す。
フィリアが夏菜のもとへ向かっていく後ろ姿を見送ると、ようやく番台に戻った。二人が無事に銭湯へ入っていくのを見届けると、ほっと安堵する一方で、胸の中に奇妙な落ち着かなさが残った。フィリアと夏菜が並んでお風呂に入っている光景を想像するだけで、心がざわつく。湯気の中で会話を交わす二人の姿が頭をよぎり、なぜか気が気じゃない。
そんな俺の様子を見ていた銀さんが、横でニヤリと笑った。「なんや、甘酸っぱいのぉ!湯上がりのフルーツ牛乳みたいやな!」
突然のからかいに、顔が一気に熱くなる。「ちょ、ちょっと!お、お客様は早く中へどうぞ!」慌てて銀さんを押し出し、脱衣所の方へ追いやる。
「まったく、人の気も知らないで…」小声でぼやきつつ、番台に腰を下ろす。
深いため息が漏れ、どっと疲れが押し寄せてきた。この妙にもどかしい感情は何だろう。「甘酸っぱい」と銀さんが表現したそれとは少し違う気がする。それでも、その正体が何なのか、頭の中で考えても結論は出ない。
胸の中を渦巻く得体の知れない感情を持て余しながら、俺は番台でぼんやりと天井を見上げた。なんだ、この感じ…。それを知るには、もう少し時間がかかりそうだ。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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