第103話 とある言い伝え
「大変申し訳ありませんでした! 男性と二人きりで下着を選んでいたので、てっきりお二人はとても深い関係かと勘違いしてしまい、あんなことを……」
店員さんは深々と頭を下げ、アイシス先輩に謝罪していた。言わば小市民と言える自分に対し相手は貴族、しかも公爵令嬢ということもあり、その謝罪はまるで、「自分と店長が腹を切ってお詫び致します」と言わんばかりの迫力があった。
そんな店員さんを安心させるように、アイシス先輩は優しい言葉で語りかける。
「……いや、誤解させるような言動をした私にも非はある。だから、頭を下げる必要はないよ」
「で、ですが……」
「本当に大丈夫だから、頭を上げてくれ」
「あ、アイシス様……! 本当にありがとうございます!」
言われた通りに顔を上げた店員さんは、アイシス先輩の寛大な心に感動したようで、涙を流しながら何度もお礼を言っていた。そして、店員さんが落ち着いたところでアイシス先輩は口を開く。
「では、会計を頼めるかな。数が多めなので申し訳ないが」
「いえいえ、全然大丈夫です!」
荷物持ちをしていたおれが可愛い服や下着が入っていたカゴを手渡すと、店員さんはレジのほうへ向かっていった。さて、レジへ向かう前におれにもすることがあるな。
「……あの、さっきは下着姿を見てしまってすいませんでした」
「……いや、君に非があるわけではないし、謝罪する必要はないよ」
「……思うんですけど、アイシス先輩ってちょっと優しい……というか寛大すぎますよね。こういうときは怒ってくれてもいいんですよ」
「しかし、非がない相手に怒りをぶつけるのは理不尽だろう」
「まあ、それはそうなんですが、少しくらい文句や不満を言ってくれていいですよ。あんなことがあれば、なにかしらあるでしょう?」
「それは……、そうだが……」
アイシス先輩は少し逡巡した後、頬を赤く染めながらおれのほうを見る。
「では、一つだけいいか?」
「もちろんいいですよ。どうぞ」
「……その、ああいう姿を男性に見られたのは初めてだから、できることなら忘れて欲しい……」
恥じらいながらそう言ったアイシス先輩の姿が可愛らしく、申し訳ないが余計に忘れられなくなってしまった気がする。
*****
買い物を終えたおれ達が帰ろうと思い歩いていると、魔法学院内がざわついていた。
「なにかあったんですかね?」
「そういえば、君には言ってなかったな。今日は魔法学院で結婚式があったんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、基本的には大講堂を会場にして行っている。だが、今日は外、つまりガーデンウエディングだな」
見ると、広場を会場にして結婚式が行われていた。今は夫婦として初めての共同作業であるケーキの入刀中のようだ。
「なんで普通の結婚式場とかじゃなくて、魔法学院でやってるんですか?」
「在学中から恋人同士だった生徒の中で、母校で結婚式を挙げたいという者がたまにいるんだよ。それと、我が校の卒業生同士が魔法学院で結婚式を行えば、その夫婦は末永く幸せになる、という言い伝えもあるようだ」
そんな言い伝えがあるのか! ならば、おれの人生のメインヒロインであるリミア・サフィア・そしてアイシス先輩の三人と結婚するときはこの魔法学院で結婚式を挙げるしかないな!
そうなると、将来の参考のために目の前で行われている結婚式をよく見ておいたほうがいいだろう。まだ、恋人ですらないのに結婚式のことを考えるとか、捕らぬたぬきの皮算用にもほどがあるが、そんなことを気にしてはいけない。
「良かったら、この結婚式を見学していってもいいですか? もし、時間がないようなら先に帰ってくれていいので」
「いや、時間のほうは大丈夫だ。せっかくだから、一緒に見学していこうか」
おれ達は魔法学院に入り、結婚式を遠巻きに見学し始めた。……あれ、デートをした後で結婚式を見学するとか、これはもう事実上恋人であり未来で結婚するのは約束されたような物では?
……ん、待て。結婚の約束と言えば許嫁って物があるけど、公爵令嬢であるアイシス先輩には許嫁がいたり政略結婚の可能性があるのでは? ま、マズイ、おれの人生の三人目のメインヒロインであるアイシス先輩にそんなことがあったら困る!
「……あの、結婚と言えば、アイシス先輩って許嫁とかいるんですか?」
「いや、私にはそういう相手はいないな」
「あ、そうなんですね、良かった」
「良かった?」
怪訝そうな目でアイシス先輩がこちらを見たので、おれは手を振ってごまかしながら言葉を返す。
「い、いえ、なんでもないです。てっきり、貴族だからそういう相手がいたりするのかと思って」
「確かに、貴族の中にはそういう者もいるな。だが、ありがたいことに私には無縁の話なんだ」
「どういうことですか?」
おれがそう問うと、アイシス先輩は昔を思い出すように遠い目をしながら語り出した。
「私には兄上や姉上達がいるんだが、私一人だけ年齢が離れていてな。そのせいで、昔から私は家族の皆から可愛がられていたんだ」
「そうなんですね。それで?」
「中でも、お祖母様はひときわ私を可愛がってくれていてな。エディルブラウ家に関しては兄上や姉上達に任せて、私には自由に生きてくれていいとまで言ってくれている」
なるほど。だから、アイシス先輩は許嫁とか政略結婚には無縁ということか。あれでも、それだと気になる点があるな。
「でも、アイシス先輩って自由どころか貴族として立派に振る舞ってますよね。王都でも人気者ですし、幼少期から鍛錬を重ねてるのも貴族としての責務って言ってましたし」
「私は貴族として立派に生きてきたお祖母様を尊敬しているからな。お祖母様のような人間になれるよう、そうしているんだよ」
そうは言うが、そもそもアイシス先輩自身がすぐれた人格者であることが根幹にあるのだろう。まさに、尊敬に値する素晴らしい人間だ。未来の旦那として、おれもその姿勢を見習っていきたいところだな。
そんなことを考えながら、おれは目の前で執り行われている幸せそうな結婚式を眺めていた。
*****
結婚式を最後まで見学していたことで時刻は夜となり、すでに周囲は暗くなっていた。
「すいません、こんな時間になってしまって」
「いや、構わないよ。私の家は向こうだからここでお別れだな」
おれの自室がある男性寮の近くまできたところでアイシス先輩がそう言った。だが、男としてそういうわけにはいかない。
「いや、家まで送っていきますよ。もう辺りは真っ暗ですし、女性の一人歩きは危険です」
「君の意見はもっともだし心配してくれるのは嬉しいが、私を守ろうという考えは不要だよ。私が強いのは君もよく分かっているだろう?」
「……まあ、それはそうですね」
夜道とはいえ、アイシス先輩を狙うような奴はいないだろうし、万が一いたとしても、アイシス先輩なら余裕で返り討ちにできるはずだ。
「では、ここで。今日は楽しかったよ。ありがとう」
「おれも楽しかったです。こちらこそ、ありがとうございました。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
帰りの挨拶を交わすと、アイシス先輩は夜道に一人で消えていく。その姿を見送るおれには、アイシス先輩が言った、「私を守ろうという考えは不要」という言葉が妙に耳に残った。




