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千佳とチロル

作者: Y.N

 あたしの悩みは体が大きいこと。保育園の頃からみんなより頭一つ背が高くて、何かと目立つのがいやだった。

 相沢千佳(あいざわちか)、という名前は出席番号がいつも一番だ。四月のクラス替えで出席番号順に座るときは、必ず後ろの子に「黒板が見えません」と言われる。何にも悪いことはしてないのに、責められているみたいで、ちょっとむっとする。

 いつからか、背が高いだけじゃなくて、横にも大きいと気づいた。肩幅が広くて、お尻が大きい。すごく太っているわけじゃないんだけど、がっしりとした体からついたあだ名は「女ゴリラ」。なんでもズケズケ言うからって、陰で「女ボス」って言われてることも知ってる。

 でもあたしは、自分の悩みを友だちには言わない。嫌なことがあって吐き出したくなったときには、チロルが聞いてくれるから。チロルがいるから、あたしはみんなの前で「強い女ボス」でいられる。

 チロルはあたしが生まれたときから家にいる犬で、きょうだいみたいにいっしょに大きくなった。雑種だけど白い毛並みがきれいで、お腹のところに茶色い斑がある。斑がハート形なのがチロルの目印だ。

 あたしが小さい頃は、チロルがお姉さんだった。あたしが道路に飛び出そうとしたところを止めてくれたり、昼寝から目が覚めたらお母さんがいなくてビービー泣いてるときに、横にいて顔をなめてくれたりした。

 小学校に入る前、補助輪なしで自転車に乗れるようになったのがうれしくて、家の前の公園から一人で外に出たことがあった。チロルが横について来てくれるから安心して、どんどん自転車をこいだ。家と家の間の細い道を抜けて、気がついたら見たこともない大きな道路の前にいた。車がたくさん走ってて、信号が青になるのを待ってる人もたくさんいる。周りに知っている人も建物もなくて、すごくこわくなった。

 あたしが自転車をうれしそうにこいでいるときは、チロルも楽しそうについて来たけど、あたしが立ち止まって不安そうにきょろきょろしているのを見て、チロルはびっくりしたような顔をした。もしチロルが話せたら、多分こう言ってる。「えっ、帰り道知らなかったの?」。

 チロルはべそをかいているあたしの手を舐めると、耳としっぽをピンとたてて、周りを探るように眺めた。鼻をひくひくさせて周りの匂いをかいで、「さぁ、ついてくるのよ」という顔で先に立って歩き始めた。あたしは自転車を押してしゃくりあげながら、チロルのあとに付いて行った。道が分かれるたびに、チロルは立ち止まって周りを見渡す。それから、こっちだ、と自信を持った足取りで歩きだす。右に曲がったり左に曲がったりして、気がついたら自分の家の前の公園に帰ってきた。

 お母さんがあたしを見つけて走ってくる。

「千佳! どこ行っとったん! 近所の人にも探してもらってるんやで!」

 お母さんは、あたしの隣でお母さんを見上げてるチロルを見て、くしゃくしゃっと頭をなでた。

「チロル、ありがとう。千佳を連れて帰ってくれたんやな」

 チロルは「千佳のことなら任せて」って感じで、すました顔でお座りをした。


 三年生の頃から、家の近くの駄菓子屋さんに通うのが楽しみになった。お店には、棚にも壁にもお菓子がぎっしり並んでいる。算数は好きじゃないけど、こういうときは手に持ってる百円とか二百円でぴったりのものを選べるから、あたしはお菓子選びの天才かもしれない。

 そのせいかどうかわからないけど、そのころからあたしはますます背が伸びて体も丸くなった。何とかしようと思って、お母さんが読んでいる雑誌の「ダイエット」コーナーを探してみた。知らない漢字がたくさん載っていて、頭がくらくらする。結局お母さんに読んでもらったら、おやつをやめるのが一番だって言われて、あたしは「ダイエット」をあきらめた。

 お母さんは、ぷよぷよのあたしの腕を触って言った。

「千佳、ちょっと運動したら。今度からチロルの散歩は千佳に頼むわ」

 この頃になると、チロルは歳をとって前ほど力が強くなくなった。元気いっぱいだったころは、あたしがリードに引きずられる感じで、お母さんもあたし一人に散歩を任せてくれなかった。でも今では、チロルは長い距離を歩きたがらないし、あたしも力がついたから、ちょうどよかったんだ。

 散歩の終わり、家に着く前に、時々チロルに話を聞いてもらう。あたしはずっとクラスで「女ボス」をやっていてそんな自分には慣れた。でも、アホな男子たちから「女ゴリラ」って連発される日は、さすがに腹が立つ。この前も、すごくかわいい筆箱を買ってもらって友だちに見せてたら、男子がそれを見て、「ゴリラでもかわいいもんが好きなんか」って言うから、むかむかした。その男子は、何かというと「ゴリラ、ゴリラ」って呼んで、本当に嫌な奴だ。みんなの前では無視したけど、その日の散歩の終わり、あたしはチロルに向かってその男子の悪口を言いまくった。チロルはしゃんと背筋を伸ばしたお座りで、あたしの顔をじっと見ていた。チロルがあたしのお腹にたまった悪口をのみこんでくれると、すっきりして家に帰れる。

 五年生のバレンタインデーのとき、あたしはずっといいなと思っていた同じクラスの前原君に、思い切ってチョコをあげようと決めた。駄菓子屋さんで買った百円チョコにチョコペンで模様をつけて、それを小さな箱に入れてリボンを付けたら、すごくかわいいのができた。学校で渡したらみんなにからかわれるから、学校が終わってから前原君の家まで行くことにした。場所は前原君の家を知ってるクラスの女子に教えてもらった。その子には「あたしが前原君の家を探してたこと、他の子には内緒やで」と言っといた。

 当日はいつもの散歩コースから遠回りして、チロルといっしょに渡しに行った。チロルは、あたしがいつもとちがってそわそわしているのをわかってるみたいだった。散歩のとき、チロルとあたしはリードでつながってる。あたしはリードを通してチロルの元気度がわかるし、チロルにもあたしの気持ちが通じるんだと思う。

 あたしは出来るだけ何でもない顔をして、前原君に手作りチョコの入った箱を差し出した。前原君はびっくりした顔で、「何?」って聞いた。あたしが「バレンタインのチョコ上げる」と言ったら、前原君はなんて答えればいいのかわからないって感じで受け取った。あたしはとにかく渡すことしか考えてなかったから、ほっとして「ばいばい」って手を振ってさっさと帰った。帰り道、すごくすっきりして、チロルに話しかけた。

「よかったぁ。チョコ、食べてくれるかなぁ」

 チロルは歯を見せてニカッと笑った。

 でも次の日、学校に行ったら、男子たちがはやし立ててきた。

「女ゴリラがチョコやって。きっしょ~」

 前原君は恥ずかしそうに下を向いて目も合わせてくれない。給食係でいっしょにおかずを運ぶときも、一言も口をきいてくれなかった。他の女子だって、前原君にチョコをあげてたみたいだ。なのに、あたしはチョコを渡したらいけないんだろうか。

 あたしがいつも平気な顔をしてるからって、何を言っても傷つかないとみんな思ってる。でもあたしだって人を好きになるし、告白するときはドキドキするし、拒否されたら悲しい。

 あたしはその日も散歩のあとで、チロルに話を聞いてもらった。チロルはお座りをして、ちょっと首をかしげながらあたしの顔をじっと見ていた。ぽろっと涙をこぼすと、チロルは悲しそうに目を細めて、それからあたしのほっぺを舐めた。

 

 ある日、朝からチロルの元気がないと思っていたら、口から真っ黒な塊を吐いた。お母さんが急いで病院に連れて行って、胃が悪くなっているとわかった。

 どうしよう。チロルはいつもあたしの涙だけじゃなくて、心の中の黒い気持ちもいっしょにのみこんでくれた。それがお腹の中にたまって、あの黒い塊になったんだ。お母さんに話したら、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「それは違う。チロルはもうおばあちゃんやから、前から体が悪くなってたんよ。犬も人間と同じで、歳をとったらあちこち具合が悪くなるもんやの」

 それでもやっぱり、あたしがチロルの命を短くしたのかもしれないと思う。

 六年生になった春、チロルが死んだ。ずっと具合が悪くて、その日の朝はあたしが「行ってくるよ」って頭をなでても、うっすら目を開けただけで尻尾も触らなかった。学校から走って帰ってきたら、お母さんの目が真っ赤だった。

 部屋の中に冷たくなったチロルがいた。チロルはお気に入りだった毛布の上に寝かされて、眠っているように見えるのに、触ると息をしてなくて体が冷たい。

 こんなのチロルじゃない、と思ったら今まで数え切れないほど撫でてきた体に触れなくなった。お母さんはチロルの体を焼かなきゃいけないって言う。あたしは体には触れなくても姿が見られなくなるのは絶対嫌だった。チロルの体をそのまま残してほしいって頼んだけど、腐ってしまうからそれはできないと教えられた。焼いたら、チロルの白い毛並みもハートの斑模様も消えてしまう。いやだ、いやだ!

 木箱の中で手足を丸めたチロルは、いつもあたしと遊んでいた頃よりずっと小さく見えた。蓋をして、もう二度と会えなくなる前に、勇気を出してチロルに触った。頭をなでて、鼻をなでて、お腹のハート模様をなでた。

 お母さんはチロルの骨をキーホルダーに入れてくれた。あたしはそのキーホルダーを学校に持って行く小さなポーチにつけている。

 入りきらなかった骨は庭に埋めた。秋にはお母さんといっしょに、チロルの骨がうまっているところに、チューリップの球根を植えた。お母さんはスコップをおいて、にっこり笑った。

「何色のチューリップが咲くか、春までのお楽しみ」

 中学生になる春、咲いたのは真っ白なチューリップだった。コロンと丸い花の形が、チロルのお腹みたいだ。花の数はチロルの齢と同じ十三個で、上からのぞいたら、内側の黄色い花弁がハート形に見えた。


(了)


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