カタリナさんの怖いもの 01
俺が彼女に声をかけられたのは、いつものように依頼を終えてギルドで完了手続きをしていたときだった。
「あれ? ジェラルド・ピュイじゃない」
カウンターで依頼完了の確認待ちをしていた俺の背後から声がした。
女性にフルネームで呼ばれ、俺はてっきりギルドの受付嬢に名前を呼ばれたのかと思った。
だが──俺の後ろに立っていたのは、全く別の女性だった。
「げ」
そいつの姿に、さっと血の気が引いてしまった。
まず目に入ってきたのが、前髪を上に上げて三編みに結い、高い位置でポニーテイルにした赤い髪。
顔立ちは整っていているが、瞳には刃のような鋭さがある。
そして、まるで下着のような革の胸当てと鍛え抜かれた筋肉。なぜかその豊満な胸よりも先に、綺麗に割れた腹筋に目が行ってしまう。
セクシーというより、神話に出てくる戦乙女といった雰囲気の女性。
彼女の名前はリルー。
元海賊の冒険者仲間で、ガーランドの嫁でもあり──俺がこの世で最も警戒している天敵と呼べる女だった。
「なにその顔。久しぶりに綺麗なお姉さんに会えて嬉しくないの?」
「全っ然嬉しくない」
「またまた照れちゃって。ていうか、最近全然ウチに遊びにこないじゃん。たまには娘の相手をしに来てよね? みんなあんたのこと、気に入ってるみたいだしさ?」
リルーがガッシリと俺の肩に腕を回す。
まるでぶっとい縄で締め付けられているような錯覚に陥るが、そこまで苦しくないのは、リルーのデカイ胸がバチコリ当たっているからだ。
くそう。相変わらず羞恥心のかけらもなくセックスアピールしてきやがって。
マジでこの女は苦手だ。
「あれ……もしかして、ま〜だあのときのコト、引きずってるワケ?」
リルーが茶化すように目を細める。
「あはは、だ〜いじょうぶだって。もう酔っ払ってもあんたを襲ったりしないからさ?」
「……っ」
俺はつい、拳をぎゅっと握りしめてしまう。
こ、この女……つ!
今思い出しても寒気がする。
あれは、一年くらい前だったか。
久しぶりに「リルーと3人で酒を飲もう」とガーランドに誘われたのだ。
彼らが結婚して子供が生まれてからは呑みに誘うのを遠慮していたから、すごく嬉しかった。
集まるのは何年ぶりかというくらいだったので、ガーランドもリルーも楽し見にしていたのだと思う。
だから、3人とも少しハメを外してしまった。
子供たちが寝てから本格的に酒を飲み始めたのだが、次第に酒の量が増え、最初にガーランドが潰れた。
そして、その次に俺が潰れて──気がついたら、リルーに馬乗りにされていた。
そう。この女は、あろうことか旦那のガーランドが潰れている傍で、俺を襲おうとしてきたのだ!
リルーの海賊時代の逸話は色々と耳にしたことがある。
1日で10人の男とヤッただの、腹上死させた男は両手の指で済まないだの。
ガーランドと結婚してからはそういう遊びはきっぱり辞めたらしいのだが、酔のせいで理性の奥で眠っていた肉食獣の本能が目覚めてしまったというわけだ。
あのときは、覚醒魔術を使ってリルーの酔いを覚ましてなんとか難を逃れたが、それ以降、ガーランドの家に行くのは二の足を踏んでいる。
「……ていうか、俺に何の用事だよ?」
俺はリルーの腕を払い除けてから尋ねた。
「実はこれからあたしのパーティも依頼に行くんだけど、メンバーのひとりが体調不良で休んじゃってさ」
リルーも俺たちと同じくパーティを組んで活動している。
メンバーは海賊時代の手下だとか言ってたっけ。
「だからさ、臨時メンバーとして依頼に参加してくれない?」
「参加? 俺がか?」
尋ねるとリルーはこくりと頷いた。
「休んでるのがあんたと同じ回復魔術師なんだよね。ちょっと遠出する予定だから、回復職なしで行くのが不安なんだ」
「助けてやりたいのはやまやまだが、依頼から帰ってきたばかりなんだよな」
「知ってる。さっきあっちで旦那と会ったし」
「会ったなら、ガーランドを誘えばいいだろ。盾役のあいつがいれば回復職がいなくてもなんとかなるだろ」
「だって可愛そうじゃん。疲れてるだろうしさ」
「俺だって疲れてるわ」
「は? 疲れてる? あんたが? どうせ後ろのほうでダラダラ回復魔術使ってただけでしょ?」
「……う、ぐっ」
ご明察である。
くそう。長い付き合いだからか、よく俺のことをわかっていらっしゃる。
「ねぇ、ピュイ。お願い。一緒に来て?」
猫なで声で俺の腕に手をまわすリルー。
そして、豊満なふたつのアレを俺の腕に押し付けながら──とんでもないことを口にした。
「もし、あたしのお願いを聞いてくれなかったら……あんたの秘密のこと、うっかり仲間にバラしちゃうかもよ?」
「……っ」
心臓を鷲掴みされたような感覚があった。
全身から汗が吹き出し、膝がガクガクと笑い始める。
リルーの顔を見ると、それはそれは悪そうな笑みを浮かべていた。
「あんた、まだ秘密にしてるんだよねぇ? アレ」
「い、言えるわけねぇだろ」
「だから気にする必要ないって言ってんのにさ。心の声を聞く読心スキルなんて、誰も気にしないって」
「……っ!?」
俺はリルーの腕を振り払い、彼女に詰め寄る。
「て、てめ……スキルのことを軽々しく口に出するんじゃねぇ……っ」
「あはは、ごめんって。てか、急に顔近づけないでよ。キスされるのかと思ってドキドキしたじゃん」
「するかボケ!」
リルーがケラケラと笑う。
俺がこいつのことを天敵と思っているのは、こんなふうにエロ絡みしてくるからではない。
俺が読心スキルを持っていることを知っているからだ。
聞いた話だと、リルーは俺が最初に所属していたパーティ──読心スキルネタで追放されたあのパーティ──にいた女魔術師と知り合いだったらしい。
その女魔術師との酒の席で「とんでもない冒険者がいた」という話になり、俺の名前が出てきた……というわけだ。
なんという最悪の奇跡。
悪魔のいたずら。
よりによって、なんでこいつに読心スキルの情報が行くかなぁ!
「ちなみに、今あたしは何を考えてるでしょうか?」
リルーが扇情的な視線を俺に送ってくる。
(ピュイのぶっとい◯◯◯をあたしの×××にねじ込んで、△△△にしてやりたいわ)
変態っ! 変態よっ!
皆さん気をつけて! ここにド変態の肉食獣がいますよっ!
「あははは! 顔真っ赤! あんた、経験豊富そうな顔してるのに、純粋すぎ!」
「う、うるさい!」
黙れこのドSの変態肉食系女子め!
心を読まれて気にしないのは、お前みたいな変態だけなんだよ!
腹を抱えて笑ったことで満足したのか、ドS肉食女が笑い涙を拭きながら尋ねてきた。
「で? どうする?」
しかし、その目は獲物を狙う獣の目だった。
もしくは、相手を強請る者の目。
「……し、仕方ない。今回だけだぞ」
「やたっ! サンキューな、ピュイ!」
選択権は俺にはない。
弱みを握られている俺は、こいつの言いなりになるしかないのだ。
「……ん?」
と、落胆していた俺の背中に、ゾクリと寒いものが走った。
それは、魔術による精神攻撃に近い悪寒だった。
一体なんだ?
こんなところで、誰かの魔術の攻撃でも受けているのか?
まさかと思って、ふとカウンター近くの一角を見たとき──
「あ」
壁から半身を覗かせて、凄まじい形相でこちらを見ている女の姿があった。
カタリナ・フォン・クレール。
我がパーティに所属する最強冒険者にして、泣く子も黙る辛辣の乙女である。
その辛辣乙女は、心の中で呪詛のような言葉を繰り返していた。
(ピュイくんが……知らない女とくっついてる……ピュイクンガ……シラナイ……オンナ……)
なんだか嫌な予感がする。
いや、これは──むしろ嫌な予感しかしないんですけど!




