第7話【ヌシは食えるか】
雪原から顔を出したのは、真っ白な巨大ザメである。
ご主人様に捧げた鮫たちよりも遥かに巨大な鮫である。雪の中に紛れる真っ白な巨体には無数の傷跡が刻み込まれ、フェイたちを睨みつける眼球も片方だけが潰された状態だ。
背鰭も傷だらけ、大きな口から覗く数え切れない牙の隙間に肉片のようなものも挟まっている。布のようなものも垣間見えたので、あれは人間の服だろうか?
ボロボロになりつつある木製の帆船の上から巨大ザメを眺めるフェイは、
「うわ凄い!!」
フェイが言っているのは、巨大な鮫の傷だらけの巨体ではなく巨大な鮫の値段である。
さすが階層主と言うべきなのか、ご主人様のユーリに【強欲の罪】の貯蓄として捧げた鮫たちと比べると遥かに値段が高い。何なら前の階層にいたクリスタルベアーよりも高いかもしれない。
なるほど、あの傷だらけの巨体が高額となった原因なのだろう。先程の鮫も互いに争わせたら値段が跳ね上がったので、あの巨大ザメは自力で階層主の座に収まった叩き上げという訳か。
これは強敵の予感である。値段が高いのだから強敵となるのは当たり前だ。
「マスター、あの鮫めちゃくちゃ高――」
「フェイ、そこを退きな!!」
「え?」
フッと目の前が暗くなる。
日が陰ったのかと思って視線を上にやれば、大きな口を開けた巨大ザメが迫っていた。
世界が止まったような感覚に陥る。徐々に鮫の大きな口が迫っていて、フェイを丸呑みにしようと企んでいた。細かく生えた牙の群れに噛まれれば、フェイの身体など簡単に齧り取られてしまう。
その場で固まるフェイだが、
「五万ディール装填!!」
銀色の散弾銃をフェイに向けたユーリが、願いを叶える為の対価を捧げて叫ぶ。
「《引き寄せろ》!!」
ガチン、と撃鉄が落ちる。
鮫に食われる寸前だったフェイの身体が、唐突にまるで縄で引っ張られたかのようにご主人様であるユーリの元まで引き寄せられた。あまり現実を読むことが出来なかったが、ユーリの豊かな胸部に顔を押し付けられて現実をようやく認識する。
柔肌一枚の向こう側に埋め込まれた彼女の心臓が、どくどくと音を立てて脈動している。いつもより早いと感じるのは、フェイが鮫に食われるという恐怖から来ているのだろうか。
震える両腕で強く抱きしめられたフェイは、ご主人様の胸に顔を埋め込まれながらも「ごめん」とくぐもった声で謝罪する。
「ごめん、本当に。軽率だった」
「馬鹿なことをするんじゃないよ、フェイ」
雪の積もったフェイの金髪を撫で、ユーリは細々とした声で言う。
「アンタがいなけりゃ、アタシは生きられない」
遅れて、タァンという銃声が曇天に響き渡った。
顔を上げれば、緑色の狙撃銃を構えたアルアが雪原に横たわる鮫を見下ろしていた。眠たげな雰囲気は消え去り、新緑色の双眸が冷たい光を宿す。
完全に覚醒状態となり、ボロボロな帆船の甲板で仁王立ちをする深窓の御令嬢は小さな声で呟いた。
「私だってフェイ殿を食べたことないのに、先に食べようとするなど許せません」
「お嬢は少し頭を冷やそうね!!」
「あ」
ボロボロの甲板からドラゴによって投げ捨てられたアルアは、そのまま積もった雪の上に落ちてしまった。幸いにも雪が緩衝材となってくれたおかげで怪我はしなかったが、全身を雪塗れにしたアルアが顔色悪く震えている。
今回の功労者を殺す訳にはいかない。フェイはユーリの腕から何とか抜け出すと、少しだけ泣きそうになっているご主人様に手を差し出した。
階層主は永遠の眠りについたのだ、もう食われる心配もない。
☆
「食ってやろうじゃないかい」
「逆にね!!」
「そうさね」
ボロボロになった木製の帆船を消し、雪原の上に横たわる巨大な鮫を見上げてユーリはそう告げた。
フェイはしっかりとお値段も伝えたし、どうせなら【強欲の罪】の貯蓄に回した方がいいのではないかと提案もした。
それらを考慮して、なおユーリは「鮫を食べる」という主張を曲げなかった。フェイを食おうとした罪は鮫にとって万死に値する重罪らしい。
ご主人様が「食べる」と主張している以上、奴隷に拒否権はない。彼女の命令に従う他はないのだ。
「でも大きいから解体が難しいな。焼くにしても調理道具なんて持ってきてないし」
「何を言ってんだい、フェイ」
「え?」
ユーリへ振り返れば、彼女は銀色の散弾銃を掲げていた。
「二万五〇〇〇ディール装填、《煮込み料理にしな》」
ガチン、と撃鉄が落ちると同時に見上げるほど巨大な鮫の姿がフッと消え失せる。
スキル貯蓄に回した訳ではない。あれはユーリの持つ銀色の散弾銃が縦に割れて、獲物を吸い込むことで完了するのだ。ああやってフッと唐突に消えることはまずない。
だとすれば、彼女の告げた願いの通りになるのだが。
「わ」
ガチャガチャン、ガタンゴトン、と。
陶器製の食器皿と銀食器、それから何かの塊が豪快に煮込まれた寸胴が雪の上に落ちてきた。寸胴の中身はスープになっていて、解体された鮫の肉がゴロゴロと浮かんでいる。
ただその肉の量だが、先程見た鮫から取れたものとは思えないほど小さくなっている。量で言えば半分ぐらいとなっていた。一体どこへ消えたのだろう?
寸胴を覗き込んで首を傾げるフェイに、ユーリは「簡単さね」と言う。
「【強欲の罪】に分け前を半分ほどくれてやるから料理しなって言ったのさ」
「そんなこと出来るんだ」
「だからいつもより安く済んだんだよ」
ほら食べるよ、とユーリがいそいそと雪の上に落ちた陶器製の食器皿を手に取る。
本当にご主人様のスキルは万能すぎる。ほんの少しだけ羨ましく思えるが、それでも彼女の役に立っていることは間違いないのだ。
フェイが色々なものを鑑定して、貯蓄に回しているからユーリも安心して【強欲の罪】に願いを叶えてもらえる。こんな外れスキルでも、誰かの役に立てることがあるのは嬉しい。
フェイは寸胴から下がったお玉を手に取ると、ユーリの差し出してきた食器皿に鮫の肉がゴロゴロと入ったスープを注ぎ入れた。




