第4話【雪原を泳ぐのは】
さて、休憩を十分に取ってから再び雪の中を歩くことになった。
丸太を組んだ小屋の扉を開けるが、メイヴだけが小屋から出てこなかった。それどころか暖炉の前から動こうとしない。
見れば、彼女の装備品は白を基調として銀色の装飾品が随所に施された軍服である。自身が率いる探索者組合『銀獅子調査団』を象徴する衣装だが、この極寒の世界を歩いていくには少々不適切な格好だ。
十分に乾かした軍服を着たメイヴだが、ジト目でフェイを睨みつけるだけで何も言ってこない。フェイの着ている外套の中に入りたい、と視線で訴えている。
「マスター、どうする? 防寒具がないからついてこないみたい」
「ドラゴのところにはアルアがいるしねェ」
ドラゴの懐にはすでにアルアが占拠しているので、メイヴの入る余地がない。このままでは、彼女は暖炉の前から動かない。
ユーリも嫌いな相手の為に金銭を消費して、防寒具を出してやるという優しさはないようだ。銀色の散弾銃に手をつける気配が全くない。そもそもアルアに防寒具を出さなかったのだから、メイヴにも当然ながら防寒具はない。
仕方がないので、フェイはモコモコとした外套を前を開く。それからメイヴを抱きかかえて、ドラゴがアルアにしているように懐へしまい込んだ。
「フェイ、何してるんだい。それを出しな」
「マスターが防寒具を出してあげないなら、もうこうするしかないでしょ」
「ふははははは、残念だったなァ強欲女!! 私の方が主人としての風格があるようだな!!」
フェイに抱きかかえられるメイヴは勝ち誇ったような表情をするが、
「二億四〇八八万ディール」
ポツリ、とフェイは呟く。
頑丈なゴーグルで守られた青い瞳でメイヴを見つめるフェイは、目が飛び出るような高額の値段を算出した。
もちろん、それはメイヴを奴隷商人に売っ払った時の値段である。見目麗しい容姿と希少価値の高いスキルを加味してこの金額が算出されるが、彼女のスキルは【傲慢の罪】――地位が高ければ高いほど弱者を従えるという特殊なスキルだ。奴隷に身を落とせば、おそらくスキルは使い物にならなくなってしまう。
まあ値段をつけただけでは、彼女のスキルが使えなくなるようなことはないはずだ。もし使えなくなっても見た目の値段だけでかなりの高額が期待できるので、遠慮なくユーリのスキル貯蓄に捧げることにしよう。
「メイヴさん」
「な、何だ?」
「よかったですね、メイヴさんの命の値段は二億越えですよ。これでマスターのスキル貯蓄も捗ります」
大切な肉壁なので何故か震えるメイヴを抱きかかえたフェイは、朗らかに笑う。
「俺に何かしたら【強欲の罪】の餌食になると思ってくださいね。俺はあくまで、マスターの大迷宮踏破にメイヴさんっていう駒が必要なので」
「あ、ああ。すまんな、肝に銘じよう」
ガタガタとフェイから感じる圧に震えるメイヴは、やはりどこか震えた声で応じた。
「じゃあマスター、行こうか」
「待ちな、フェイ」
「どうしたの、マスター。やっぱり寒い?」
小屋の外に出ようとするフェイを呼び止めたユーリは、自分のスキル【強欲の罪】に金銭を捧げてメイヴ用の防寒具を出してやった。
銀色の散弾銃でメイヴを解放するように告げてきたので、フェイはご主人様の指示通りにメイヴを懐から解放する。逃げるように距離を取ったメイヴは、地面に放り出された防寒具をいそいそと着込み始めた。
それほど怖いことをしたつもりはないのだが、何が悪かったのだろうか?
「フェイ」
「マスター、俺は何かしちゃった?」
「ンにゃ、上出来さね」
ユーリはニヤリと笑うと、
「フェイ、ついでにアルアにも値段をつけてやりな。変なことを抜かしたらスキルで食ってやるさね」
「ユーリさん、それは止めて!! お嬢がいなくなったら、あたしはスキルが安心して使えなくなっちゃうよ!!」
「マスター、ドラゴさんが安心してスキルを使えなくなっちゃうから止めよっか。メイヴさんだけにしとこう? ほら、二億も稼げるしや
「むぅ、仕方ないさね」
不満げに唇を尖らせるユーリだが、ドラゴが安定して【憤怒の罪】のスキルを発動できなくなるのは可哀想だと判断したのか、アルアをスキル貯蓄の餌食にすることは諦めた。
ちなみにメイヴは諦めていなかった。今回、防寒具を出したのもメイヴの扱いが可哀想だったからではなく、メイヴがフェイに抱きかかえられているのが嫌だったのだろう。彼女に対する優しさなんて最初から持ち合わせていないのだ。
そんな訳で雪原の中の探索が再び始まることとなった。
☆
ふわふわと雪が降ってくる。
周囲に立ち並ぶ針葉樹の枝に降り積もる雪は、少しの衝撃を与えただけでバサバサと落ちてきそうだ。ご主人様のユーリに雪が降り積もらないように、なるべくフェイは針葉樹を避けて通るようにする。
曇天から絶えず降り続く雪のせいで、フェイたちの足跡は徐々に掻き消されていった。これでは小屋に戻ることも出来なければ、上の階層に戻ることも不可能だ。
「…………何か聞こえない?」
ドラゴが足を止めて、背後を振り返る。
フェイやユーリ、メイヴも彼女の発言につられて背後へ視線をやった。
背後にはどこまでも続く雪原が広がっていて、足跡すらも掻き消された真っ白な大地があるだけだ。誰かが追いかけてくるような気配は見られない。
ただ、何故か背鰭のようなものが雪原から突き出ていた。
「んん?」
フェイは反射的にユーリを守るように立ち塞がりながら、
「え、あれは何?」
「魚の背鰭のようだねェ」
銀色の散弾銃を抜いて警戒心を露わにするユーリは、
「フェイ、逃げる準備をしておきな」
「え、でもマスター」
「いいから。いつもの大地と雪原じゃ勝手が違うんだよ、走れる時に走らないでいつ走るんだい」
ご主人様のユーリに厳しいお言葉をいただき、フェイは仕方なしに走り始める。あとからユーリとメイヴも続き、アルアを抱えたドラゴも迫り来る魚の背鰭のようなものから逃げ出した。
雪原を掻き分けて突き進んでくる魚の背鰭だが、立ち並ぶ針葉樹を器用に避けてフェイたちを目指してくる。確実にこちらを狙っていた。普通なら針葉樹にでもぶつかって、足止めを食らうのではないのか。
そして次の瞬間、雪の中から背鰭の本体が出現する。
「があああああああああああああああああッ!!」
奇声を上げながら雪を撒き散らして飛び出してきたのは、巨大な鮫だった。
前身真っ白で、ギョロギョロとした気味の悪い眼球が左右に埋め込まれている。大きく開かれた口にはぞろりと鋭い牙が揃い、逃げるフェイたちを一人残らず食ってやる勢いで雪の中を自在に泳いでいた。
その真っ白な巨大ザメを目の当たりにしたフェイは、
「鮫ェ!? 何でこんな雪の中に鮫ェ!?」
「迷宮区だから何があるのか分からないのさ」
「マスターってば冷静!!」
雪の中を自在に泳ぐ白い鮫の存在に、驚愕のあまり叫ぶフェイだった。




