第7話【ダンジョンは噴水に】
朝である。
見間違いようのないほどの朝である。
窓から差し込む陽光は眩しく、空も清々しいほど晴れ渡っている。本日も快晴だ。
早起きな住人はすでに活動を始めていて、朝の散歩や店を開く為の準備をしている。きっと夜明け前から動いていることだろう。ご苦労なことだ。
フェイもまた早起きだった。彼の場合は朝に弱いご主人様の身の回りの世話と自分自身の鍛錬があるので、早起きをする必要がある。
「ふぇー、今日も鍛錬終わりっと」
朝っぱらから自宅周辺を全力疾走するという鍛錬を終え、軽く汗を流したフェイはご主人様に食べさせる朝食の用意をし始める。
寝る前に食料保管庫の中身を確認しておいて正解だった。まだ材料は残っていたので、明日までは食料を買い足さなくてもいいだろう。
今日の迷宮区探索で稼げた金銭によって、どんな食料が買えるか決まる。この辺りはご主人であるユーリと要相談だ。
食料保管庫から硬めの麺麭を取り出して、適当な大きさに切り分ける。
昨日はしこたま酒を飲んでいたので、おそらくユーリは二日酔いの状態で起きることが予想される。念の為、薬も準備しておいた方がいいだろうか。
「ほいほいっと」
適当に切り分けた麺麭を丸い鉄板――いわゆるフライパンに放り込み、さらに油とバターを落として焼く。パチパチと弾ける油の音が心地いい。
油とバターを染み込ませた影響で僅かに硬さがなくなった麺麭を白い皿に移し替え、今度は玉子を割って落とす。
もちろん油は追加だ。朝はちゃんと食べた方がいいと教わった。迷宮区探索はとにかく体力勝負なので、なるべく腹が膨れるものを作るように心がけている。
麵麭と目玉焼き、それから野菜を千切って盛り付けたサラダを作って朝食の準備は完了だ。本来であれば奴隷の分まで作ればご主人様から烈火の如く叱られるだろうが、フェイの場合は一緒に朝食を食べないとユーリから烈火の如く怒られるので、自分の朝食もちゃんと同じものを用意した。
「マスター、朝飯だぞ」
寝室を覗き込めば、寝台の上には丸まったご主人様がいた。
まだ熟睡しているようだ。規則正しい寝息が漏れ、フェイの呼びかけにも気づいた様子はない。
昨日もやたら大変な迷宮区探索をしたので、今日はゆっくり寝かせてやりたいところだ。
だけどせっかく作った朝食が冷めてしまう。冷めた朝食をご主人様に食べさせるのは忍びない。
フェイは寝台に歩み寄ると、うつ伏せで眠るユーリの頭をポンポンと軽く叩いた。
「ほらー、マスター。せっかく作った朝飯が冷めるだろ」
「んぬー……」
何か変な声が聞こえた。多分抵抗しているのだろう。
「マスターってば、起きろよ」
「ぬー……」
「抵抗すんなって。起きろー、起きろってばー」
「んー……」
軽く揺さぶっても起きる気配がない。朝が弱いと困ったものだ。
フェイは腕組みをして考える。
叩き起こさなければならない時は少々乱暴になっても無理やり起こすのだが、今日は特に用事もない。迷宮区探索も潜る迷宮区を探すところから始めるので、余裕があるといえばある。
だがご主人様のユーリに言われせば、迷宮区は早い者勝ちなのだ。未踏破な迷宮区を最初に踏破するには、誰よりも早く迷宮区を勝ち取らなければならない。
探索者も戦いである。特にユーリのような迷宮区踏破を目論む探索者にとって、まだ誰も入っていない迷宮区というのはお宝以外の何物でもない。
説教は嫌なので、フェイは最終手段を選ぶ。
「…………起きろよ、ユーリ。寂しい」
「むはッ!?」
耳元でそんな甘い言葉を囁いてやれば、ユーリが瞬時に飛び起きた。ボサボサの長い銀髪はそのままに、驚いた表情でフェイを見てくる。
作戦成功だ。
ユーリの寝起きが悪い時は、彼女の名前を呼んでやるに限る。これでいつも驚くほど飛び起きてくれるのだ。
フェイは爽やかな笑みを浮かべると、
「おはよう、マスター。今日もいい天気だぞ」
「フェイ……アンタ、さっきアタシの名前……ッ!!」
「マスターが起きないからだろ。最終手段、最終手段」
寝室に置かれた鏡台に放り出されている櫛を手にしたフェイは、ボサボサになったユーリの銀髪を軽く梳いていく。
ぐちゃぐちゃだった銀髪も、フェイの手にかかればあっという間に見事なサラサラ髪に大変身だ。どうせなら髪の毛でも結んでやりたいところだが、ユーリが髪を結ぶことを嫌うので止めておく。
ぶすっと唇を尖らせてされるがままに髪の毛を梳かされていたユーリは、
「全く、誰に似ちまったんだかねェ」
「考えられる可能性としちゃ、マスターの狡賢さだな。いつも学ばせて貰ってるよ」
「余計な知恵まで身につけちまったよ、ッたく」
ユーリは梳かし終わった銀髪をガシガシと掻くと、
「フェイ、お湯はあるかい?」
「沸いてるよ」
「先に朝飯を食べてな。アタシはお湯を浴びてくるよ」
「分かった。頭痛とかは大丈夫か? 薬も一応用意しておいたけど」
「これぐらい平気さね」
慣れた手つきで衣装箪笥から自分の衣類と下着類を取り出したユーリは、何故かちょっと苛立った様子で寝室を出て行った。
最終手段が機嫌を損ねてしまうとは想定外だ。今度から使う場面を考えた方がいいかもしれない。
ドスドスと荒々しい足音を立てながら風呂場に消えるご主人を見送って、フェイはやれやれと肩を竦めた。
「一緒に食べないなら用意しなきゃよかったな」
先に食べた、とでも言えば分かりそうになかったはずなのに。
☆
そんなこんなで朝食を終え、フェイとユーリは潜る為の迷宮区を探して迷宮区案内所を訪れた。
普段であれば探索者で驚くほど賑わっている迷宮区案内所だが、今日はやけに静かだ。受付嬢たちもどこか慌ただしく施設内を行ったり来たりしており、探索者たちはバタバタと案内所を飛び出していく。何かあったとしか思えない慌てようだ。
奴隷であるフェイは案内所の隅に設けられた奴隷待機所でご主人様でえるユーリの帰りを待ち、ユーリは探索者として受付嬢から何があったのか事情を聞き出しにかかった。
「何があったんだろうなぁ」
「知らねえのかい?」
奴隷待機所で膝を抱えて待っていたフェイに、痩せぎすな男の奴隷が話しかけてくる。
「迷宮区がこのアルゲード王国に作られたってのさ。まだ誰も踏破していないモンだから色んな探索者が挑戦しているが、もう一〇〇人ぐらい失敗してるらしい」
「へえ、立て続けに失敗してんだなぁ」
迷宮区探索を仕事とする探索者が失敗する例は何度も聞くが、もう一〇〇人以上も失敗しているとなるとかなり高難易度に設定されていることだろう。
しかも迷宮区が作られた時間は昨日の深夜らしい。深夜からこの時間帯まで一〇〇人以上も失敗するとは、相当な難しさがあるはずだ。
これはご主人のユーリも踏破は困難を極めるのではないか、とフェイは思った。
「アンタ、ご主人は? 随分と身なりが綺麗だけど」
「ん、ああ。今まさに受付嬢と言い争ってる」
主人のユーリは受付嬢と何やら口論になっていて、銀色の散弾銃で受付嬢を脅しかけていた。踏破報酬が低く設定されたか、それともSSS探索者だから今回の迷宮区探索は諦めろと言われたか。
SSS探索者になると、他の探索者に迷宮区を譲れと言われる場合が多くある。後進の育成に努めてもらいたいというのが案内所の希望なのだが、世の中はそんなに甘くない。
それに、今朝までに一〇〇人以上の失敗者を出しているのだ。どんなに難関の迷宮区でも必ず踏破できる探索者が挑んだ方が、余計な人命を消費しないで済むのに。
フェイは「また争ってる……」と呟く。まあ日常茶飯事なので、止めることはないが。
受付嬢もいつになったら学習するのだろう。『趣味は迷宮区踏破』と豪語するご主人様を止められる人物は、この世で最下層の奴隷であるフェイだけなのに。自分たちでは止められないのに。
「嘘だろ、アンタ……!!」
「え? 何が?」
「あんな美人がお前の主人かよ!!」
「え、うん。そうだけど」
ユーリが美人であるのは買われた時から理解していることだし、不思議とその美貌が損なわれるような場面を見たことがない。歳を取っている気配もない。一体どういう仕組みなのだろう。
フェイの隣でワナワナと震える痩せぎすの男は、ぐわし!! とフェイの両肩を掴んだ。
一体何だと思ったら、男は血走った眼球でフェイを睨みつけてくる。物凄く怖かった。
「あ、アンタ、あれだろ、主人と一つ屋根の下に暮らしてあんなことやこんなことやそんなことをするんだろ……ッ!?」
「いやどんなこと? 何で興奮してんの?」
「羨ましいぞ、オレも買われてえ!!」
「交渉してみれば? ちょうど帰ってきたし」
受付嬢との口論に勝利したらしいユーリが奴隷待機所まで戻ってきて、フェイの両肩を掴む痩せぎすな男を見やる。
いざユーリを前にすると、彼は自分を売り込めなくなったらしい。
なのでフェイが丁寧に痩せぎすな男の腕を引き剥がして、ご主人であるユーリに売り込んでやる。
「ユーリ、もう一人奴隷いらない?」
「いらない。アンタ以外に必要ない」
あっさり断られてしまった。
「行くよ、フェイ。次の迷宮区は大物の予感さね」
「どんなとこ? アルゲード王国に出たって話だけど」
「すぐ近くさ」
ユーリはニヤリと笑うと、
「中央広場の噴水の中さ。迷宮区の名前は【アクアフォール】らしいよ」




