第5話【砂場の迷宮区】
「おはよー」
翌日、迷宮区案内所まで行くと燃えるような赤い髪を三つ編みにしたおっとり系の美人――ルーシー・ヴァニシンカがのほほんとした笑みで出迎えてくれた。
性格から推測して遅刻してくるかと思いきや、意外と時間にはきちんと遅れることはなかった。見た目で勘違いされるのか、根は真面目な性格だというのはご主人様であるユーリの話である。
フェイが「おはようございます」と応じると、ルーシーは首を傾げながら言う。
「あれー? ゆりたんの奴隷君、今日は毛艶がいいねー?」
「あ、あははは……」
フェイは笑って誤魔化すしか出来なかった。
昨日、ご主人様であるユーリに浴室へぶち込まれて背中を流され、さらに濡れた髪の毛までキッチリ乾かされたというご主人様が満足するまで世話をされたという経緯がある。リディがこの場にいれば血涙を流して悔しがりそうな気配さえある。
おかげでフェイの金髪は見事に綺麗なものへ変貌を遂げたのだ。指通りも滑らかである。自分の髪の毛ではないみたいだ。
ユーリはサラッサラになったフェイの金髪を撫でながら、
「よく分かるじゃないかい、ルーシー」
「昨日とは輝きが違うもんねー。サラサラになってるねー」
「アタシが世話したんだから当然だろう?」
「やっぱりー? ゆりたんって自分の持ち物を大切にするもんねー」
ルーシーもフェイの金髪を撫でながら、
「あー、これすっごい手触りがいいー」
「そうだろう? 実は洗髪剤の他に香油の種類も変えてみてねェ。艶が出るような種類を使っているのさ」
「マスター、それは俺も初耳なんだけど」
「言ってないからねェ」
それから、フェイはしばらくユーリとルーシーの二人から頭を撫でられまくった。美人な探索者二名から頭撫で撫で攻撃を受けるとは思っていなかったので、往来でこんなことをやられるのは少し恥ずかしかった。
通行人が物珍しげにフェイを見ている。特に男性は羨ましげな視線を寄越してくるが、フェイが視線を合わせた途端にそそくさと足早に立ち去った。睨んだ覚えはないのだが。
ユーリとルーシーはツヤツヤのサラサラになったフェイの髪の毛を堪能してから、
「ゆりたん、今日の迷宮区はどこに出たのー?」
「アルゲード王国の公園さね」
「公園? 子供が集まる危険な場所じゃん」
撫でられまくってボサボサになってしまった金髪を手櫛で整えるフェイは、
「公園に迷宮区が出来るって珍しいな」
「フェイ、今日の迷宮区の名前を言ってご覧」
「え? 確か【サンドグレイヴ】……」
その名前を聞いて、どこに迷宮区が作られたのか容易に想像が出来た。
「そうさね、公園に砂場があるだろう? 迷宮区はそこに出来たのさ」
☆
神々の気まぐれで迷宮区が作られてしまった公園は、誰一人として利用していなかった。
ポツンと置かれた遊具は物寂しげな雰囲気が漂い、公園の入り口は縄が張られて簡単に敷地内へ踏み込むことが出来ないようになっている。公園の外では子供たちが羨ましげな視線を公園に向けていて、いつになったら遊べるのかと待ち望んでいるところだった。
探索者として公園に作られた迷宮区の踏破を請け負ったフェイたちは、公園の入り口に張られた縄を乗り越えて敷地内に立ち入る。公園に入っただけでは迷宮区に落ちるようなことはなく、フェイは密かに安心する。
「問題の迷宮区はそこかねェ」
「そうだねー」
二人のSSS級探索者の視線は、公園の隅に設けられた砂場に向けられていた。
サラサラの砂で満たされたそこには、作りかけの砂のお城が放置されていた。近くには砂を集める為のバケツや砂を掘る為の円匙などが置かれており、誰かの忘れ物だと推測できる。
とても迷宮区が作られたとは思えないほど、ありきたりな砂場だった。あの砂場に足を踏み入れた瞬間に、迷宮区へ落下するのだろうか。
「フェイ、首に十字架はかけているね?」
「かけてるよ」
フェイは胸元で揺れる簡素な十字架を指先で突く。
リディの店で購入した、ミイラ系魔物を遠ざける効果がある十字架だ。てっきりミイラ系魔物が苦手なユーリが身につけるものだと思っていたのだが、フェイに身につけさせるとは想定外である。
まあ自分が十字架を身につけているので、ユーリとルーシーの肉壁くらいにはなれるだろう。この場で唯一の男性なのだから、ご主人様と彼女の元仕事仲間ぐらいは守らなければ。
ユーリはフェイの胸元で揺れる十字架を確認してから、
「よし、じゃあ行くよ」
「マスター、俺が先に行くよ」
「何を言ってんだい、フェイ」
ユーリはフェイをジロリと睨みつけ、
「アンタは後ろにいな」
「え、でも俺が十字架を持ってるから」
「奴隷君、ゆりたんはそう言うの聞かないからさー」
ポンポンとフェイの肩を叩くルーシーは、
「諦めようねー。ゆりたんは物を大事にするいい子なんだよー」
「いやでも、俺はマスターの奴隷だし囮や肉壁になるしか出来ないし」
「ゆりたんは奴隷君にそんなことを望まないよー、可愛がって甘やかすのが楽しいんだよー、そういう面倒見のいい子なんだよー」
ルーシーも覚えがあるのか、妙に説得力のある言葉だった。彼女の場合、少しばかり抜けているところがあるので一緒に仕事をしている時はユーリが世話を焼いていたのだろうか。
彼女の瞳には若干の諦めみたいなものが滲んでいた。さすがのフェイも何も言えなくなった。
自分自身の世話焼きの性格を自覚していないユーリは、
「何を話しているんだい」
「マスターが意外と世話焼きでいい人だねって話」
「ゆりたんが意外と面倒見が良くていい人だねって話」
「はあ?」
ユーリは眉根を寄せると、
「アンタらの世話はいくら焼いても楽しいんだからいいだろう?」
「楽しいんだ」
「楽しい」
真剣な表情で頷くユーリ。楽しいのならば何よりである。
「話が終わったら行くよ」
「はぁい」
「分かったー」
フェイとユーリ、ルーシーの三人は揃って砂場を踏む。
サラッとした感覚が靴底を通じて伝わってくる。
迷宮区に入る際の変化が起きるかと思ったが、砂場に埋め込まれていく様子もなければ目の前の景色が変わる様子もない。ここが本当に迷宮区なのだろうか。
三人揃って砂場の真ん中で立ち尽くし、
「迷宮区に潜れた?」
「潜れてないねェ」
「どうしたら潜れるのかなー?」
うーん、と三人で首を捻る。
頭のいい『七つの大罪』所属のSSS級探索者、アルア・エジンバラ・ドーラがいれば状況は打開できたかもしれない。ただ今回は彼女の存在はないし、フェイもアルアの存在は出来るなら遠慮したい。
じゃあどうやって迷宮区の中に潜ることが出来るのだろうか? 砂場で飛び跳ねれば潜ることが出来るのだろうか?
フェイはちょうど足下に転がっている小さなバケツを手に取り、
「そう言えば、よく泥団子とか作ったな」
「奴隷君もそういう遊びをしてたんだねー」
「まあ、はい。人並みにやってましたよ」
「砂場遊びとか好きだったー?」
「どっちかと言えば鬼ごっことかで遊んでましたね。田舎だったもので、駆け回るぐらいしか出来なかったんで」
そんな昔の話を語りながら、フェイはバケツで砂場を掘ってみた。この下に迷宮区がないかな、などと期待しながら。
すると、どこからか声が聞こえてくる。
怒りに満ちた声のようだった。
――我が砂で遊ぶのは誰だ!!
嗄れ声で怒鳴られて、フェイは「ごめんなさい!?」と思わず謝罪する。
その時だ。
視界が唐突に切り替わっていき、砂場の存在が消えて砂で満たされた箇所となる。開けた公園が狭苦しく薄暗い廊下となり、石が積まれた壁がフェイたちを取り囲んでいた。
「――――え?」
どこまでも伸びる薄暗い廊下に、フェイの疑問に満ちた声が落ちる。
「ここが迷宮区かー」
「迷路みたいだねェ」
SSS級探索者二名の言葉に、フェイはここが迷宮区【サンドグレイヴ】ということが理解できた。
まさか砂場を弄ったことが迷宮区に潜る為の引き金だとは思わなかった。
それと、あの嗄れ声は誰のものだったのだろうか?




