第9話【こんばんは、ゾンビども】
「あー」
「あーあー」
「うあー」
洋館の向こう側で、ゾンビたちによる呻き声の大合唱が聞こえてくる。
窓や扉を引っ掻く緑色の肌をした人間どもは、残らずゾンビ系の魔物だろう。見渡す限りゾンビ系の魔物しか存在しないので、やはり迷宮区【アンデッドマンション】らしい世界観と言えようか。
性別や姿形は違えど、全員揃ってゾンビ系の魔物である。ゾンビ系の魔物は討伐が面倒なので相手にしたくないが、今回はゾンビ系魔物を遠ざける香炉を焚いているので平気だろう。
柑橘系の匂いを漂わせる香炉を手で包むフェイは、
「誰かが囮をやった方が」
「止めな、フェイ」
フェイの背後に隠れたユーリが、顔を青褪めさせて言う。フェイが着る深緑色のつなぎを掴む手はガタガタと震え、この状況がどれほどご主人様にとって恐怖心を感じるものか理解できた。
「ゾンビに噛まれてアンタもゾンビになっちまうよ、大人しくしてな」
「いやでも、これだといつまでも屋敷の外に出られないって言うか……」
フェイは心配そうに屋敷の扉を見やる。
ドラゴが真っ赤な拳銃を片手に屋敷の扉へ張り付いて、ゾンビ系魔物の状態を確認する。
墓から次々と姿を見せるゾンビ系魔物は、屋敷へ一気に押し寄せてカリカリカリカリと扉の表面や窓を引っ掻くだけだ。扉を蹴破って侵入する、という行動まで頭にないらしい。
黄ばんだ眼球の群れが、窓の向こうで待ち構えている。歯も何本か抜け落ち、髪も頭皮ごと剥かれて頭蓋骨が見えてしまっている。容姿がこの上なく恐ろしい。
「いつか屋敷に入ってきちゃうよ。どうする?」
「一〇〇〇万ディール装填」
銀色の散弾銃を肩からかけた外套の内側から引っ張り出し、窓の向こうに犇めくゾンビ系魔物の群れに突きつけるユーリ。
あ、これはまずい奴だ。
怖い相手を前にして冷静でいられる訳がなかった。こういう迷宮区はご主人様にとって鬼門だったのだ、主に自分が何を考えているのか分からなくなるという意味合いで。
「《全員死》――――!!」
「はいマスター、静かにしてようね」
「むがもごむが」
全員死ね、と自身のスキルである【強欲の罪】に願いそうになったご主人様の口を強制的に塞ぎ、フェイは安堵の息を吐く。
確かにその願いを叶えれば、ゾンビ系魔物は残らず死滅するだろう。
だがそれと同時に、ご主人様を除いたその場にいる全員が死を迎えてしまう。フェイだけではなくアルアやドラゴ、メイヴも彼女の願いに従って死んでしまうのだ。
暴走状態に陥っているご主人様を押し留めて、フェイは「アルアさん」とこの迷宮区を探索するきっかけとなった深窓の御令嬢へ振り返る。
「何とかなりませんか? このままだとマスターが『全員死ね』ってお願いをしちゃいそうですけど」
「それは困りますね……我々としても死ぬ訳にはいきません……」
トロンと眠たげな緑色の双眸を擦るアルアは、
「メイヴ殿……手っ取り早く貴殿にお願いいたします……フェイ殿に格好いいところを見せてやってください」
「良かろう!!」
頼られたことが嬉しいのか、弾んだ声で応じるメイヴ。チラチラとフェイを見てくるのは、アルアが「格好いいところを見せてやってください」とか余計なことを言ったからだろうか。
こちらを巻き込みやがって、とフェイは胸中で悪態を吐くが、四方八方を敵で囲まれた最悪の状況を打開するのはメイヴしかいないだろう。
探索者組合『銀獅子調査団』を牛耳るSSS級探索者、その威光は迷宮区の外側にも轟いている。彼女は自分自身の地位が高くなければ――高いとスキル自身に認めさせなければ、スキルの能力を使うことが出来ないのだ。
メイヴは腰に手をやり、小さめのホルスターから黄金色の回転式拳銃を取り出した。
「ふっふっふ、強欲女はゾンビ系魔物が怖くて戦えんと見た。情けないものよなァ!!」
ニヤニヤと笑うメイヴは黄金色の回転式拳銃を扉の向こうに突きつけ、
「しかぁし!! 私は全く怖くないぞ、これから私に従う人形と成り果てるのだからなァ!!」
黄金色の回転式拳銃に構え、引き金に指を引っ掛ける。
琥珀色の双眸が見据える先は、扉の向こうに蔓延るゾンビ系魔物だ。相手がどんな人物であるかなんて露知らず、未だに扉や窓を引っ掻いて注目を集めようとしている。
さあ、命令の時間である。
「【傲慢の罪】よ、不敬にも我が前に立ち塞がるゾンビ系魔物の群れを平伏させよ!!」
ガチン、と引き金を引く。
その時だ。
がらーんごろーん、と荘厳な鐘の音がフェイの耳朶を打った。
「わ」
フェイは、窓の向こうに集まっていたゾンビ系魔物の群れが一斉に動き始めた瞬間を目撃した。
今までカリカリカリカリと扉の表面や窓に黄ばんだ爪を立てて引っ掻いていたはずが、先程の荘厳な鐘の音が鳴り響いたと同時にゾンビ系魔物の群れが地面に伏せたのだ。
それはまるで、王様を前にした平民のような態度である。地面に平伏し続けるゾンビ系魔物の群れは、それが当然とばかりにやってのけたのだ。
ゾンビ系魔物を見事に平伏させたメイヴは、高らかに笑いながらフェイへ振り返る。
「わはははははは!! どうだ見たか、強欲女の奴隷よ!! そこでガタガタ震えている弱虫よりも、私の方がよっぽど凄かろう!!」
「マスター、大丈夫? 抱っこする?」
「抱きしめてくれないかい、フェイ。まだ声が聞こえる気がするんだよ」
「いいよ。顔を上げない方がいいから、強めに抱きしめておくね」
「頼んだよ」
「ゥオイ!! 私の勇姿を見ずに主人の女とイチャイチャするなーッ!!」
愛しのご主人様にゾンビ系魔物の姿を見せないように、フェイはユーリの華奢な身体を強めに抱きしめてやる。胸元に顔を押し付けてぐりぐりと額を擦り付けてくるユーリは、さながら猫のようだ。
香炉は片手で持ちつつ、フェイはユーリの頭を優しく撫でてやる。「あ、つむじ」なんて指先で彼女のつむじを押し込んでやれば、余計なことをするなと言わんばかりにユーリがフェイの胸板めがけて頭突きをしてきた。
そんな主従のわざとらしすぎるイチャイチャに、メイヴは「うがーッ!!」と絶叫していた。さしもの魔物を平伏させるほど強力なスキルの持ち主であるメイヴでも、フェイの関心を惹きつけることは出来なかったようだ。
「……フェイ殿……私も実はゾンビ系魔物が怖くて……優しく抱きしめて頭を撫でてくれませんか……?」
「え、アルアさんはドラゴさんがいるじゃないですか。そっちにお願いしてください」
「ドラゴは頭を握り潰されそうで嫌です……」
「お嬢に下心がなければ、あたしも素直に抱きしめて頭を撫でてあげるよ!! でもお嬢には完全に下心しかないから頭を握りしめておくね!!」
「イタタタタタタ」
フェイとユーリのイチャイチャにも屈せず、アルアが負けじと割り込んで来ようとした。だが残念ながらドラゴがそれを許さず、彼女の頭に置いた手のひらに力を込めて握り潰そうとしていた。
メイヴの活躍なんて、誰も見ていないのである。可哀想だ。
黄金色の回転式拳銃を両手で抱える金髪縦ロールの少女は、琥珀色の瞳に涙を目一杯に溜めながらフェイの腰に抱きついて叫んだ。
「私も褒めろ!!!!」
「フェイに抱きついていいのはアタシだけさね!!」
「俺を挟んで喧嘩をしないで!!」
自分が蒔いた種だが、どうしてこうなってしまったのだろうとフェイは頭を抱えるのだった。
☆
洋館を出発できたのは、それから一〇分後だった。
「余計な時間を食いました……」
荒れ果てた土の道を、ドラゴの押す車椅子に腰掛けたアルアが進んでいく。彼女の顔面には手のひらの赤い跡が残っていたが、しっかりとドラゴに頭を握り潰されたようだ。
そのあとに、さすがにフェイも同情して「これだけでいいなら」と頭を撫でてやったのである。ユーリも何も言わなかった。せめてもの慈悲をくれてやるとは、ご主人様はやはり優しい。
平伏したゾンビ系魔物の背中を踏みつけ、蹴飛ばしながら屋敷の外に出たフェイたちは薄暗い夜の世界を探索することになった。ちなみにユーリは怖いので、フェイの背中に張り付いている状態である。
「これほどゾンビ系魔物がいるとは想定外です……報告されている時より人数が増えている気がします……」
「そうなんですか?」
ゾンビ系魔物を寄せ付けない効果がある香炉を焚きながら、フェイは首を傾げる。まあこの迷宮区に初めて入ったのだから、仕方がないと言えば仕方がないだろう。
「これは迷宮主も強敵そうだよね!!」
「ドラゴ・スリュートの言う通りかもしれんな。あれだけのゾンビ系魔物の上位置換と言えば、首無し騎士か屍人王程度が望ましいだろうな」
ドラゴとメイヴはゾンビ系魔物に対して恐怖心を抱いていないのか、ケロリとした様子で不気味な世界をちゃんと歩いていた。
歩いていないのはユーリだけである。
奴隷の背中に顔面を押し当て、腰に抱きついたままずるずると引き摺られているのだ。フェイもフェイでそのことに疑問を抱いていない様子で、香炉を焚きながら「迷宮主はどこかなぁ」などと呑気なことを言う。
その主従の様子を一瞥したメイヴが、
「やい、奴隷」
「何ですか?」
「貴様の主人は使い物にならんぞ。いいのか、それで?」
「うん、別に」
フェイはキョトンとした表情で、
「マスターにも可愛いところがあるんだなって」
「貴様の感覚が壊れてないか?」
「他人の好みはそれぞれって言いますしね」
そこで、先を進むアルアとドラゴの二人組が止まった。
屋敷は少し遠くに離れ、目の前に広がっていたのは廃墟だ。
人間の住めそうな建物が並んでいるものの、窓は壊れて扉も開きっぱなしの状態だ。無残に荒れ果てた町は、まさに幽霊でも住み着いていそうな雰囲気があった。
「おそらく……あの町に迷宮主がいるでしょうね……」
アルアは緑色の瞳で廃墟と化した町を眺め、
「さあ行きましょう……迷宮主との戦いに備えてくださいね……」
この迷宮区の終着点が廃墟とは、なかなか雰囲気のあることをしてくれるものである。




