第6話【故郷到着】
五日間程度の珍道中を経て、ついにフェイの故郷であるアルフェンの地を踏むことになった。
時刻はすでに夕暮れへ差し掛かっている頃合いだった。
今から迷宮区を探索すれば、踏破する時間帯は夜中となっているだろう。さすがに夜遅い時間帯に迷宮区を踏破したくないし、夜や暗い場所を避ける傾向にあるご主人様のユーリの心情を察すれば、迷宮区の探索は明日に回した方がいい。
ご主人様のユーリをエスコートしながら馬車を降りるフェイは、
「久々だなぁ」
燃えるような空の下に広がる長閑な田舎町である。
建ち並ぶ煉瓦造りの一軒家には明かりが灯り、外で遊んでいたらしい子供たちが「またな!!」「次は負けねえからな!!」などと言いながら各々の家に帰っていく。中には我が子に帰宅を促す母親の姿まで見られた。
農作業から帰ってきたらしい男衆が、荷車を引きながら畑から戻ってくる。農作業に使う肥料や鍬などの道具を積んだ荷車を自宅の前に置き、扉の向こうに広がる我が家へ向けて「ただいま」なんて言っていた。
本当に変わらない風景である。五歳の時、奴隷商人の手で押し込まれた馬車から見えた景色と、全く変わっている場所がない。
「嫌なことでも思い出したかい?」
「いいや」
ユーリの質問に、フェイは首を横に振って答えた。
「懐かしいなとは思うけど、それ以外に思うところなんてないよ」
「そうかい」
ユーリはフェイの背中をバシンと叩くと、
「まあ、アンタが言うならいいけれどねェ」
「お喋りしている時間はありませんよ……まずは宿を探さなければなりませんので……」
ドラゴに抱えられた御令嬢――アルア・エジンバラ・ドーラが、ドラゴの用意した車椅子に腰掛けながら言う。
それもそうだ、こんな田舎町に夜遅くまで駄弁っていたら怪しまれてしまう。現に周辺の住人からは奇異な視線が突き刺さってくるので、痛々しくて堪らない。
探索者はおろか、行商人すらあまり訪れない田舎町だ。唐突に外部からの人間が町を訪れて警戒するのは理解できる。
すると、フェイの耳に「フェイ君かい……?」という嗄れ声が滑り込んできた。
「はい?」
名前を呼ばれたので振り返れば、視線の先にはやたらプルプルと震えた老爺が木の杖に身体を預けて立っていた。殴っただけで全身骨折しそうなほど痩せ細った爺さんだが、顎髭だけは立派なものを蓄えていた。
クワッと目を見開き、やはりプルプルと震えた指先をフェイに突きつけ、老爺は「フェイ君じゃな……?」と問いかけてくる。
どこかで出会っただろうか、とフェイは首を傾げる。故郷の名前と両親にスキルのせいで奴隷として売られた以外の記憶がないので、この爺さんに対する記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
「えーと、はい、そうですけど……」
「おお、おお……よくもまあ帰ってきてくれた……帰ってきてくれた……!!」
「はいい?」
老爺は自分の身体を支える木の杖を放り捨て、フェイに縋り付いてきた。
「え、どちら様ですか? 覚えてないんですけど」
「儂じゃよ、お主の家の隣に住んでおったロレンスじゃ」
「あー……?」
何かそんな人がいたような気がする、程度の記憶を取り戻した。
自らをロレンスと名乗った老爺は、涙ぐみながら「よかった、よかった」などと喜んでいる様子だった。意味が分からない。
フェイもさすがに老人相手には酷い扱いが出来ないので、老爺をやんわりと引き剥がそうとするのだが、意外とこの老人の力が強すぎて剥がすことが出来ない。何だこの爺さん。
「おや……興味深いですね……フェイ殿の小さい頃の話ですか……」
「お嬢、耳を抉り取られたくなかったら大人しく宿屋について聞こうね!!」
「ドラゴ……貴女は本当に主人を脅すのが上手くなりましたね……」
フェイにしがみつく老爺に車椅子で近寄り、アルアが「お聞きしたいのですが……」と霧の向こうから聞こえてくるような細々とした声で尋ねる。
「この町に宿屋はありませんか……? 二部屋や三部屋程度ご用意してもらいたいのですが……」
老爺はその質問に対して、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
アルアの質問を受けた老爺は、そっとフェイから離れた。
それまで意地でも離れないとばかりの勢いがあったのに、珍しい心情である。何があったのだろうか。
「止めた方がいい」
老爺の声はしっかりとしていた。
「あの宿屋の主人は性根が腐っておる。町長の屋敷に行けば、部屋を貸してもらえるじゃろう。残念ながら小さな田舎町なもんで、宿屋は一つしかないのじゃ。泊めることはお勧めせん」
「性根が腐っているとは……宿泊代金をぼったくられるとかですかね……?」
「実の息子を奴隷商人に売り渡すような悪魔どもじゃ!!」
老爺の瞳には、鋭い光が宿っていた。
自分の息子でもないのに、老爺は随分と正義感が強いらしい。フェイ本人は覚えているのかどうかも怪しいというのに、だ。
むしろ、実家にいるよりも今の方が幸せだった。綺麗で優しいご主人様に可愛がってもらいながら、迷宮区踏破という刺激的な人生を送れている。奴隷商人に売ってくれてありがとうとお礼を言いたいぐらいだ。
だから、フェイは自分の両親に嫌悪感を示す老爺に、
「ありがとう、ロレンスさん」
老爺はゆるゆると顔を上げた。
フェイは、笑っていた。笑うことが出来た。
だって奴隷でよかったと心の底から思えているのだから。
「でも俺、今の方が幸せだから」
老爺はその一言で何を思っただろうか。細々と「そうか……」と言った。
「フェイ君の名前は、この田舎町まで聞こえているとも。あのSSS級探索者と一緒になって迷宮区を巡って……奴隷の身に堕ちたから、引き摺り回されているのかと心配したもんじゃが……」
木の杖を拾い上げた老爺は、
「身なりが綺麗だし、立派に育った。――いい主人に巡り会えたのう」
「はい、自慢の主人です」
ニッコニコの笑顔で言ってやれば、隣にいたユーリがフェイの脇腹を抓った。照れ隠しだろう、可愛いところもあるご主人様だ。
「だからこれから両親に自慢しに行こうかと思ってるんです」
「それはいいじゃろ、やっておやり」
老爺がうんうんと頷けば、ご主人様のユーリが「おや」と反応する。
「アンタは随分とフェイの両親を嫌っているじゃないかい。いいのかい、アンタの知ってるフェイがそんな性悪なことをして」
「スキルの良し悪しで可愛い我が子を手放す親など親ではないわ。儂も、それにこの町の人間も認めんよ」
フンと鼻を鳴らす老爺は、
「スキルを重要視する輩は阿呆のやることじゃ。今では村八分を食らって、生活するのも苦しいらしいからの。せいぜい幸せな姿を見せてやるといいのじゃ」
「アンタもいい性格をしているじゃないかい」
「ほっほ、綺麗なお嬢さんに褒められると嬉しいもんだのう」
老爺はバシバシとフェイの背中を叩いてから「気をつけて迷宮区を探索するんじゃぞ」と言い残して、自分の家に帰っていった。
意外と、この故郷も捨てたものではないらしい。
両親に奴隷商人へ売られたという苦い記憶しか残っていなかったが、そのことを快く思わない住人もいたのか。むしろそう言った人間が大半なのかもしれない。
ユーリはフェイの顔を見上げ、
「アンタの両親がおかしいだけで、アンタの故郷の人間はおかしい連中なんていないじゃないかい」
「…………うん、そうだね」
フェイは苦笑すると、
「話が聞けてよかったかも。覚えてないけど」
「それはそうだねェ。もう十年も前の話だしねェ」
「何をしている、阿呆ども」
馬車から自分の荷物を引っ張り下ろしていたメイヴが、恨みがましそうな視線をフェイとユーリに送ってくる。
「早く宿屋に行くぞ。そろそろ寒くなってきた」
「そうだねェ、行くよフェイ」
「うん。でもその前に」
フェイはユーリの肩からかけられている外套を脱がせ、きちんと上から羽織らせる。怪訝なご主人様に構わず外套の前を釦で留め、ご主人様の扇情的な格好を隠す。
「はい、行こうか」
「フェイ、何で前を閉めるんだい」
「エロ親父に見せたくない」
これから両親のいる宿屋に行くのだから、絶対に何かあるはずだ。
フェイはそんな予感がしたので、せめて主人の露出の多い格好は隠すことにした。
主人の格好を見ていいのは自分だけ、という嫉妬心は内緒である。




