第4話【夜は怖い】
日が暮れて夜が訪れ、こうなることは必至だった。
「マスター」
「何だい」
「俺さ、風呂に入りたいんだけど」
着替えを抱えるフェイは風呂に向かおうとするが、何故か腰にご主人様のユーリがしがみついている始末である。理由は分からん。
昼間に「暗いところや夜が怖い」とドラゴにバラされてから、ユーリは遠慮をしなくなった。あれこれ理由をつけなくなったとか、誤魔化さなくなったと表現した方がいいだろうか。
とにかく、これでは邪魔である。ご主人様が望むなら全裸になることも逆らえないが、出来るならこの綺麗なご主人様に汚いブツを見せたくないのが本音である。
「じゃあアタシも入る」
「マスターはさっき入ったでしょ」
「そうさね」
「しかも俺まで引っ張り込んで、髪も洗ってあげたよね?」
「そうさねェ」
「まだ風呂に入るの? ふやけるぞ、さすがに」
「察しが悪いねェ、アンタは」
ユーリはフェイの腰に抱きついたままニヤリと笑い、
「アンタの髪を洗ってやるに決まってるさね」
「ああ、そういうこと」
フェイは納得した。
定期的に訪れるご主人様による奴隷構い倒し時間が到来したらしい。今回は風呂に入れてくれるようだ。
ご主人様のユーリが楽しんでいるのだから、まあフェイも受け入れざるを得ない訳だ。フェイもちょっと楽しいので一石二鳥ではある。
そういうことならば仕方がない、ユーリに任せることとしよう。
「じゃあ、先に風呂へ行ってるから待っててよ」
「何でだい」
「服を脱ぐからだよ」
「ここで脱げばいいだろうに」
キョトンとした表情でとんでもないことを言い出すご主人様。
さすがにそれはフェイも拒否したい、男としての何かを失うかもしれないのだ。いくら奴隷でも立派に成長した一八歳の肉体を見たいと言うのか。
仮に上半身だけならフェイも「まあ仕方がないか」程度で脱いでいたかもしれない。上半身など見られて恥ずかしいものなどないし、日々の鍛錬と迷宮区踏破のおかげで鍛えられているからだ。
だけどさすがに下半身はダメだ、見せられない。恥ずかしいどころの騒ぎではない。
「マスター、諦めて」
「脱ぎな、フェイ」
「嫌だ」
「マスターに逆らうのかい」
「逆らってでもいいから脱ぎたくない」
「減るもんじゃないしいいだろう?」
「俺の精神的なアレが減る」
「アタシは気にしない」
「俺は気にする。頼むから風呂場の外で待ってて脱いで完全防御してら呼ぶから!!」
「やだ」
「寂しがりやも大概にしろぉ!!」
奴隷とご主人様による攻防はおよそ五分も続いたが、いつになく必死の抵抗を見せる奴隷にご主人様の方が折れてくれた。
折れなければ痴女である。さすがにそんなことをしていると言えば、メイヴ辺りが怒り狂うだろう。あの少女は意外と常識人だし。
脱衣所で深緑色のつなぎを脱いでいる最中に扉をカリカリと引っ掻いてくるユーリは、
「ふぇーいー、まだかーい」
「マスター、俺を怖がりにさせるつもり?」
「そんなことないよォ」
「絶対に楽しんでるだろ!!」
秘密が明かされた瞬間にこれである、それなら最初からバラさない方がよかったのではないだろうか。
フェイは密かに明日からの迷宮区【アンデッドマンション】の攻略を心配するのだった。
後悔しても遅いのである。
☆
綺麗に磨かれた浴槽には温かなお湯が張られ、乳白色の入浴剤のおかげで浴室には不思議と心が落ち着くような香りが漂う。
ちゃぷん、とお湯に揺られるフェイは鼻歌混じりに入浴剤の瓶やら洗髪剤の瓶やらを取り出してくるご主人様を眺めていた。
何というか、やはり楽しそうだ。それほどフェイの世話を焼くのが好きなのか、はたまた誰でもこうなのか。
(あー……にしてもあったかい……)
奴隷の身なので温かいお湯に浸かることが稀である。
こんな贅沢を許されるのは、やはり優しく綺麗なご主人様だからだろうか。奴隷に湯浴みを許すご主人様の存在など希少なのだから。
鼻歌と共にフェイが浸かる浴槽まで戻ってきたユーリは、
「さあ頭を洗うよ」
何故か瓶を大量に掲げるご主人様がいた。その瓶の量は一体何だ。
フェイは浴槽の中で固まっていた。
まさかご主人様のユーリが、調味料ばりにたくさんの瓶を持ってくるとは思わなかったのだ。これは煮込み料理にでもされるのだろうか。
「マスター、頭を洗うのに何でこんな量の瓶が……?」
「何言ってるんだい、フェイ。洗髪剤はこれだけさね」
ユーリが掲げた瓶には『洗髪剤』と表記されており、他の瓶は特にそんな表記は見られなかった。おそらくこれだけなのだろう。
では何故そんなに大量の瓶を抱えて戻ってくるのか。
もしかしてフェイの全身を洗おうという魂胆なのだろうか。それだけほ勘弁してもらいたい、下半身はいくら浴布で完全防御しているとはいえ剥ぎ取られるのは嫌だ。
警戒するフェイの心境を察したのか、ユーリが笑いながら「安心しな」と言う。
「他には髪の保湿効果があるものと、髪の艶を取り戻すものさね。あとは洗顔料さ」
「洗顔……?」
「身体は自分で洗いな、そこまで面倒は見ないよ。ただし顔はアタシがやるさね」
「あ、うん。分かった」
何か知らんが、洗顔料なら安心である。ご主人様自身も「身体は自分で洗え」と宣言したのだから、それは守ってくれるはずだ。
フェイが大人しく頭を差し出すと、髪にまず温かなお湯がかけられる。熱くもなく冷たくもない、ちょうどいい温度のお湯だった。
適度に濡らしたフェイの金髪に、ユーリが洗髪剤を練り込んでいく。ガシガシと乱暴に洗うのではなく、指の腹を使って揉み込むように洗髪剤を泡立てていった。
正直に言おう、めちゃくちゃ気持ちいい。ご主人様に頭を洗われるという贅沢に、フェイは思わず「ぅあー……」と声が出てしまった。
「気持ちいいかい?」
「うん……」
「痒いところや痛いところは?」
「ないぃ……ゔぁー……」
もう完全におっさんである。何とでも言うがいい。
丹念にフェイの頭を洗っていくユーリは満足げに「そうかい」と答えた。
普段のガサツさから考えられないほど繊細で丁寧な指遣いである。そういえば指先まで綺麗だし、ささくれも目立たない綺麗な女性の手だ。多分、相当に気を遣ってちゃんと手入れをしていると見た。
「マスターはさ」
「何だい?」
「どうして夜が苦手なんだ?」
「苦手って訳じゃないよ」
ユーリはフェイの頭を洗いながら、
「夜の雰囲気は好きさね。静かだし、酒呑どもが騒ぎ出したり面白い」
「じゃあ何で?」
「一人になるのが嫌なのさ」
泡だらけになったフェイの頭にお湯をかけながら、ユーリは言う。
「アタシはずっと、ずーっと一人で過ごしてきた。そりゃあね、過去には『七つの大罪』に在籍していたけどねェ。それも随分と昔の話さね。探索者組合を辞めてから、アタシはずっと一人で迷宮区を踏破していたのさ」
「そっか」
もう一回フェイの頭に洗髪剤を練り込むユーリは、
「だからフェイ、アンタは離れるんじゃないよ」
「離れないよ」
最初から決めているのだ。
フェイはご主人様であるユーリ・エストハイム一筋である。他の女性など、最初から目に入っていない。
いつでもフェイの世界の中心にはご主人様のユーリがいて、彼女だけがいればフェイは幸せなのだ。それ以外に必要じゃない。
だから、離れないのは当たり前なのだ。
「ずっといるよ、マスター。俺はずっと、マスターが飽きて俺を捨てるまでずっと」
「捨てる訳ないだろう」
ユーリはキッパリと言い放った。
「アンタはアタシの大切な奴隷で、迷宮区踏破に必要な弾丸さね。勝手にいなくなるのは許さないよ」
自信たっぷりに言い放つご主人様の言葉に、フェイは「そっか」と応じた。
「……ところでマスター」
「何だい、フェイ」
「俺の頭で遊んでるよね?」
「遊んでないよ」
「いや角作って遊んでるよね?」
「遊んでないよ」
「何で目線を合わせねえ」
「別に」
自分の髪の毛で立派な角を作って遊ぶユーリに、フェイは恨みがましげな視線を送るのだった。




