第9話【イカ大王をぶっ倒せ】
「我が寝所に足を踏み入れたこと、後悔させてやる!!」
錆びた玉座の前に居座る巨大なイカ――クラーケンは、一〇本の太い触手を伸ばして襲いかかってくる。
フェイとユーリは、一〇本の太い触手の間を潜り抜けるようにして回避する。動きが大振りなので回避行動は取りやすかった。
太い触手の群れは明らかに硬そうな塔の床を抉る。おかげで一〇箇所の穴が開いた。あの穴に躓いて転んでしまったら命取りだ。
薄暗い空間の端に寄るフェイとユーリは、コソコソと声を潜めて作戦会議をする。
「俺が囮になろうか?」
「そうだねェ」
ユーリは赤い双眸を眇めると、
「フェイ、触手の間をすり抜けるように逃げ回りな」
「分かった」
触手の間をすり抜けるということは、あのクラーケンに近づかなければならないことを示していた。
それでもフェイは命の危険を冒してもユーリの命令に従う。迷宮区とは大体そんなものであり、もう何度も経験したことなので慣れっこである。慣れたらダメなのだが。
ユーリは「それとねェ」と言葉を続け、
「あれは迷宮主じゃないよ」
「そうなの?」
「玉座の前にいるから、おそらく前座だろうねェ。軽く流すことも出来やしない」
あの巨体だから錆びた玉座に座れないのではなく、迷宮主を守る騎士の役割を果たすが為にあの場所へ居座り続けるのか。
それならフェイが先程見た【鑑定眼】の値段にも納得がいく。
迷宮主はその本体が高額か、迷宮主に付随する装備品が高い場合がある。最近は後者が多いが、稀に本体も高ければ装備品も高いという美味しい結果がある。今回はそれも見込めるだろうか。
銀色の散弾銃で軽く肩を叩きながら、ユーリは言う。
「手っ取り早く触手を絡ませてすっ転ばせるよ、フェイ」
「了解」
「――何をコソコソとやっているのだ!!」
やたら威厳のある口調の巨大イカは、三本の触手を掲げて振り下ろしてくる。
フェイはやたら大袈裟な動きを見せる触手を睨みつけ、頑丈なゴーグルを瞳に装着した。
海水の中に床が壊れた粉塵が煙のように混ざる中に飛び込み、触手を回避する。背後で壁か床が壊される気配を感じ取ったが、フェイは確認もしなかったし足も止めなかった。
粉塵の霧を裂くようにして触手が伸びてくるが、フェイはそれを飛び越えてさらに回避。フェイを追ってきていた触手と、フェイがつい先程飛び越えたばかりの触手が慌てた様子で粉塵に紛れて逃げるフェイを追う。
「うおおおおッ!? あっぶねえ!!」
冷静に回避したつもりだが、全然冷静でも何でもなかった。
一〇本の触手は本当にまずい、自分一人で相手できるかどうか不明だ。
もしかしたら足を絡め取られて叩きつけられてしまうかもしれない。そうなったらあっさりご臨終だ、それだけは回避したい。痛いのは嫌だ。
左右から襲いかかってきた二本の触手の下をくぐり抜け、フェイは触手から逃げ回る。触手の上を飛び越え、下をくぐり、左右に翻弄してひたすら走る。
「ちょこまかと往生際が悪い小僧だ!!」
巨大イカがそう吐き捨て、触手で部屋の隅まで逃げたフェイに追い縋る。
吸盤がついたその先端は、フェイに触れることが出来ずにピンと伸びて止まった。
見れば触手が見事に絡み合い、強固に結ばれていた。これでは解く作業に時間がかかりそうである。
巨大イカは「ぬう!!」と悔しそうに呻くと、
「小癪な!!」
巨大イカの下部から黒い墨がぶわッ!! と吐き出される。
粉塵よりも濃い黒の霧が視界を覆い隠す。
部屋の隅に逃げたフェイは「ぶわ!!」と思わず叫んでしまった。これでは一歩も動けない。動いた途端に触手に捕まる。
「どうすれば……」
フェイのスキルに墨の中を歩くようなものはない。価値もなければ特に意味のない墨の攻撃に、価値などあったものではない。
すると、墨の向こう側で聞き覚えのある声が耳朶に触れた。
それはすぐ側で聞こえて、墨の向こうにかすかな銀色の輝きを見る。
「一〇万ディール装填」
願いを叶える為に、貯蓄した金銭を対価に捧げる。
「《墨よ、晴れろ》」
視界を覆い隠していた墨の霧が、途端に消えて元の薄暗い部屋が見渡せるようになる。
頑丈に絡まった足を何とか解こうと躍起になるクラーケンを、ご主人様のユーリが見上げていた。
墨の霧があっさり晴れるとは思っていなかったのだろう、クラーケンは「何ィッ!?」と驚いた様子だった。
ユーリは銀色の散弾銃をクラーケンに突きつけ、
「アンタはここで終わりさね、巨大イカ野郎。一〇〇万ディール装填」
豪勢に一〇〇万ディールという高額を叩き込んだユーリは、
「《燃えろ》」
ガチン、と引き金を引く。
この水の中で燃やすからか、はたまたあの巨躯を燃やすからか。とにかく高額な理由はその二つが考えられる。
それでも高い金額を捧げられて、さしもの【強欲の罪】も無碍には出来なかったのだろう。ユーリの願いは確かに叶えられた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
巨大イカの耳障りな絶叫が鼓膜を突き刺した。
全身を真っ赤な炎に包み込んだクラーケンは、そのままジタバタと炎の中でもがきながら燃えていった。
あれではゲソ焼きである。塩でも振りかければ美味しくいただけそうな気配だ。魔物でも美味しくいただけるものもあるので、クラーケンもおそらくそんな類だろう。
見事なゲソ焼きになってしまった可哀想なクラーケンを見上げ、フェイは苦笑した。
「凄え最後だなぁ」
「食べるかい?」
「うわ、早速食べてる」
ゲソ焼きになってしまったクラーケンの触手の先端を千切り、むしゃむしゃと頬張るユーリ。よくもまあクラーケンを食べようと思ったな、とフェイは苦笑いを浮かべるしかなかった。
だが、まあこれだけ巨大ならば今後の食事には困らなさそうだ。
フェイもイカは嫌いではない。少し食べてみてもいいだろう。実際、とても美味しそうなのだから。
ご主人様からゲソ焼きとなったクラーケンの足を受け取るフェイは、
「あ、確かに美味しい」
「柔らかいねェ」
「ちゃんと塩胡椒とバターで味付けしたいな」
「いいじゃないかい。少し持って帰るかい?」
「予備の鞄ってあったっけ?」
「アタシのスキルに収納できるよ」
「さすがマスター」
「褒めても何も出ないよ」
意外と身が引き締まって美味しいゲソ焼きを堪能しつつ、フェイとユーリは今後の晩ご飯の為にクラーケンを持ち帰ることを決めた。これは確かにちゃんと料理をしたい美味しさである。
その時だ。
どこからか声がした。クラーケンが生き返ったことではない、ということだけは分かる。
「クリス、クリス? どこにいらっしゃるのです?」
か細い声だ、女性のもののようである。
錆びた玉座の裏側からひょっこりと顔を出したのは、青い髪を持つ人魚だった。
緩やかに波打つ青い髪には真珠が散りばめられ、こちらを不思議そうに眺める深海色の瞳には星が散っているかのようにキラキラとしたものが瞬いている。愛らしい顔立ちは異性を虜にし、美しい声は惚れ惚れしてしまう。
綺麗な青色の髪の上には貝殻で作られた王冠が乗せられ、他の人魚たちと比べると装備品がだいぶ立派だった。さながら女王のようだ。
「あら……? 貴方たちは誰かしら?」
人魚の女王は首を傾げる。
「あら、あらあらあら」
人魚の深海色の瞳は、巨大イカの焼けたものが映し出されていた。
彼女が迷宮主ならば、これは迷宮主を守る騎士である。
フェイとユーリはそんな彼女の前で騎士たる巨大イカを貪っていた。仲間思いの迷宮主なら発狂することだろう。
ところが、彼女は朗らかに微笑むと、とんでもないことを告げた。
「まあ、美味しそう!!」
彼女は自分の騎士が焼けた姿を見て、美味しそうと言ったのだ。
人魚に仲間意識もクソもないのか、とフェイは思う。
まあ発狂されないだけマシなのだろうか。人魚の女王が「それ、くださるかしら?」などと食事する気満々だったので、仕方なしにゲソ焼きとなった触手の先端を分けてやるのだった。




