第12話【再びやってきたあの女】
真っ赤な妖精を自分たちの国に放してやり、フェイたちは巨大な蜘蛛の死体を引き摺って【フォレストヴァンシー】の出口まで向かう。
踏破と同時に迷宮区が崩壊する形式ではなく、この迷宮区は自力で出口まで辿り着かなければならないのだ。
疲れた身体に鞭を打って足場の悪い道を、さらに巨大な蜘蛛の死体を引き摺りながら歩くのは酷である。まあ蜘蛛の死体を引き摺るSSS級探索者は疲れ切った様子はなさそうだが。
鼻歌でも歌わん勢いで歩くドラゴは、
「お嬢は喜んでくれるかな!?」
「それだけデカけりゃ喜ぶさね。自信を持ちな」
「うん!!」
ドラゴの隣を歩くユーリは、ふあぁと眠たげに欠伸をする。本日の仕事から解放されて緊張感が緩んだのだろう。
帰ったら絶対に昼寝をするな、とフェイは推測する。
意地でもユーリの抱き枕から逃げ出して、ご主人様が眠っている間に家事をしなければならない。夕飯の支度だってあるのだ。抱き枕になっている暇はない。
【フォレストヴァンシー】の出口まで辿り着き、木々の間を縫えば見覚えのある神殿に足を踏み入れていた。薄暗い神殿を突き進んでいくと、やはり見覚えのある森がフェイたちを出迎える。
ついでに余計なものまで出迎えてきた。フェイとユーリにとっては最悪の展開である。
「あ、帰ってきたぁ」
金髪の美女、イザベラ・ラインツイッヒがそこにいた。
神殿から出てきたフェイに抱きついてきたイザベラは、まるで猫が飼い主に匂いを擦り付けるかの如く頭を胸板にグリグリと押し付けてくる。
唐突なことで反応が遅れ、フェイは状況を読み込む為に固まった。これは悪夢か何かか。
先に復活したユーリが、フェイの胸板に額を擦り付けるイザベラの脇腹を蹴飛ばす。
「きゃんッ」
「ウチの奴隷に何してんだい!! アンタはそんな節操なしだったのかい!?」
「酷いわぁ、ユーリちゃん。ワタシはただ、この子が魅了体質にやられないから気に入ってるのにぃ」
シクシクと泣き真似を披露するイザベラに、ユーリが銀色の散弾銃を抜きかけた。おそらくもう一度どこかに飛ばすつもりだろう。今度は海の底か、それとも危険な迷宮区の中に無一文で放り出すか。
フェイは慌ててユーリの手を掴んだ。
いや、イザベラの処遇は正直どうでもいいのだが、ユーリが犯罪者になるのだけは阻止したかった。ご主人様が犯罪者になった場合、奴隷であるフェイは強制的に奴隷商人のところへ送り返されてしまうのだ。
「止めて、待ってマスター!! マスターが犯罪者になったら、俺は奴隷商人のところへ逆戻りするんだけど!?」
「…………」
フェイは見知らぬ誰かの手に渡る、と考えたユーリは銀色の散弾銃を外套の内側に戻した。彼女が手塩にかけて育てた奴隷である、今になって手放せば迷宮区踏破が不利になってしまう。
一方のイザベラはフェイに助けられたと思ったのか、豊満な胸を腕に押し付けてニコニコと微笑む。「優しいのねぇ」という褒め言葉もついてきた。
なので、フェイはイザベラを引き剥がしてからちゃんと自分の意思を告げる。
「あの、イザベラさん。迷惑なんで止めてください」
「ええー? でもぉ……」
「俺、マスターだけなんで」
フェイはイザベラを真っ直ぐに見据え、
「マスター以外の女の人に触ってほしくないんです。ごめんなさい」
「…………あらやだぁ、一途なのねぇ」
イザベラはクスクスと楽しそうに笑うと、
「じゃあ、キミを誘惑するのは止めるわぁ。ワタシ、他人の色恋に首を突っ込みたいと思わないタチなの。一途な子は好きよぉ、応援してるわねぇ」
「え? 何を?」
「じゃあねぇ」
イザベラは何を思ったのか、さっさと帰っていった。
何故か理由は不明だが、とにかく帰ってくれてありがたかった。どの部分が琴線に触れたのかいまいち理解できないが。
不思議そうに首を傾げるフェイは、ご主人様に振り返る。
「マスター、何か帰ってったけど」
「…………そうかい」
ユーリの頬は、何故か林檎のように赤かった。熱でもあるのだろうか。
ご主人様の体調不良を察知して、フェイは急いでユーリの外套の前を閉じる。こんな露出の多い服を着ているからこうなるのだ。
驚くユーリを抱きかかえたフェイは、何故かポカンとした様子のドラゴに言う。
「何かマスターが熱っぽいから行きます!! お疲れ様でした!!」
「あ、うん。気をつけてね」
「はい!!」
呆けた様子のドラゴに送り出され、フェイは乗合馬車の停留所まで急いだ。
「……ワンコ君、意外とやるねえ」
一人残されたドラゴの呟きは、フェイの耳には届かなかった。
☆
風邪っ引き予備軍であるご主人様をとりあえず地面に下ろし、フェイは乗合馬車の時刻表を確認する。
時刻表は、ついさっき馬車が出たばかりであることを示していた。次に馬車が来るのは二〇分後である。
さすがに風邪っ引き予備軍のご主人様を外に二〇分も放置する訳にはいかない。このまま叶抱えてアルゲード王国まで走った方がいいだろうか。
「フェイ」
「どうしたの、マスター。体調が悪いなら座ってて」
「フェイ、アタシは風邪を引いてる訳じゃないよ」
「え、でも」
顔が赤いよ、とご主人様へ振り向こうとするフェイの背中に、ユーリが額を押し付けてくる。
フェイの腰に華奢な腕を巻きつけ、後ろからしがみついてくるご主人様にフェイは首を傾げる。
体調が悪くないという訳ではないのであれば、一体何なのだろうか。ただの疲労から来る何かだろうか。
「…………フェイ」
「何?」
「嫌じゃないのかい」
「嫌じゃないって、何が?」
「ほら、こうやって……」
腰に抱きつく腕に力を込めるユーリは、
「抱きついたり、さ」
「うん、嫌じゃないよ」
フェイはさも当然と言わんばかりに即答する。
ユーリに抱きつかれるのは嫌ではない。むしろちょっと好きなのだ。
いつもは手の届かない高嶺の花のような印象を受けるご主人様だけど、今この時のように甘えてきたりするのは可愛いと思う。ご主人様に撫でられるのも好きだけど、どちらかと言えば甘えてくるご主人様に尽くしたいのが本音だ。
何だろう、この奴隷根性。フェイは根っからの奴隷なのだろうか。
「そうかい」
フェイの回答に満足した様子のユーリは、
「……やっぱりちょっと臭い」
「え、汗臭い!? ごめんマスター、離れてくれる!?」
「何でだい」
「だって汗臭いの嗅がれたくないんだけど!!」
フェイがご主人様を引き剥がそうとするが、何故かユーリは背中に引っ付いて離れない。腕にも凄い力が込められているようだ。何故だ。
このまま乱暴に引き剥がせばご主人様の腕に傷が出来そうだし、奴隷の身でご主人様の命令に背けば売り飛ばされる可能性がある。それだけは避けたい。でも汗臭いのを嗅がれるのは嫌だ。
すると、ユーリは唐突にフェイの背中へグリグリグリグリッと額を擦り付けてきた。
「え、ちょ、何してるのマスター」
「うるさい」
「あッハイ」
フェイの質問はピシャリと一蹴されてしまい、ユーリの額グリグリ攻撃を甘んじて受け入れることにする。
しばらく痛いほどグリグリと額を擦り付けられ、それから唐突にパッと解放される。
振り返ったご主人様は妙にやり切ったような表情と、満足げにふんすと鼻を鳴らした。
「これでよし」
「はあ……」
「あ、ちょうどよかったねェ」
ちょうどそこに乗合馬車がやってきた。どうやら予定よりもだいぶ早い到着になったようだ。
乗合馬車の到着に安堵するフェイの横で、ユーリはどこかご機嫌な様子で口笛を吹いていた。ご主人様の機嫌がいいと不安になるのだが、まあ本人のご機嫌が飛びきりいいのであれば問題ないのだろうか。
ユーリのご機嫌が最高潮な理由が皆目検討つかず、フェイは「?」と首を捻るしかなかった。




