第9話【虫の繭】
深い霧は前後左右すらも曖昧にする。
ぼんやりと視界の端に浮かび上がるのは、果たして樹木かそれ以外か。
ザクザクと草の生い茂った大地を踏みしめながら、フェイは注意深く周囲を見渡す。手元の鳥籠が揺れて、時々ガシャンと耳障りな音を奏でた。
「ちょっとぉ、乱暴に扱うんじゃないわよ!!」
鳥籠の中に閉じ込められた全身真っ赤な妖精――ハーレ・ルゥが不満げに訴えてくる。
「わたしは王女なんだからね、乱暴に扱ったらタダじゃおかないんだから。この下僕」
「マスター、また振り回した方がいい?」
「手加減するんじゃないよ」
「あいよ」
ご主人様であるユーリにまずはお伺いを立ててから、フェイはハーレ・ルゥを閉じ込める鳥籠を上下に振り回す。
当然ながら、その中に閉じ込められるハーレ・ルゥもタダでは済まない。
鳥籠の檻に全身を強かにぶつけながら目を回す真っ赤な妖精は、甲高い悲鳴を上げながら鳥籠を持つフェイに抗議してくる。
「こ、この!! わたしはぁ、王女なのにぃ!!」
「まともに案内しないアンタが悪いんだろう?」
先頭を歩いていたユーリは、フェイの手から鳥籠を強奪すると軽く左右に揺さぶりながら言う。
「国から出たと思えば『やっぱりわたし、卵の場所なんて知りませーん』なんてほざくからだろう? たとえ王女様でも役立たずは必要ないのさ」
そう、このハーレ・ルゥは自分の故郷である妖精国を立ち去ってから卵の居場所を聞いたところ、しれっと「わたし知らないわ」などと言ったのだ。
理由はユーリが推察した通り、女王になる為の英才教育に嫌気が差して息抜きをする為だとか。それまでは「虫の卵を見つけたショックで立ち直れないわ……」と言って部屋に引きこもり、探索者が訪れる瞬間を虎視眈々と狙っていた訳である。
この小賢しい王女など、鳥籠に閉じ込めてその場に放置しないだけまだ待遇はいいだろう。命の保証がされているのだから。
「わ、忘れちゃっただけだもん……」
ハーレ・ルゥは抵抗として小さな声で訴えるが、ユーリにそんな言葉は通用しない。
「お荷物を国に突き返してやってもいいんだからねェ。アタシのスキルでアンタの口を割らせてもいいよ、それともアタシのスキルを発動する為の餌食になるかい?」
鳥籠の檻に銀色の散弾銃を突きつけ、ユーリはハーレ・ルゥを脅しかける。
フェイは擁護しなかった。今回ばかりはハーレ・ルゥが全面的に悪い。
本当に探索者がほしい情報を「知っている」と立候補しておきながら、実は何も知りませんでしたでは話にならないのだ。嘘を吐かれるのはフェイも好きではない。
ハーレ・ルゥは鳥籠の檻にしがみつきながら、
「何よ何よ何よ!! 国に帰ったらお母様に言いつけてやるんだから!!」
「ドラゴ、今回の件は『七つの大罪』を通して《ドナー》に抗議文書を出しておいてくれないかい? アンタのところの娘が探索者の仕事を阻害したってねェ」
ユーリとハーレ・ルゥのやり取りを聞いていたドラゴは、二つ返事で「いいよ!!」と応じる。
「さすがにあたしも許容できないかな!! 本当にほしい情報を持ってるって言っておきながら『知りませんでした、あかんべー』じゃ仕事を邪魔されたって言ってもいいからね!!」
「え、ちょ、まッ」
「ほーら、ドラゴもこう言ってるさね。アンタはお母様にコテンパンに怒られるしかないのさ」
ハーレ・ルゥは紅玉にも似た瞳に涙を浮かべ、フェイに振り返った。
「ねえ、お前は何も言わないの……? わたしを助けようとは思わない訳……?」
「うん」
フェイは頷いた。
確かにユーリへ意見できるのは、彼女の奴隷であるフェイだけだ。おそらくフェイが「酷いから止めてあげない?」と懇願すれば、まあ聞き入れてもらえる可能性は大いにある。
まあ、フェイはユーリの言う処罰に賛成だ。嘘はよくない。フェイも幼い頃からユーリにそうやって教育されているのだ。
周囲に味方がいないと理解したハーレ・ルゥは、猫被りをやめて地団駄を踏む。
「きーッ!! 本当につまらない人間たちね!! 冗談が通じないなんて!!」
「本当にスキルの足しにしてやろうかねェ。フェイ、鑑定しな」
「ちょ、ちょっとぉ!?」
ハーレ・ルゥが閉じ込められた鳥籠を突き出され、フェイはユーリに言われるがままスキル【鑑定眼】を発動させようとする。
その行動を阻止したのは、ドラゴの「あ」という声だった。
彼女の視線は何故か頭上で止まり、それから二度三度と瞬きを繰り返して指を上に向ける。その動きに合わせてフェイ、ユーリ、それからハーレ・ルゥの視線も霧で覆われた頭上を見やった。
何やら薄ぼんやりと巨大なものが見えるのは、果たして気のせいと捉えるべきなのだろうか。
「これって……」
「虫の卵じゃない!?」
規模から推察すると、確かに虫の卵のようにも見える。
太い樹木に糸を張り、何本もの樹木に支えられるそれは途方もないほど巨大な繭玉である。この繭を解体すれば、衣類を作る為の糸がいくつぐりい確保できるだろうか。
濃霧の影響で影しか見えないが、楕円形のそれは探していた虫の卵で間違いないだろう。偶然か、必然か。
鳥籠に閉じ込められるハーレ・ルゥはその大きさに圧倒されていたがわやがて我に返ると「ほーらね!!」と自慢げに言う。
「ここが虫の卵の在処よ!! さあわたしを解放しなさい、下僕。道案内は済んだでしょう!?」
「偶然の産物が何を言ってんだかねェ」
ユーリはハーレ・ルゥが閉じ込められたままになっている鳥籠をフェイに押し付け、銀色の散弾銃を濃霧の向こうに隠れる虫の卵に突きつける。
「三万ディール装填」
対価を捧げて、彼女は万能とも呼べるスキルを発動させた。
「《濃霧よ、晴れろ》」
カチン、と引き金を引く。
スキルは遺憾なく発揮され、濃霧がバッと消えていく。
視界を奪うほどの濃い霧が消え去り、その向こうから現れたのは真っ白い繭の塊である。何本もの樹木に支えられて宙に浮かぶそれは、確かに虫の卵と見ていいだろう。
虫の卵の大きさは、果たして人間が何人必要になってくるのだろうか。これを抱えて持って帰るには軍隊ぐらい人間が必要になるはずだ。
「ドラゴさん、これ本当に持ち帰るんですか?」
「うん!!」
虫の卵を見上げながら、ドラゴはフェイの質問に首肯で応じる。
「お嬢に頼まれたからね!!」
「……あの、これあまりにも大きいんですけど大丈夫ですか?」
「平気だよ!! ちょっと頑張るだけ!!」
「さすがSSS級探索者……」
ちょっと頑張るだけで持ち運べるとか、もう「さすが」以外の言葉が出てこない。
ユーリは銀色の散弾銃で肩を叩きながら、あまりにも巨大な虫の卵をじっと観察する。
虫の卵の表面には薄らと何かの生物のような影が見え、今すぐにでも生まれてきそうだ。もし生まれたら大問題である。新たな迷宮主が出現したとして、配下となる巨大な虫が大量に寄ってきてしまう。
面倒なことになる前に片付けた方がいいのは明らかだ。
「フェイ、この虫の卵がいくらになるのか鑑定しな」
「あ、はぁい」
鳥籠を落とさないように気をつけながら、フェイは首から下がった頑丈なゴーグルを装着する。
今度こそスキル【鑑定眼】を発動。
巨大な虫の卵を鑑定すれば、意外といいお値段が算出された。
「マスター、この虫の卵なんだけど」
値段を告げようとしたその瞬間、バリィという何かを破る音がフェイの耳朶に触れた。
虫の卵から細長い何かが突き出ている。
どこからか生えた樹木が虫の卵に突き刺さったのかと思えば、それは現実逃避に過ぎない。本当の意味は、繭玉で畳まれていた虫の足が繭を引き裂いて出てきたのだ。
虫の足はモゾモゾと蠢くと、繭玉をさらに引き裂いてその向こうにいた虫の姿を現す。
「――ギ、キ」
六本の足と多くの複眼。
真っ黒な巨体に、尻だけが膨らんだ体格。
じっとこちらを見つめる巨大蜘蛛が、そこにいた。
「――――キキャアアアアアアアアアア!!」
巨大蜘蛛が産声を上げる。
最悪の事態となってしまった。
妖精が閉じ込められた鳥籠を抱えたフェイは、そっと頭を抱えるのだった。




