第7話【深い森の中】
鬱蒼とした森の中を歩いていると、唐突に開けた場所に出た。
そこにポツンと建っていたのは神殿である。
森の中に似つかわしくない、滑らかな石で出来た神殿だ。普通は町の中で観光名所にでもなっていそうな雰囲気のある神殿だが、森の中にひっそりと建っている時点で異常の一言に尽きる。
ここが迷宮区【フォレストヴァンシー】の入り口である。
「おや珍しいねェ」
あまりにも静かな【フォレストヴァンシー】入り口付近を見回すユーリは、
「人がいない」
「マスター、何かあったのかな?」
フェイも【フォレストヴァンシー】の静けさに異様な空気を察知していた。
この場は踏破されても未だ残り続ける迷宮区の一つで、探索者の他に物好きな見学者が多く待機しているのだ。「探索者になる勇気はないけど、迷宮区とやらを見てみたい」という貴族連中が高い金を払って探索者を雇い、迷宮区の中に足を踏み入れるのである。
たまに何を勘違いしたのか、貴族の子供が探索者を伴わずにその辺で拾った木の枝だけを持って迷宮区に突撃し、二度と帰ってこなかったという事例もある。その時は自己責任だ。迷宮区という場所は危険極まりないという認識が甘かったのだ。
迷宮区【フォレストヴァンシー】もそう言った見学者が多く集まり、入るのに三〇分とか一時間とか平気で待たされるのだが、今日は不思議と誰もいないのだ。
「きっと虫の卵の評判が出回ったんだと思いますよ!! 誰でも虫は嫌いですからね!!」
「ドラゴ、アンタは虫を食べそうな顔をしているけどねェ」
「やだなユーリさん、虫はさすがに食べられませんよ!!」
ドラゴはヘラヘラと笑いながら、
「でも芋虫や蟻は食いましたね!! 腹減りすぎて!!」
「え、食べたんですか?」
「食べたよ!! 美味くもなければ不味くもない、ヘンテコな味だったよ!!」
ドラゴは「お勧めだよ!!」と言うが、フェイは死んでも食べないと心に決めた。昆虫食は見ているこっちが気持ち悪くなる。
ともあれ、誰もいないのであれば幸運だ。
このまま行列に並ばず【フォレストヴァンシー】へ潜り、巨大な虫の卵とやらを処分して帰ることが出来る。虫の死体も半分ずつも言っていたので、報酬もそこそこいいお値段だろうか。
ユーリは森の中に建つ神殿を見上げ、
「よし、フェイ。ドラゴも行くよ。遅れるんじゃないよ」
「了解」
「うん!!」
神殿に姿を消すご主人様を追いかけて、フェイもまた石造りの神殿へ足を踏み入れた。
神殿の中は薄暗く、宗教画すら飾られていない殺風景な内装がどこまでも広がっている。高い天井を支える太い柱がフェイとユーリ、ドラゴを最奥まで導くように連なっている。
コツコツという三人分の足音が神殿の中に響き渡るが、やがて足音も変わった。磨き抜かれた石を踏む音ではなく、サクサクと雑草が生い茂った地面を踏む音に変化したのだ。
高い天井を支えていた太い柱も、いつのまにか見上げるほど大きな樹木に変わる。樹木の隙間から漏れ出てくる深い霧が視界を覆い、先頭を歩くユーリの背中すら追うことが難しくなってしまう。
「マスター、あまり先に行かないで。見えなくなる!!」
「ああ、そうだったねェ」
思い出したように立ち止まったユーリは、
「ほら、フェイ。今のうちに香水をかけときな」
「はぁい」
ユーリから小瓶を手渡され、フェイはその中身を全身に吹きかける。
ご主人様が手ずから作った虫除けの香水である。イザベラ・ラインツイッヒのところで買った虫除けの香水は媚薬入りだったので、ユーリがどこかにやってしまったのだ。
シュシュッと全身に振りかけると、柑橘類の匂いが鼻孔をくすぐる。不安を煽る深い霧の中に、爽やかな柑橘類の香りが混ざった。とてもいい匂いである。
ユーリも同じく自作の香水を振りかけてから、ドラゴに視線をやる。
「アンタも虫除けの香水をつけときな。ここから虫が出てくるよ」
「あ、そうだったね!! すっかり忘れていたよ!!」
ドラゴはゴソゴソと服の衣嚢を漁り、少し特殊な形の小瓶を取り出した。
髑髏の形をした瓶である。ドラゴの趣味ではないと信じたいが、アルアの趣味でもないと思いたい。どこで買ったのだろうか、あの瓶は。
あの頭のおかしな研究者気質の御令嬢が作る香水だからさぞ変な匂いかと思えば、少しばかり優しげな匂いがした。森の中にいるはずなのに、別の森の中にいるような心安らぐ香りである。
ユーリも形のいい鼻を鳴らすと、
「ドラゴ、アンタの香水はいい匂いだねェ」
「お嬢が作ったよ!!」
「アルアの奴もセンスだけはいいじゃないかい。あのアバズレに代わって虫除けの香水の専門店でも出せばいいのにねェ」
「今度言ってみるよ!!」
ドラゴは勢いだけで言うが、多分よく意味は理解していないだろう。迷宮区を出たら忘れそうだ。
さて、虫除けの香水をつけたことで探索開始である。
フェイはユーリの着ている外套の裾を引っ張り、ご主人様から離れないように心がける。ドラゴはいざとなれば一人でも平気だろう、彼女もSSS級探索者ならどうにか出来るはずである。
深い霧に包まれた森を歩き始めて僅か五分、どこからか笑い声が聞こえてきた。
「くすくす」
「くすくす」
「ふふふ」
「あははは」
子供の笑い声のようだ。
その笑い声の正体を、フェイは知っている。
この迷宮区には規格外に巨大な虫の他に、妖精という小人のような不思議な生物がたくさん存在しているのだ。迷宮区のあちこちに集落や国を作り、それぞれ外交をしている状態である。
迷宮区もまた、一つの異世界なのだ。その事実を伝えてくれるのが、この【フォレストヴァンシー】である。
「ちょうどいいじゃないかい」
ユーリは目の前を覆い隠す深い霧に向かって、
「アタシらは探索者だよ。姿を見せな」
「しーかー」
「しーかーだって」
「しーかーね、すてきだわ」
「めずらしいわ」
「だってさいきんはこないんだもの」
「おくびょうでよわむしさんだから、こないんだもの」
深い霧の向こうから、数人の小さな人型の何かが姿を見せる。
赤や青、紫に緑などの色とりどりの髪やドレスを着た少女たちがフェイたちを取り囲む。
彼女たちの背中には昆虫ように透き通った翅が生え、それをパタパタと振るたびにキラキラとした鱗粉が飛び散った。幻想的な光景である。
彼女たちが妖精だ。この迷宮区で生きる――この迷宮区でしか生きられない住人である。
「わたしは《どなー》からきたの」
「このちかくよ」
「ぜひいらしてくださいな」
「悪いねェ、今日は別の仕事があるのさ」
ユーリが妖精たちに言えば「ええー」と彼女たちは口を揃えて不機嫌そうに応じる。
「つまらないわ」
「あそんでほしいのに」
「おはなしをきかせてほしいのに」
「逆にアタシがアンタらにお話を伺おうかねェ」
ユーリは銀色の散弾銃を引き抜きながら、
「巨大な虫の卵が出来たって聞いたよ。新たな迷宮主が作られる前に退治しに来たのさ。何か知っているかい?」
「くにおさならしってるよ」
「くにおさならわかるかも」
「むしのたまご」
「たしかにあるわ」
「でもいちまではわからない」
「ただのようせいだもの」
妖精は口々にそう答える。
どのみち、彼女たちが住む妖精の国に行かなければならないのは理解できた。
妖精たちも虫の卵の存在は知っているが、さすがに位置までは把握できていないらしい。あまり頭も良くないので聞いても無駄だとは思っていたが、やはり知らないのか。
ユーリはやれやれと肩を竦め、
「フェイ、ドラゴ」
「何、マスター」
「どうしたの、ユーリさん!!」
「妖精の国に行って、国長に話を聞いた方が良さそうだねェ」
「そうだな」
「そうだね!!」
そんな訳で、まずは妖精の国にお邪魔することとしよう。
ユーリとフェイ、ドラゴの三人は妖精たちに導かれて妖精の国に行くことを決めた。
先はまだ長いようだ。妖精の国に行っても、遊び相手として認識されなければいいのだが。




