第3話【虫除け香水】
「高い」
棚に並んだ色とりどりの小瓶を睨みつけ、ユーリは吐き捨てた。
小瓶の中身は迷宮区【フォレストヴァンシー】に必要な虫除けの効果を持つ香水なのだが、どれもこれも馬鹿みたいに値段が高い。
それほど毎日のように【フォレストヴァンシー】へ足を踏み入れるような探索者ではないので、今回だけの必需品にそこまで金を出せないのだろう。もったいないのは奴隷のフェイでも理解できる。
娯楽には金をかけるけど、こういう必要な時が少ないものに対しては金を出し渋るのがご主人様のユーリである。
「どうする? 別のお店にする?」
「他店との比較材料にもなる。フェイ、この値段を覚えておきな」
「うん」
フェイは棚に貼り付けられた値札を確認し、その金額を記憶する。需要と供給の割合から見て、ぼったくりとも呼べる値段と言えた。
おそらく探索者が強請れば値下げ交渉には応じるだろうが、値下げ交渉という無駄な労力を使うよりも他店で少しでも安い虫除け香水を購入した方が早い。
しっかりと金額を記憶したフェイは、ご主人様のユーリへ振り返る。
「いいよ、マスター」
「じゃあ行くよ。少しでも安い虫除けを探さないとねェ」
店主がしょんぼりと肩を落としている姿を見ると申し訳なく思うが、お値段が高いとさすがにSSS級探索者でも手が出せなくなってしまう。そこだけはちゃんと理解してほしい。
いくらSSS級探索者でも、ユーリ・エストハイムは現役で活躍する探索者だ。後ろ盾がある訳でもないので、金は迷宮区を踏破した際の報酬と迷宮区で拾ってきた素材を売却した際に得られる利益ぐらいのものだ。
店をさっさと出て行ってしまうご主人様の背中を追いかけ、フェイもまた店を出る。
先程の虫除け香水の専門店は他にもあり、見渡しただけで三軒ほど存在する。展示されている見本品の数々はどれも似たような値段ばかりで、小綺麗な瓶に入っているから値段が高くなるのではないかと錯覚してしまう。
正直な話、店に入れば何か買うまで出られない雰囲気がある。簡単に店へ足を踏み込みにくいのが難点だ。
「マスター、どうする? どこが安いかな」
「どこも高くてダメだねェ」
同じように展示品を観察するユーリは、
「虫除けがなければ【フォレストヴァンシー】に入ることも出来ないしねェ。全く、面倒なところに卵を作ったものだよ」
「自分で調合するのはダメなの?」
「調合するには専門の知識が必要さね。今から調合するってなると、勉強しないと出来ないよ」
「瓶の値段なのかな。そこら辺にある空き瓶に詰めてくれればいいのに」
「アンタはそこら辺にある空き瓶に入って香水を使いたいかい?」
「別の虫が寄ってきそう」
真剣な表情で否定すれば、ユーリは「ほら見たことか」とばかりに形のいい鼻を鳴らす。
「多少の値段が張るのは理解できるよ。ただの虫除けならいくらでも作りようがあるけど、迷宮区の魔物を基準に考えた虫除けなら専門的な知識が必要になってくるしねェ。材料も多く必要だし、元を取るには金額を釣り上げた方が店側の利益にも繋がるんだろうねェ」
「でも高いよな」
「本当にそうだね」
はあ、と二人揃ってため息を吐いた矢先のことだ。
フェイとユーリの目の前に大勢の男性が通り過ぎた。
一体何事か、と彼らを視線で追えば、小ぢんまりとした店にその大勢の男性が詰めかけていた。わあわあと店の奥に何かを言っているようだが、一斉に喋っているので内容を聞き取ることが出来ない。
どうやら小ぢんまりとした店の正体は虫除けの香水店らしく、彼らは熱心に「虫除けの香水をください」と店主に向けて叫んでいるようだった。大金を握って香水を売るように頼み込む男性客たちに、通行人はドン引きした様子の視線を送る。
天変地異かと錯覚したフェイとユーリは、
「え? 何かあった? 安くなってんの?」
「さあねェ。野郎に人気のある店ってことは、碌な女が経営してないよ」
さっさと店の前から立ち去ろうとするご主人様だが、
「あらぁ? そこにいるのはユーリちゃんじゃないかしらぁ?」
やたら甘ったるい声が、フェイとユーリの耳朶に触れる。
振り返れば、大勢の男性客を掻き分けて店主が外に出てきたところだった。
綺麗な金髪の女性である。緩やかに波打つ美しい金髪と海の如く深い青色の双眸、男性に受けそうな愛らしい顔立ちに朗らかな笑みを浮かべている。自分の店に訪れた男性客だけではなく、たまたま通りがかった通行人の男性たちも彼女に見惚れている様子だった。
白を基調とした清楚なドレスに身を包む彼女は、小走りでユーリに寄ってくる。ご主人様は店主の女性を認識するとすぐさま逃げようとするが、それより先に店主へ捕まってしまった。
「水臭いじゃない、どうせなら寄っていって頂戴な」
「お断りするよ!!」
店主の女性に掴まれた腕を振り払い、ユーリは彼女の誘いを突っぱねた。
「アバズレなんかに用はあるかい」
「そんなこと言わないで」
「アンタと関わりたくないのさ」
「やだぁ、酷いわぁユーリちゃん」
「酷くて結構だね!! 行くよ、フェイ!!」
ご主人様に命じられて、フェイは「あ、はぁい」と応じる。他の男性たちは店主の女性に魅了されている様子だが、何故か不思議なことにフェイは彼女に見惚れることはなかった。
綺麗だとは思うが、どうしてもご主人様と比べてしまうのだ。ユーリの方が綺麗だなと思ってしまう。
ところが、店主の女性はしつこかった。執念深いとも言う。
「逃がさないわぁ」
店主の女性はフェイとユーリの腕を掴むと、ずるずると問答無用で店の中に引き摺り込まれていく。
他の客を疎かにし、何故ユーリとフェイに執着するのか謎だった。
ただ、ちょっと怖かった。得体の知れない女性特有の恐怖を感じざるを得なかった。
☆
「はい、お茶よぉ」
店主の女性はにこやかな笑みで、ユーリとフェイにお茶の入った杯を差し出してくる。
杯に並々と注がれたお茶とやらは、濃いめの桃色をしていた。
匂いを嗅ぐと、花の香りに混じって薬品めいた悪臭もする。飲み物と認識してもいいものなのか疑問に思えてきた。
さすがにフェイもユーリも店主の女性から出されたお茶には手をつけず、双方共に女性へ警戒心を抱きながら応じる。
「えと、あの」
「フェイは黙りな」
ユーリは机を挟んで向かいに座る女性を睨みつけたまま、
「コイツは『七つの大罪』所属の探索者さね」
「え、じゃあアルアさんとかドラゴさんとか……?」
「そうさね。アタシの元仕事仲間さ」
形のいい鼻をフンと鳴らすユーリに、女性はクスクスと笑いながら言う。
「初めましてぇ、イザベラ・ラインツイッヒよぉ。ユーリちゃんとは仕事仲間よぉ」
「……ど、どうも……」
フェイがぎこちなく挨拶すれば、店主の女性――イザベラは「可愛いわねぇ」とまた笑う。
「ワタシの魅了も通用しないなんてぇ、本当に可愛い子ねぇ。ふふふ」
「殺されたいようだねェ?」
赤い双眸でギロリとイザベラを睨みつけるユーリは、銀色の散弾銃を彼女に突きつけて威嚇する。
「アンタの首を弾けさせて、身体だけを外に放置したら、盛る犬どもが群がるんじゃないかい?」
「やだわぁ、ユーリちゃんったら。よっぽどこの子のことが大切なのねぇ」
イザベラは楽しそうに笑うと、
「ユーリちゃんたち、虫除けが必要なのよねぇ? だったらウチの店で買って行って頂戴な。お安くするわよぉ」
「え、本当ですか?」
フェイは虫除けの香水がお安く購入できる部分に食いついた。
どこの店も虫除けの香水は馬鹿みたいに高額であり、それが安く買えるのであれば願ったり叶ったりだ。仕事も捗る。
一度購入してしまえばしばらく購入する必要もなくなるので、彼女とも今回限りの付き合いになるだろうか。そうなればいい。この店は居心地が悪すぎる。
イザベラは「もちろんよぉ」と言うと、
「ただしぃ、キミがワタシにご奉仕してくれることが条件だけどぉ」
イザベラの額に銀色の散弾銃が押し付けられる。
相手はもちろん、ご主人様のユーリだ。
彼女は感情の読み取れない赤い瞳でイザベラを見下ろし、銀色の散弾銃の引き金に指をかける。
「アタシの奴隷に手を出そうってのは随分と節操のない雌犬だねェ。このままどタマをぶち抜かれたいかい」
「だって可愛いんだものぉ。ほしいと思っちゃうのは当然でしょう?」
「フェイが可愛いのは世界が作られた時から決まってんのさ!!」
「マスター、どさくさに紛れて恥ずかしいことを言わないで!!」
ユーリは「いいから虫除けの香水を持ってきな!!」とイザベラに言い、
「本当に安くなるんだろうねェ?」
「嘘は吐かないわぁ。ユーリちゃんに殺されたくないものぉ」
イザベラは名残惜しそうにフェイを何度も見ながら店の奥に引っ込み、香水の瓶を二つほど持ってきた。
ユーリの前には青色の瓶を、フェイの前に赤色の瓶を置く。
男性用と女性用で分かれているのだろうか。そんな話は聞いたことないのだが、イザベラはもしかしてそうやって調合しているのかもしれない。変わった店である。
二つでどれぐらいの値段になるだろうか、とフェイは考え込むが、ユーリは自分の前に置かれた青色の瓶を掴んでイザベラに突き出す。
「これだけでいいよ。いくらだい?」
「あらぁ? そっちの子の香水はぁ?」
「必要ないよ。これだけ寄越しな」
ユーリに突っぱねられてしまい、イザベラは「毎度ありがとうございまぁす」と言いながらお会計をした。その際の表情はとても残念そうだった。
目当ての香水も手に入ったので、これで問題なく【フォレストヴァンシー】に行けそうだ。
用事は済んだとばかりに店を出ようとした矢先に、フェイとユーリはイザベラに「ちょっと待ってぇ」と呼び止められる。
「またの起こしをお待ちしておりまぁす」
「――二度と来ないよ」
ユーリは吐き捨てるように言い、フェイを引き摺って店を出てしまった。
過去に何かあったとしか思えないご主人様の態度にフェイは疑問を抱いたが、簡単に踏み込んではいけない過去だと理解する。
ここは相手から話しかけてもらうのを待とう――そう思うフェイだった。




