第1話【蛇女、再び】
何故かご主人様のユーリが迷宮区案内所へ入ることを躊躇っている様子だった。
「…………」
「マスター、どうしたの? 入んないの?」
「いやねェ」
銀髪赤眼の女探索者――ユーリ・エストハイムは、数多くの探索者が出入りする迷宮区案内所を遠くから睨みつけているだけだった。
おそらくだが、以前の迷宮区【スターダスト】の件が尾を引いているのだろう。ただでさえ昔の仕事仲間に会いたくないのに、迷宮区案内所で仕事を吟味している最中に遭遇してしまったものだから、次の迷宮区探索は出来るだけ仕事仲間と一緒に仕事をしたくないのだろう。
フェイも大いにご主人様の気持ちは理解できる。可能であればアルア・エジンバラ・ドーラのような変人と一緒に仕事をしたくない。下手をすれば貞操の危機に陥る。
出入りする探索者の面々に知り合いがいないと判断したらしいユーリは、
「よしいないね」
「『七つの大罪』の仲間がいないか確かめてたの?」
「そうだよ」
ユーリはフェイの質問に対して頷くと、
「『七つの大罪』の面々は変人が多いからねェ。アンタの身柄を狙われたら溜まったモンじゃないよ」
「マスター……!!」
「迷宮区探索でも囮として使える便利な奴隷なんだから」
「マスター……?」
感動した自分が馬鹿に思えてきた。
まあ、そんなことを言うご主人様だが誰よりも優しいことはフェイが一番よく理解している。少なくとも『七つの大罪』に所属するSSS級探索者のアルアより断然優しい。月とスッポンである。
アルアに身を委ねると何が起きるか分かったものではない。恐ろしい実験に付き合わされることになったら、命がいくつあっても足りない。
ユーリは「冗談だよ」と言うと、
「行くよ、フェイ。今日も迷宮区踏破に勤しもうじゃないかい」
「うん」
ご主人様に連れられて迷宮区案内所に足を踏み入れると、
「あ、ユーリさーん!! ワンコくーん!! お久しぶりー!!」
溌剌とした声で呼びかけられ、ぶんぶんと手を大きく振る蛇のような印象を受ける身長の高い女と目が合った。
真っ赤な頭髪と金色の三白眼、赤い舌に刻み込まれた自らの尾を飲み込む蛇の刺青。フェイと同じぐらいに身長は高く、六つに割れた綺麗な腹筋が今日も素晴らしい。鍛えられた腹を強調する衣装を身につけているにも関わらず妖艶さはなく、爬虫類のような雰囲気が何故か先行する。
彼女の側に車椅子の御令嬢はおらず、どうやら一人でユーリとフェイの来訪を待っていたようだ。「やっと来た!!」と言うと、今すぐ身を翻して帰りたいとばかりに遠い目をするユーリに歩み寄る。
「やー、ようやく来た。待った甲斐があった!!」
「あ、ドラゴさん。おはようございます」
「おはようワンコ君!!」
真っ赤な頭髪の蛇女――ドラゴ・スリュートは、快活な笑みでフェイの挨拶に応じる。
「ユーリさん、折り入って頼みがあるんですけど!!」
「お断りだよ」
フェイの襟首を引っ掴んだユーリは、
「アンタたちと仕事はしないって決めたんだよ。特にアルアの息がかかった連中とはね。ウチの奴隷の教育に悪い」
「そんなこと言わずに聞いてよ、ユーリさん!!」
「何だい、ドラゴ。今日は随分と食い下がるじゃないかい」
赤い双眸を音もなく眇めたユーリは、少し考えてから「いいよ」と言う。フェイの教育に悪いのはアルア・エジンバラ・ドーラだけなので、彼女がいなければ話だけは聞こうということなのだろう。
「話だけは聞いてやろうじゃないかい。迷宮区踏破だったら情報だけ寄越しな」
「迷宮区の情報だけど、迷宮区踏破の話じゃないんだ!!」
ドラゴは迷宮区案内所全体に聞こえんばかりの声で言うと、
「案内所の部屋を借りたんだ!! そこで話を聞いてよ!!」
☆
「ユーリさんは【フォレストヴァンシー】って名前の迷宮区を知ってる!?」
「知ってるよ。アタシが踏破したからねェ」
迷宮区案内所の建物内にある会議室を借り、早速とばかりにドラゴが本題に入る。
迷宮区【フォレストヴァンシー】ならフェイも記憶にある。
広大な森の迷宮区だ。森の中は霧で満たされていて、たくさんの妖精が生活している迷宮区である。踏破しても未だに残り続ける迷宮区の一つに数えられ、人々に多大な恩恵を齎している迷宮区だ。
あそこの迷宮主は昆虫型の魔物だったか。見上げるほど巨大な昆虫はさすがのフェイも悲鳴を上げ、蟷螂のカマが頬を掠った時は死を覚悟した。出来れば二度とお目にかかりたくない類の魔物だ。
「で、何だい? あの迷宮区がどうしたんだい」
「実はさ、お嬢があの迷宮区に昆虫の卵が生み付けられてるって言うんだ」
「昆虫の卵がァ?」
ユーリは柳眉を寄せると、
「それはアレかい、また馬鹿みたいに大きな昆虫の卵かい?」
「うん」
ドラゴはしっかりと首肯して答えた。
「こう……巨大な繭が出来ちゃったんだって。だからその繭を駆除しなければ、また新たな迷宮主が生まれて妖精たちに危害を加えるかもしれないって」
「なるほどねェ。よく分かったよ」
ドラゴが言いたいことを理解したユーリは、
「つまり、その卵を破壊してこいってのが頼みたいことかい?」
「昆虫の死体も研究に使いたいから、出来れば取ってきてほしいって」
「それならお断りだよ」
ツーンとそっぽを向くユーリ。
迷宮主の死体は基本的に高値で取引されるので、ユーリも狙っているのだ。前回の【スターダスト】では迷宮主を守っていた卵の殻の方が高額だったので、迷宮主の死体はアルアに引き渡したのである。
だが、今回の迷宮主が高額で取引されるのであれば話は別だ。スキルを安全に発動させるには、少しでも多くの金銭を稼ぐ必要があるのだ。
この場にアルアがいれば交渉は難航しただろうが、いるのはドラゴだけだ。もっと言ってしまえば、見た目は蛇のような女だけど頭の中身はどこか抜けている女性である。
「分かった!! じゃあ昆虫の死体を半分だけ!!」
「……アンタはそれでいいのかい?」
「いいよ!! あたしは昆虫の死体を持ち帰れればいいだけだし。お嬢も最近は実験のしすぎだしね!! そろそろ迷宮主の研究に飽きてほしいんだけど!!」
「…………それ、アルアの奴に言ったのかい?」
「言ったら何されるか分かんないから言わない!!」
ごもっともである。
「分かった分かった、じゃあ【フォレストヴァンシー】に行けばいいんだね」
「あたしも行っていい!? 暇なんだよね!!」
「アンタもついてくるって話じゃないのかい?」
「そうだった!!」
「……アンタ、迷宮区踏破以外になると馬鹿になるねェ」
「そうかな!! 嬉しい!!」
「褒めてないんだよ」
深々とため息を吐いたユーリは、
「じゃあ、諸々の手続きはこっちがやるよ。アンタに任せたら何が起きるか分からないからねェ」
「それも頼もうと思ってた!! お嬢から教わっても手続きの仕方が分からないから、一人で迷宮区に潜れないんだよね!! ユーリさんがいてくれて助かったぁ!!」
ドラゴは片手を挙げて「じゃ、よろしくお願いしまーす!!」と叫ぶと叫ぶと部屋から飛び出した。
嵐のような女である。話を聞いているだけだったフェイは、ドラゴの印象を上書きすることにした。
隣で話を聞いていたご主人様なんかは、深々とため息を吐いている始末である。彼女が「お嬢」と呼ぶアルアからの情報を間違いなく伝えたことは褒められるべきだろうが、手続きが出来ないとは探索者として如何なものか。フェイもユーリから教わって、手続きぐらいは出来る。
「……フェイ」
「どうした、マスター」
「……アンタの物覚えがいい子で本当に良かったよ。心の底から」
「そりゃどうも。マスターの為に勉強した甲斐があったね」
ご主人様を困らせるのはダメだ、と自分自身で再確認し、彼女の役に立てるよう精進しようとフェイは密かに誓うのだった。




