第11話【悪い大人に注意せよ】
迷宮区踏破すると発動する自動転送機構によって外に放り出されたフェイたちは、迷宮区の入り口となっていた井戸を覗き込む。
今まで水がなかったはずの井戸の中は、ちゃんと透明な水が湧いていた。
試しにフェイが木桶を井戸の中に投げ込み、滑車を使って木桶を引っ張り上げる。木桶にはキンと冷たい水が並々と掬われて、ちゃんと飲むことも出来た。
迷宮区としての役割を果たした現在、元の井戸の状態に戻ったのだろう。これで農村の水事情も解決だ。
「これで終わりですね。あとはアルゲード王国に戻るだけとなりますが」
アルアの緑色の双眸が、ご主人様のユーリに向けられる。
ユーリの希少スキルである【強欲の罪】であれば、馬車で二日の距離があるアルゲード王国に一瞬で戻ることも可能だ。その際には金銭を対価に捧げなければならないのだが、この迷宮区【スターダスト】のおかげでかなりの金銭を稼げたので転移も問題ないだろうと踏んだのだろう。
まあ、当然ながら金銭を重要視するユーリが許す訳がなかった。彼女はやたら大きな胸の下で腕を組むと、アルアを鋭い目で睨みつける。
「アンタを連れて帰ると思うかい?」
「そう言わずに」
「金がかかるから嫌だよ」
「分かりました。貴殿が乗り気ではないので、我々も強要する訳にはいきません」
意外とあっさり引き下がったアルアだが、
「フェイ殿、ほら、ご主人様におねだりする時ですよ」
「何で俺を使ってくるんですかね。俺はマスターの所有物なので、マスターがやらないって言ったら従いますけど」
「おっと忠犬ですね。早くパッと帰りたいと思いませんか?」
「思いませんね。マスターがやらないなら強要しません」
ご主人様のユーリが心底信頼して可愛がるフェイすら使ってスキルを使用させようという魂胆が透けて見え、しかし基本的に他人よりもご主人様を重要視する忠犬フェイに断られていた。
車椅子を使用する必要がなくなったことに加え、ドラゴに抱きかかえられて運搬される必要もなくなったので、可能であれば自分の足で歩きたくないのだろう。SSS級探索者の称号は飾りだろうか。
ユーリからもフェイからも要求を突っぱねられ、アルアは不満げに唇を尖らせながらも「分かりました」と納得する。
「では馬車で帰りましょうか。行きと同じく二日ほど野営することになりますが」
☆
農村からの歓迎を断って馬車で出発したその日の夜、フェイは寝床とする馬車の中で目を覚ました。
今日の火の番は、全体的にアルアがすると言ったのだ。
彼女のスキルである【怠惰の罪】は、本人の睡眠欲を対価に捧げることで発動するのだ。スキルを発動すればほぼ全ての睡眠欲が解消されてしまうので、こうして少しでも徹夜をして眠気を蓄積しようという魂胆らしい。
窓を覗き込めば、めらめらと燃える焚き火の前で貴族の御令嬢が膝を抱えて座っていた。夜に対する恐怖心も、迷宮区から這い出てくる魔物の恐怖心も、彼女にはないらしい。
「…………」
フェイは静かに自分の膝を見やる。
いつのまに膝を枕にされたのか、ユーリがフェイの膝を占領していた。しっかり腰にも抱きつき、逃げられないようにされている。
馬車の中とはいえ、四人で利用するには若干狭いのに器用なものだ。猫みたいで可愛いとも言える。本当に言ったら殺されそうだけど。
フェイはしがみついてくるユーリの腕をそっと外し、自分が使用していた毛布をかけてやる。ついでに手触りのいい銀髪をひと撫でしてから、馬車を出た。
「……おや、フェイ殿でしたか。何かご用事で?」
「貴族の御令嬢様に一人で見張りをさせるなんて出来ないので、俺も一緒に起きてますよ」
「御令嬢以前に、私はSSS級探索者ですよ。魔物が来てもへっちゃらですが」
「それでも、アルアさんが傷ついたら嫌です」
今日の迷宮区探索では世話になったし、アルアはユーリの元仕事仲間だ。ご主人様の方はよく思ってはいないだろうが、いい人であることには変わらない。
どっかりとアルアの近くに座ったフェイは、小枝を追って火の中に追加で放り込む。
パキパキと焚き火の中で枝が弾ける音が聞こえ、それが眠気を呼んでくる。思わず欠伸をすれば、近くのアルアがクスクスと声を押し殺して笑った。
「ご主人様に似ていますね、貴殿は」
「そりゃまあ、五歳の時から世話されてますんで」
「面倒見がいいですね、彼女は」
アルアはフェイに向けて微笑みを投げかけ、
「最初は乱暴に扱われているのかと思いましたが、そうではない様子で安心しました。酷い仕打ちをされているようであれば、私が買い取ろうと思っていましたが」
「マスターは優しいですよ」
「そうですね。優しいですね」
だからこそ、とアルアはフェイに近寄る。
唐突に距離を縮められ、どう反応をすればいいのか困惑するフェイ。
ご主人様のユーリほどではないが、アルアもまた顔立ちは整っている。その辺の貴族の御令嬢と比べれば品があり、深窓の令嬢という言葉が似合いそうな儚さがある。ユーリとはまた違った趣だ。
あまり戦闘を知らないだろう手でフェイの胸板を撫でるアルアは、
「私は貴殿に興味がありますよ、フェイ・ラングウェイ殿。最強の探索者に弱音を吐くことなくついてくる精神力や身体能力、そして貴殿が持つ外れスキル【鑑定眼】について。本当にそのスキルは外れなのか、私はとても興味があります」
「あの、ちょ、アルアさん?」
「ふふふ、緊張していますか? 大丈夫です、怖がらないで……」
アルアはフェイを押し倒し、腹の上へ馬乗りになってくる。
怪しく輝く緑色の双眸。恍惚とした笑みを浮かべる愛らしい顔立ちに、肉厚な舌が唇を舐める。
獲物を狙う肉食動物のようだ。フェイは「やべえ」と身の危険を感じ取ったが、逃げるより先にアルアが両腕を押さえつけてくる。
貴族の御令嬢だとは思っていたが、やはりSSS級探索者の称号は本物のようだ。体格差があるにも関わらず、アルアを振り解くことが出来ない。
「私に身を委ねてください。痛くはしませんよ、私は貴殿に興味があるのです……」
「ちょ、ま、アルアさん!? 何する気ですか……!?」
「実は私、男性の経験がないのですよ」
「はぇ!?」
コテンと首を傾げるアルアは、うっそりと笑って言う。
「貴殿は優しいので、私の実験にもお付き合いしてくださるかと思いまして。よく言うでしょう、初体験は優しくって」
つまり、その、あれか。
フェイはアルアに食われるのか。物理的に食われる訳ではなく、精神的に。
まずいまずいまずい、非常にまずい。
何かあった時に奴隷のフェイでは責任が取れないし、貴族の御令嬢が奴隷の子を孕んだとしたらフェイの命がない。本当に色々とまずい事態が発生する。
ここは悲鳴でも上げてご主人様を叩き起こすかと画策したが、その必要はなかった。
「アルア」
ガチン、とアルアの後頭部に銀色の散弾銃が押しつけられる。
「ウチの奴隷と遊んでくれて感謝するよ。最後に何か言い残したことはあるかい?」
綺麗な笑みを浮かべた銀髪赤眼の最強探索者――ユーリ・エストハイムの降臨である。神かと思った。
さすがに最強の探索者を前に喧嘩を売るのは得策ではないと判断したらしいアルアは、引き攣った笑みでフェイの上からいそいそと退く。
ドレスの裾についた土埃を払い落とし、銀色の散弾銃を構えるユーリへ爽やかな笑みで振り返った。
「こんばんは、ユーリ殿。今日はとても素敵な夜空ですよ」
「一万ディール装填。《朝まで寝ろ》」
金銭を対価に捧げて、ユーリはアルアを問答無用で眠らせた。さすがである。
膝から崩れ落ちるアルアの襟首を引っ掴み、荷物の如く引き摺って運ぶユーリは、眠る彼女を馬車の中に叩き込んだ。スキルを発動させたユーリの願いは絶対なので、このまま朝まで起きることはないだろう。
馬車の扉を乱暴に閉じたユーリは、上体を起こしたフェイに視線をやる。赤い双眸に宿った光が冷たい。これは怒られる気配である。
フェイは居住まいを正し、せめて説教が短く済むように謝罪をしようとする。
「何もされてないね?」
「ごめ、え、あ?」
「何もされていないかって聞いてんだよ。答えな」
「何も、されてない、です……」
「そうかい」
フェイの回答に満足したのか、ユーリは正座するフェイに抱きついてきた。
「覚えておきな。アンタはアタシの所有物なんだから」
「うん、ごめんねマスター」
「分かればいいのさ」
ユーリはフェイの頭をポンと軽く撫でると、
「どうせ火の番をしてても暇だろう。アタシも付き合うさね」
「マスターは寝てていいよ。俺だけでも火の番は出来るから」
「明け方になって起きてきたアルアにもう一度襲われても嫌だしねェ。ここで見張っておくのさ。文句はあるかい?」
「ないです。マスターが言うなら、俺に拒否権はないよ」
「いい子だ、フェイ」
ユーリはそう言って、金銭を対価に捧げて飲み物の入った鉄製の杯を召喚する。こういう時、ご主人様のスキルは凄い便利だ。
二つ召喚された杯の一つをフェイに押し付け、ユーリはフェイの膝の上に座ってくる。それから彼女は焚き火をぼんやり眺めながら、杯の中を満たす温かいお茶を啜った。
アルアに襲われた時よりも、ユーリに密着された時の方がちょっとドキドキするし安心する。やはりご主人様の方が何倍もいい。
フェイは膝に座るユーリを背後から抱きしめて、
「マスター、あったかい」
「アタシは寒いぐらいだよ。フェイ、もっと強めに抱きな」
「うん」
ご主人様に言われて、フェイはユーリをもう少しだけ強めに抱きつく。
主人の柔らかさと体温を同時に噛み締めながら、フェイはユーリから受け取ったお茶を啜る。
その日の夜も、平和に過ぎ去っていった。




