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9 錦糸高校

 錦糸高校の入学式は、古びた体育館で行われた。むき出しの焼けさびた鉄骨が、先の大戦の焼け残りであることを示している。校舎も武道館も食堂も、すべてが空襲の火の洗礼を超えたものたちだった。

 火の洗礼のごとく厳しい入学試験を突破した新入生が、列をなして座っている。その後ろには、父母の席。子供の合格に誇らしい親たちの顔が見える。

 その中で、入学式には不似合いな派手な格好をした男女がいた。林康煕と林マサヨだった。

 十数年間で彼らが送り出した奨学生はある程度の数となっている。その中で、錦糸高校に進んだものはチエが初めてだった。それゆえ、チエの付き添いで来校した康煕とマサヨは余計に誇らしくチエを見つめている。


 式典の後、マサヨはチエに声をかけた。

「おめでとう。先ほど手続きを取ったのだけれど、あなたは錦糸高校の寮に入りなさいね。私たちは貴女に返さなければならない恩があるのよ」

「でも、私、そんな費用も資格もありませんし・・」

「私たちが好きで出すのよ。ぜひ受け取って」


 遠くで錦糸高校の関係者がチエを呼び出している。

たいらチエさん、いらっしゃいますか」

 その声にチエが振り向いた時、体育館を後にする白蛇腹の在校生たちの姿が見えた。チエはその中にユウトの学生服姿をはっきり見た。

「あの先輩の高校に来られた。あの人と同じ空気を呼吸できる」

 ユウトたちは談笑しながら体育館を後にしていく。白蛇腹のユウトはまぶしかった。その姿をチエは眺めながら小さくつぶやいていた。

「・・・・先輩」

「チエさん、どうしたの? いい男でもいた?」

 マサヨの言葉にチエは顔を赤くした。

「あの彼を見染めたのかしら。確かにかっこいいわね」

「いえ、私、そんな資格はないから…」

「何を言っているの。貴女らしくない。あの時の貴女は、私たちを導き出してくれたのよ。強くて立派だったわ。」

「私は、虫けらなのに。あの時の私は、私じゃなかったんです」

「またそんなことを言っているの? あの時といい、教会堂で会った時といい、あなたはあなた自身が守られていることを見たはずよ。それを信じなさいよ。」

「・・・。」

「そうねえ、私たちもあの教会で言葉を聞くまでは、こんなこと、悟れなかったわ。でも今はわかるの。あなたは…。」

 この時教室へ行くように促す放送が流れてきた。生徒たちは教室へ向かう時刻だった。

「新入生は各自教室へ集合してください」

 こうして、チエの新しい高校生活が始まった。


 チエのクラスは、二階の階段近く、校庭に面したところにある。チエがクラスで初めて話した男子は、田岡ミツルという男子生徒だった。話したというより、最初の授業の後で彼が困った事態にはまっているところへ助けを申し出たというのが正しい。進学校はどこでもしょっぱなから進行が速い。

「田岡、四大文明の特徴をいってみろ。」

「・・・」

「田岡、教科書と資料を読んでいないのか? 読んでおくようにと指示があったはずだが」

「ええ? そうなんですか?」

「よんでいないのか? この学校ではそんなことではやっていけんぞ。次回の授業、明後日までにしっかり読んでおけ」

「ええ、これを明後日までに、ですか? 無理ですよ。ほかの勉強もあるし…」

「よ ん で お け よ !」

 歴史の担当教官はしまいにミツルを叱り飛ばした。

「ひ、はい」


「ねえ、田岡君、あなた、教科書を読んでいないの?」

 チエはミツルが心配になって声をかけた。

「あ、平さん? 僕は読んでも覚えられないから・・。だから読んでいても意味がないんだ」

「覚えられないの?」

「うーん」

「覚えるのを手伝ってあげようか」

「どうせ明後日までなんて無理だよ」

「じゃあどうするのよ?」

「読んでから論理的に考える・・・・しかないかな」

「そんなんで大丈夫なの?」

「わからない・・・」

「とりあえず学校から帰る時ぐらいは読んで覚えるぐらいの努力が必要じゃないかしら」

 チエから見ると、ミツルはあまりにのんきな男だった。


 二日後、また歴史の時間になった。

「じゃあ田岡、資料を読んできたか」

「はい、一応・・・」

「よし、じゃあ、田岡に質問だ。四大文明のうち、滅んでいないものがある。それはなにか?」

「はい、それは黄河文明です。皇帝と官吏制度。支配する民族、王朝が変わっても、この政治制度はずっと受け継がれています」

「いいだろう。だが、それは資料のどこにも書いていないけどな」

 授業の後、チエは不思議に思った。なぜ覚えられないのに答えられたのか・・・・。

「ねえ、田岡君、覚えられないのに、よく答えられたのね」

「うん、政治経済の資料も合わせて因果関係を考察したんだ。近代までの中国の皇帝と政治体制から見ると、古代からの制度が連綿と受け継がれているんだ。そのことに照らして、四大文明のその後を考察すると、あの答えになる」

「覚えていないのに、それで答えられたわけ?」

「僕は一度触れた論理なら、後でももう一度繰り返すことができるんだ。」

 チエは、ミツルの偏った能力に驚きあきれていた。

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