誰かへの伝言
流血表現はありませんが、人身事故に繋がる表現があります。
『11時に迎えにいきます。4番線ホーム10号車の近くで待っていてください』
自宅アパートの最寄り駅に伝言板が設置されていると気づいたのは、この駅を利用するようになって三年目のことだった。
改札横の壁に設置されている黒板はずいぶんと古い物らしく、表面には無数の細かいヒビが入っている。右端に白いペンキで『伝言板』と書かれているので間違いなく伝言板だ。
「……使う人、いるんだな」
よほど興味がなかったのか、それとも時間に余裕がなかったのか、今まで気づかなかった理由は我ながら謎だが、白いチョークで書かれた綺麗な文字に、通勤途中だった俺は思わず足を止めて呟いた。
まだ残っていたことにも、利用している人がいることにも驚きを通り越して、いっそ感動すらしてしまう。
名前などは書かれていないが、それでも当人たちが見れば分かるのだろう。無事に会えると良いですね、と今度は心の中で呟いた。
ところが、翌日もさらに翌日も、そしてその翌日にも同じ文字で同じメッセージが書かれていた。
黒板の左端に、黄色いペンキで書かれている『一定時間ごとに消します』という注意書きの通り、俺が帰る頃にはあの伝言は残っていないため、毎朝誰かが書いているのだろう。
ただのいたずらなのかもしれないことが、少し残念だった。
※
友人との約束の時間を間違えていることに気づいたのは、友人から電車の遅延で遅れると連絡があった時だった。
全力疾走で駅に向かい、足早に改札を通る時にちらりと見えたあの伝言板には、やはり白い文字が書かれていた。ご丁寧に日曜日にも書いているらしい。
けれど今日はそんなことに構っていられない。
改札から一番近い階段を駆け上ると、乗りたいと思っていた電車がちょうど出発したところだった。
この駅に停車する次の電車は10分後。
ホームの先頭に立ち、友人にあと30分待って欲しいと連絡したあと、今が10時59分で、ここが4番線ホームの10号車近くだということに気がついた。
伝言板に書かれている時間まで1分。こんな偶然もあるのかと驚いた。
「待っていました」
小さな声が聞こえたと同時に、背後から誰かの真っ白な細い腕に抱きしめられ、身動きが取れなくなった。
振り解こうともがいても、腕の力は信じられないほど強く、鉄サビのような臭いが鼻をつく。
ザッ、という何かを蹴るような音が聞こえた次の瞬間、俺の体は黄色い点字ブロックを越えた。
何が起こったのかを考える時間はなかった。
一瞬の浮遊感のあと、全身を強く打ちつけ、頭の中が真っ白になった。
あまりの痛みに動けずにいると、いくつもの悲鳴や大声が聞こえてきた。
顔をしかめながら目を開けると、怯えた表情で自分を見下ろす女性と目があった。その隣の男性は、右手で大きく手招きしながら、左手でホームの下を指差している。
今いる場所を把握して、血の気が引いた。
間もなく来る電車は、この駅を通過する特急電車で、あと1分もないはずだ。
痛みに耐えながら、とにかくレールの上から移動しようとすると、枕木から白い二本の腕が生えてきた。
腕はしなやかな動きで俺の首に絡みつき、再び身動きが取れなくなった。
「迎えに来ました」
目に見えない誰かが、すぐ近くで囁いた。