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私と先生

 私は先生の申し出に驚いた。

 先生はちゃぶ台から顔を上げた。

 涙と鼻水だらけだったので、慌てて今度は

 タオルを先生に渡して、席を立ち、洗面台の上の

 棚から新しいティッシュの箱を出して、

 もう一度、先生の元へ戻る。


 タオルに顔を押しつけて泣く先生の後ろ姿は、

 何十年も会えていない・・・、二度と会えない弟の

 後ろ姿にそっくりで、私は弟が落ち込んでいるような

 錯覚を覚えた。

 弟が落ち込む姿なんて、私は見たことが一度もない。

 弟は軟弱な私に比べて、ガタイも良く、勉強も

 運動も出来る、母自慢の息子だった。


「サカタさん、甥っ子に向けて、小説を書いていますよね。

 アレのついででいいんで、僕のこの気持ちも話にして、

 書いて下さいよ!」


「え?先生の気持ちって?振られた彼女さんに対して、

 何か言いたいことがあるんですか?彼女さんは、

(小説家になろう)で小説を読む方なんですか?

 ま、まさか、寄りを戻そう的な告白を?」


 タオルから顔を見せた先生は目が据わっていた。


「いえ、彼女は本は読むのは好きではなかったです。

 寄りを戻すのも・・・多少は未練はありますが、

 そのつもりもないです。

 ただ、僕は若い女性達に言いたい!大人になる前の

 女の子達に教えてやりたいんです!


 男は基本ヤルことしか考えてない生き物だって!

 出すことしか考えていない悪い奴もいるって!

 自分で自分を守らないと、一生困ることになるから、

 女性は賢くなるべきだって言いたい!

 付き合っている男に流されて、言いなりになるなって、

 言いたい!

 ちゃんと自分を持っていろって言いたい!

 雑誌やネットで、簡単に性の情報が手に入るけど、

 それらに振り回されず、自分の頭を使って考えろって

 言いたい!

 今が良ければ、それでいい・・・じゃなく、

 その後に自分はどうなるのか?どんな危険があるのか?

 想像力を働かせて、危険を回避出来る大人の女性に

 なれって、言ってやりたいんです!」


 私は先生の真剣な表情に、(ここだ!)って思い、

 口を開いた。


「先生、それ、先生が書いてみたらいかがでしょうか?

 先生は私の先生が出来るほど、パソコンの使い方も

 詳しいですし、・・・先生は、私よりもうんと

 賢いし、先生の話は面白いから、きっと私よりも

 いいお話が書けると思うのですが・・・」


 私の脳裏に先生の部屋に高く積まれた本に挟まっていた

 原稿用紙が浮かぶ。そこに書かれていたペンネーム。

 一年前くらいに、先生が風呂の湯をあふれさせたことが

 きっかけで、私と先生の交流は始まった。

 先生は今年21才のサラリーマンだ。

 彼は高校時代に両親を相次いで亡くし、それからは、

 一人っきりで生きてきたからか、同年代の者達よりも

 しっかりした考え方をする若者だったし、年配の私を

 労ってくれる心優しい青年だった。


 先生は両親が残してくれた保険金と奨学金で、

 夜間大学に通う勤労学生で、多忙だったが、

 機械音痴な私を気遣ってくれて、テレビのビデオの

 設定とか、新しい洗濯機の使い方を教えてくれた。

 いつも、家と会社と学校の往復で、忙しいと言って

 いた彼が、ここ最近は、柔らかく笑って、大事な人が

 出来たから、もっと頑張らなきゃって言っていたのを

 思いだし、先生が付き合っていた彼女さんは、

 見る目がないなって、心底、私は思った。


 先生は両親を亡くすまでは、小説家を目指していて、

 沢山、本を読んだり、書いたりしていたらしいが、

 両親を喪ってからは、生活に追われて、書くことを

 止めたと何かの折に、酒に酔っ払った先生に、

 打ち明けられたことがあった。

 先生は、本当にお酒に弱い青年だった。


 ・・・私は、彼にもう一度、小説を書いて欲しいと

 思っていた。


(小説家になろう)で検索した先生のペンネーム。

 いくつかの小説が残っていた。

 私はそれを面白いって思ったし、もっと読みたいって

 思って、酔っている彼にそう言ったが、もう書く気はないと、

 やんわりと断られた。


「それだけ強い思いがあるなら、書いてみてはいかがです?

 先生の言葉には、心がこもっています!私なんかより、

 何倍も何十倍も何百倍も何千倍も、心がこもっている!

 きっと先生の小説は、沢山の若い女の子に届くはずですよ!」


 先生はビクッと体を強張らせた。

 私は・・・また失敗をしてしまったことを悟った。


「僕は・・・。すみませんでした、サカタさん。

 我が儘を言いました。あの、さっきのこと、

 忘れて下さい。・・・僕、もう、家に戻ります。

 朝ご飯、ご馳走様でした」


 先生は、のそっと立ち上がると、頭を一度下げて、

 私の家を出て行った。

 私は、先ほどの自分の行いを呪った。


 食器を洗い、洗濯をし、掃除をすれば、休日の私は、

 他にすることもない。

 私は午後に日用品の買い物の予定を入れていたので、

 それまでの時間、パソコンに向かい、

 先生に教えてもらった手順で操作し、(小説家になろう)の

 サイトにアクセスした。

 フウッとため息をつく。


 悪役令嬢。異世界転生。チート。乙女ゲーム。

 これらの言葉を教えてくれたのは先生の作品だ。

 趣味が同じ読書だと知ったとき、先生は、瞳を

 キラキラさせて、私にこのサイトを教えてくれたのだ。

 病がちな私が、図書館に通えないってぼやいたときに、

 良いサイトがありますよ、サカタさんって笑っていた。


 先生は気づいていないだろう。

 私が先生のことを見る度に、・・・本当に

 そっくりすぎて、泣きそうになるのを

 堪えるのに、苦労していることを・・・。

 家を飛び出していったきり、帰ってこなかった

 弟と同じ左えくぼが、私の涙腺を刺激するので、

 出会った当初は、家に戻る度によく泣いた。


「早く先生が、私の作品を読んでくれるといいんだけど」


 両親を喪ったことで、諦めた夢。

 出来たら、もう一度、チャレンジして欲しい。

 私は家を飛び出していったっきり、連絡をしてこなかった

 弟の気持ちを推し量り、先生には親戚だと名乗っていない。


 会えたことが奇跡なんだ。

 同じアパートに住んでいたことが奇跡なんだ。

 彼が風呂の湯をあふれさせなければ、

 私は、この奇跡を知ることはなかった。

 これは運命。

 弟が残した、大事な甥。

 遠い昔、弟の心を守ってやれなかった、私に出来る

 唯一の方法が、・・・これだ。


「早くこれを読んで、下手くそだなぁ、と笑って、

 これなら自分が書く方が何倍も面白い物が書けますよ、

 サカタさんって言って、・・・小説を書いて欲しいなぁ」


(まぁ、失恋したての先生に、それを強請るのは

 時期尚早すぎたな・・・。

 失恋は、次の恋へのスタートですよ、先生。

 次こそ、いい恋愛が出来るといいですね)


 私は先生に頼まれていた事をお話として書くことにし、

 しばし、悩む。


「先生の言っていたことは、どこに分類されるんだろう?

 内容が大人な感じだから、官能小説だろうか?

 でも、先生は若い人に教えたいって言っていたから、

 全年齢対象だろうか?でも、あんまりにも生々しいから

 ある程度は成長した若者に対象設定をすべきかな・・・」


 私は学のない頭をウンウンと捻りながら、

 稚拙な文章を綴っていく。


(きっと先生なら、こんな直接的な文章じゃなく、

 自然な感じで読者の人達に伝えることが、

 出来るんだろうけど、私にはこれが精一杯です。

 ごめんね、これを読む人・・・。きっといつか、

 先生が、もっと良い感じで書いてくれるって

 思うから、それまでこれで我慢して下さい・・・)


 私は何とか書き終えると、投稿予約をしようとして、

 手を止める。


「う~ん、作家名を変えて、投稿しましょかね」


 先生の友人は、私の作品を知っている。

 先生は私に書かなくてもよいと言ったのに、これを

 書いているのは、先生にとって、余計なお世話

 ってヤツに他ならないんだろうとも思えたので、

 作家名を変えてみることにした。

 私はパソコンに向かって、柏手を打つ。


「どうか先生が元気になりますように。

 次の恋の相手は、先生と同じぐらい、先生を

 大事にしてくれる素敵な女性でありますように。

 ・・・もしも、前の彼女さんが、これを読む機会が

 あったら、先生はあなたを大事にしていたってことを

 知って下さい。大切にしていたって、知って下さい。

 あなたはとてもいい男を逃したんですよ。


 ・・・先生が元気になって、新しく趣味を持つなら、

 それも全力で応援しますが、出来たら、先生の

 小説が読んでみたいので、どうか、どうか・・・、

 先生が小説を書きたくなるような作品に、先生が

(小説家になろう)で出会えますように・・・」


 私は投稿予約完了の確認ボタンを押した。

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